第5話
女性は三名に向かって優しい微笑みを向ける。落ち着いた女性という言葉がぴったり似あう彼女こそ、ヒルタ・フォン・ミドルブ──ミドルブ議員その人であった。身長はそこらの人間よりも数段低く、非常に若く見えるが、その外見に反して、挙動や喋り方、身にまとう服装に雰囲気は落ち着いていて、それら全てに調和がとれている。
ミドルブの言葉に、ファンニとフォルラは交互に挨拶し、最後にフォルラが平を紹介する。ミドルブはそれら一連の挨拶を微笑みながら聞いた後、真剣な顔をして口を開いた。
「今回の事態──ファンニ、フォルラ、あなたたちにこのような責任を押し付けてしまうことになってしまって、本当に──本当に、申し訳ないと思っているの。私の力不足──ごめんなさい」
ミドルブはそう言うと、深く頭を下げる。
「な、何を言うんですが、ミドルブ議員。あなたは何も悪くないっ……! 平和主義の森の民唯一の議員で、その、これはただの事実として、あなた一人でどうにかできる事態ではなかった、それは、私も、お姉──ファンニも十二分に理解しています。それに、父上は──いえ、何でもない、とにかく、今回の事態はミドルブ議員の責任ではないですよ!」
フォルラが慌ててフォローに入ると、それでも、彼女はその申し訳なさそうな表情を崩すことなく、
「ええ、でも、まさかね。人々は平和の大切さを頻繁に忘れてしまう。悲しいこと。議会を動かすことはできないかもしれない──けれど、私にできることは全てするつもり。何かできることがあったら連絡をしてね」
そんな重要な内容を孕んだ重々しい話を黙々と一人聞く男がいる。
そうだ、平だ。彼は、けれど、話の内容よりも、他のことが気になっていた。大きな建物の中で撮影を多分どこかからか行っているだろうという勝手な予想をしていることは勿論の事、今、目の前にいる、ミドルブをじーっと観察し続けていたのだ。
そして、そのあまりの凝視っぷりに、
「……その、ところで、あなた──ハマヒラといったかしら? 私の顔に、何かついている?」
ついにミドルブからも突っ込まれる。
平は、その言葉に大きく頷く。彼は気にしていたのだ、ミドルブの顔についているものを。それは、誰にでも当たり前についているものであった。ファンニやフォルラにとってはとても身近なもので、特に不思議なものではなかったが、一方で、平にとっては全く身近なものではないものだった。
何か。それは、
「こ、これは、何ですか!?」
平はそう言うと、ミドルブの目の前へ立ち素早い動きで、彼女の両耳を両手で掴んだ。必然的に、ミドルブと平は顔と顔を見合わせることになり、平はミドルブと超至近距離に迫ることになる。ミドルブの表情は固まるが、平はそんなことを気にしない。
平が何に驚いているのか。
それは、ミドルブの耳の形にあった。彼女の耳は、通常の人間のものとは違って、エルフ──代々森の人と呼ばれる一族の血を色濃く継いでいるため、三角にとんがっているのだ。無論、平は、それを本物だと思っていない。彼は、その耳は特殊メイクか何かによってつくられたものだと考えた。
「ほら、これですよ、これ! えぇ!? すごくないですか! す、すごいなぁ、こんなに手が込んでるだなんて思いもよらなかった……」
故に、自身の役割をも忘れ、これから先行われようとしている撮影にいかに力が入れられているのかと考えるといてもたってもいられなかったのだ。
「これから撮影するんですよね? えと、どうするんですか? あ、ごめんなさいね、ちょっと感無量で今までの話全然聞いてませんでした! もう一回いいですか!?」
あまりに唐突に訪れた意味不明な事態に、その場にいた平以外の全員は動くことが出来ず、平の言葉をただただ耳に入れるしかなかった。であるから、平は好き勝手に自分が思っていることをペラペラと話す。
「いや! やっぱりいいです、大丈夫! これだけのことをしてくれているんだ、俺は全力でそれに答えるだけだ。最初、呼ばれた時から、全部アドリブですもんね……その場、その場で適切なことを、適切にやっていく、ただ、それだけ、ですよね。やる気湧いてきましたよ、えぇと、ミドルブ議員!」
勝手に一人で喋って勝手に一人で完結する。一見、おかしなことに見えるが、彼にとってそれは日常だ。彼はずっと一人で動画を作成して投稿してきた孤高のストリーマーなのだから。己の身一つで動画撮影を続けてきたストリーマーなのだから。
とはいえ、その異様な光景が、他の一般的な人間たちに受け入れられるかどうかというのはまた別の話である。ファンニが呆れかえって特に何もアクションを起こさず、この場の収集を放棄している一方で、フォルラは徐々に怒りを膨らませていた。一体なんて勝手な人だ、人の耳をいきなり触るだなんて意味が分からない、という思いを込めて、失礼じゃないか、と平を注意しようとしたその時だった。
「ふふ、ふふふ」
小さな笑いを漏らすのはミドルブ。人の両耳を許可も得ずにいきなり掴むという訳の分からない行動を取ってきた相手の両手をさらにその上から自らの両手で掴んで、言った。
「なるほど──面白い人、ですね。これから先、命の危険さえ伴うような状況で、こんなこと、普通ならできない」
「えっ、あー……あっ」
平は、後ろを振り返り、ファンニとフォルラへ目配せをする。彼的には、もう撮影は始まっているのか、という意味の問いであったが、勿論そんなニュアンスが伝わる訳がない。
フォルラは、その目配せの意味はよく分からなかったが、とりあえず、うまくやってくれという意味合いを込めて、小刻みに頷く。
これによって、全くコミュニケーションは成り立っていないのにも関わらず、双方は、勝手に都合の良いように解釈して、謎の意志疎通が行われる。平は、勝手に、撮影が始まっていると理解したのである。平は慌ててミドルブの耳から自らの腕を降ろす。何か機転の利いたセリフを言わなければならない、何を言うべきだろうか、と考える。そうだ、さっき言っていたセリフの続きだ。自分は、ともかく、全力でやるぞということをアピールすればいいんだと考える。
「あー、うん! そうそう! いやぁ、大丈夫、大船に乗ったつもりでいてください。俺はこれまで沢山の窮地へ挑んできた。諦めなければ絶対に出来る、それを俺は今まで信じて生きて来ましたからね」
別に、これといって、命にかかわるような危険な出来事は全くなかった訳であるが、ミドルブは話の流れからして、彼が何度も命の危険にさらされてそれでいて、それらを潜り抜けて今に至っているのだと解釈する。
話の食い違いは、とんでもない速さで、たった数言交わしただけで大きく進行し、ミドルブは素敵な笑みを浮かべて平の両手を取る。
「なんだか、安心しました。あなたがいてくれれば、きっと、いいえ、絶対に、この窮地を乗り越えることができる、そういう強い希望を持つことが出来た気がします。ありがとう、よろしくお願いします」
こうして、平はなんだか知らないが、ミドルブに認められ、強い握手を交わすことに成功したのである。一見落着したところで、ようやくファンニが口を開く。
「えーとおー、ミドルブ議員──それじゃあ、行ってきます」
口数は少ない。けれど、これは、彼女がミドルブ議員を嫌っているからではない。
「相変わらずね、ファンニ。でも、大丈夫、あなたならできる。何度もしつこいようでごめんなさい、さっきも言ったけれど、何かあったら、私にできることがあったら、絶対に連絡をしてね。ハマヒラを見ていたら、まるで、昔のあなたを見ているみたいで」
「……何を言っているんですか」
「いいえ、ごめんなさい。でも、あなたは今、確実に、自分の道を進もうとしているはず。諦めないで」
ミドルブの言葉は、ファンニの耳へとしっかりと届いていたが、彼女はそれに返事をすることなく、ペコリとだけ一礼した。
三名は出発する。向かうは交渉先──ルバゼン地方──。
馬車に揺られる中、フォルラは説明する。
「道中の馬車の確保のための資金は十二分に用意してあります。アファツル地方内であれば、私と父の名を出せば融通してくれるでしょうし」
「問題は、あっちに入った後、ねぇ~」
ファンニが気だるげに言うと、フォルラが頷く。
「ただ、そもそも、アファルン連合内は、多少ギスギスしているとはいっても国内なんです。この交渉が密使であるという以上、お姉ちゃんや私の名を出すのは、ルバゼン地方に入ってからはアウトだと思いますけど、移動する分には大丈夫だと思うんですけどね……」
「そうだといいけどねぇ~」
まるで人ごとのように言うファンニだったが、フォルラはその言い方にもまるで苛立つことなく、にこやかに言葉を続けた。
「それと、ハマヒラさん!」
唐突に指名され、ビクッと体を震わせる平。ぼーっと外を眺めていた彼は反射的に、煩悩煩悩~、と言いかける寸前で気持ちを切り替え、ぼはいっ、と訳の分からない返事をする。
「え、何ですかそれは」
「な、なんでもないから、ほら、で、何?」
嫌そうな顔をしつつも、フォルラはすぐに表情を戻して、
「これ以後は唐突な意味不明な行動は絶対に控えてくださいよ!!」
「え」
「大体、さっきだってそうですよ、ミドルブ議員が肝要なお方だったからよかったものの、あんな、ああやって、人の耳をいきなり触るだなんて……非常識にもほどがありますっ!」
「あー……」
数秒の間。
「分かりましたか!? 分かりますよね! ルバゼン地方に入ってから目立つようなことはしたくないんです。あっちにはあっちで色々な勢力がいるはずなんです。穏健派もいれば、過激派もいる……私が言いたい事、分かりますよね!」
むむむ、と平は考える。なるほど、分かる、分かるが──つまり、これはどういうことだろうか。
先ほどのミドルブに対する自分の行動を見つめなおし、己の行動の間違いを見つける。無論、この思考はフォルラが望んでいる思考ではない。彼は、根本的に考える部分が間違っているのだ。彼は、愚かにも、撮影に関して自分の行動がどのように問題があったのかを考え直しているのだ。
そして、フォルラにとっては非常に残念なことに、平は一つの答えに辿り着く。
「なるほど……! 分かった、自分は、この舞台のことを侮り過ぎている、そういうことだな!!」
彼が至った結論、それは、
「いつ、誰が、どこから見ているか分からない──いや、自分たちは常に見られている、そう思って行動しろっていうことだな! そうだ、もう始まってるんだ、ずっとずっと、舞台の上にいる──あの時自分は、愚かにも確認なんて行動に走ってしまった……これから先、どこでどう撮られているのかは分からない、だから、自然に動け、そう言いたいんだな!? そうだよな、当たり前な指摘だ……そんなことも考えられず、俺はいつまでもいつまでも浮かれていた。すまなかった、反省するよ」
平は、フォルラに熱弁すると、頭を垂れる。
「い、いえ、分かればいいんです、分かれば! ね、お姉ちゃん」
フォルラは若干焦りながら、ファンニへ振る。ファンニは、相変わらずの薄いリアクションで、
「そだねぇ~」
とだけ言う。最初こそ、ファンニの平へ対するリアクションは大きかったが、今や彼女は慣れたもので、もう平が突飛な行動をする訳の分からない人間であるということを受け入れているようだった。適応力が実に高い、さすがは魔術学校の首席だというべきか。あるいは、ファンニは、フォルラが、平に対して的確な突っ込みをしてくれるのを確認し、もう自分はリアクションを取らなくていいと考えているのかもしれない。低燃費な少女なのだ。
こうして、三人の旅は、それぞれが、それぞれの思惑を抱き、ちょっとだけすれ違っていたりしながらも、前へと進んでいく。
揺れる馬車の中で、それぞれは、それぞれの景色を思い描き、揺れに身を任せていた。