第3話
平は、目覚めてからすぐ違和感を覚えた。体の節々が痛む。昨日の日雇い労働のせいかもしれないが、しかし、やけに床が固い。重たい瞼を開けて、ゆっくりと視界を広げていく。目に入るのは、自室天井────ではない。薄暗い天井はどこまで続いているのかも分からない程に高いのだ。
昨日、平は、自身の心の叫び動画についた、たった一つのコメントに対して、考えた末、
『分かりました。任せてください!』
なんていうコメントを返した。普段、コメントに対してほとんど文字での返信を行わない平であったが、その時、彼は、このコメントに何かを感じていたのだ。
けれど、それは決して霊的なものであったり、オカルト的な感情ではなかった。彼の、ストリーマーとしての直感が、このコメントの裏には何かが隠されいてると判断したからである。
というのも、普通、寄せられるコメントは動画に対する意見といったものがほとんどだろう。今回のコメントにはまるで意見はなかった。それどころか、このコメントは、一見、スパムコメントにも思われた。通常の精神状態に置かれている平なら、スパムコメントだと判断して何も返信をしないか、あるいは、コメントを削除していたであろう。
だが、一つ、疑問を挟む余地があった。それは、そのコメントには何ら誘導がないということだ。スパムコメントであれば、通常何らかの誘導先──やれ詐欺サイトやら、宣伝やら──があるはずなのだ。そこで、平はうっすらと考えた。このコメントは一体何を意味しているのか、ということを。
結果、彼が思い至ったのは、もしかしたら、万が一に、本当に、自分の窮地を救ってくれるのではなかろうかというどうしようもなく希望的な観測であった。だからといって、あまり食い入るような返信をするのも問題だ。このコメントは勿論のこと、自分の返信また、自分の視聴者たちに見られてしまうからだ。故に、平は、本気かどうかも分からないような、率直な返信を行った。
こうすることで、のちのち、動画で、遊んでみた等々の言い訳をしたり、さらに、それをネタに一本動画を撮ることができるのではないかと考えたのだ。いつ、いかなる時も、彼はエンターテイメントを忘れていなかった。それは、深く考えてのことというよりは、本能的に身についてしまっていた習慣が労働により疲れていた彼の体を動かしたというのが正しかろう。
幸か不幸か、その選択により、彼は、彼がいた世界とは別の世界へと飛ばされてしまった訳である。そう、ファンニ・ケリュビンの召喚術によって、彼は召喚されるに至ったのだ。
「……おぉ~っ」
ファンニは、かつてアポストルが召喚を行ったと言われる遺跡にて、一人で、召喚の儀を行った。そして、結果、目の前には一人の人間が現れた。成功──したらしい。いや、してしまったらしい。実のところ、彼女は半信半疑であった。無論、魔術学校に通っていた訳だから、魔術事態を信じていないということはない。この世界には確かに魔力が存在するし、魔力を扱うことで魔術を発動させることができるし、魔力によってこの国の動力の多くが確保されている。魔力によってこの国は長く発展してきたし、ルバゼンに対して優位を誇ってきた。それらの事実は変わらない。
しかし、召喚を行うには大規模な設備が必要であり、また、召喚術の成功例は、歴史上の資料を見てもほとんど見られなかったのだ。であるからして、いかに彼女が魔術学校を首席で卒業したとはいえ、召喚術自体は、まるで伝説のようなものだったからだ。
「ほんとに、出た……人間だぁ~」
そんな驚くべき事態にも関わらず、ファンニの様子はひどく冷静であり、その様子を見た平もまた、それ故に、冷静に今の状況を分析することができた。僅かに痛む頭を押さえながら、ゆっくりと上半身を起こす。そして、辺りを見る。どうやら、石畳の上に寝転がされていたようで、なるほど、体の節々が痛むのはそういう訳か、と納得する。布団の上がいかに素晴らしい場所であるかということを一瞬のうちに理解し、同時に、自分を中心として奇怪な模様が鈍い光りを放っていることを認識する。
「なんだ、ここは……」
洞窟──ではない。薄暗く、石を素材にしているであろう壁、床が目に入るところからすると、建築物であろうことが予測できる。ブツブツと声がする方を見れば、そこには一人の少女がいる。
平は頭を素早く回転させる。どうなった、どうしてここにいる。頭の中で事実を結びつける。そして、彼は一つの結論に辿り着く。
「……コラボッ!?」
そうだ、これはコラボ企画。コラボレーション──通称コラボ。それは、動画配信界隈においては日常的に繰り広げられていることだ。平が利用しているエスエスにおいても例外ではない。コラボとは、二人以上の動画投稿を行っている人間同士で動画を作成するというものであり、これによって何のメリットがあるかといえば、配信者にとっては、互いが互いの視聴者への宣伝を行うことができるという点が最も大きいといえる。
平は、これまで一人で活動を行い続けてきた訳であるがゆえに、コラボというのは他の人の動画を見ることでしか接してこなかった訳だ。しかし、彼は確信していた。コメントの誘いは、コラボ動画を撮影しようという誘いだったのだと。そして、今、この状況下にいるのは、自分が寝ている間に自分を担ぎ出して移動させたとすれば、この奇妙な現実を、確固たる真実として、間違いないものとして受け入れることができる。
「えぅ、な、何? コラ……? もしかして、言語が分からないのかなぁ」
突然、コラボッと叫んだ平を、ファンニは奇妙な目で見る。平は、ああ、そうか、と立ち上がって、ファンニへと歩み寄る。ビクッと体を震わせるファンニだったが、平から危険な気配を感じることがなかったため、そのまま平が近づいてくるのを待った。
平はファンニへ近づくと、よし、と気合を入れて、ファンニの両手をガッシリと握りしめる。
「えっ! な、なっ!」
「初めまして! 俺は浜──いや、違うな、ハマヒラだ! よろしくぅ!」
笑顔でハキハキと言ったことで、ファンニの言語に関する問題は特になくなっているということが分かる。
「え、あ、ちゃんと言語は通じるのか……召喚途中において魔力で言語能力の書き換えが……」
ぶつぶつ言うファンニの言葉は平の右の耳から左の耳へと抜けてゆき、にっこり笑顔で平は問う。
「それで! あなたの名前は? いやぁ、この規模で企画を行えるってなったら沢山人も使っているんでしょう!? さぞ、有名なストリーマーの方なんじゃないですか? えと、失礼だけれど、サポーター数はどのくらいで? 万? いやいや、それじゃあ済まないですよねぇ、十万超え!? も、もしかして、百万とか……? す、すみません、無知なもので、大物の方だったら申し訳ないっ!」
ファンニは全く戸惑っていない平を目にして、焦る。しかし、言葉は通じているはずなのに、訳のわからない単語を羅列する彼を見て数秒時間を置くことで、焦りという感情をコントロール下に置くことに成功する。呼吸を整え、いつもの調子をすぐに整えなおし、自分にかけられた言葉から、答えるべき言葉を選択する。
「私は、ファンニ・ケリュビ──」
「ファン!?」
平は唐突に興奮する。握りしめた両腕を上下にブンブン振って、まだファンニが最後まで言葉を言い終えていないのもおかまいなしに狂喜乱舞する。
「ファンかぁ~! あぁ、そっかぁ~! 俺にもついにこんな可愛らしい女の子のファンが出来たのかぁ~! いやぁ、どもども! もしかして、あれかな? 君は雇われているだけで、案内役、とか? そんな感じ? いや、すごいねぇ、この企画は! もうこの部屋からして手が込んでるもんねぇ。これは貸し切りにしてるのかな? すっごいなぁ」
平の質問はますます訳の分からない方向へ進んでいくが、ファンニはそれでもこの目の前の男の言っていることを何とか理解しようとする。
「う~ん、何を言ってるのかよくわかんないけどぉ……金銭的な報酬はもらっていないけれど、そうといえば、そうかもぉ……? でも、主導は私。私の指示で動いてもらうことになると思う」
理解しようとした結果、うまい感じに会話が噛み合ってしまう。それによって、平もまた、己の考えは正しく、これはまさにコラボ企画であるという確信を強めていく。互いの会話は奇妙に、いびつに、噛み合っていくのだ。
「えぇと、それで? 雇い主は?」
「あーっ、もう! そういうの、ちゃんと説明するからさァ~」
そう言うと、ファンニは平の手を振りほどき、服で適当にぬぐう。平も、あまりにテンションを上げすぎてしまったことを後悔し、一息して整える。
「失礼、失礼、どうぞ、説明してくれ」
ファンニは、もぉー、と悪態をついて、髪の毛をふさふさ触って整えなおすと説明を始めた。
「えとぉー……ハマヒラ? は、ですねぇ、選ばれたんです。この世界はですねぇ、今、なんというか、面倒なことは省いて、大きな争いが起きる直前の状態でしてぇ、その争いを防ぐための交渉役として、ハマヒラはこれから私と一緒に交渉に行ってもらわないといけないんですよねぇー」
平は、その言葉を聞いて、はっとする。そして、辺りをキョロキョロと見回す。てくてくと歩いて壁を見つめたり、天井を見つめたり──その奇妙な行動は、どうやら何かを探しているように見えた。
「えとー、ハマヒラ、何してるのぉ?」
平はファンニの声に反応してズンズンと近づき、素早く耳元へ顔を近づける。
「ひっ……」
唐突な接近に、冷静さをまたもや奪われかけるファンニ。ビクッとする彼女に平は、ボソボソと囁き声で、けれども、彼女にだけは的確に届くようなはきはきした語調で問う。
「どこだ、どこから見張ってる? 分かってるんだ、辺りに人がいるってことは……」
そうだ。彼は気にしているのである。彼を捉えているはずであろうカメラレンズの存在を。何故かといえば、それは、ファンニが唐突にこのシチュエーションの説明をファンタジックにし始めたからである。無論、それはファンニにとってしてみればファンタジックでもなんでもなく現実そのものなのであるが、平にとっては幻想そのもの。つまるところ、ファンニが述べた事実は、平にとっては動画撮影のための説明なのだ。受け入れると同時に、彼女がその事実を何の前振りもなく行ったということは、既に撮影が行われている可能性が高いということを平に思わせるのに十二分な行為であった。
「えっ!?」
けれど、平の発言は、ファンニにとって、思いもかけないものだった。
「な、なんで、分かったの!? そう、この召喚は試されてる。本当に、あなたに資格があるかどうか、っていうことを……もし、召喚がうまくいかなかったら、アポストルは旅立たない。あなたに最低限の洞察力がなかったら……」
平は、ふふん、と得意げな顔をして、この大広間の中に唯一ある扉を指さして言う。
「俺だって、伊達に何年もストリーマーをやってる訳じゃないさ。その扉、だな。このシーンは一回しか使わないってなると、壁に仕込むにはさすがに手間がかかり過ぎる……なに、大丈夫、このくらいのぼそぼそ声ならカメラは拾えてない、そうだろ? 俺がこうして、扉に向かって指さしていることに何かしらの理由をつければいいのさ……例えば」
平はそう言うと、しゃがみ込み、即座に、勢いよく立ち上がる! 両手を合わせて扉に向かってお辞儀して、
「煩悩煩悩~!! ハマヒラ降臨ーっ! 世界の危機、救っちゃいますよぉお~!!」
大声で叫ぶ。
その声に呼応するかのように、扉が開き、バタバタと数人のローブを纏った人間が飛び出てくる。そして、その中央からは、それらと違った、清楚な洋服を身にまとった少女が走り出てきて、危機を感じたように叫ぶ。
「お姉ちゃん! 大丈夫!?」
平はそれらを見て、さらにテンションを上げる。もしかして、この人たちも自分のこと知ってんのかな! そんな風に考えた平は、もう一度、決めポーズを取りながら大声で叫ぶ。
「どもぉー! 煩悩煩悩!! ハマヒラでぇ~す!!」
場の空気は、凍結魔法が放たれたかのように凍り付き、数秒の間、動くのはただ平一人であった。