第2話
バイオレットブラウンの巻き毛をふさふさ触りながら、気だるげな様子で椅子に座り、机を挟んでおじさん三人の話を聞く少女がいる。衣服はだぼだぼで、己の身体つきを意図的に隠しているように見えるが、かといって、露出が少ない訳ではない。地味ではなく、ところどころに装飾が見え隠れする。
「アファルン連合──かつて戦争を繰り広げていたこの周辺十数か国は、南方からの異民族、及び、魔物たちの襲来に強い危機感を覚え、緩やかな連合体を組織してそれに対抗した。その危機を乗り切ったのちも、連合は継続し、今では一つの国家として一帯を支配するまでになった……。聞いてますか? ケリュビン様」
少女の名は、ファンニ・ケリュビン。その態度は、悪く言えば横柄で、良く言えばその年に不釣り合いなほどに落ち着いている。男の声に、頷くことなく、チラと目線をやるだけで理解しているという意を伝えるファンニ。
木製の建物は、けれども、内装はとても豪華で、ファンニの前に座る三名の男たちは、いずれも、この国の重要なポストに位置する行政者たちだ。老人という言葉が当てはまる程に歳を取っているように見える。
「けれども、国内の諸地方の勢力は均一ではない。我々西側諸国の多くは、動力機関を魔力機関に頼った。けれど、これは、我々の中に魔力を持って生まれる者が多いからこそ実現できたことで、それらがほとんど生まれない東側諸国は近年まで自然界に存在する機関しか持たなかった。これは、先祖の血の差と言われています。西側諸国は広く、エルフ、フェアリーといった森の人と呼ばれる存在の血を色濃く引き継いでいるのに対し、東側諸国はドワーフ、ドラゴンといった山の人と呼ばれる存在の血を色濃く引き継いでいると言われています──もっとも、これはあくまで過去の伝説的な資料を参考にした説に過ぎないのですが……あのぉ、ケリュビンさん、聞いていますか?」
ファンニは、本当に小さく首を縦に振って、さっさと次へ行けと言わんばかりに、足を組み、面倒くさそうに続きを促した。小娘にこんな横柄な態度を取られても、けれども、男はめげずに話を続ける。
「近年までこの力の差は埋まることなく、こと、争いのないここ数百年の世の中にとって優位となるのは腕力ではなく生産力であって、ですから、西側諸国、我々、つまるところ、アファツル地方の人々は、東側諸国、つまるところ、ルバゼン地方の人々に対して優位を保ってきたわけです。これは、ルバゼンの人々の不満を数百年溜め続けていたことにもなる訳ですが、しかし、それは仕方がない。だからといって、彼らに重圧をかけるようなことはしてきませんでしたし、第一、政治は各地方が代表を選出してその集合によって議会により行われている訳で、公平な場です。私たちは、いくらかの譲歩や補助を行うことで、公平を保ってきました。けれど、ルバゼンで動力機関が開発されました、それは──」
「蒸気機関」
のろのろと話す男に耐えきれなくなったのか、ファンニは単語だけをぴしゃりと言う。それでも、男は自らのペースを乱すことなく、えぇ、と頷くと、
「魔術学校で習っていましたかね?」
と続けた。ファンニは、小さくうなずくと、面倒くさそうに言う。
「それでぇ? 一体何が言いたいんですかぁ~? まさか、ファンニに講義をするためだけに、ファンニを呼び出して、ファンニ一人の講義のために、こぉんなお偉いさんたちが三人もいる訳じゃないですよねぇ?」
気だるげな声であったが、そこには怒気がこもっていることが十二分に感じられた。それを察してか、これまで話していた男よりも、さらに年上に見える男が、コホンと咳ばらいをして、威厳溢れる低音で話を始める。
「えぇ……もちろん。これは、とても、とても──はい、国家の命運が、まさに、かかっているような、そんなお話でございます。くれぐれも──くれぐれも、このことはご内密にしていただけますようお願い致します」
ファンニは、唐突に飛び出る国家の命運などという重苦しい単語にも動じることなく、はいはい~、と続きを促した。
「これは、ファンニ・ケリュビン様。そう貴方様のお父上がサファヴイル・ケリュビン殿であり、彼が数十年間議員の座を務めているからこそ、そして、貴方様、ファンニ・ケリュビン様が、スパケルト公立魔術学校の首席卒業生であるからこその──」
「はいはい、もう、そういうのいいですからぁ~。さっさと本題、言ってくださいよ」
老人が威厳ある声で、議員だの主席だのの言葉を並べているにも関わらず、ファンニはそれさえも遮り、さっさと結論を言うようにと促す。眠そうな目をしたファンニを見て、老人は少し驚きながらも、またもやコホンと咳ばらいをして改めて言葉を発し始める。
「それでは──率直に──我らがアファツルに対して、ルバゼンは宣戦布告をしようとしているようです。これは、噂ではなく確信。そして、ケリュビン様。貴方様には、その戦争を止める役割を担っていただきたい」
外の景色がざわついた、そんな気がしたのは、ファンニの勘違いに過ぎなかった。
流石のファンニも、目の前に差し出されたとんでもない要求に、感情をどう動かしていいのかよく分からず。これまでの無反応とは違った意味での無反応。反応に困り果て、まずは情報の整理が必要だという意味での無反応を示した。けれど、老人は話を終えることなく、さらに続けた。
「かつてのこの地にアファルン連合を築いたのは、数人の人々だったと伝えられております。それらが詳細に記載された書物の内容が真実であったのか否か──それは分かりかねますが、けれど、この地に平和を訪れさせた人々がいるということもまた確か。これは、このアファルン連合にいる人々なら誰もが知る話、アポストル伝話──彼らは平和のアポストルと呼ばれ、平和をこの地にもたらした英雄です。戦うことなく平和を勝ち取った英雄。彼らは、この地に住む全ての人々へ平和を伝えた。ケリュビン様、あなたにはこのアポストルになってもらわなければならない。貴方以外、適任はいないのです」
言い切る老人。隣の二人の男たちも、うん、うんと便乗するようにして頷いた。
「へぇ~……」
ファンニはどうやって反論しようか悩んだ。はい、そうですか、とその事実を受け入れることなど到底彼女にはできないことだった。彼女の年はまだ十八。つい先日、魔術学校を卒業して、さあいよいよ自由の身だとこれから先の道を考え始めていたところに、こんな話が舞い込んできたのだ。
けれど、がむしゃらに拒絶するほどにファンニは激情に塗れた人間でもなかった。彼女、相も変わらず冷静。先ほどは、どう反応してよかったのか分からなかったが、僅かな時間で自分に要求されている事実を受け入れて、受け止めて、果たしてどのように反論して、その不都合な事実を弾き返してやろうかと考える。これまでのだらけた様子とは違った真剣なまなざしは、宙を捉えていたが、それは彼女が思考に専念するため。その思考はほんの数秒で終わり、ゆっくりと口を開く。
「それで、何故、私じゃないといけないんですかぁ? そもそも、魔力に頼らないといけない理由は? それこそ、議会で論じるべき内容じゃないんですかぁ? そもそも、私以外にも、高い地位にいる人で魔力を持っている人だって沢山いるはずですけどぉ~?」
わさわさと髪の毛を触りながらファンニは言う。老人たちは三人で顔を見つめ併せ、そのうちの一人、まだ喋っていない男が説明に名乗り出る。彼らは全く慌てている様子はなく、恐らく、それくらいの反論は見越してのことだったのだろうということが伺えた。
「説明させて頂きます。まず一つ目、議会でこの問題を解決できない理由。それは、事態を企んでいるのは我々アファツルの側ではなく、ルバゼンの人々にあるという点があります。そして、彼らは、その事実が外に漏れていないと思っているし、公の場で問われてもとぼけるだけで終わってしまうでしょう。彼らは彼らだけで計画を進めているのです。そして、魔力に頼らなければならない理由──それは、アポストル伝話にあります。彼らは、膨大な力、恐らく、魔力を用いて、召喚を行ったのです。それにより、このアファルン連合は誕生した。平和を導くためには、アポストル伝話を再現しなくてはならない。だからこそ、膨大な魔力を持った人間でなくては、アポストルを務めることはできないのです」
どうやらこの男は、政治家というよりは学者に近い存在のようだった。その他二人の男が、こうして事情を説明するための参考人として連れてきたのであろう。けれど、彼から次々とはじき出される言葉にファンニは苦笑せざるを得なかった。そして、ため息をつく。
「はぁー……あのぉ、アポストル伝話って、伝説みたいなものですよねぇ~、それを再現するんですか? そんなこといってるから、いつまでたってもこの国は時代が進まないんじゃないですかぁ?」
ファンニの軽蔑的なまなざしにも、しかし、説明役の男はまるで気分を害する様子はなく、先ほどと口調を同じに、静かに反論する。
「確かにそうかもしれないですね。けれど、まず一つ、伝説とはいっても、その召喚に用いられた場所、施設、装置は今でもここスパケルトに残っています。稼働は確認が取れていて、後は膨大な魔力を注ぎ込めば動くことが確認済みです。時代が進まない──そう、私たちは時代を進めなければいけない。けれど、この地域で、アファツル地方とルバゼン地方が戦争を始めたらどうなりますか? この一帯の文明は衰退する──いいえ、それだけではすまないでしょう。南方からの敵がいつ、再びこの地に狙いを定めるのか分かったものではありません。世界はアファルン連合だけではないのですから」
冷静な反論であったが、しかし、ファンニはそれでもまるで反撃をやめるつもりはなかったし、相手の要求を聞き入れるつもりもなかた。
「へぇ……それで、それをやる義務が、私にあるんですか? さっきも言いましたけど、それじゃあ私がやらなければいけない理由にはなりませんよねぇ」
もっともな反論だった。確かに、ファンニはスパケルト公立魔術学校の首席卒業生である。しかし、彼女に匹敵する魔術師がこのアファツルにいないかといえば、それもまた怪しいだろう。痛いところを突いたはずだと考えるファンニであったが、彼女の予想に反して、男たちの表情はほとんど変化を見せなかった。彼らは、そんな彼女の反論を予想していたのだ。そして、先ほどの男はそうやって準備していた反論を述べる。
「ええ、もちろん、この時点の情報においては、そのご意見はごもっともです。ですので、いくつか補足説明をさせて下さい。まず一つ、貴方様以外に召喚が可能な人間がいるのかということ。これだけを見れば、います。これはほとんど推論に過ぎませんが、ここアファツル地方中心都市スパケルトにおいて、召喚に必要な魔力を持っている人間は恐らく魔力を持つ者の上位1割未満程度といったところでしょう。数でいえば、五千人程度。しかし、これに年齢による制限を考慮するとその数は千以内になります。ただ、それ以上に問題なのが、家柄、そして、身分です。これは政治の話なのです。ただのその辺の市民が、魔術に長けているというだけで行えるようなことではない。アファルン連合内とはいえ、今の情勢を鑑みるに、アファツル地方からルバゼン地方へ移動した後、さらに使者としてルバゼン中央都市まで行かなければならない。何より、アファツル公認をおおっぴらにひけらかして行ける訳ではない。その上、到着すれば、相手に使者として相応しいかどうかを見極められる……ここまで言えば、分かっていただけるでしょう。召喚ができて、尚且つ、使者になれる人物がいかに限られるかということが」
それでも、ファンニは首を縦に振らなかった。ジロリと相手を睨んで、呟く。
「それで、私がやる義務はぁ?」
男は、けれども、動じなかった。そして、三人が互いに顔を見合わせて、最も年長の男が言った。
「義務はありません、ケリュビン様。しかし、対価がある。……お父上、サファヴイル・ケリュビン様より仰せつかって参りました。成功させることができれば、お前の人生は自由だ、というお言葉を」
それで動く、と男たちは考えていた。男たちは、ファンニ・ケリュビンという人間が何を求めているのかよく熟知していたし、また、その求めているものをしっかりと用意していた。狡猾と表現してもよかろう。彼女に十二分に反論をさせる。しかし、その反論の先に、しっかりと餌を用意しておいたのだ。
ファンニは考えた。そして、しばらくして、首を縦に振った。彼女は決意した。大きな賭けだ。大きな賭けだが、勝算はある。自分が餌に飛びついているということは十二分に理解していたが、それでも彼女はその提案にのることに決めた。