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底辺配信者 平和のアポストル  作者: 上野衣谷
第三章「信じてみた」
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第13話

 平は、そっと扉の方へと歩み寄ると、見張りの男目がけて言い放つ。


「おーい、出してくれ~。お前だって、平和が大事だろ~?」


 見張りの男は、平の方を見もしないで、面倒くさそうに言う。


「まぁ、そうだな」


 手ごたえを感じた平は、キラキラした目でウキウキしながら、


「よしっ、じゃあ、出してくれ! 今すぐに、ここを出れば、この世界は争わなくて済むんだ。えーとなんだっけ、アファツルと~、ルバなんとか、ええとそうだ、その二つの国は争うことなく──」

「ああ、分かった分かった。いいか、一ついいことを教えてやる」


 見張りの男は平の言葉を遮り、鉄格子の扉へと近寄って、平へ冷たく言い捨てる。


「結果を出したことのない人間の言うことを、人は信じると思うか?」


 男の言葉は平へ鋭く突き刺さり、平は言葉を失った。

 平にとって新たな真実が判明し、いくら平が奮起したところで、いくらファンニがやる気をだしたところで、この場所から出られなければどうすることもできない。

 彼らにできることは、ただひたすらにその場にうずくまり体力を温存することだけだった。チャンスが来るかどうかなど誰にも分からない。鉄格子の外から僅かに漏れる陽の光は徐々にその明るさを失っていき、やがて、夜が訪れたということがすぐに分かった。地下牢の中に響いてくる音はまるでなく、あるのはただ静寂のみで、互いに互いの呼吸音が聞こえてくるほどに地下牢と言う場所は息苦しく、寝心地だって決してよいものではなかった。

 ありがたいことに食事はもらえた。

 結局どうすることもできないという状況を、ファンニと平が悟る頃、二人の拘束具は外される。


「まぁ、後十数日の辛抱だから。大人しくしといてくれ」


 拘束具を外しながらそんなことを言う見張りの男は、二人が大人しくなればそれに比例するように大人しくなったし、ふとしたきっかけで二人が声をあげれば、それに比例するように二人に厳しくなったりした。二人の目が覚めれば、そこにいるのはやはり見張りの男であり、鉄格子の外の景色など見える訳もなく、真新しいことも何もない。

 いよいよやることがなくなれば、必然的に生まれるのは会話だ。


「……なぁ、ファンニ、この状況、どうするんだ、本当に」


 平は、見張りの男に聞こえないくらいの声でファンニへ相談する。多少の焦りを見せている平であったが、それとは対照的に、ファンニの様子は至極落ち着いているようであった。


「……多分、大丈夫、だと思うなぁ~」

「な、何が大丈夫なんだよ。ま、まさか、お前、やっぱり諦めて──」


 ファンニは平の疑問に首を振って否定を返して言う。


「大丈夫、ハマヒラ。あなたの決心が聞けて、私が決心した──それだけでいい。今、私たちができるのはそれしかない」


 ファンニは何かを確信しているようだったが、平にはその真意が理解できない。かなりの時間を置いて、平はまた問うた。


「じゃあ、何か。今、俺たちにできることは、なんだっていうんだ?」


 ファンニはニタリと笑み、答える。


「待つの。待てば、チャンスはやってくる」


 見張りの男はその訳の分からぬ会話を聞いて、何を言うでもなく、二人の様子を見続ける。二人は言葉通り、何も行動を起こすことなく、楽そうな姿勢で体を休めるばかりであった。

 あるのは時間だけだ。平はふと思う。こんなにゆっくりした時間を過ごすのはいつぶりだろうか、と。勿論、出なければならないという焦りはある。ここから出て、ファンニに熱く語った自分自身の決めたことを成し遂げねばならない。けれど、今は、ただ、何もなく過ごすことしかできないのだ。ファンニの言葉を信じて待つしかない。

 平が、すんなりと彼女の言葉を飲み込めたのは、彼女の実力を体感していたからであった。彼女がいなければ、自分は、あの決闘の時、剣を持ちあげることさえできなかった。実際に、自分が味わったからこそ、彼女の言葉を信じるべきだ、平はそう考えたのである。


「大変そうだなぁ、ファンニ、君の身の上は」


 何となしに思いついただけの言葉を、


「そっちこそねぇ~」


 何となしに返される。

 空虚な時間に思えたが、こんな閉鎖した何もできない空間とはいえ、共に時間を過ごすというただそれだけのシンプルな事実は、互いに奇妙な信頼感を生み出すに至る。感覚も徐々に共感へと近づいていく。平は思った。彼女もまた、自分と同じように窮屈さ、わずらわしさ、そういったもやもやとした感情を抱いているに違いない、と。

 そして、それは紛れもない事実だった。

 こんな場所に押し込められいれば、誰でも抱く感覚で──それを知覚すると同時に、その感覚は、平が今まで、平の部屋の中でずっと抱き続けていた感覚と非常に似通っているということに気がつく。ああそうだ、今は、自由なんだ、平はそう考えると、今回、訳の分からない事態に巻き込まれたことは、案外良いことではなかっただろうかと思えてくる。

 二人の何の気ない雑談は、数時間おきに、ふとした瞬間に発生してはいたが、しかし、同じ相手と話し続けるというのは精神パワーを消耗する。人との深いかかわりを持つ機会を失ってから何年も経つ平は、口数も段々と少なくなっていき、丸々二日が過ぎた今、牢屋の中は静まり返っていた。

 相変わらず、そこの景色は変わることなく、見張りの男も飽きもせずに二人を見張っていた。まるでここは時の止まった部屋かのようであったが、そんなことは決してない。二人の当然消耗していたし、世界の時間は確実に流れているのだ。


「……もう、諦めたのか?」


 ポツリと呟かれた見張りの男の問いに、


「いいえ?」


 ファンニが答える。その毅然とした態度に、男は少し苛立ちを見せた。


「あー、いい加減諦めろよ、大体、もう、今から、どうやってここを出ようっていうんだ? 言っとくが、俺が目を離すことはないぞ」

「ふーん、なんで?」


 無意味に思えるファンニの問いかけ。男は、それに返す言葉なく、そっぽを向いてしまう。彼は、その後しばらく、唸っていたが、やがて、彼も考えるのをやめた。

 そんな、静まり返った地下牢に、僅かに人の声が聞こえてくる。その話声はやがて大きく、そして、徐々に言い合いへと発展していってるように聞こえた。

 ドタバタと足音が近づく。見張りの男が椅子から立ち上がり、何事かと周囲の様子を伺い、平は、鉄格子の扉へと近寄って、何が来るのかと鉄格子の外を見つめる。足音がバタバタうるさく響き渡り、やがて平の視界に入ったのは見た事のある人物──そして、ほんの数日前までずっと一緒に行動していた人物──フォルラだった。


「あっ、フォルラ! 無事だったのかっ!」

「お、おい、ちょっと、お前」


 フォルラは平に挨拶することもなく、見張りの男へ体を向けると、短く、


「やっ!」


 と、叫ぶと同時に、彼の腕を握り、自身の方向へ寄せたかと思えば、足を引っかけ、体のバランスを崩し、転倒させようとする。見張りの男が、あっ、という声を発する間もなく、男は転倒しようとする──しかし、フォルラの行動はそれだけでは終わらない。自身のすぐ横を倒れようとする男の首筋目がけて一撃放つ。それにより、彼は、短く唸り、倒れた後、起き上がることはなかった。


「大丈夫です! 気絶してるだけですから!」


 いきなりとんでも技を放ち、顔にかかっている茶色の綺麗な髪を軽く払うと、すぐに男の懐を漁り牢屋の鍵を取り出す。


「お、おいおい、そんな強かったのか、それなら、ベルズモンドであの時もっとこう、抵抗しとけばよかったんじゃ……」


 あまりに手際のよい一連の行動にあっけにとられている平が、信じられないものを見たという顔で言うと、ファンニは笑顔で、


「これでもケリュビン家の次女ですよ。護身術の一つくらい身につけていますし、ルバゼンの人間を傷つけてしまえば厄介なことになるということも知っています」

「え、あ、いや、そいつは、いいの?」

「だってぇ、そいつは、ルバゼンの人間じゃない──もんね」


 平が声のした方を振り向くと、そこにはファンニが立っていた。彼女はにやにやとした顔でフォルラを見て言う。


「意外に遅かったねぇ~」


 フォルラは鉄格子の鍵穴へ鍵を差し込み、回しながらそれに答える。


「そう、意外に、遅かったんです。でも、でもですね、お姉ちゃんも、多分、びっくりすると思いますよ」


 この展開に一人ついていけていないのは平だ。ファンニがまるで当然かのように話しを進めていってしまうので、フォルラが鍵を開けても未だに事態を理解できないでいた。


「ちょっと待ってくれよ、おい、えーと、あのー」


 平が状況を整理しようとしたが、


「さ、ハマヒラさん! 今はここから出るのが先決ですよ! 逃げちゃえばこっちのものです。さ、早く行きましょ!」


 そう言われてしまったら、まずは従わざるを得ない。何がどういう経緯で、この地下牢から脱出できるようになったのか平は理解できないままに、開け放たれた扉から通路へと飛び出す。三人は建物の中を走ったが、すぐにその足を止められる。行く手を遮るのは五人もの男たち。武器こそ手にしていないが、無言でファンニたちを威圧する。


「おいおい……どーすんだこれ」

「まぁ~、どうしようねぇ~」

「──あー、大丈夫そうです」


 次の瞬間、行く手を遮る五人の男たちは、無言でバタバタと膝から崩れ落ちた。深い眠りについたようにピクリとも動かない。若干心配するファンニらに、その男たちが倒れた後ろから現れたのは一人の女性。


「大丈夫。気絶させているだけですから」


 つい先ほど聞いたようなセリフを言い放つ彼女の名前は──。


「ミドルブ議員!?」


 声をあげるのは平とファンニ。そこに立っているのは一人の少女──にも見える低身長の気品あふれる女性だった。微笑で手を振る彼女を見て、どう反応したらよいのか困っているファンニへ、彼女は優雅に語り掛ける。


「動ける人間も、このような危険な行為を頼める人間もいなかったもので──直接来てしまいました。ふふ、久しぶりに、魔術を使いました。まだまだ私もいけてますね」

「い、いや、えぇえーと、あ、そうだ!」


 平は突然彼女へ近づくと、深々と頭を下げ、


「あの時は! すみませんでした! いや、その、知らなかったんです、あなたの耳、それの正体を~えぇ~はい! 失礼なことをしましたっ!」


 すると、ミドルブは笑いを堪えながら言った。


「ふふ、ふふふ、でも、それがなかったら、もしかしたら、私はここに立っていなかったかもしれない。……英断でしたよ、あれは」

「えっ、どういう──?」


 戸惑う平へ、ミドルブは言う。


「うーん、そうですねぇ、気まぐれ──いいえ、私が、希望を抱いてしまうような、気まぐれを起こさせるためのあなたのちょっとした違い──ううん、難しいことはもういいわ、さぁ、行きなさい。あなたたちは、今、ここから飛び出さなければならない、そうでしょう?」


 ミドルブの言葉に、ファンニもフォルラも大きく頷く。行く手を遮る者はもう他にいなかった。後はただ、この建物を飛び出て進むだけ。

 平は、ミドルブの横を通り過ぎる。

 建物は小さく、出口はすぐに見つかった。恐らく、会議室らしいその部屋には若干の争った形跡と、数人の寝転がった男たちがいた。男たちに動く様子はなく、これまた、フォルラかミドルブが行ったものであると推測できた。その中にいるボジャーニの姿を確認しながら、平は後ろを振り向くと、そこには手を振るミドルブの姿がある。


「いいんだよな? 行っちゃって」


 この後のことを考え一応念のために問うと、フォルラが頷き、


「はい、この人たちは決してミドルブ議員に手は出せませんから、大丈夫です」


 丁寧に説明してくれる。

 平たちは外へ出る。そこは、サグマイアの外れ──そして、彼ら三人の目的地であるルバゼンの中央都市、クーバの入り口。先にそびえたつ街並みは、まるで表情を持たない化け物のように不気味であり、街の周辺からは黒い煙がもうもうと立ち込めているのが確認できた。

 都市クーバ。工業化の進んだ黒い街は、ファンニ、フォルラ、平の三名が来るのを、今か今かと待ち構えているように見えた。

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