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第1話

 二十五歳無職独身男性、(はま)(たいら)は、自身の投稿した動画の再生数の伸びなさに頭を抱えていた。

 世は一億総情報発信時代。人々は、ありとあらゆるネットサービスを使って自身を発信していた。ある者は文章で、ある者は画像で、またある者は動画で──。情報発信は多くの人々にとって自己を肯定する手段になり、また、その中でも特に才に溢れる者は発信することによって生計を立てることにさえ成功した。

 かつて、情報発信にかかるコストは非常に重く、最も手近なところでも出版であった世界にインターネットが出現したことにより、個人でも容易に世界に向けて情報を発信することができるようになった。それからしばらくして、情報発信の重要性は益々増してゆき、今や、個人の情報発信が国をも動かす事態さえ発生している。

 平もまた、そんな情報発信の波に乗ろうと、大海へ泳ぎ出た一人である。特別イケメンという訳でもなく平凡ないでたち、かといって、特別秀でた能力もない、それでも、平は今日まで、情報発信に文字通り命を賭けてきた。


「伸びない、伸びない、何をやっても再生数が伸びない……動画サイトが悪いのか? いや、でも、俺みたいな男が配信するってなったら、なぁ」


 夕日の差し込む薄暗いワンルームの一室。部屋の小ささとは全く不釣り合いなほどに、パソコン、ディスプレイ三枚、それらを載せるデスク、そしてその周辺機器はやたらと豪華に見える。そのディスプレイの一枚に明るく映し出されているサイトを見ながら平は一人ぼそぼそと呟く。

 サイトの名前は、ストリームスマート。ストリームとスマートの頭文字を取って通称エスエスと呼ばれる動画配信用のサイトである。また、このストリームスマートで動画を投稿する人のことを、人々はストリーマーと呼んだ。

 平は画面に映し出されている様々なサムネイル画像の一つをクリックして、動画を開く。再生数数万を誇る動画は、サイトのトップに表示され、このように、何の気なしに視聴者が見るのだ。


『今日はぁ~、こちらのお店に来てみましたぁ~』


 画面越しにはイケてる雰囲気の男たち三名がワイワイガヤガヤと平に語り掛けてくるが、平の頭に彼らの言葉はまるで入ってこない。苛立つ。一体自分の何がいけないんだ。こいつよりも、この画面越しにチャラチャラと話している男たちよりも、自分の方が、絶対に面白い動画を投稿しているはずだ!

 今日の平の苛立ちはいつも以上だった。つもりに積もった苛立ちが、彼を冷静ではいられなくした。

 つい数時間前に投稿した自分の動画の再生数を確認してみる。


「……っ!!」


 その数字、数百にも満たないその数字を見て、顔を歪める。そして、その両目に涙を浮かべる。


「俺の方が、俺の方が、面白いストリーマーな、はずだ、はず、なのに……!」


 彼が動画を投稿し始めて今日で四年。今日投稿した動画はそんな記念すべき日を祝しての記念動画だった。にも関わらず、その再生数は思うように伸びることなく、祝福のコメントもついていない。平が涙を浮かべたのはこの事実に対してだけではない。もう自分は配信で食っていくんだ、と決めてから三年間、毎日欠かさず投稿してきた動画。その動画の再生数は、ある日を境にほとんど伸びることはなくなった。それでもめげることなく動画投稿を続けてきた。視聴者が何を求めているのかを考えて、どうすれば再生をしてもらえるのかを考えて、ひたすらに投稿してきた。それらの成果がまるで出ない、その事実と、自分自身の無力さに打ちひしがれたのである。

 それらの思考が平の頭を駆け巡って、どうしようもない悲しみに襲われた。

 悲しさ、悔しさ、怒り──様々な事実がそれらの感情へと形を変え、そして、平の頭から溢れるほどに膨らんでいく。それらの負の感情は行き先を失い、涙となって頬を伝った。

 そして、それだけではとどまらなかった。


「……もういい、もう全部吐き出してやろう。知ったことか」


 すぐに愚痴を言えるような友達はいない。そもそも、周りの人間はみんな学校へ行っているか、働いているかの時間だ。そして、幸か不幸か、平は己の内に溜まってしまっている鬱憤を吐き出す場所を知っていた。そうだ、ネットの海だ。

 これまで、そんな湿っぽい動画を投稿したことなど一度もなかった。けれど、それは、平自身が投稿したくなかったからではない。そういうことをしてしまえば、せっかく自分の投稿動画を見てくれている人たちの期待を裏切ってしまうことになると思ったからだ。平にはそれが堪らなく怖かった。

 しかし、今、彼は理性で動いていなかった。

 パソコンを操作して、動画撮影の準備をする。自分を捉えるカメラレンズを覗き込み、きちんと映っているかの確認をする。心が乱れているとはいえ、三年もの間、ほぼ毎日動画を撮影してきた平の手際は恐ろしく良かった。数分のうちに、カメラ、マイクをセットして、後は録画を開始して喋るだけだ。

 初心者ならば、ならそこで少し身構えるだろう。普段の平であったら、もっと念入りに準備をした。空いているディスプレイに話す内容を書き留めたメモを表示させたり、頭の中で何を話すか軽く思い返してみたり……けれど、今の彼はそれさえもしない。話したいことなんて胸の奥に腐るほど積もっている。今すぐにそれらを全て吐き出して楽になりたい。そんな強烈な圧迫感は皮肉にも彼の背中をこれまでのどの動画の撮影時より後押しした。

 平は録画を開始する。


「はいい、煩悩煩悩~! どうもぉ、ハマヒラですぅ~」


 平は動画投稿時に、ハマヒラという名義を使用している。何のひねりもない呼称であるが、シンプルが故に、言いやすい。ついで、一応記載しておくと、煩悩煩悩とは、彼独自の冒頭の挨拶であり、何の気なしに投稿した数年前の彼の動画の一つである「煩悩に忠実に祈ってみた!」は彼の数少ない再生数万超え動画なので、その動画を引きずっている。

 なお「煩悩に忠実に祈ってみた!」の動画内容は、初詣に神社で大声で煩悩を叫ぶという迷惑極まりないものであり、視聴者の大半はその動画を見て非常に不愉快な気持ちになっているということを平は知らないし、その動画に対する避難コメントには平は固く目を閉じている。

 普段通りの挨拶は、動画の録画ボタンを押したと同時に発せられる、平の習慣であって、彼は、何かを考えてそれを行った訳ではない。今、彼は負の感情に突き動かされているが、それでもなお、習慣はきちんと果たしているという点では、ストリーマーの鑑と言えるだろう。

 しかし、故に、その後に続く様子は、挨拶のそれとは到底テンションが違った。そこには楽しさなど微塵もなく、視聴者のことを考えてるとは到底思えない、ただ自暴自棄な姿が映し出される。撮影途中とは思えないような大きなため息をついて、平は口を開く。


「いやねぇ、もうね、なんで再生回数伸びないんだって話だよ! 俺はさぁ、でも、凄いと思うんだよね、仕事も辞めてね、この世界に飛び込んで、皆の見たいものを作ろうって頑張って動画を作って……。それでもね、結局伸びないでしょう? なにがいけないんですかねぇ? 教えてくれよ! 毎日毎日不安定な生活をしてさ、別にやりたくもないゲームをやって、それでも結果は全くついてこなくて、泥水をすする思いで這いつくばって前へ進んで──それなのに、三年前から一歩だって前に進めてない。何も変わってない。再生回数も伸びなければ、サポーター数だってほとんど変化しない。増えたかと思ったら、次の日には減っている。繰り返しだよ、新しい世界を求めて前へ進んできたのに、ずっと、ずっと、同じことの、繰り返し、繰り返し、繰り返し────」


 髪も乱れており、目じりに涙を浮かべ、マイクとの距離なんてものは考えず、ただ話したいように話す。


「ただただ、頑張って、頑張って、そうやって前へ進んできた、これが報われないなんて、世界がおかしい、世界が間違ってる、俺はそう思いますけどね。こんな世界のどこに希望を見いだせっていうんだ? 誰でもいいですよ、もう俺は自分の力を信じて前へ進めない。誰でもいい、俺を必要としてくれ、いや、俺を助けてくれ、助けて下さいよ! 連れ出してくださいよ、世界の外に! 視聴者さん、あんたたちには何ができる。俺がこうやって苦しんでいる姿を見て満足か? 画面越しは架空の世界で、自分たちには関係ないって思ってるか? 楽しいか? そうかよ、────」


 平は確かに何かに向けて己を吐き出していたが、平は、けれども、ただただ、己を吐き出す行為に専念した。自然と言葉は次々と出た。次々と、次々と。


「最後に何かしてやりてぇよ、だけど、それだってできずに、俺はどうせ明日以降もだらだらと、動画投稿を続けるんだ……それだけが、自分の逃げ場だって、それだけが自分の希望だってすがるように、しがみつくように、大切に大切に、自分の思いを傷つけないように。そんな毎日だよ、分かるか? 分からないよな。俺はな、例えどんな動画を投稿しても、投稿したすぐ後は、とんでもない安心感に包み込まれるんだ。ああ、やったぞ、って、俺は成し遂げた、って。俺は今日やるべきことをやったぞって、自分に言い聞かせるようにして安心して、寝るんだよ。でも、翌日起きたらどうだ? また、漠然とした不安が俺の頭に広がるんだ。まるでカビが広がるみたいにな……もういい、もう沢山だ、もういい、もういい!! もうやめだ! もう、こんな生活はやめる!!」


 それは純粋な叫び。平は机を両手拳で思い切り叩いて、カメラが倒れ、我に返り、撮影の停止ボタンを押す。

 撮影を終えると、平はそのまま、作成された動画ファイルに何も手を加えることなく、投稿する。深く考えてなどいない。これもまた、感情の延長線上にある行動だった。誰かにこの叫びが届くならそれでいい。別にそれによって、何がどうだとか、何を求めるだとか、そんなことはもう何も考えていなかった。普段なら、何時間もかけて動画に様々な編集を加える。それは例えば演出であったりとか、無駄な部分のカット、あるいは、説明不足な点についての補足──全て、視聴者のためのものだ。しかし、平はそれらの作業を全て放棄して動画を投稿した。

 再生回数、という単語は平の頭からすっかり抜け落ちており、感情を吐き出しきった平は、そのまま崩れるように部屋の隅にある布団へと崩れ落ちる。

 頭には、無。

 これまでつもりに積もっていた感情を全て吐き出した爽快感。同時に彼に訪れたのは、一時の安寧だ。


「はぁ……」


 ため息には何の気持ちも篭っていなかった。それは落ち込んでいたから出たため息ではなく、やりきった、という奇妙な達成感から出るもので、その後すぐ、平は強烈な眠気に襲われた。


 何時間寝たか。平はその体を起こす。眠気はもう全くない。これまで、何となしに自身に襲い掛かっていた、ぬぐいきれない漠然とした不安がない状況下での睡眠だったからだろう、彼の頭はひどくすっきりとしていた。


「……もう朝か」


 窓の外を見て、朝を悟る。


「腹減ったな」


 同時、空腹が彼を襲う。平は小さなワンルームで一人暮らし、自動的に出てくる食事などない。立ち上がり、冷蔵庫の扉を開けるが、


「……はぁ」


 このため息は落胆のため息だ。食べられるものは何も入っていない。時計を見れば、時刻は既に翌日の早朝。こんな時間になれば、いくら都市部に住んでいるとはいえ、食べられる場所は限られている。

 それでも、酷い空腹を何とかするには、それらの場所へと赴く他ない。空腹は心を蝕む、そのことは平自身よく理解していた。

 アパートの一室を外に出て、まだ薄暗い道を自転車でふらふらと走る。住宅街から市街地へは約五分程度。車も人通りもほとんどない朝の街は、太陽の光が差し込んでいるというのにどこか寂し気で、平はふらふらと虫が光に引き寄せられるように、二十四時間営業のチェーン店へと足を運ぶ。チェーン店の定食屋には、スーツを着た男が一人いるだけだった。無表情に食事をしている。入店して数秒後に、ようやく、いらっしゃいませ、とやる気のなさそうな声がかけられる。

 平は答えることなく自動券売機へと進み、メニューを見る。


「あ、そうか」


 独り言を言って、財布を取り出す。


「……はー」


 このため息は呆れた時のため息だ。財布の中にあった小銭では食べられる定食メニューはたった一つ。平は選択肢を与えられることなく、その朝食メニューを選択して、カウンター席に着くと券を店員に手渡した。

 その後、無言で携帯デバイスを取り出す。何年も前の古い型の携帯デバイスで、インターネットを閲覧し、画面を操作すること数分、彼は日雇いの仕事の予約を入れた。そう、もう彼には生きるためのお金がないのだ。

 情報発信で生計をたてられる人間は確かに存在する。しかし、その一方で、多くの情報発信者は、それで食べていこうと決心していようがしていまいが、生活に必要なだけの金額を得ることはできないでいた。無論、仕事についている傍ら、あるいは、親などの保護下において情報発信を趣味として行っているのなら何も問題はない。しかし、平は違った。

 今、チェーン店の質素な朝食を無言で口に運んでいる彼は、夢破れた者の一人なのだ。

 ちょうど三年前まで、彼は働いていた。その時趣味として始めた動画投稿が、思いの他人気を得る。しばらくの間は良かった。平はそれでひどく喜んだ。同時、ひどく、浮かれてしまった。僅かながら入ってくる動画配信による収入は、そんな彼を決心させるに十二分過ぎる甘い汁となってしまった。

 給料には満たない、給料には満たない額の金額ではあったが、その金額は日々増えていく。同時、平の頭に過るのは、仕事さえなければもっと動画を投稿できるのに、もっと再生回数を伸ばすことができるのに、という考えだ。

 そして、彼は仕事を辞めた。

 だから、配信の収入が入ってこなければ、のたれ死んでしまう。けれども、だからといって、定職に就きなおすのもまた彼にとって苦痛であった。それは、即ち、自分の選択が間違っていたと判断するに至るからだ。結果、妥協案として、日雇いの仕事、その日限りの仕事をするという結論に至った。

 定食屋で食事を終えた平は感情をオフにする。ああ、そうだ、今日一日は自分じゃない、と自分に言い聞かせる。そうして彼は、一日限りの職場へと向かっていった。




 平は帰宅する。そして、呟く。


「あ、そうだ、動画……」


 そうだ、そういえば、昨日動画を投稿したのだった、と思い出し、パソコンの前へと座る。


「再生回数、コメント、チェックしないとな……」


 パソコンの前へと座ると、色々なことを思い出す。なんであんなものを投稿してしまったのだろう、とか、何か視聴者からリアクションは来ているだろうか、とか、そして、再生回数は、どうだろうか、とか。そして、ディスプレイの再生回数の表示を見て、平はため息をついた。


「百八十……か」


 どうしようもない数字。いつもと変わらないか、それよりも少し多いくらいの、そんな、何の変哲もない数字。ああ、そうだ、と平は思い出す。昔はこのくらいの数字でも小躍りしてたっけ、と。でも、その数字が当たり前になってからは、再生回数によって左右される自身への収入の事ばかり考えて、こんなものじゃ足りない、こんなものじゃ足りない、と数千、いや、数万の再生回数がなければ満足できないようになっていった。

 平は思う。結局、自分がいくら本気の感情をぶつけたって、再生回数はそれに伴わないんだ、と。どれだけ自分が本気になったって、結局結果なんて出ないじゃないか、と。

 一応コメントの数も確認してみる。数個ついていれば上々。コメントがあったからといって、何がどうという訳でもないが、それでも、平にとっては、それはいくらかの慰めになるのだ。


「……はは、一つ、ね」


 しかし、コメントの数はたった一つ。平は、悲しい笑いを浮かべながら、そのコメントを表示する。

 同時、その文字を何度も凝視した。


『あなたは選ばれました。力を貸してください。そうすれば、あなたの欲しいものは全て手に入るでしょう』


 そこには、こんな奇妙なことが書かれていたからだ。

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