過去の話1
大きめのテーブルには整然と並んだ四つの椅子、離れたところには火の灯った暖炉とソファー。厚そうな絨毯を床一面に敷いている広間は照明の暗さも相まって、外から来た者を暗に拒絶するかのような、そんな場違い感を抱いてしまう。
部屋に入って確認できたことなど、それくらいだった。広い部屋の隅に設置された数個の部屋灯は、暗い部屋の輪郭をどうにか認識させる程度であり、暗闇の中になにかを隠すように火を揺らしていた。例えば暗がりからする人の気配だったり、壁にかかった時計。それと、明かりを背にして向かい合う目の前の男の表情だったりだ。
「服を脱いで、こっちに来なさい」
びくり、と。
跳ね上がる心臓を押さえつけるようにして、視線を戻す。表情は見えないが、声のお陰で思い出してしまう。自分が何をしに来たのかを。
精一杯媚びた笑顔を向けて、外套のボタンに手をかける。自分の身体には大き過ぎる、薄汚れた外套。私物などではなく、支給された物だ。そもそも私物など持ったこともないし、この身だっていつも誰かの物だった。
ボタンを外し、外套を絨毯へと落とす。外套の下には肌着のみだ。衣服は以前の主人に破り捨てられている。肌を刺す外気が心細さを際立たせ、外套と共に平常心も剥がされたかのような錯覚に陥った。
自分を見下ろしてくる姿は物言わぬ影のようで。黒く塗り潰された身体は今までの男共を映し出す。皆一様にこの身体を弄んだ。今日もだ。明日も、その先も。生まれながらにして奴隷だった自分には、終わりなどない。
恥ずかしい事は慣れた。痛いことだって耐えられる。だが限度もある。耐えられない事もある。
視界が霞む。目頭に溢れた涙は自制を無視して、ぽろぽろと落ちていく。こんなこと、喜ばれるだけだ。そんなことはわかっている。より手酷く、残酷に、羞恥の限りを。わかりきっている。
思うように動かない手を下着の端に引っ掛ける。もたついているとお仕置きが待っているから。余計な事はされたくない。腹を蹴り上げられるのも、服を破り捨てられるのも、外に捨てられるのももうたくさんだ。
突然、今まで動かなかった男が動き出した。
男は両腕をきつく掴みあげてきた、近付いてきた影はより深く濃く色を消し、眼前を埋め尽くす。
限界だった。
離れたくて、逃げたくて、力の限り身体を振り回した。いくら力を込めてもびくともしない腕に戦慄し、半狂乱で叫び続ける。謝り続ける。
目の前の男は何をさせるのだろうか。散々蹴たぐった後で身体中を舐めさせるのだろうか。這いつくばった自分に好き勝手吐き捨てるのか。奥に気配がした。いつかみたいに大勢で嬲るのだろうか。いっそそろそろ殺されるのかもしれない。
喉がかすれ、声が思うように出ない。熱で灼けたように痛む喉から出た声はそもそも何を言っているのか自分にも理解できてはいない。
どれほどそうしただろうか。
糸が切れたかのように、足元に崩れ落ちる。度が過ぎた恐慌は深い疲労を思い出させ、虚脱と諦観が身体を支配する。
「言い方が悪かった」
ふと。
「怖がらせてしまったな、すまない」
諭すように降る言葉に、ゆっくりと顔を上げる。
重く、静かに響き渡るような声は、次第に躊躇いを滲ませる様におぼつかなくなっていった。
「その……そういうことは、しなくていいんだ」
男はゆっくりと腰を曲げ同じ目線まで合わせると、まっすぐと見つめ、肩に手を乗せてきた。不思議と、嫌な感覚はない。
「家族を紹介するよ。生憎妻はいないが、子供が君の他に、あと二人」
思考が追いつかない。
「よろしく、だな。君は今日から家族だ」
ただ、何かが変わった。そんな気がした。