シルフの舞~人と精霊の輪舞~:番外編 「隣にいたいと、願う人」
「陰陽高校生」ではこの時期の番外編を書いていたんですが、そういえば「シルフの舞」では書いてないなと思い至り、こうして筆を執った次第です。
一本の毛糸を、ただひたすらに編む。
あの人が、寒い思いをしないように。少しでも温かくいられるように。
ほんのちょっとでも……自分のことを覚えていてくれるように。
いつまでも隣にいたい、そう願うがゆえに。
――たとえそれが、かなわぬ願いだとしても。
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東京某所にある大学のキャンパス内。
野外に設置されたカフェテラスには、十二月の寒空の下、二人の青年が座っていた。
片方は眼鏡をかけ、黒を基調とした服装、もう一人は緑のスカーフをマフラーのようにして巻いていた。
「……で、どうなんだ?」
「は?」
黒服の青年、土御門護の唐突と言えば唐突な問いかけに、問いかけられた青年は、訳が分からぬ、といった体で返した。
護はそっとため息をつき、数分前に問いかけた言葉をもう一度問いかけた。
「桜とはその後、どうなんだ?」
「特に変わりはないが?」
その答えに、護はそっとため息をついた。
もっとも、彼自身、そう答えるであろう、というのは予想の範囲内だったのだが。
護の目の前にいる青年、月影勇樹には、いわゆる「親友」あるいは「相方」と呼べる立場の女性がいる。
その人は、護と護の恋人とも仲が良く、周囲からも男女問わず好印象の女性だ。彼女、皇桜のことをよく知る人間は、男女分け隔てなく、四月の温かな日差しのような笑顔を向ける、まさに「桜」の名にふさわしい部分が、彼女の本質なのだと理解している。
そんな女性、皇桜の隣に長くいた月影勇樹もまた、同じことだ。
だが、彼が唯一知らないのは、桜が勇樹に恋心を抱いているということだった。
「……俺が言うのもなんだがな、勇樹。お前、桜と一緒にいると空気変わるぞ?」
「は?どういうこったよ??」
「いや、人のこと言えないが、お前、一人でいるとどっかピリピリした雰囲気出してるだろ?」
土御門護と月影勇樹。この二人は、この大学内でも有名な組み合わせだ。
それは、二人が親友同士でありながら、楽しげに談笑している様子が見られないほど、落ち着いていた雰囲気を持っているからであった。
しかし、護はどこか森や林のような静けさをたたえているのに対し、勇樹のたたえる静けさは、嵐の前の静けさ、といったような、どこか緊張感を与える静けさなのだ。
しかし、そのピリピリした緊張感が唯一和らぐときがあることを、護は知っている。
その瞬間というのが、桜とともにいるときなのだ。
だが。
「いや、知らん」
そのことに気づいていなかったのは、その雰囲気を醸し出していた本人なわけで。
わかっていたつもりだった護は、やはりか、とあきれたようなため息をついた。
「お前、このままでいいのか?ただでさえ、術者が生きている世界ってのは血筋や能力で評価することが多いんだ」
護は真剣なまなざしを向け、勇樹に問いかけた。
彼らが生きているこの世界には、妖や神、精霊と言った精神的存在が認知されている。それらに干渉し、世界にあふれる現象を操る人間のことを、いつしか人は、術者、と呼んだ。
かつてはそれは古のことだった。時は流れて、人は精霊や妖が起こす現象を「科学」という名前の知恵で解明し、「不思議」というものをなくしていった。
そうして人は、妖や精霊を、星の意思集合体とも言うべき存在を、その心から消し去った。
しかし、その存在を今も心のうちに認識し続ける存在がいた。それが、護や勇樹たち、術者と呼ばれる存在だ。
そして、術者の存在はこの世界では希少価値の高い存在だ。
それゆえに、その力を保持し続けるには、意思集合体と契約を交わすか、術者の家系同士で協力し、その力を遺伝させ続けるかのどちらかなのだ。
そして、往々にして取られる手段は後者の方。
そもそも意思集合体と契約を交わすということは、かなり難易度が高く、また、後世にその対価を求められる可能性もある。一方で後者の場合は、これといったリスクはない。あるとしても生まれてくるであろう子供が、その才能を受け継いでいるか否かというものであり、それ以外は何らリスクはない。
ゆえに、昨今は多くの術者の人間が、護や勇樹たちに見合いを持ちかけてくるのだ。
もちろん、護はそれのついてまったく面白くないわけで。
「……ったく、こないだ来た馬の骨も俺が「土御門」だからって媚びながらやってきやがって……俺には風森月美って婚約者がいるんだってのによ……」
護が術者同士の見合いについて面白く思っていない理由は、主に三つあった。
一つ目は、自分自身が陰陽師の大家である「土御門」の嫡子であるがゆえに、ひっきりなしに見合いの話が来ること。二つ目は、護自身が、祖先である葛葉と呼ばれる妖狐の妖力を宿していること。
そして最後に、彼自身、すでに心に決めた人がいるということ。
彼女、風森月美との関係は、父である翼もすでに了承しているし、月美にはいろいろな事情があり、事実上、親がいないため、すでに二人の婚約者としての関係は揺るがないものになっている。
それでもひっきりなしに見合いの話が来るので、いい加減辟易していたところなのだ。
護の愚痴に、勇樹はそっとため息をつき、親友とその恋人が相変わらず仲睦まじいことを確認した。
「はいはい。惚気はいいから……」
「惚気てはないだろ、まだ」
「いやいや……で、その話と桜と、どう関係があるんだ?」
わかっていない。
今度は、そう感じた護がため息をつく番だった。
「お前なぁ……なら聞くけど、お前と桜の関係は?」
「仕事上の相方で親友」
「あいつに対して恋愛感情は?」
「……は?」
「……はぁ……よくわかったよ」
護は勇樹の返答にため息をつき、立ち上がった。
ちょっと席を外す、と言った護の顔には、どこか陰りがあった。
そもそも、土御門護という青年は、他人の恋愛事情に口出しするような野暮な性格はしてない。
たいていの場合、陰ながら応援するか、傍観に徹するかのどちらかだ。
しかし、今回に限って、こうして表舞台に出てきたのは理由があった。
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それは数日前にさかのぼる。
護が久方ぶりに、月美とのデートを楽しんでいた時だった。
しかし、その日は心の底から楽しむことはできなかった。その原因は、月美の表情にあった。
いつもなら、どこかふわふわした雰囲気を醸し出し、やわらかな微笑を浮かべている月美が、その日は始終、どこか暗い表情をしていた。
その原因が彼女自身の抱えている問題にあるのか、それとも自分にあるのか。それを確認するために、そして、彼女の顔を陰らせているものを取り除くために、護は月美に問いかけた。
「……月美、何かあったのか?」
「あ……顔に出てた、かな?……うん、私にじゃなくて、桜に、ね」
その答えで、護は少しばかり安心した。少なくとも、自分が原因ではないことに安心した。
だが、彼女の答えの中に、自分もよく知る名前があったことに怪訝な表情を浮かべた。
「皇がどうかしたのか?」
「うん……ほら、そろそろクリスマスじゃない?」
「そうだな」
「あの子、月影くんに贈り物しようって思ってるみたいなのよ」
それでなぜ、月美の顔が陰るのか。護は大体の理由を察していた。
勇樹は護の友人の中でも特に表情の読めない人間で、護と同等あるいは守る以上に寡黙な人間だ。
おまけに、いつどこで何をやっているのか、まったくつかむことができないうえに、人間嫌いの激しい男でもある。
もっとも、人間嫌いの気があるのは護も同じことなので、そこはとやかく言うつもりはない。
問題なのは、近くにいてくれている人間の心の機微に疎い、ということだ。
「……だが、いざ渡そうと思ったところ、あいつの人間嫌いを思い出して迷惑になるんじゃないかと考えてしまい、どうしたらいいか相談を持ち掛けてきた、と」
「そんなところ……ホント、勇樹くんの鈍感さというかなんというかにはまいったわ……」
そんなことを言いながら、月美は護にじとっとした視線を送った。護はその視線だけで、何が言いたいのか、なんとなく察してしまった。
月美はおそらく、どっかの誰かさんと似てる、と言いたいのだろう。
護も、自分が勇樹と似ているということは自覚している。それゆえに、自分が説得しろということも。
「……鈍感な彼氏で申し訳ない。善処する」
「わかればよろしい」
ため息交じりにそう答えた護に、どこか勝ち誇った笑みを浮かべる月美であった。
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そんなことがあって、現在に至るわけで。
――しかし、あいつに危機感を持たせる必要があるってのは、よく理解できたが……どうしたものか
護はそっとため息をつきながら、ポケットからキセルを取り出し、口にくわえた。
煙草を詰めることはしない。二か月前くらいまでは、購入した煙草をつめ、煙草を呑んでいたことはあったが、ここ最近はそんなことはしていない。
――さて、本当にどうしたものか……
護は煙がのぼっていないキセルを手に持ち、そっとため息をついた。
月美に頼まれたから、ということもあるが、何より、護自身が勇樹に幸せになってほしいが故に悩むことだ。
勇樹自身が気づいているかどうか、護にはわからないが、勇樹が気を許している女性は、桜だけなのだ。だからこそ、できることならば、桜と結ばれてほしいと願うのだ。
かつて、自分が月美と結ばれたいと願っていたときと同じように。
――まぁ、ここでいつまでもうじうじ考えてても仕方ないか。いっちょ、かまかけしてみるとしますかね
護はいかにして勇樹の本心を聞き出すか、その方向性を定めると、キセルをポケットにしまい、席に戻って行った。
だが、席に戻った護が見た光景は、すでに支払いの終わった伝票と、自分が飲んでいた紅茶のカップに挟まれた伝言が書かれたメモだけ、というものだった。
護は、何気なしにメモを手に取り、そこに書かれていた文字を目で追った。
『すまん。用事を思い出したから先に失礼する。俺の分の会計は済ませてある。んじゃ、メリークリスマス 勇樹』
メモに書かれていたのは、ただそれだけだった。
それを読んだ護は、静かに微笑み、しかし額には青筋をいくつも浮かべながら、心のうちで絶叫した。
――あの馬鹿野郎、いつかしばく
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大学キャンパス内にある某所。
護が席を離れたと同時に届いたメールを見た勇樹は、それに書かれていた指定された場所に向かっていた。
差出人は、自分が唯一、心を許している女性だったのだ。あまり待たせるのも申し訳ないと思い、こうして急いでいるのだが。
――……場所がよくわからん
メールの送り主がそもそもあわてん坊であり、どこか抜けたところがある人間であるため、場所を指定されてもそこがどこなのか、わからないということが多いのだ。
そんなわけで、今回も電話で直接どこにいるのかを問いかけようと、携帯を取り出し、桜の携帯番号を呼び出し、電話をかけた。
数回のコール音ののち、電話から桜の声が聞こえてきた。
『もしもし、勇樹くん??』
「桜、呼び出すのはいいが場所を明確にしろとあれほど言ったろうが」
『あはは……ごめんね?』
桜の毒気のない返事に、勇樹はそっとため息をつき、場所を聞き出した。その場所を記憶し、勇樹は桜との通話を切り、その場所へと向かった。
そこは、数年前にも自分たちが多くの時間を一緒に過ごした場所。風を感じ、空を見て、雲を眺めた場所だった。
キャンパスの屋上に到着した勇樹は、桜がどこにいるのか、きょろきょろとあたりを見回していた。
すると、その視界に桜と思しき容姿の女性と、その人を囲むかのように立っている二人の男子が目に入った。
その光景を目にした勇樹が心のうちに抱いた感情はただ一つ、理不尽なまでに大きな「怒り」だった。
「だからさぁ……」
「あ、あの、ほんとに困るんですけど」
「そんなやつほっといて、俺たちとごうこ……」
「……桜」
二人目の男が桜に声をかけようとした瞬間、勇樹は桜を呼んだ。
その呼び声に応え、桜は二人の間をすり抜け、勇樹の背に隠れた。
「あ……月影、悪いんだけど、皇は俺たちと……」
「『これから合コンに行く』ってか?……ふざけるな」
勇樹はその言葉にいら立ちを覚え、己の中に眠っていた怒気を風に変え、自身の周囲にまとわせた。
そこから漏れ出てくる雰囲気と威圧感に、男二人は気圧され、黙ってその場を離れた。
男二人の背中を見送った勇樹は、背中に隠れている桜の方へ目線をやった。
「いつまで隠れてんだ、桜?」
「……う、うん……ごめんね」
「謝るな。で?用事って……」
そう問いかけた勇樹の背に、桜が自分の額をくっつけた感触を覚えた。
不安になったときや、泣きそうになったとき、勇樹が桜の近くにいるといつもそうしてくるのは、勇樹も理解していたし、慣れてもいた。
けれども、今日ばかりは、どこか違和感があった。
その違和感の正体が、自分の中に生まれていた安堵であることに気づくまで、それほど時間はかからなかった。
「……怖かったか?」
「……うん……」
「……なんで?」
勇樹の問いかけに、桜は沈黙で答えた。
わかっている。問いかけた本人が、本当は一番よく分かっている。
怖かった理由は、近くにいられなくなってしまうかもしれないから。
自分が、自分の隣にずっといてほしいと願う人の隣に、自分がいられなくなってしまうかもしれないことが、とても怖かったから。
「……勇樹くんの、あなたの隣にいられなくなってしまうかもしれないと思ったから……」
「……俺もだ。皇が……桜が隣にいてくれないと、怖い」
ずっと、後ろで自分のことを見守ってくれていた精霊使いが、相棒がいなくなるのではないか。あの二人の男が、自分の背中から彼女の視線を奪っていってしまうのではないか。そう思うと、どうしても激情を隠せずにはいられなかった。
「……あんな連中に、付き合うな」
「……私がお付き合いしたいのは、勇樹くんだけだよ?」
仏頂面で、厳めしい顔をしていて、それでいて友情に篤くて、自分の友達や仲間のことを一番に思うあなたが、大好きだから。
その言葉を胸のうちにひっこめた桜は、その代わりに、自分が抱えていた紙袋をぐいっと勇樹に押し付けた。
勇樹はそれを受け取り、中にあったものを引っ張り出した。
中に入っていたのは、おそらく手編みなのであろう、紅い毛糸で編まれたマフラーだった。
勇樹はそれを、まるで割れ物でも扱うかのようにそっと手に取り、首に巻いた。しかし、そのマフラーは、いささか長く、どうしても地面に垂れてしまいそうになっていた。
それだけ長い間、このマフラーを編んでくれていたということなのだろう。
「……ありがとう。桜」
「ううん……メリークリスマス、勇樹くん」
それだけ言うと、桜はそそくさとその場を立ち去って行った。
が、勇樹は桜の腕をつかみ、そっと抱き寄せ、余った分のマフラーを彼女の首に巻き付けた。
その長さは、二人が並んで使うにはちょうどいい長さだった。
桜は、ただただ勇樹になされるがままになっていた。
二人の間には、今にも雪が降りそうな寒空には似つかわしくない、暖かな空気が流れていた。
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そのころ、勇樹から置いてけぼりをくらった護は、自分の会計をさっさと済ませ、どこへ行くとなしにぶらついていた。
そんな彼の背に、声をかける女性が一人。
「護」
「……月美か。どうしたんだ?」
声のした方へ振り返り、護は声をかけてきた女性の顔を見て、破顔した。女性、月美もまた、護の問いかけに微笑みながら答えた。
そのまま二人は、大学の敷地を出て、二人が気に入っている喫茶店へと向かうのだった。
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一人の救世主が舞い降りたその日。
二組のカップルが、互いを思いやり、大切な一時を過ごした。
あるものはつもりに積もった想いがようやく届いたことに涙し、あるものはすでに通じ合った想いを再確認した。
あるものはようやく自分の中にあった、眼をそらしてきた感情に気づき、あるものは思いを寄せる人に満面の笑みを向けた。
――紡ぐ思いは、形を知らず。されど根底にあるはただ、その人を思う心のみ。
その人を思えば思うほどに、その思いは長く長く、そして、強く強く結ばれてゆく。
願うなら、その思いが、今隣にいたいと願う人へ通じますように。
そして、その人と想いが通いますように。