第八十九話
お待たせしました。
第八十九話です。
エヴァの体を蝕んでいた呪いの骸骨をネアの魔術によって弾いた後、僕はエイリさんに指示された通りに彼女を寝室へ運んだ。
死んだように眠っている彼女だが、ちゃんと息はある。
……だけど、目に見えて弱っている。
「……このまま目が覚めるか、どうか」
エイリさんは、城の方へこの事を知らせに行ってしまったのでこの場にはいない。
窓から差し込む月明かりが、彼女を照らしている姿を見て、僕はゆっくりと目を瞑りネアに話しかける。
「ネア、耐性の魔術はどれくらい持つ?」
「半日ほどよ。でも私が魔力を加え続ければいくらでも保つわ。けど、それじゃ―――」
「根本的な解決にならない……だろ?」
その言葉にネアはこくりと頷く。
今、エヴァが無事なのは彼女の耐性の魔術によって、呪いを弾き返すことができる耐性を持っているからだ。それが解けてしまったら、彼女はどんどん衰弱していき―――消えてしまう。
「このまま意識を取り戻したとしてもこの娘は、まともに生きられない。それに、ウサトもずっとこの国に縛り続けられる訳にはいかない」
「……そうだね。僕達にはあまり時間は無い」
だからこそ、短期間での決着が望ましい。
幸い、相手の尻尾は掴んだ。先の戦闘でもあの骸骨は妙なことを口走っていたし、ネアもなにかに気づいているようだ。
「ネア、この呪いの正体が分かったって言ったな。教えてくれないか?」
「いいけど。正体っていっても、全部が全部分かったって訳じゃないわよ?」
「それでも構わないよ」
今、必要なのはあの骸骨の情報だ。
どんな些細なものでもいいから、聞いておきたい。
「ウサト、あれは呪いであって、呪いじゃない。あ、でもあれも一応呪いなのかしら? 副次的な効果を含めればそうなるけど、主となっている部分はあれだから……」
「……ん、んー? ごめん、訳が分からない」
せめて僕に分かりやすく砕いて説明してくれ。
呪いとかそういう方面には、まだ理解が足りないんだ。
「私も分かったとは言ったけど、あやふやなのよ。確かなことは―――あの屍の骸骨達は、肉体を失った魂ってことね」
「肉体を失った魂?」
「こう言えば分かるかしら? 幽霊よ」
「……え? ごめん今、なんて言った?」
「? 幽霊よ。幽霊、肉体を求めて彷徨う意思を持ったエネルギー体」
「……」
これほどまでに聞かなければ良かった事実は無かったぜ。
つまり、さっきの奴らは幽霊なのか? 思いっきり殴っちゃったりしたけど、今幽霊って思うと後々怖くなってきたんだけど……。
引きつった笑みを浮かべた僕の様子なんて気付かずに、ネアはそのまま言葉を紡ぐ。
「あいつらが王族と先代勇者―――まあ、先代勇者と間違われたウサトを呪ったのは、それなりの恨みがあったからね」
「……それはあいつらの言動を聞けば分かる。だけど、どうして僕の場合は囚われれば解放される、とか訳の分からないことを言っていたんだ?」
「そこよ、そこが重要なの」
ビシッと指さすかのように翼をこちらへ突きつけたネア。
何が重要なんだ? あの骸骨の言葉のことか?
「肉体を無くした魂はこの世に留まれないって言ったわね? だけど、あの骸骨は留まっている。ということは、あの骸骨の魂をこの世に縛り付けている”なにか”があるってことよ」
「なんだ……その、”なにか”をぶっ壊せば、エヴァを蝕んでいる骸骨共も解き放てるってことか?」
「言い方が乱暴だけど、そうね。運が良ければ、奪われていた存在も魂も戻って来る可能性もあるわ」
思い返せば、あの骸骨達は首輪を嵌められ、鎖に繋がれていた。
それが骸骨達を縛り付けている”なにか”ってことになるのか。
「解せないのは、その何かはどういう方法を用いて、魂をこの世に縛り付けているかってことよ」
「魔術とかじゃないのか? というか、それ以外考えられないんじゃ……」
「魔術だからこそおかしいのよ。普通はそんな長い時間保つことはないの」
「君は前に言ったじゃないか、魔術は時間の経過で消えるか、半永久的に機能し続けるかだって」
確か、サマリアールを訪れる前―――解放の呪術について教えてもらう時に彼女が話したことだ。
「そうね。でも、魔術を機能させる為には魔力という燃料が要る。長い年月なら、それだけ沢山の魔力が必要になる」
「……つまり、あれか? 君のような魔術を使える魔物がこの呪いに関わっていると?」
「可能性はあるわ」
……ネア以外の魔物が関係している可能性か。
明確な敵がいる可能性があることは、僕自身やりやすくなったと言えるけど、その分周りへの被害も考えなくちゃいけなくなるな。
悩みながら腕を組み、唸っていると、話はまだ終わっていなかったのかくるりとこちらを向いたネアが翼を曲げて人差し指を立てるように上げた。
「もう一つの可能性があるの」
「もう一つ?」
「それは、術者無しに外部から魔力を供給できる仕組みを作り出すこと。基本的に魔術は骨組みさえできてしまえば、誰の魔力でも発動できるから、外部から適当な魔力を放り込んでおいても勝手に動き続けられるの。仕組みさえ作ってしまえば、消えることも無いし、ほぼ永久的に魔術を行使し続けることが可能よ」
「……なるほど」
さっぱり分からない。
なんだ、つまり勝手に魔術が消えたりしないように燃料になる魔力を供給してくれるシステムを作れば術者無しでも大丈夫ってこと……なのか?
「……私と同じ魔物か、昔の誰かが作った仕組みで作用しているかは分からないけど、可哀想よねぇ」
「……エヴァのことがか?」
「ううん、あの魂のことよ」
骸骨の方?
彼女の言葉に思わず怪訝な声を出してしまった僕だけど、ネアは悲しげに窓の外を見て独り言のように呟く。
「だって、肉体を無くした魂が、解放を望んでいるのだもの。しかも、あの様子じゃ狂ってるわよ? 解放されたい、肉体が欲しい、また生きたい―――何十人、下手をすれば何百人もの重複された思念が歪んだ思考となって、呪いの矛先であるこの娘に襲い掛かっているの」
「……生きた肉体を求めるせいで、エヴァの存在を奪っていっている、のか?」
一体、あの骸骨達はなんなんだろうな。
生きた肉体を求めているってことは、元は人間だったってことだろ。思い返せば、僕が骸骨達を撃退している時に、僕を怯えた様に見ていた姿だって、よく考えれば人間に近い反応だった。
それに、噛みつかれた時に頭に響いた言葉―――その中には子供の声もあった。
たすけて、いたい、と助けを乞う声と―――、
「勇者、か」
腰から先代勇者の小刀を取り出し、手の上に載せて眺める。
「僕が彼女の手に触った時、こいつがひどく震えた。何かに反応するようにね」
「偶然、じゃないわよね?」
「確かに震えた。そして、その後にエヴァとその周辺から骸骨共が溢れだして、戦闘開始って訳だよ。多分、これはあれだ。あいつらが僕を勇者とか言ったのは、多分この刀のせいだ。そうでなくちゃ辻褄が合わない」
僕は勇者ではない。
それだけは確実に言える。既に僕以外に勇者である二人が召喚されているし、召喚の際に、呼び出されるものにのみ聞こえる鐘の音を僕は聞いていないからだ。
「はぁ、まさか邪龍のみならず幽霊にまで勇者呼ばわりされるなんてなぁ……。僕なんかが勇者な訳ないっつーの」
「私から見たら十分に勇者なんだけどねぇ。貴方、この国に就いたら確実に勇者になれるわよ? それだけの力を持っているし」
キリハが何時か言っていたな。
この世界での勇者は二つの意味がある的なことを。
異世界から召喚されたカズキや犬上先輩のような勇者と、この世界で武勇を認められ、称号を与えられ、勇者になった者。
「どちらにしても勇者なんて肩書は欲しくないよ。今でさえこうなんだ、いざ貰ったらどんな厄介事が舞い込んで来るか分からない」
「確かに……。ウサトってどうみても巻き込まれるタイプだし、厄介事に自分から首を突っ込むタイプだものね。称号だけの勇者なんてならない方がいいかもね」
「納得しないでほしかったなぁ……」
ネアの言葉にがっくりと肩を落とす。
ま、今回ばかりは自分から厄介事に首を突っ込んでいるようなものだから反論は出来ないんだけどね。
……さて、思考を戻そう。
結局、エヴァの呪いが発動されるきっかけを作ってしまったのは、この小刀だ。僕自身も不用意にこいつを持ったまま彼女の手を掴んでしまったから、今、彼女がこうなってしまったのは僕のせいだと言える。
そう考えると、自分の不用意さに情けなくなるけど、得るものはあった。
僕は部屋に置いて来た手帳の内容を頭の中に思い浮かべる。
「昔……サマリアールを滅亡の危機に陥れた邪龍と、それを打倒した先代勇者の話は君も知っているよね?」
「あの手帳の内容ね」
「ああ……。この話は間違いなく起こった事だ。そして、この出来事がエヴァの呪いと強く結びついていると、僕は思う」
「……違う、って言いたいけど。はぁ、そうよねぇ、貴方の話を聞けば無関係な訳ないわよねぇ……。あー、もうあの邪龍のことなんて忘れたいのに、どうしてここで出てくるんでしょうね」
「僕だって思い出したくもないよ」
かなり痛い目にあったし、苦労もした。
ネアなんて瀕死にまで追い込まれたほどだ。
だけど、今は目を反らしている場合じゃない。僕は聞いた、ネアが蘇らせた邪龍の声を―――僕が会った邪龍よりも、遥かに力強く、悍ましい、覇気に満ちた叫び声は僕の記憶のどこにもなかった。
「フェグニスさんも、サマリアールは大昔に大きな厄災に見舞われたって言っていたから間違いはない。確実に邪龍と先代勇者はエヴァの呪いと関係している」
「フェグニス? 誰よ、それ」
ああ、ネアは知らなかったか。
首を傾げる彼女に、フェグニスさんのことを説明する。僕を城へ連れて行った人と言って、思い出したのか、ネアは嫌そうな表情を浮かべていた。
悪い人じゃないのでせめてイメージアップの為に、サマリアールのことや塔のことに説明してくれたことや、僕に小刀を返してくれたと話すと、彼女は余計に唸り始める。
「……ウサト、そいつ絶対に私に近づけないでね」
「分かってるよ」
「後、貴方は油断しすぎよ。もっと疑いながら行動しなさい」
「アマコに続いて君もか」
「サマリアールの塔ねぇ。へぇ、邪龍が倒された後に復興を願って作られた……。随分と余裕のある王様ですこと……」
僕のツッコミに無視を決め込み、何かを考え込むネア。
騙され過ぎとか失礼だな……と思うが、確かに僕は目の前のフクロウに騙された結果、操られた完全武装のアルクさんと邪龍と戦う羽目になった。
そのことを思い出し、ゆっくりと項垂れる。
……ん?
「―――、ネア。人が来た、静かにしてろ」
「りょーかい」
ブツブツと何かを呟いていたネアだが、バタバタと駆け上がって来る足音を聞くと、僕の肩に飛び乗り使い魔としてのフクロウを演じる様に、ホー、と鳴く。
その後すぐに扉から、ぞろぞろと城の医者? のような人とウェルシーさんのような魔法使いの人達が部屋に入って来る。恐らく、エヴァの状態を診るために呼ばれた人たちだろう。
邪魔にならないように、外に出た僕は、扉の横の壁に背を預け、肩の力を抜く。
すると、下の階に続く階段からエイリさんが、ゆっくりとした歩調でこちらに歩み寄って来た。
「……ウサト様」
「はい?」
「ルーカス様が、貴方をお呼びです」
「……分かりました」
まあ、そりゃ呼ばれるよな。
むしろお呼びじゃなければこちらから伺ったくらいだ。
エイリさんの話によれば、ルーカス様は既に結界内に来ているようで、外で待っているらしい。エヴァの顔は見ないんですか? と聞くと、エイリさんは―――、
「きっとルーカス様も、衝撃を受けているのだと思います」
―――と、言った。
衝撃、か。大事な娘が倒れたら普通そうなるよね。
今の質問は少し無神経すぎたな。
「姫様に施された紋様は、貴方が行ったことでしょうか?」
「……!」
突然の質問に、動揺を隠せなかった。
前を歩くエイリさんを凝視して、思わず足を止めてしまうけど、肩にいるネアが頬を軽く叩いたことで我に返り、また歩き出す。
そうだ、エイリさんは僕がエヴァに魔術を掛けているところを見ているんだ。気付かれていてもおかしくはない。
……どうするか。
口止めする訳にはいかないし、ここはいっそ事情を説明するか?
「安心してください。貴方を責めるようなマネをする訳ではありません。なんとなく分かるんです。あの文様が今、姫様の命を守ってくれていると……」
「……」
「そもそも、私の知っている呪いとは全く違いますからね。姫様の髪が元の色を取り戻しているところを見れば、あの文様が彼女から呪いを遠ざけていることは分かります」
エヴァと同じく呪いに罹っていた母親のことを知っているエイリさんには、今までとは違う症状に見えるネアの魔術のことに気付くのも無理はないか。
正直、僕がエヴァに危害を加えていたと思われていなくて良かった。そうなったら、最悪身動きができない状況にされて、彼女を助けるどころではなくなるからな……。
「姫様のお体を蝕む呪いは、色を奪い、気配を奪い、最後には何もかもが消えてしまう恐ろしい呪いです。そんな呪いに侵されている彼女が、突然に元のお姿に戻ることなどこれまで無かったことなのです」
「元の姿とは、彼女の子供の時の髪のことですか?」
「ええ、エリザ様譲りの美しい髪で、まるで彼女を生き写したように元気で、笑顔がとても似合うお方でした」
思い出に浸るように、そう言葉にしたエイリさん。
しかし、外へ通じる扉の前で彼の足が止まった。
「エイリさん?」
「……本当は、二度と幼少の頃と同じ姫様を見ることは無いと思っていました。エリザ様と同じように、誰にも別れを告げることもできずに消えてしまうのではないか、と」
誰にも知られずに消えていく―――それはとても辛いことだと思う。
その人にとっても、周りにいる人にとっても。
「私は、執事以外なにもできません。三十年という人生の中で一度も、魔法も剣も取ることの無かった弱い男です。それでも、執事として、姫様が何不自由なく暮らしていける様に力を尽くしてきました。しかし、今は姫様になにもしてあげることがありません……私は、それがたまらなく悔しい……」
「……エイリさんは、弱い人なんかじゃありませんよ」
声を震わせる彼の言葉を否定する。
この数日間でエイリさんのことは良く知っている。
料理上手で家事ならなんでもこなせる凄い人で、エヴァのことをとても大事に想っている人だ。
そんな彼が―――彼女の成長をずっと見守り続けた人が弱い男なんていう言葉で片付けられるはずがない。
「戦わなくても、エヴァを今日まで支えてきたことは変わりようのない事実です。だから貴方は―――今までと変わらずエヴァの無事を祈ってあげてください」
「ウサト様……」
「で、肉体派の僕は、彼女の呪いをぶっ壊します」
「え……壊、す? 一体、貴方は……」
彼の隣を横切るように、前に歩み出る。
ここまで啖呵を切ったなら、後は前に進むだけだ。
しかし、腹を決めた僕の頭に肩にいるフクロウがぺしーんと翼で軽く叩いて来たので、横を向くと、そこにはふてぶてしく嘴を尖らせたネアが翼で自分を指示していた。
「ホーッ!」
「あー、ごめん、僕だけじゃないよな」
自信満々な彼女に苦笑しながら、ドアノブに手を掛けた僕は、背後を振り向き言い放つ。
「彼女の呪いは、”僕達”がなんとかします」
そう言い放った僕は、驚きの表情を浮かべたエイリさんを背にして、外へ通じる扉を開け放った。
外は真っ暗闇の庭、そして先程の騒ぎで明かりが灯された城の景色。
僕は迷いなく、歩を進め、エヴァの母―――ルーカス様の妻であるエリザ様の墓の前まで移動する。
「……来たか」
彼は、前と同じように墓の前であぐらをかくように座っていた。
こちらを振り向かずにそう呟いた彼に、遠慮なく近づいた僕は一切躊躇せずに口を開いた。
「ルーカス様、お話があります」
さあ、ここからが勝負だ。
次回は、アマコの視点での話を予定しております。