第八十六話
更新が遅れてしまい申し訳ありません。
お待たせしました。
第八十六話です。
ネアと合流した僕がまず行ったことは、見張りの騎士への交渉であった。
交渉といってもそこまで難しいことでもなく、小さなフクロウに変身している彼女を僕の使い魔だと伝え、害がないことを証明すれば、特に怪しまれる事も無く通して貰えた。
訳も分からず、おろおろとしているネアを肩に乗せながらも結界の中へ入ると、結界内の花壇の整備をしていたエヴァがいた。
エイリさんは屋内にいるのか姿は見えないが、この場に彼がいないことはある意味で好都合だ。
まだこちらに気づいていないようなので、できるだけ声を潜めてネアに話しかける。
「ネア、事情は後で話すから、彼女のことを調べてくれないか?」
「はぁ? どうして私がそんなことを?」
「大事なことなんだ。頼む」
「……分かったわよ」
不承不承としつつも頷くネア。
魔術に精通しているネアならば、なにかしらのことが分かるはず。僕も彼女に頷きながら、鼻歌を歌いながら花壇を弄っているエヴァに歩み寄る。
僕の足音に気づいたエヴァがこちらを振り返ると、花のような笑顔を浮かべたまま、僕と肩の上にいるネアを見て首を傾げた。
「おかえりなさい、ウサトさん。その子は? ……駄目ですよ? 生き物を軽々しく拾ってきては、元居た場所に帰してください」
まるで猫を拾ってきた子供を優しく諭す母親のようなことを言われてしまった。
やや予想とは違う反応に、あれ? と思いつつ返答する。
「あはは、帰せたらどれだけよかったか」
「!?」
なんでそんなこというの!? と言いたげな目でこちらを振り向いたネア。
いや、君はほぼ無理やりついてきたようなものだろう。
……冗談はこのぐらいにして、彼女にネアについて説明しよう。
「この子は拾って来たんじゃなくて、僕の使い魔なんだ」
「使い魔? その子が、ですか?」
「うん、少し前に懐かれて、色々あって使い魔として契約したんだ。ここに居る間は街の方の仲間に預けていたんだけど、僕がいなくて寂しかったようでここに来てしまったらしい」
懐かれた、というより付き纏われていると言った方が正しいんですけどね。
「あの、使い魔って魔物、ですよね?」
「? ……うん、そうだよ?」
「すごい……。私、魔物って初めて見るんです。わぁ、普通の鳥とは全然違うんですねっ」
パァ、と目を光らせたエヴァが身を屈めてネアを見る。
ネアも満更でもないのか、丸い体を伸ばして誇らしげにしている。ワシやタカがそうすればカッコ良く見れるだろうけど、ほぼ卵型のネアが背を伸ばしても可愛らしい姿にしか見えない。
しかし、魔物を初めて見る、か。
この世界に住んでいる人としては多分異例なことなんだろうな……。
人間と魔物は遠いようで近い存在だ。強力な魔物は魔素の濃い場所にしか居ないけど、普通の魔物はフーバードの様な使い魔として人間と密接に関わっている。
ここでずっと暮らしていた彼女にとって触れることの無かった存在ってことか。
「お名前はなんていうんですか?」
「名前はネア。少し人見知りなところがあるけど、大人しい子だよ」
本性は真逆だけどねッ!
内心、そう漏らしつつも表情を崩さない僕。
「ネアちゃんっていうんですかぁ」
「……触ってみる?」
「いいんですか!?」
余程嬉しいのか、ズイッと詰め寄って来る彼女にのけぞりながらも、ネアに視線を移す。
まだ呪いのことは言っていないけど、エヴァに何かしらの異変があるならば気づいてくれる、はず。
エヴァに聞こえないように声を潜め、話しかける。
「ネア、頼んだぞ」
「ホーゥ」
任せて、と言わんばかりに僕の頬を叩いたネアは、エヴァの肩に飛び乗る。
くすぐったそうに眼を瞑るエヴァだが、すぐに肩の上にいるネアを見ると口元を綻ばせる。
「とても大人しい子ですね」
「ホー」
「……よしっ」
ん?
おもむろに土のついた長手袋を脱いだエヴァは、肩に居るネアに手を差し出す。どこか緊張したような彼女にネアはもう一声鳴くと、ピョンと軽くジャンプし、彼女の手の上に乗る。
わぁ、と感嘆の声を漏らすエヴァ。
「可愛い……」
僕もネアの正体を知らなければ和むようなシチュエーションなんだけどなぁ。
普段の残念さと生意気さを見ていると、どうにもそうは思えなくなる。
「ネアちゃんもここに住むんですか?」
「君とエイリさんに許可を貰えたらって考えていたけど……。駄目なら駄目でそれで―――」
「いいえ! 全ッ然、大丈夫です! エイリも許してくれます! 許させます!!」
「お、おう」
許させますって、それでいいのかお姫様。
見た目にそぐわない迫力で、そう言葉にしたエヴァに苦笑する。
多分、エイリさんも断らないだろうし、怪しまれることなくネアをここに居させることができる。
「そうだ。この子は何を食べるんですか? やっぱり魔物だから肉食なんでしょうか……。ネアちゃん、お肉の方がいい?」
思案気な表情のままネアにそう訊くエヴァ。
ネアはフクロウの使い魔としてここにいる。なので、話しかけられてもあまり露骨な反応は―――
「ホッ! ホホーッ!!」
「まぁ、やっぱりお肉がいいんですか! 分かりました!」
―――前言撤回。こいつ、なんて現金な奴だ。餌に食いつく魚のように反応しやがった。
バタバタと羽を動かしたネアは、エヴァの反応に快くしたのか小さく喉を鳴らした後に、ジト目で睨み付けるこちらを振り向き嘲りが混じった笑みを漏らす。
「……」
「? ウサトさん、手から変な音が聞こえるんですが……大丈夫ですか?」
「ん!? あー、大丈夫大丈夫」
無意識に掲げた拳を鳴らしていたようだ。
誤魔化すように拳を下ろした僕を怪訝に見た彼女は、もう一度掌の上にいるネアを見下ろすと、ニッコリと眩しい位の笑顔を浮かべる。
「今日のごはんは楽しみにしてくださいね!」
「ホー!」
「ネアちゃんの為にいっぱいネズミを捕まえますから!」
「………ェ、ホ?」
「あ、でもフクロウは虫とかも食べるのでしょうか? 一応捕まえておこうかな、幸い先程花壇にたくさんいましたし……」
こちらを嘲っていたネアの体がピシリと石のように固まった。
―――そう、フクロウは猛禽類。
野生に生きる彼らの食料は小動物に他ならない。常識的に考えれば、人間の料理をフクロウに食べさせようとは思わないので、必然的に彼女がとる行動は”餌の調達”となる。
そして、このお姫様はやるといったら必ずやる。例え、どんな手を使ってでもネアのご飯と決めたネズミや虫を捕まえてくるだろう。……そうなったら、虫はともかく、ネズミ捕りに関してはエイリさんが意地でも止めるか、外の騎士さんが城のネズミ捕りに励む羽目になるだろうけど。
でも、調子に乗ったとはいえネズミや虫を食べさせられるのは流石に可哀想だ。こんなお調子者でも僕の使い魔であり、仲間なので助け舟を出すことにする。
「エヴァ、この子はなんでも食べるから僕達と同じ食事で大丈夫だよ」
「え、そうなんですか?」
「フクロウといっても魔物だからね。普通の動物と食べるものが違うことがあるんだ」
正体は吸血鬼だけど、旅の途中で普通に果物とか食べてたし、村娘に扮して村に僕達を招き入れた時も普通に人間の食事を食べていたから大丈夫だろう。
一転して、助かったと言わんばかりの潤んだ目を向けて来た彼女にため息を吐きつつも、こちらへ戻ってくるように腕を前に出す。
「ほら、戻ってこい」
「ホー」
エヴァの手の上から僕の肩へ移動するネア。
……彼女の様子からして、何か異常があったようには見えないけど、それは後で聞くか。とりあえずはネアに状況が説明できる場所と時間が欲しい。
「僕は一旦部屋の方へ休むよ。ネアを屋内に入れても大丈夫?」
「汚れても掃除をすればいいだけですから大丈夫です。ネアちゃんに何か必要なものとかはありますか? あれば、用意しますが……」
「ありがとう。でも今のところは必要ないかな」
フクロウには止まり木とか必要かもしれないけど、こいつには必要ないだろ。
エヴァに軽く手を振りながら屋内へ入る。その際に肩に移動していたネアは安堵するように目を閉じる。
「フゥー、何なのよあの娘」
「君が調子に乗るからだろ。自業自得だよ、自業自得」
「誰がお肉って言われて虫とかネズミ食べさせられるって思うの!? って、違う。そこじゃないわよ!」
「違う?」
さっきの調子に乗った事じゃないのか?
できるだけ声を潜ませながら部屋までの道を歩いている僕に、ネアは気だるげに、どうでもいいように、言葉を言い放つ。
「あの娘、存在が消えかかっているわよ」
「……は?」
消えかかって、いる?
蝕まれているのではなく、消えかかっている。
思わず足を止めて、呑気に欠伸をしている彼女を横目に見た僕は言いようのない感情に困惑するしかなかった。
●
「私がここに来たのは、貴方が言ったようにアルクに頼まれたからよ」
自室にて、人間の姿に戻ったネアは部屋に備え付けられた椅子にもたれかかるように座り、そう言葉にした。
しかし、僕が城へ連れていかれる時、アマコとネアが居なくなったのはフェグニスさんの剣が原因だったのか。ネアの変身を暴く魔具か、ここに彼女がいる間は気を付けないとな……。
「……僕が城に行ってからはどうしてたんだ?」
「すぐに城の奴らが接触してきて、宿に案内してくれたわ。最初こそは怪しんだけど、今の貴方の待遇からしてここの王は純粋に歓迎してくれているのかもしれないわね」
「ルーカス様に聞いたとおりか……」
城の人からは大丈夫だとは聞いていたけど、本人の言葉を聞き安堵する。
「あの子狐……アマコが柄にもなく不安そうにしてたわよ?」
「そっか……。だけど、元気そうで良かったよ」
「こっちは良くないわよ。どうして三日もこんな所にいるの? 捕まっているようには見えないと思ったら、こんな手の込んだ魔具の結界に閉じ込められている。それにあの娘―――……まさか、厄介事に巻き込まれているんじゃないわよね?」
「い、いや。巻き込まれているというより、これから巻き込まれようとしているというか……」
「はぁ?」
椅子の背もたれに顎を載せ、怪訝そうにするネアの視線から目を逸らしながら、ここまでに至った経緯を説明する。
あっさりと書状を受けてくれたこと。
サマリアールの治癒魔法使いとして勧誘されたこと。
少しの間、城に住むことになったこと。
サマリアールの姫、エヴァと会ったこと。
彼女がなんらかの呪いに侵されていること。
要点だけを簡潔に説明すると、ネアは呆れたようなため息を吐かれる。
「貴方って本ッ当にお人よしねぇ。この国に義理立てするのはいいけど、あんな厄介な娘を助けようとするなんて……正直言ってバカよ、バーカバーカ」
なんだろう、こいつにバカって言われるのは凄いイラッとする。
反射的に報復のデコピンをしたい衝動を抑えて、腕を組んだ僕はケラケラと笑っているネアを見る。
「ウサトって自分から厄介ごとに首突っ込む性よね。私の時だってゾンビニヤラレルー、タスケテーって情に訴えただけでコロッと罠にかかってくれちゃったし」
「自分から突っ込んだんじゃないよ。皆、あっちから厄介事がやってくるんだ。つーか、君に嵌められたことに関してだけは、君にだけは言われたくない。あれは、ほとんど君のドジで大変なことになったじゃん。超自業自得じゃん」
「うっさい! 私はいいの! 私は!」
なんとも横柄なやつだ。
しかし、ナックの時もネアの時も、いつも向こうから厄介事はやってくる。
トラブルに見舞われる運命にあるのかな? それとも、僕自身気付かないうちにそういうことに巻き込まれようとしているのか。
「コホン、でも今度ばかりは関わるのはやめた方がいいわ」
「……どうして? 君には彼女を蝕んでいるものの正体が分かったってのか?」
先程、結構意味深な言葉を言っていた気がするけど、あれに何か深い意味があるのだろうか。
しかし、ネアはお手上げとばかりに両手を軽く上げ、小さなため息を吐く。
「いいえ、分かるはずがないじゃない」
「……は!? 分からないのに、そんな自信満々な態度を取ってたの!?」
「ちょっと接触したくらいで分かる方がおかしいわよ!! ……いい? あの娘はね、呪いとかそういうのに蝕まれているんじゃなくて、存在がなくなっていっているの。それだけ分かれば十分じゃない」
この部屋に来る前にネアが口にした、存在がなくなる、という言葉。
ただの比喩かと思っていたが、まさかその通りの言葉なのか? 駄目だ、訳が分からない。
「……ちょっと待て、あの子はちゃんとそこにいたじゃないか。存在がなくなるってなんだよ」
「はぁー……」
僕の問いかけに、面倒くさそうに椅子から身を起こしたネアは、両手を胸の高さまで掲げ、小さな握り拳を作った。
「魂と肉体はね、強い結びつきの上で成り立っているの。肉体が無くちゃ、魂はこの世に留まれない。魂が無くては肉体はこの世で動くことはない。例外として私のようなネクロマンサーがそのルールを破れるんだけど、魂と肉体ってのは”生”という事柄に於いて最も重要な要素と言えるの」
両の手の握り拳を合わせ、手を組んだネア。
肉体と魂―――だけど、これがエヴァになんの関係があるのだろうか。
「だけど、あの娘は、そのルールさえも逸脱するようなおかしな現象に見舞われている」
「それが、存在が消えるっていうのか? でも君の話を聞くと、エヴァは呪いとは全然関係ないように聞こえるんだけど……」
「そこまでは言いきっていないわよ。魔術だって色々なものがあるし。……あの娘はね、魂と肉体―――その両方の存在が無くなっていっているの」
ますます訳が分からない。
どんな要因で、そんな魂と体の存在が消えるような事態が起こっているんだ。
「これは異常なことよ。いいえ、異常なんて言葉で片付けられるものじゃない。魂と肉体の領域なんて普通の人間が干渉してはいけない領域なの、それこそ私が扱う魔術の分野よ」
「魔術……」
「しかも、こういうタイプの現象には”呪い”が移ることがあるのよ。もし、そうなったら旅どころじゃないでしょ? 私だって興味は無くはないけど、見える罠にはまるほどおバカさんじゃないわよ」
呪いが移る―――、エヴァの存在が無くなるという現象が、僕にも起こる可能性があるとでも言いたいのか。
「……君の解放の呪術でもなんとかできないのか?」
「そもそも魔術によって呪いがかけられていることすら怪しいし、何よりも術式が見えないから使えないわ」
解放の魔術が想像以上に扱いにくい魔術だった。いや、期待していた手前、なんとなく分かっていたけどさ。
現状、ネアにもどうにもできない……か。これは、邪龍の時とはまた違った意味で厄介だな。
「ウサトは、なんであの娘を助けようとするの?」
「え?」
不意に、ネアがそんなことを訊いてきた。
思いの寄らぬ質問に、考えに耽っていた僕は呆けた声を出してしまう。
「どうせ三日くらいしか顔を合わせていない仲なんだから、ほぼ見ず知らずの他人でしょ? そんな娘の為になんで貴方がそこまでしなくちゃならないのよ? 私、嫌よ? 折角使い魔契約まで結んでまで付いてきたのに、貴方がヘマしていなくなるなんて」
僕がここまでする理由、か。
正直、エヴァを助ける義理や建前は無い。
だけど、僕がここまでして彼女を助けようとしていた理由は、単純なものだった。
「助けたいって思ったから。理由はそれだけだよ」
「はぁ? それだけ?」
「別に救命団だからだとか、そういうことを理由にはしないよ。僕が彼女に勝手に同情して、憐れんで、それで助けたいと思ったんだ」
この世界は広い。
魔法も魔物も人も亜人も、沢山の自然が広がっている。
そんな世界を知らずに、知ることも許されずに消えるしかないなんて、おかしい話だ。
異世界人の僕は、この世界に来て”良かった”と思えた。
魔王軍との戦いの後、彼女の言葉で泣いてしまった時、心の底からこの世界の人々との出会いに感謝した。
だけど、彼女はこんな狭く、息苦しい場所で、外を知らず、知ることも許されずに、消えるしかない運命にある。
そんなおかしい話があってたまるか。
僕の言葉に、目を丸くしたネアは呆れたように肩を落とす。
「……はぁ~。本当に変で、勝手な人間ね。あの子狐が不安になるのも分かるわ。少し目を離したら何をするか分かったものじゃない」
「まるで手のかかる子供みたいな言い方はやめてくれ」
「むしろ、子供より性質が悪いじゃない。私から見てもアレよ? 変な女に引っかかったようにしか見えないわよ?」
その言い方は誤解を招くよ!?
いつかアマコに言われた、女性に騙される発言を思い出しちゃうから。
「ま、私もそんな人間の使い魔になっているんだから同じようなものね……」
「……ネア?」
「少しの間だけど、手伝ってあげるわ。ウサト一人じゃ危な過ぎて見ていられないし」
照れくさそうにそっぽを向いたネアの言葉に、自然と笑みが零れる。
「ははは、ありがとう。心強いよ」
素直じゃないけど、悪い子じゃない。
改めて、彼女と合流できたことに安堵した僕は、背の扉に体を預け脱力する。
「そういえば、何でずっと扉に寄りかかっているの? 中に入ってくればいいじゃない」
「いや、こうでもしないとエヴァが近づいてくるのが分からないし。基本的にあの娘、気配がないからさ、いつの間にか背後を取られることが少なくないんだよ。最悪、部屋で休んでいる時も彼女の視線を感じるから、結構大変なんだ」
「ウサトはこの三日間、どんな生活を送ってきたの!? あの娘に監視されてるんじゃないの!?」
かもしれない。
だけど、仮に状況がそうだとしても、恐ろしいのは彼女にその自覚が無いってことなんだ。
ま、慣れれば、これといって不自由はないよ。
続けてそう言うと、サァーっと顔が青ざめるネア。
そんな彼女に苦笑しながらも、僕はこれから彼女とどういった行動に出るべきかを思考するのであった。
活動報告にて、第二巻の店舗特典についてのご報告を書かせていただきました。




