第八十三話
お待たせしました。
第八十三話です。
サマリアールの城で出会った少女。
出会いがしらにウザトという奇跡的な罵倒を食らわせた彼女は、メイドさんの言葉で自分の間違いに気づくと、あわあわと狼狽しながら思い切り頭を下げた後、白色の家屋の中へ走っていってしまった。
初対面の子に突然罵倒された悲しみに苛まれていた僕を、メイドさんは建物の前に置いてあった木製のテーブルと椅子に案内し、座るように促してくれた。
メイドさんは、その後すぐに城の方へ戻っていってしまったけど、僕は先程の少女が来るまで待っていればいいのだろうか?
先程の慌てた様子じゃ、すぐには出てこられないように思えるが……。
「にしても、結構広いんだな……」
周りを見れば白色の家以外にも、池、木が植えてある。周りを覆う結界も半透明なこともあり、それほど圧迫感は無い。
ここは外でもあるし、中でもあるってことなのかな。
「自然を感じられる宿、は言いすぎだけど。なんとも落ち着く空間だなぁ」
少女を待つまでの間、僕は椅子に背を預け脱力する。
書状は無事渡せたけど、少しの間ここに滞在することになりそうだ。余計な手間……ではないな、結局のところサマリアールの機嫌を損ねないようにするのも、僕の役目でもあるから。
「……勧誘、か」
サマリアールで自分の部隊を持つ。
今の未熟な自分では全然イメージできないことだ。
だけどもし、数年後までに魔王軍を倒して、魔王も倒して、ローズに認められ晴れて一人前の団員になった時、僕は次になにを目標にしていけばいいのだろうか。
「……」
全てが想像通りに進むことはないだろうけど、救命団である僕達と、勇者であるカズキと先輩が戦う必要が無くなったら―――という未来を想像せずにはいられない。
今は書状とか魔王軍とかで色々忙しい身だけど、全てが終わった先で、使命や彼女に指示された道ではなく、僕が自分で考えて進んでいかなくてはならない。
そう考えたら―――、
「……あり、かもな。サマリアールに行くのも」
勿論、それは今じゃないけどね。
魔王軍を倒して、リングル王国が平和になって、ローズに一人前の治癒魔法使いとして認められたらの話だ。
……考えてみれば、独り立ちという意味で僕がサマリアールの救命団を作るっていう発想もできる。
今の自分じゃとてもできないけれど、この世界でローズから教わった治癒魔法使いとしての経験と知識を、ナックのような虐げられていた治癒魔法使い達に伝えていく―――。
きっと、ローズには『甘い』の一言で切り捨てられそうな理想だけど、僕の中でなんとなくしっくりきた。
「その為にはこの世界を平和にしなくちゃなぁ……」
苦笑しつつも空を見上げれば、何時の間にか空は夕焼け色に変わり、後少しすれば夜になるところであった。
何気なく椅子から立ち上がり、背を伸ばす。
結界の外から差し込まれる光は白い家を照らし、オレンジ色に染める。
「うー……ん?」
家の影になにかがある。
それがなんとなく気になった僕は、その場を離れ影の方へ近付いてみることにした。
近付いてみれば、地面に建てつけられた石。それも傷一つない真っ白な色をしていた。
これは……お墓か? 石碑のようにも見えるけど。でも、何も書いてないぞ、表面は光沢が見られる程に滑らかで文字なんてどこにも見えない。
「……あまり触れない方がいいかな」
気にはなるけど、ここに住んでいる彼女の許可なしに触れない方がいいかもしれない。
お墓ならなおさらだ。
「あ、いた!!」
「!」
背後からの声に後ろを振り向けば、白色の少女が安堵の息を漏らしながら家の壁に手をついていた。……改めて見れば見るほど、『真っ白』という印象を与えるな。年は、アマコよりも少し上くらいだろうか?
後ろに何かを隠すように手を回した彼女に、疑問を抱きつつも、勝手に出歩いてしまった事を謝る。
「すみません。勝手に移動してしまって……」
「い、いえ! 元はと言えば私が何時までも貴方をお待たせしてしまったのが悪い訳でして……あの、その……」
所在無く両の手を絡めながらチラチラとこちらを覗う少女。
その挙動に、何時しかの元あざとい村娘、ネアの姿を思い浮かべる。
「私、エヴァ・ウルド・サマリアールと言いますっ! さっきはお名前を間違えてしまって本当にごめんなさいっ!」
「……いえ、もう気にしていないので大丈夫です」
なんだ、名前のことか。
決して間違えやすい名前ではないけど、たまにはこういうこともあるだろう。いや、ウザトなんて呼ばれた事ないけど。
だけど、名前を間違えただけで根に持つ様な面倒くさい性格をしていないつもりだ。
「名前は既に知っているかもしれませんが、僕はウサト・ケン。リングル王国から来た使者……のようなものです。……お名前からして、貴女様はルーカス様の御息女様でしょうか?」
敬語に慣れていないから、凄い様様言っている気がする。
合っているか合っていないか定かではない僕の敬語に僅かに顔を顰める少女―――エヴァ様。
内心、やってしまった……と後悔していると、若干の不満が混ざった口調で彼女が口を開いた。
「……そうです。私はお父様の娘です。ですが、姫としての権力は無いに等しいので敬語で話さなくてもいいですよ? どちらかというと、私が貴方をおもてなしするようにお父様から言われていますので」
権力が無い? お姫様なのに?
いやそれより、ルーカス様が事前に彼女にもてなすように頼んでいたのか。
……なんかあの人の掌の上で踊らされている感が半端ないな。
できれば最低限、敬語で接して線引きしていきたいけど彼女の様子からしてそれは無理か……。
「分かり……分かった。敬語はやめるよ。えーと、エヴァ……様?」
「エヴァで構いません。ウサトさんっ!」
屈託のない満面の笑顔を向けられ、思わずたじろいでしまう。
この無邪気さと心からの喜びを一心に向けて来るタイプの笑顔―――この子はカズキとかなり近い部類の性格の子だ……!
ネアのような詐欺まがいのこともしない、ただただ純粋なだけの少女―――正直、下手に疑り深い心の汚れている僕ではやりにくい相手だ。
それに、それにだ。先程からちらちらと彼女の後ろから見えているものが物凄い気になる。
「あの、ずっと気になっていたんだけど……」
「はい?」
可愛らしく首を傾げたエヴァの後ろから少し見えている物体を指さす。
「その、後ろの縄は……なにに使うの?」
「っえ!? あ、あー、その……」
そう問いかけると、彼女はばれちゃったとばかりに、手に持った荒縄を僕の前に出す。
程々に太い縄だ。よく映画とかで人質の人が縛られているような、ロープ……といえば分かりやすいだろうか。
「私が粗相をしてしまったばかりに、ウサトさんが、逃げちゃったと思って」
「……」
「でも、もうこれは必要ありませんねっ。だってウサトさんはここにいるんですもの」
ぽい、と縄を足元に捨てた彼女は、曇りの無い目で嬉しそうに頬に手を当てる。そんな彼女に、僕は笑みを引きつらせる。
なんだ、その偶然家の庭に迷い込んだ小猫をどうにか逃がさない為に試行錯誤する小学生のような発想は。猫相手ならまだ可愛いものだが、人相手だと一気に猟奇的に変わる。
「は、ははは。まさかそれで僕を捕まえようと?」
「そんなまさか! お友達にそういうことをする訳ないじゃないですか!」
ちょっと待って。勝手に友達認定されているのは別にいいけど、ここで会うまでは自己紹介すらしていなかったよね? その時点では僕を縛り上げても良かったの!?
そこのところを追及したいけど、どんな答えが返って来るのか怖い。
天然? 天然なのか? また一癖も二癖もある女性なの?
僕って女難の相とか出てないよね? 勿論、甘い方向じゃなくて苦悩する方向のやつ。
「さ、そんな話よりも。夕食にしましょう。今夜は美味しいものを沢山作って貰いましたので、楽しみにしていてくださいっ!」
「そ、そうだね。い、いやー僕お腹すいちゃいましたよー」
これ以上は考えないようにしよう。
この子はネアのように邪な存在じゃない。
自分にそう言い聞かせながら、僕は彼女に手を引かれ暗くなってきた庭を進んでいくのだった。
エヴァと共に建物の前に揃えられたテーブルの方へ戻ると、そこには先程までは灯されていなかった魔道具の明かりと、テーブルの側らでお皿やコップを用意している男性がいた。
彼は僕とエヴァに気づき、恭しくお辞儀した後に家屋の中へ戻ると、両手に長方形状のお皿にのせられた四角い食べ物らしきものを運び、テーブルの中心に置く。
「姫様。夕食の準備が整いました」
「ありがとね、エイリ。さあ、ウサトさんも遠慮なく座ってください」
執事さんが引いた椅子に座った彼女の言葉に従い、僕も彼女の前の椅子に座る。
目の前には家と同じような真っ白な四角い食べ物が置かれており、その周りにはこの一口大に切られた果物が並べられている。
もしかして、ケーキか? これ? 元の世界でも昔からケーキは存在していたからありえないことでもないけど、ここまで似通っているものが出るのは驚く。
この世界で馴染みの無かった甘味に驚いていると、執事さんがこちらへ近づいて来た。
「ご挨拶が遅れて申し訳ございません。私は執事のエイリと申します」
「あ、どうもこちらこそ」
「この度は、サマリアールを訪れてくださったウサト様を歓迎したい、とお申し付けされた姫様のご厚意により、腕によりをかけて夕食を作らせていただきました」
「ありがとうございます」
執事であるエイリさんが、僕に紅茶を差し出してくれる。
コック姿の彼はどう見ても執事には見えないのだけど、思えば料理をするときも執事服というのもなんだかおかしいな、と思ったのでそれほど気にならなかった。
しっかし……。
「見事なまでに甘味一色だな……」
ケーキと果物と紅茶。
種類こそ少ないけど、ケーキに至ってはホール型のものではなく、海外でよく見る長方形型の大きなケーキだ。
「すいません。ケーキ以外にも何かありますか? 野菜とか……」
「? ウサトさん、ケーキとお野菜は一緒には食べませんよ? お野菜は朝食で、夕食はケーキです」
この世界でもケーキって言うのか?
それとも勇者召喚の際に施された翻訳の呪文が僕に馴染みの深い言葉で再現してくれているのか。……まぁ、それはどうでもいいか。
「……昼は?」
「お肉です。健康の為にはバランスよく食べなくてはなりませんからね」
それは色々な意味で偏っているのでは……? その食べ方はバランスが良いとは違う気がする。
それに、夕飯にこんな糖度Maxな大盛りのケーキを食べたら、胃が大変なことになりそうだ。救命団に所属している僕にとって体に余分な肉をつけることはあまり好ましいことではないし、そもそも僕はそこまで甘いものが好きという訳じゃない。
どうしようか、彼女の善意を無下にするのも悪いし……。
「どうしました? 遠慮なさらず食べてください」
「……いただきます」
とりあえず、一口だけ口に運んでみる。
口に広がるように甘さが伝わっていく、この世界で初めて食べる菓子。旅で疲れた体を癒すかのように、言い様の無い多幸感が僕の中で湧き上がる。
「甘い……」
美味しいけど、量が問題だ。
これ見よがしに大皿に乗せられたケーキは、フォークのたったの一掬いでは全く減らず、凄まじい存在感を放っている。胸やけを起こしそうな量だけど、残す訳にはいかないので黙々と口に運んでいく。
前を見れば僕とは違い、行儀よくケーキを食べているエヴァ。
彼女を見ていて思ったけど、どうしてこの少女はここに居るのだろうか。この場所は、どう考えても僕の為に用意された場所じゃない。彼女の為の場所だ。
ここに閉じ込められている?
それとも、ここに居なくてはならない理由があるのか?
彼女の病的なまでの白い髪と肌からして、何かしらの病気にでも罹っているのだろうか。直接聞くのが一番手っ取り早いのかもしれないけど、彼女の屈託のない笑顔を見ていると、聞こうにも聞けない。
「? どうしました、ウサトさん。私の顔をじっと見て」
「ん。なんでもないよ」
首を傾げる彼女に誤魔化しつつ、止まっていたフォークを再び動かす。
にこにこと笑みを浮かべているエヴァの視線に受けながら、僕はお皿に乗ったケーキを全て食べ終える。
「美味しかったです」
「そうでしょう、そうでしょう。もっと沢山あるので食べてくださいねっ!」
彼女がエイリさんに目配せすると、彼は先程より大きく切り分けたケーキを僕の皿に置こうとする。
流石に、これ以上食べるのはカロリー的と胸やけ的に色々キツいので断ろう。
「いえ、もうお腹いっぱいです」
「そうですか……まだまだ、たくさんあるのに……」
エイリさんに掌を見せて断ると、残念そうな表情を見せるエヴァ。
しかし、すぐにハッとした表情でテーブルの上のケーキと僕の顔を交互に見ると途端に落ち込むように俯いた。
「ごめんなさい。普通に考えたら、こんなに沢山食べられませんよね。私ったら舞い上がっちゃって、ウサトさんのことを考えていませんでした。……このケーキはサマリアールの名物でして、私の大好きな食べ物なのです。だから、ウサトさんにも……と思ったのですが、その思いだけが先走ってしまい……」
ぽつりぽつりと、徐々にか細くなってくる声にとてつもない罪悪感を抱く。
やだこの子、ダイレクトに僕の良心を苛んでくる……!? 流石はカズキと同じ純粋な心を持ったお人だ。犬上先輩とネアとは一線を画すほどに邪さが感じられない。
―――後一皿くらいならいけるか……。
「エイリさん。おかわりお願いします……」
「え? ウサトさん……?」
「よく考えれば、まだお腹一杯じゃなかったからね」
なぜか同情の目を向けて来るエイリさんに、首を傾げつつも新たに盛られたケーキを口に入れる。甘ったるい味が口の中全体に広がるも、それを紅茶で流し込む。
あぁ、どうしてこう僕は、情に流されやすいんだろうなぁ。はっきりNOと言えない日本人の性かもしれないな……。
「優しいんですね。ウサトさんは」
「まあ、程々には」
「でも、お口に合うようで本当に良かったです。ここに来てくださる方たちは夕食をご馳走した直ぐ後に出て行ってしまうので、不安だったんです。外の皆さんは甘いものがあまりお好きでならないのでしょうか……」
それは、口には出さないけどケーキなんか滅多に食べないだろうから、強烈な甘さにビックリする人がいるのも当然だ。
「僕はそれほど嫌いじゃないよ。こんなに甘いものを食べたのは久しぶりだ」
具体的に言えば元の世界に居た時以来だ。
「フフッ、嬉しいです。この国の名物の味を好きになって貰えて……」
「ははは。もし僕が甘いものが苦手だったらどうしたの。そういう時は何か別のものを出したりとかしたのかな?」
ちょっと意地悪ついでに気になったことを聞いてみるか。
僕がここに来る前に、ここを訪れた人たちがどうして直ぐに帰ってしまったのか。食べ物の問題なら、なにか別の料理を出して貰えばそれで事足りるはずだ。
それでも尚、出て行ってしまったのならば、その料理―――いや、失礼かもしれないがエイリさんの料理に何かしらの問題があったと考えていいのかもしれない。
ま、こんな優しそうな子に問題なんて―――、
「勿論、好きになるまで食べて貰います」
「え?」
聞き間違いだろうか、かなりクレイジーな言葉が飛び出した気がする。
いやいやまさか、さっきと変わらない笑顔で無理やり食べさせよう発言なんてする訳がない。
「食べ物は残してはいけません。好き嫌いはいけません。食への感謝を忘れてはいけません。これは知って当然の常識です。それに―――私の好きなサマリアールの、お父様が大きくしたこの国を好きになってほしいから」
曇りの無い―――いや、曇りが無さ過ぎる眼で一心に僕を見つめたエヴァ。
その瞳に、僕は狂気じみたなにかを感じとり、息を吞む。
「だから私、頑張ります。例え嫌いだとしても、好きになってくれるまで頑張ります。それが、この国の姫と呼ばれた私のせめてもの貢献です」
「……」
「でも、その必要はないですよねっ! だってウサトさんは別にケーキが嫌いな訳じゃないんですからっ!」
「え、えぇ……そう、ですね」
か、帰っちゃった理由、分かっちゃったよ……。
エヴァ、違う。違うよ。それは君が頑張るんじゃなくて、言われた方が頑張るやつだ。純粋が故の狂気―――この時、僕は彼女からそれを感じとった。
彼女は純粋だ。
純粋だからこそ、ありのままの言葉と状況を受け入れてしまう。そんな少女を目の前にした僕はただ黙々と山のようによそわれたケーキをつつくことしかできなかった。
結局あの後、僕はおかわりした分のケーキを全て食べきった。
最後の方はほぼ気合いで詰め込んだけど、食べた後になって自分がどれだけの失態をやらかしてしまったかに気づく。
こんな食事を一週間続けていたら、自分の体がどうなってしまうか―――、自分の太った姿を想像すると同時にその姿を見たローズがどんな反応をするかを予想する。
―――この世のありとあらゆる地獄を見せられる……ッ。
「燃やさなきゃ……燃やさなきゃ……」
うわ言のようにそう呟きながら、一心不乱に腕立て伏せをする僕の姿は過去類を見ない程に異様なものだろう。なにせ、エイリさんに部屋まで案内されたにも関わらず、結界内の庭でひたすらに筋トレを行っているのだ。
摂取してしまったカロリーを消費するには運動しかない。
どれほど運動すればいいか分からないけど、何時もの三倍くらいやれば大丈夫なはず。
「ぐ、うぅ……」
何時もよりオーバーペースで腕立て伏せを行っているからか、凄まじい負荷が全身にかかっているが、先程食べたケーキのカロリーを消費するにはまだ足りない。
やや息を切らしつつも、腕立て伏せから腹筋に切り替える。
「ルーカス様の狙いはこれか……ッ」
僕を精神的に追い詰める―――偏食という方法を以てして僕に根を上げさせようとしている。
なんとも回りくどい手口だが、その仕掛け人であるエヴァが善意でそれを行っているのが性質が悪い。
「あの……ウサト様」
「ん? どうしました、エイリさん」
腹筋をしている僕の前にやや困惑した面持ちのエイリさんが現れる。
彼は、完全に暗くなった外を見て、心配するように声をかけてくる。
「そろそろお休みになられたほうが……。既に二時間以上同じことを繰り返しているようにも思えますが……本当に旅で疲れていたのですか?」
「……こと身体的な疲れに関しては、僕にとってはほぼ無いに等しいですからね。まだまだ大丈夫ですよ」
嘘ではない。
治癒魔法を使えば身体的な疲れは取れるので、魔力が続く限り延々と動き続けることが可能だ。
「エイリさんも、僕に構わず休んでいてもいいですよ?」
「お心遣いはありがたいのですが……あの、非常に申し上げにくいのですが―――ウサト様が部屋に戻らない限り、私は休むことができないのです」
「え? いや、僕なんかに構わなくても―――」
「あちらを、見てください」
ゆっくりと首を横に振ったエイリさんは、手を僕の後ろへ向ける。
振り返ると、白い家屋の影―――魔道具の明かりによって照らされた場所にこちらを覗き込む少女、エヴァ。その瞳を興味津々とばかりに輝かせた彼女は、こちらへ近づかずにジッとこちらを見つめていた。
まるでホラー映画さながらの真っ白な風貌に僕は不覚にもビビってしまった。
「……き、気付かなかった……ずっとあそこから僕を見ていたんですか……? 話しかけてくれれば良かったのに……」
「お邪魔しては悪い、と思ったのでしょう。彼女は慎み深くとても優しいお方ですから」
優しい、確かに優しい子だろう。
だが、それを含めても彼女は僕から見れば異質の一言に尽きる。
「ウサト様。貴方様は姫様に対して苛立ちを覚えたかもしれません。ですが、もう少しだけここにいてくださいませんか? 姫様は、好奇心が旺盛なお方ですが……悪気があるわけじゃないんです」
「それは分かります。でも、悪気が無いからといって、彼女の言動はあまりにも……」
「常識外れ、と?」
「……まあ、そうです」
常識外れというより、ズレているという方が正しいかもしれない。
言われた通りの言葉を、そのまま実行しようとする無邪気な子供、と言った方が正しいかもしれない。
「常識外れと言われてもしょうがないかもしれません。しかし、姫様はここしか知らないんです」
「ここって、この結界の中ですか?」
「ええ。昔から、そしてこれからも―――。そうしなければいけない理由があるし、彼女も受け入れていることです。しかし、この狭い世界しか知らない彼女にとって、常識も価値観も全てが生活で身に付けるのではなく教育という過程で覚えるしかなかった―――」
……なるほど、日常生活で人との関わりで身に付けていくものを、覚えさせられる形で身に付けていったから、普通とはズレていってしまったのか。
それじゃあ、ああなって当然かもしれない。
無邪気なのも納得だ。
何せ悪意というものに一切触れずに育ってしまったから善悪というものが分からないんだ。
「―――私……私たちは、そんな狭い世界しか知らない彼女に自由であって欲しいと思いました。彼女の残りの……っ」
「エイリさん?」
「申し訳ありません。これ以上は私の口からは言えません」
表情を渋めて、口を噤んでしまったエイリさん。これ以上、彼からエヴァについて聞くのは難しいだろう。後で、知っていそうな人に駄目元で訊いてみようか、いや、ここはいっそルーカス様に訊いてみるのも手だな……。
そして、彼女はここにいなければいけない理由。考えられるものとしては病気とかか? あの白髪の髪を見れば真っ先にそう思うけど……もしかして、ルーカス様は彼女を僕に治してほしくてここに入れたのか?
再び、振り返れば先程と変わらずそこでこちらを見ていたエヴァが、小さく手を振ってくる。
「姫様は、日記を書くのが好きなんですよ」
「え、そうなんですか?」
エヴァを見てエイリさんが唐突にそんなことを呟いた。
日記と聞いて、少しばかりの親近感を抱く。
「自分がこれまで生きていたという証を綴っていきたい―――そう願った彼女は毎日毎日、日記に日常での喜びと新たな出会いについて書き記しているんです。その姿が健気で……とても儚く……どうにかしてあげたい、そう思っても、私には何もできない……」
……あ、あれ? 僕と全く日記の用途が違う。現実逃避用じゃない……。
なんというか、まるで切実なものを感じさせる重さがあるのだけど。
僕と彼女の日記の違いに困惑していると、何を思ったのか近くにまで歩み寄ってきたエイリさんが僕の両肩をガシリと掴んだ。
「うぉっ!? なんですか!?」
「ウサト様。もう少しだけ、ここに居てください。いえ、できることならっ、一生ここに居てくれませんかッ!?」
「はぁ!?」
一生!? 今明らかに何かを数段階飛ばしたよね?
ルーカス様の提案より、突拍子の無い事を執事からお願いされてしまったんだけど!?
驚愕する僕が見えていないのか、先程までの鉄面皮を崩し、表情を鬼気迫ったものに変えたエイリさんは、切実に声を振り絞る。
「姫様に慄かない方は非常に珍しいのです……ッ。私の同僚達も皆、姫様についていけず……かといって招いた客人たちも姫様の甲斐甲斐しい接客が堪え、一泊もせずに出て行ってしまうので―――貴方様のような鈍感な人は極めて貴重なのです!!」
「さりげなく僕を鈍感呼ばわりするのはやめてくれないですかねぇ!?」
確かに痛みには鈍感だけど、流石に他の部分で鈍感はないぞ。
それに一生は流石に無理だ。だが、ルーカス様の言う一週間かそれくらいなら居てもいいとは思っている。その前に、ルーカス様にアルクさん達の状況、できれば会えないか打診してみなくてはならないけど。
「あ、あの、二人とも楽しそうですね! なにを話していたんですか!? わ、私も混ぜて貰ってもいいでしょうか!?」
今のやり取りをどう見たら楽しそうに見えるんですかね……?
僕とエイリさんのやり取りを見て耐えきれず飛び出して来たエヴァ。
そんな彼女を見て、僕はこれからの数日間が色々な意味で苛烈なものになると予想するのだった。
純粋だからこそやばい。
エヴァはそんな少女ですね。




