第七十九話
第七十九話、第三章最終回です。
吸血鬼とネクロマンサーのハーフ、ネアによって引き起こされた騒動と長い夜は終わりを迎えた。
僕も体力の限界が近づいていたので、気絶するように倒れてしまい、次に目覚めたときは自分たちが泊まっていた村のベッドの上だった。
寝ている間に、アルクさん達はあの洋館に火を付け燃やしてしまったらしく、残ったのは黒く焦げ付いた洋館の骨組みと、燃えカスとなった大量の蔵書、そして邪龍の亡骸である大量の灰のみとなっていた。
それから一日かけて疲れと魔力を回復した後、僕達は村を出るべく村長さんの所へ挨拶に行った。
「それにしても、村の人達総出で送り出そうとしなくてもいいのに……」
「恩人を無手で見送るなぞ、恩知らずなマネできるはずがない。ネクロマンサーがいなくなったおかげで村の周りをうろついていたゾンビ達は居なくなった。これでわたし達は平和な暮らしを送ることができる」
見送りに来てくれた村長さんの後ろを見れば、村の人達が見送りに来てくれていた。
その中の数人は、後ろで荷物を積み込んでいるアルクさんに、大きな袋を手渡している。
「こんなに食料を貰ってしまって……」
「むしろ渡し足りないくらいだ」
流石にこれ以上貰っては申し訳なくなります。
野菜を両手一杯に抱え、にじり寄ってくる村人の厚意をやんわりと断る。その最中、にこにことした笑みを浮かべ、こちらへ近づいてくる女性に気付く。
「テトラさん」
「やあ、体の方はもう大丈夫なようだね」
「ええ、おかげさまで」
フランクにこちらに手を挙げた老女の隣には、あの村娘の姿は無い。
そのことに眉を顰めながらも、ずっと気になっていたことを訊いてみることにした。
「あの、失礼かもしれませんが……。テトラさんはお一人であの大きな家に住んでいらっしゃったんですか?」
「ハハハ、別に失礼でもなんでもないよ。私は二十年前からあそこで一人で暮らしているよ。夫も娘も魔物に殺されてしまってね……それからはずっとあの家には私一人さ」
ずっと一人か。本当に忘れてしまったんだな。
だけど、ようやく彼女の言葉で引っかかっていた部分が分かった。なにが操り人形だよ、憎まれ口を叩いておいて甘々じゃないか。
知りたいことも知れたし、そのままテトラさんにお辞儀をしようとするも―――、どこか悲し気な表情を浮かべた彼女に思わず足を止める。
「だけどねぇ、なんだかとても不思議なんだ。一人で生活していたあの家が、昨日になって突然にもっと広くなったような気がしてねぇ。とうとう私もボケてきちまったのか、なんて思ったよ」
「……いえ、貴女はまだまだ元気ですよ。テトラさん」
彼女の言葉に言いようもない感情を抱きながらも、今度こそ後ろを振り向き準備に取り掛かる。
くそ、こういうの駄目だな。やっぱり人の記憶はそう簡単に消し去れないものだ。その証拠を今目の前で垣間見て胸からこみ上げる気持ちを押し留める。
すると、僕と彼女の会話を聞いていたのか、アマコが団服の裾を引っ張ってくる。
「……心配ない。感傷に浸って泣くほど、泣き虫じゃないよ。僕は」
「いや、ウサトが泣くとかじゃなくて、何時出発するのかなって」
「僕の感傷を返してくれないかな? ねぇ?」
僕を気遣ってくれたんじゃないのかよ。
胸にこみ上げた熱い感情が消沈していくのを感じる。
「これはアイツが選んだことだから、私は何も言わないよ。過程を見ればアイツの自業自得だし」
「手厳しいね……まあ、そうなんだけどさ」
「それに……」
何故かキッと僕をジト目で見るアマコ。
なんだなんだ、その反抗的な目は。
「ウサトもウサトだよ。ちょっと敵に甘すぎるんじゃないの?」
「甘いというか、そもそも僕は本来は助ける側の人間だからね? 非情に徹することを求められても困るだけだよ」
「でも、だからといってあの結末はどうかと思う」
それは僕も同意するけど、それにしてはやけに気に入らないように見えるな。
……ま、それは今はどうでもいいか。今は準備を終わらせなければ。
手持ちの荷物を確認し、ブルリンの背にも貰った食料とかを載せる。これくらいあればサマリアールまで余裕で保つな。
「アルクさーん。こっちは準備できましたよー」
「こちらも丁度終わりました!」
しっかりと馬に荷物を固定したアルクさんを見て、僕は再び村人たちの方を振り向く。
「それでは短い期間でしたが、皆さんお元気で」
「ええ、できればまた訪ねてくるといい。その時は今以上にもてなしを用意しよう。それまで、わたし達は貴方達の旅のご無事を祈っております」
また、か……うん、また何時かここに来よう。
満更でもない気持ちになりながら、村人たちに手を振り出発する。
徐々に遠くなっていく村人たち。その中に、ネアという村娘の姿はどこにもいない。誰もそのことを不思議に思っておらず、最初からそんな少女はどこにもいなかったかのように振る舞っている。
きっとあの人たちは事の顛末の一端すらも知らない。
自分たちが操られていたことも、
ネクロマンサーの正体も、
ゾンビが何故村の周りを徘徊していたのかその理由も、
知らず知らずのうちに一人の少女が忽然と村から消えたことも―――。
「ホーゥ」
村が見えなくなった頃に、一羽の黒い小さなフクロウが僕の肩に降り立つ。
手の平サイズの小さな黒いフクロウは、小さな体躯に不釣り合いな大きな翼を折りたたむと、ホー、と一鳴きする。
昼にフクロウが飛んでいるということに一切の疑問を抱かないまま、歩き続けた僕は独り呟く。
「これで良かったのか?」
「……ホー」
「ネア、お前はあの人たちの記憶を消して……本当にそれで良かったのか……」
「ホー」
「……おい」
僕は迷わず肩に飛び乗ってきた子フクロウを鷲掴みにして逆さづりにする。目に見える程に狼狽するフクロウをジト目で見ると、露骨に目を逸らされる。
こいつ……。
そのままブンブンと縦に振ると、目をぐるぐるとさせたフクロウが突如として少女然とした叫び声を上げる。
「や、やめてぇ!! 逆さづりで振るのはやめてぇ!?」
「オメー、喋れるなら下手な芝居うつな。僕が鳥に話しかける変な人みたいになっているじゃないか」
「だ、だって今の私はフクロウよ!! 普通のフクロウは喋らないわ!! ホッホホ――!!」
「やかましい。普通のフクロウは何時もホーホー鳴いてるとは限らないんだよ。後、その取って付けたような返事はやめろ」
詳しいフクロウの生態は知らないけど、そんなわざとっぽい鳴き声をしないことは知っている。
今僕の手の中でもがいているフクロウの正体は、あの村で消えた少女であり、ネクロマンサーとして討伐されたはずの魔物、ネアである。
羽をバタバタと動かす彼女に呆れたようなため息を吐いた僕は、ポイッと前へ放り投げるように手を離す。自由になったフクロウは小さな翼を大きく羽ばたかせ、ブルリンの背に留まると、ボンッという音と光と共に、黒髪赤眼の少女に変わる。
「はぁ、本当に付いて来るのかよ」
「勿論よ。だって、契約はもう済まされたのよ」
ねー、と可愛らしく首を傾げ右の手のひらを見せる彼女。その手のひらの中心には魔方陣のような文様が入れ墨のように刻まれている。
そして、僕の左手にも彼女と同じ文様がある。今は左の掌には何も描かれてはいないけど、魔力を籠めれば掌に紫色の刻印が浮かんでくるのだ。
「どうしてこんなことに……」
「一生付き纏うって言ったでしょ?」
「それなら何も自分が住んでいた家も燃やす必要はないだろうが」
あの夜、彼女が僕と交わした契約―――それは呪いでもなく、魔術でもない、ただ単純な使い魔契約であった。しかし、彼女が用いた使い魔契約は現在一般的に使われているものではなく、数百年前に扱われていた大幅に改変される前のものであり、僕の同意も無しに双方の血という対価があれば強制的に契約関係を築けるというなんとも悪質なものであった。
この契約で厄介だったのは、現今の簡略化させられた使い魔契約よりも主従の縛りが強いことであり、そう簡単に解消することができない点にある。
確かにネアは魔物だ。使い魔契約を交わすことができることは不思議に思わない。
だけど、まさか自分から使い魔になるような暴挙に出るとは思わなかった。しかも、僕が気絶している間に、村の人達の記憶を消すわ、自分が住んでいた洋館を燃やしてしまうわ―――完全に僕達についていく準備を進めている事に驚いた。
「フフ、もう住む必要のない家を残しておく意味はないでしょう? それに、大事なものは持ってきているし」
そう言い、ブルリンの背に載せられているカバンを開けると、そこには黒色の背表紙の本が数冊入っている。
……見覚えの無いカバンがあると思ったら、お前の荷物だったのか。見たところ、魔術の本に見える。貴重なものだから館諸共燃やす訳にはいかなかったのだろう。
「はぁー、まあいい。それで、どうしてフクロウの姿だったんだ?」
「え、使い魔っぽいし。なにより可愛いじゃない」
「吸血鬼ならコウモリとかだろ」
「嫌よ。動物になってまで血なんて吸いたくないわ。変身するなら可愛い生き物がいいの」
コウモリにあまり良い印象を抱いていないのだろうか?
まあどちらにしても、フクロウは確かに見た目は愛くるしいけど、中身が君じゃあ色々な意味で台無しだ。
黒い生物を相棒にするという点で、ローズとククルと似通った所があるのがなんとも言えない。
横目でネアの方へ視線を向けると、彼女は上機嫌に鼻歌を歌いながらブルリンを撫でつけている。同じ魔物だからか、それとも本能的に彼女が邪な気持ちを抱いていないと判断しているのか、ブルリンはむすっとした表情でされるがままにされている。
「これからもよろしくねぇ、ご・主・人・様」
「フンッ!」
満面の笑みでそう言ってきたネアの脛に、先程まで仏頂面で僕の隣を歩いていたアマコがトーキックをぶつけた。きゃんっ!? という情けない声と共にネアがブルリンの背から転げ落ちる。
「い、いきなり何するのよ!!」
「調子に乗らないでよ。コウモリ」
「コ、コウモリですってぇ!? 獣人ごときが魔物の私にぃ……まず最初にどっちが上か白黒つけさせてあげるわ!!」
お返しとばかりにアマコに跳びかかるネアだが、それを予測していたアマコはひらりと身を翻すことで避け、足払いをかける。
ズザザーッ!! と意図せずにダイナミックヘッドスライディングを行ったネア。数秒ほどの沈黙の後、目元を拭いながら起き上がった彼女は、嗚咽を漏らしながらアマコと取っ組み合いを始めた。
なんだか猫の喧嘩を見ているようだなぁ、実際は吸血鬼とキツネの喧嘩であるけど。
まあ、あれは放っておいていいだろう。喧嘩するほど仲が良いという言葉もあることだし。
「変な奴がくっついてきてしまったな……」
「ははは、賑やかになりましたね」
「アルクさんは反対する側でしょう」
操られて良い様にされていたんですから。
「否が応でもこれから旅をする仲です。私一人の感情で、不和にさせる訳にはいきません。それに、彼女は既に罰を受けたようなものですから」
罰、か。
邪龍に痛い目に遭わされたこともそうだし、自身の手で村の人達の記憶を消すという行為が罰となるなら、彼女は十分な罰を受けているのかもしれないな。
「後はそうですね、彼女の力はこの先の旅で役に立ってくれる。そう思ったからですね」
アルクさんの言葉に同意するように頷く。
拘束の呪術、耐性の呪術、凡そ攻撃には向かない魔術を扱う彼女だけど、相手を無力化したり、攻撃から身を護るときに力になってくれそうだ。
「いや待てよ。拘束の呪術を敢えて僕にかけて貰えば、普通に過ごしている間でも鍛えることができるんじゃ……」
「その考えには私も及びませんでした。拘束に用いる術を己の拘束具として利用しようとするなんて……常人には決して思いもつかない考えですね」
褒めているんですかソレ? いや、褒めているんだろうけど。
彼の言葉に苦笑いしていると、後ろでとっくみあいをしていたネアがフクロウの姿で僕の肩に飛び乗ってきた。砂ぼこりで汚れ、こちらに逃げてきたことからどちらが勝ったかなんて聞く必要はないだろう。
「……そうだ」
ふと、懐にしまっておいたアレを思い出し取り出してみる。
取り出したものを後ろから見たアマコは、驚きの声を上げる。
「それは邪龍の体の中にあった……」
「ああ、僕の世界では刀っていう刃物だ」
村の人達に見繕って貰った革の鞘に収められた、小刀。
手に持っているだけで異様な力を感じさせた刀を見たネアは、邪龍の体の中にあったと聞くと、興味深げに目を丸くする。
「日記に書いてあったものね。ウサト、それは大事に持っておいた方がいいわ」
「ん? どうして?」
「勇者が使っていた武器よ。もしかすると、何か役に立つときが来るかもしれないじゃない」
役に立つのか、これ。
僕は刃物は使わないから、使用する機会は限りなく無いのだけど。かといってアマコに持たせたら、刀の重さが彼女の重荷になってしまうかもしれないし、アルクさんは既に折れた剣の代わりを持っている。
……しょうがない、適当に腰に刺しておくか。
野菜や果物とかを剥くのに使えるでしょ。
一つため息を吐きつつ、小刀を腰のベルトに挟む形で収めていると、肩に乗っているネアに目が行く。
「どうしたの?」
「ん、いいや。なんでもないよ」
生と死を操り孤独を紛わすことをやめた彼女は自身の拠り所を捨て外の世界へ旅立った。
それが、どのような手段で、理由があったかなんてこの際、関係ない。
そう考えると、村娘のネアとしての彼女と語り合った早朝の出来事を思い出す。彼女は知識だけを求めるのではなく、ようやく踏み出すことができたんだな、と思う。
生と死を操る少女はもうあの館にはいない。
村を守っていた娘もいない。
今、ここにいるのは―――、
「お調子者の使い魔、かな」
少し面倒くさくて、やかましいところがたまに傷だけどね。
使い魔としてのネアをフクロウにした理由は、単に見た目可愛いく、肩に乗っても違和感がないという理由でした。
補足としては、
第三章は邪龍の登場と、ネアというウサト達に欠けた部分を補うキャラが仲間になるまでの話を書かせていただきました。
ネアはサポートとチームの頭脳をこなせる便利キャラのような立ち位置です。ですが、肝心な所でドジッたり、世間知らず及び気分屋なところもあるので、中々残念なキャラですね。
第四章は『呪い』に主眼を置いた物語になる予定ですが、その前に二話ほど閑話を更新させていただきます。