第七十話
お待たせしました。
第七十話です。
書斎らしき部屋から出た僕達は館内の部屋を虱潰しに調べることにした。
虱潰しと言っても、立ち寄った部屋の前でアマコに部屋の中を予知してもらい、誰も居なければ次の部屋に行くという手短な方法だ。外に居るアルクさんの事を考えるといちいち部屋の中を探している状況でもないので、このような簡単な方法を取らせて貰った。
しかし、どこを探してもネクロマンサーは居ない。
三階の中央に位置する一際大きい広間をアマコが見た時、微かに彼女が動揺していたので、見つけた!? と思っていたのだが、結局はそこには居なかった。
「ウサト、さっきの部屋……」
「ん?」
「……ううん、なんでもない」
先程の大広間が気になっているのだろうか。
一応、僕も中を覗いたけどなんの変哲もないただ広いだけの部屋だったと思うけど。
なにやら思い悩んでいるアマコを横目に、今の状況について考える。
もしかしたらネクロマンサーは既に逃げているのかもしれない。どうやって気付かれたのかは分からないけど、あの書斎のつけっぱなしの魔道具からしてあの部屋には誰かが居て、そこに居た誰かは僕達が館に乗り込むと一目散に逃げだした。そう考えるのが自然だろう。
だが、既に居ないと判断するには早計なので捜索は続けるが……。
「後は……ここだけか」
場所は一階。
僕とアマコの視線の先には床に取りつけられている扉。地下扉、だったろうか? 恐らく地下へと通じているであろうその扉をしゃがみこみながら見た僕は、アマコの方を見やる。
「暗くて何も見えない。入っても、どこにも明かりは無い」
「……食糧庫か何かだったのかな? まあ、いいや開けてみよう」
リング型の金具を持ち、扉を開け放つ。
瞬間、埃とカビ、それとなんらかの異様な匂いが地下から押し上げられ僕の顔に纒わりつく。獣に近い匂いと言えばブルリンを思い浮かべられるけど、これは何というか腐臭と獣臭さとかび臭さを合わせた匂い。
つまり滅茶苦茶臭い。
「ゲホッ、何だこれ……なんかの剥製かなんか置いてあるのか? アマコ、大丈夫か?」
「大丈夫、少し臭うけど……」
外套の裾で口と鼻を抑えているアマコを見やりながら、開け放った扉の奥に視線を戻す。
見事なほどに真っ暗だ。傍目から見るだけじゃ、ただでさえ暗い屋内の僅かな光では、地下がどれだけ広いのか覗うことができない。
とりあえず、中を覗き込んでみるか。
中途半端に開いていた扉を最後まで開け放ち、床に手を掛けながら中を覗き込む。
地下は暗く、目をこらしても何も見えない。
だけど―――、
「何か、大きなものがある」
なんというか存在感というか気配みたいのを感じる。見えはしないけど、確かにそこにある。
そうだ。僕よりアマコに見て貰った方が良いんじゃないか? 彼女は僕よりも夜目が効く。
「アマコ、見てくれ。あ、予知じゃなくて普通にね」
こくりと頷いたアマコは僕と同じように暗闇の先を覗き込む。
さて、僕は朧気にしか感じとれなかったけど、アマコはどうか。恐らくその大きいものは何かしらの骨董品だと思うのだけど、それならこのかび臭さも納得できる。
と、考えつつ地下を覗き込むアマコを見ていた瞬間、不意に体を震わせた彼女は手を滑らせた。
「おぉい!?」
慌ててアマコの外套の襟元を猫のように摘み上げた僕は、脱力する彼女を地面へ下ろす。
何をやっているんだ、君らしくない。そう思い、話しかけようとすると彼女は突然腕に抱きついて来た。
今日は人に抱きつくのが流行っているの? とそんな的外れな事を思いながら皮肉の一つでも言ってやろうと考えたその時、僕はアマコの体が震えている事に気づく。
「アマコ、どうし……いや、何が見えた」
「……っ」
余程衝撃的なものだったのか。団服に頭を押し付けたまま無言を貫くアマコ。
彼女がこれほどまでに怯えるシロモノ。確認しておいた方がいいよな? 村の人達に危険が及ぶかもしれないし。
とりあえず、あの書斎の魔道具でも持って来れば明かりは確保できるだろう。アマコに腕を抱えられながら立ち上がろうすると、無言だった彼女が腕を掴む手に一層力を込め僕を止めた。
僕が何をしようとしているか、予知でみたのだろうか、その目は僕をなんとか止めようと必死になっているように見えた。
「ウサト……駄目……行っちゃ」
「いや、どちらにせよここを調べなくちゃ……」
「目が、合ったの」
……誰と?
この場合は何と、か。
「あれは生物じゃない。もっと別の恐ろしいもの。私、色々なものを見てきたつもりだったけど、あそこまで悍ましいものは見た事が無い。だから、行っちゃ……駄目」
「……分かったよ」
縋るような目で訴えかけてくるアマコに渋々従う。
早い内に確認すべきだろうけど、今のこの子を放って置く訳にはいかないな。
ゆっくりと地下扉を閉め彼女に向き直る。
「もう大丈夫だ……他の所を探そう」
「…………」
失敗だったな。
分からなかったとはいえ、結構衝撃的なものを見せてしまったようだ。いかに大人びた性格をしているとはいえアマコはまだ十四歳の少女。年相応に怖いものは怖いと思ってもしょうがない。
自身の不用意さに嫌気がさしつつも、立ち上がる。アマコも大分落ち着いたようで、僕の腕から手を離し立ち上がると、申し訳なさそうに謝ってきた。
「ごめん、我儘言って」
「気にしない。今更そんなことで怒るほど心の狭い人間じゃないよ」
「……いつもちっちゃいことで怒ってるくせに」
それは君が小生意気なことを言ってくるからだろうが。
口を尖らせそう言ってきた彼女に、ぎこちなく笑いかけながら意識をネクロマンサーの捜索に向ける。
「探せる部屋はもうほとんどない。あらかた確認し終えたら、アルクさん達と合流しよう」
ネクロマンサーは何処にいるんだ?
いや、そもそもネクロマンサーはここに存在しているのか? でも、この館の状況からして何者かが住んでいるのは確かだ。
ネクロマンサーが操るゾンビに苦しんでいた村の人達の話が嘘とも思えないし……。
全く、分からないことだらけだよ。
まいったとばかりに額を押さえながら、歩き出そうとした瞬間、僕はある事に気付く。
「……あれ?」
「どうしたの?」
「外の方から音が聞こえなくなってる?」
ゾンビ達の陽動をしてくれているアルクさんと村人たちの声が何時の間にか途絶えている。声はしょうがないとして、微かに聞こえていた戦闘音が聞こえなくなるのはおかしい。
ゾンビをあらかた始末することができたのか、それとも考えたくはないけどアルクさんと村の人達がゾンビ達にやられてしまったか……。
アマコも僕と同じことを考えたのか、厳しい表情を浮かべている。
「予定変更だ。アルクさん達の方に向かおう!」
「うん!」
小走りで出口の方へ走り出す僕達。
ネクロマンサーを探すことも重要だけど、仲間と村人達の方が大事だ!
入り口のドアノブに手を掛け、開け放とう―――としたその瞬間、僅かに空いた隙間から枯れ枝のような手が何本も差し込まれ、大量のゾンビ達が外から押し寄せてきた。
「チィ……ッ!!」
待ち伏せされていた!?
反応が間に合わなかったアマコの襟を掴み上げた僕は、即座に扉ごと押し込んできたゾンビの腹部に直蹴りを食らわせる。あまり威力が乗らなかったが、後ろの数体を巻き込んで倒すことに成功した。その隙に、アマコを抱えたまま、後ろに跳ぶ。
気付けば、館中からゾンビの叫び声が聞える。
どこに隠れていたのかは分からないけど―――、
「アマコ、少し揺れるぞ!!」
「わっ!?」
一先ず、ここから出ることが先だな。
アマコを小脇に抱えたまま、前と左右から襲い掛かってくるゾンビ達の手を避け、階段を駆け上がる。
幸い上の階にはそんなには潜んでいなかったようなので、階段を上がった先にある三階の大広間の扉を視界に入れそこに向かう。非常に値が張りそうな扉だが、んなこと知ったことではない、そのまま蹴破り中に飛び込む。
大広間は先程と変わらず閑散としており、ゾンビの姿は無い。
「追い込まれちゃったよ……ウサト」
ここは三階、逃げ場ない。
後ろからぞろぞろとゾンビ達が押し寄せる音が聞こえるから、今戻っても囲まれるのがオチだろう。
「ハァ―――」
「どうする? 私が予知してゾンビが少ないところを狙って脱出してみる?」
「その必要ないよ。それより、もっと手っ取り早い方法がある」
潜んでいたゾンビの配置からして、三階に行くようにわざと逃げ道を作ったような作為的な意図を感じる。だけど、まず三階程度の高さで僕が臆するわけない。
僕の師匠を誰だと思っている? 魔法を覚えて間もない僕を崖から放り投げる鬼畜外道なんだぞ?
「ククク、三階程度で追い詰めたと思うなよぉ……」
「……ちょっと待って」
おもむろに大広間の窓を大きく開け放った僕に、アマコが震えた声で口を開いた。
……フッ、やっぱり君も女の子という訳か、高い所が怖いなんて可愛い所もあるじゃないか。犬上先輩なら悶絶しているところだ。だけど、この状況で立ち止まっている余裕なんてないから、諦めろ。
流石に小脇に抱えたまま着地するわけにいかないので、アマコを背中と膝を両手で抱えるように持った僕は、窓から少し離れ助走をつける。
「心配するな。僕は君を離さない。絶対にだ」
「その、格好良く言っても駄目」
「行くぞ! アマコォ!! 舌を噛まないようになぁ!」
「聞いてよ」
助走をつけ勢いよく、三階の窓から飛び出す。
アマコが声にならない悲鳴をあげる。
眼下にはゾンビの姿は無く、そのまま館から十五mほど離れた地点に着地する。流石に二人分の重さを支えるのは無理があったのか、少し痺れる程度の衝撃が体を襲う。
「ふぅ……脱出成功」
即座に自身と腕の中にいるアマコに治癒魔法をかけながら周囲の安全を再度確認する。館の周囲とその周りの林にはゾンビの姿が見えない。
「ゾンビは、ほとんど館の中にいるようだ。今のうちに皆を探そう、立てる?」
「こわ、こわわわ……」
「…………かわいそうに」
余程ゾンビが怖かったんだね。うん、しょうがない。
錯乱するアマコを下ろして彼女と共に村がある道の方に歩く。
すると、林の近くで倒れ伏す人影を見つける。まさか、と思い急いで駆け寄ると、その人は僕達の知っている人だった。
「アルクさん!」
首元から少量の血を流し、死んだように眠るアルクさんがそこに居た。
「大丈夫ですか!?」
治癒魔法をかけ、全快状態にまで治しても起きる気配が無い。
声を掛ける度に何かにうなされるように呻いている。彼の首元の傷はなんだ? 既に治癒魔法で治っているが、まるで何かに噛まれていたように首元に穿たれた二つの傷。
アルクさんがこうなったのもこの傷が理由なのかもしれない。
彼に何があった。それに村の人達は何処に行ったのか?
「あの人たちは、逃げ出したのかもしれない。それで、アルクさんは一人で……」
「……」
苦々しい表情でそう呟いたアマコの言葉を否定できない。
逃げ出した、か。
一番考えられる可能性は、アルクさんが村の人達を逃がして一人で戦っていた。ゾンビにやられるような人ではないから、僕達の予想していなかった強敵が現れた。
しかし、これには―――、
「……!」
そこまで考えていると、近くの茂みががさりと音を立てる。ゾンビか!? と思い構えると、出てきたのは―――逃げたと思っていた村の人達だった。
村の人達の姿を見たアマコはすぐに僕の後ろへ隠れ、深く外套を被った。僕は状況を把握するために、村長さんに声を掛けることにした。
「村長さん!! 大丈夫でしたか!?」
「あ、ああ……それよりアルク殿は……」
「怪我は治しましたが、今のところはなんとも言えません。それより何があったんですか?」
そういうと、皆一様に表情を顰める。
村長が言うには、ゾンビ達を撃退している所に背後から別の魔物が襲ってきたという。その魔物はとても強く、村の人達が持っている武器では歯が立たないほど硬かったらしい。
村の人達の安全を優先したアルクさんは村長たちに逃げるように言い放ち、たった一人でその魔物と戦った……。
「……」
それは本当の話なのか?
アルクさんはリングル王国の城の門を任されていた人だ。
護ることに誇りを持っている彼が本気で戦うとなれば、自身の炎の魔法を惜しみなく使って村人を護ろうとするはずだ。だが周りを見れば、不自然なほどに争った跡が無い。彼がゾンビと戦う時に見せたあの炎の剣閃ならなおさらだ。
しかも、彼の首の傷は鎖骨側にある。その強い魔物が噛みついたのならば、彼は背後から噛みつかれたことになる。そうやすやすと彼が背後を取られるとは思えない。
「……ここは僕達に任せて先に村に戻ってください。アルクさんは僕が運びます」
「ウ、ウサト殿は……」
「まだネクロマンサーが見つかっていません。それにアルクさんを襲った魔物も近くをうろついているかもしれない。もしかしたら、村の方に……ということも考えられます。だから、貴方たちは先に戻ってください」
そう言い放つと、村長と村の人達は狼狽する。
それが村を襲われる心配か、それとも僕が予想外の行動を取ったからかは分からない。
……今僕がやるべきことはアルクさんとアマコを誰にも見つからない茂みに隠して、ネクロマンサーが居なかった場合に考えていた通りに、ゾンビ達が村に報復しに来ないように四肢を潰しにいくことだ。
気が進まないけど、やるべきことはしなくちゃならないからね。
「さ、早く村に戻って家族を安心させてきてください」
「………」
「ん?」
返事がない。
不審に思い振り返ろうとする。
しかし、その瞬間、胴体、腕、足が何かに縛り付けられたように固まる。
「…………ッ」
体が、動かない?
正確には首から下が動かなくなっている。
自分の体を見ると、紫色に光る黒い文様が体中に張り巡らされるように胴体、四肢に伸びている。その文様は僕の体を縛り付けるように流動し、団服のみならず履いている靴までを覆っていた。
何だ、これ。
こんなのいつの間に……?
「ッ! ウサト、どうしたの!?」
僕の異変に気付いたアマコが傍に近づいてくる。
だが、どういう訳か近くに居た村人の何人かが突然彼女に襲い掛かった。予知で即座に村人たちの手を避けたアマコだが、その表情は驚愕に変わっていた。
「この人たち、意識が無い!!」
「何? それじゃあ操られているってこと!?」
ネクロマンサーは死者しか操れない。
だが、村の人達も村長さんもちゃんと生きている人間のはずだ……?
『フフフ……』
「!!」
村長でも、村の人でもない笑い声。
声が聞こえた方向は、館の―――僕とアマコが飛び出した三階の大広間の窓。まるで最初から居たかのように、窓の縁に腰掛けている人影は、動けない僕と、村人に囲まれているアマコを見てあざ笑うように笑みを漏らしている。
その時、雲で遮られていた月の光が洋館全体を照らす。それに伴い館の窓に腰掛けている人影の姿が鮮明になる。
肩ほどまでに伸びた髪。
だが、僕の知っている彼女の茶髪は漆黒に塗り替えられ、その瞳も暗闇に怪しく光る赤色に変わり果てていた。
「ネア、さん……?」
「はぁい、ウサトさん」
ここに来るときと同じ服装のまま、雰囲気も何もかもが変わってしまった彼女に、僕は困惑を隠せずにいられなかった。
「……っ、何で君が……」
「見て分からない?」
洋館の三階に座っているネアさん。
その館は先程まで僕達がネクロマンサーを探していた場所だ。彼女がそこに座っているという事は、認めたくはないけど、彼女はこの事件を起こした犯人、又は犯人の一人と考えられる。
「君が、アルクさんをやったのか……?」
「フフフ、そう。でも思っていたよりも冷静ね? もっと慌てるかと思ったのに……」
慌てたいけど、体を訳の分からないモノで縛られてそれができないんだよ。
この状況はマズイ。村の人達の意識が無いとしたら、もしかしたら目の前のこの子に操られているのかもしれない。というより、操られてると見ても良い。
後ろの彼らの目がすごい虚ろだし……。
僕は斜め後ろにいるアマコに視線を向け、彼女にこの場を離れるように促す。
「……アマコ、逃げろ」
「でもっ、ウサトが……」
「何度も言わせるな! さっさとここから離れろ!! 僕とアルクさんが封じられて他にこの状況をなんとかできる奴がいるのか!?」
「ッ……分かった!!」
意図が伝わったのか、戸惑いながらも頷いたアマコはそのまま村の方へ走っていく。
操られている村人たちはその場を動かない。
横目で村人たちを見て、洋館の上で上機嫌に座っているネアさんに視線を移す。
「追わなくていいのか」
「んー、あの子は後でいい。獣人の子は興味あるけど、感知に優れていてもね」
そうか、ネアさん……ネアはアマコの魔法を知らないのか。
秘密にしておいて良かったな。もし興味を持たれていたらアマコが危険な目に遭っていたかもしれない。
「それで、僕に何をしたんだ?」
「ただ体の動きを封じただけよ。ゾンビと彼らではどう不意を打っても貴方を取り押さえるのが難しくてね」
そう言った彼女は自身の掌を自慢気に見せてくる。その手には僕の体に張り巡らされている文様と同じものが浮き上がり、怪しく光っている。
「これは拘束の呪術といって、作るのがとっても、とっっっても大変だけど時間をかけた分だけ対象を強く、硬く縛り付けるの。大変だったのよ? なにせ私が込められる限界ギリギリ…………時間にすると、六時間! それだけの時間を掛けて作ったんだから。まあ、貴方には私が何を言っているのか分からないでしょうけど」
フッと掌の魔術を消したネアは、そのまま軽やかに三階の窓から飛び降りる。飛び降りる最中、彼女は真っ黒なコウモリのような翼を背中から出現させ、軽やかに地面へ降り立った。
この時点でこの娘は普通ではないことを理解した。
それにしても、この体の文様は呪術、というより魔術の一種か。つけられたのはここに来る前に彼女に抱きつかれた時。
あのタイミングでおかしいとは思っていたけど……。
「成程、これが魔術ってやつか。聞いたとおりに使い勝手は悪そうだ」
「……何で知っているのよ?」
…………。
「書斎にこれみよがしに魔術の本が置いてあったし、それに、明かりだってついてたからてっきり……」
「……嘘、消し忘れてた?」
「え?」
「なんでもないわ。説明は不要のようね? そう、私は魔術を扱える魔物」
強かだけど、抜けている子だなぁ。
でも―――、
「よりにもよって、君が魔物か」
村では普通の女の子だった人が、魔物だったことにショックを隠せない。
いや、こうして目の前にまで歩み寄ってきた今でも人間にしか見えない。彼女はこちらの困惑を楽しむかのように可憐な笑みを浮かべ、自身を指差す。
「人と同じ見た目でも魔物はいるのよ? 数は少ないけどね」
「それじゃ、君がネクロマンサー……なのか?」
「半分正解。だって普通のネクロマンサーが生きている人間を操れる筈がないじゃない」
確かにそうだ。
だけど、ローズから渡された本に人を操る魔物なんか載っていない。
「私は半分ネクロマンサーで、もう半分は別の魔物なのよ」
「ハハハ、何だソレ。まさか首に噛みつくあたり吸血鬼とか言わないよね?」
「……」
「……ごめん」
笑顔のまま固まってしまったネアに申し訳ない気持ちになる。
まさか、本当に吸血鬼だとは思わなんだ。希少な魔物だから本にも載っていなかったという訳か。
ネクロマンサーと吸血鬼のハーフ。成程、僕の世界の空想上の吸血鬼とこの世界の吸血鬼の話が近いならば、血を吸った人間を操ったり、とてつもない怪力を持っていたり、なんらかの変身能力を有していたりするかもしれない。
今のところは人を操る能力を持っているということは分かる。
「フ、フフ……本当に貴方は変な人間。こうやって動きを封じていても、全然私を怖がっているようには見えない……」
「あまり持ち上げないでくれ、僕は大した人間じゃない」
恐怖に関してはそれ以上に恐ろしい存在と一つ屋根の下で暮らしていたから耐性がついているだけなんです。
しかし、僕の言葉の何がおかしいのかプッと噴出したネアは口元を抑え笑い出す。
「貴方が大した人間じゃない? それはないわ。だって純粋な身体能力だけで私のしもべを倒すなんて生半可なことじゃないわ。私のチャームもレジストしちゃうし、もう滅茶苦茶よ」
「……チャーム?」
「魅惑。私の吸血鬼としての能力よ。大抵の人はこれでコロッと落ちてデレデレになっちゃうのだけど……どういう精神しているの? 普通じゃ耐えられないはずなんだけど?」
僕のあの時のときめきはすべて君の能力だってこと?
というより、あの抱擁も僕の動きを止めるための魔術を付ける為のものだったんだな。
…………許せねぇ。
「ちょっと、なんで裏切られた時よりも怒っているの……」
純朴な気持ちを弄ばれればこうもなろう。
とにもかくにも、あの時からネアの自作自演が始まっていた。自分でゾンビを操って襲われる演技するとか大根役者か、この子は。
「……僕を一体どうするつもりだ」
「私の話し相手になってもらうわ」
「話し相手? 君の?」
え、血を吸うとか、僕を食料にするとかじゃなくてただ話し相手になって欲しいだけ?
……いや、そんな理由でここまで手の込んだことをするはずがない。何か別の意図があるはずだ。
僕の目の前で後ろ手を組んでいたネアは、手が届くくらいの距離にまで近づき、満面の笑みで僕を見上げる。
「言ったでしょう? 私は知識が欲しいの。紙でも本でもなく、人が人生という旅で培った記憶が知りたい。でも誰でもいいわけじゃない。私は貴方のことが知りたいの。貴方がどのような人生を送って、どのような試練を掻い潜って、どのような経緯でそんな人並はずれた力を手に入れたのか……」
「僕がそれを話すとは限らないぞ」
「話すわよ。だって私が話すように命令するんだから」
笑顔のまま牙を覗かせるネア。
僕をアルクさんと同じように噛んで、操る気か。それならこの村の人達も噛まれたという事か?
「待て、君は何時からこんなことを繰り返している」
「んー、二百年くらい前からかしら? 私が村の娘をやっているのもそれくらいだし……」
「……じゃあ、テトラさんは……」
「テトラ? あー、むしろ私があの子の親代わりみたいなものね。というより村に住む人全員が私の操り人形で、その記憶も感情も私の思いのまま。だから私に親がいないっていうのも嘘で、テトラが親代わりっていうのも真っ赤な嘘。 あの子は刷り込まれた記憶で私のことを娘同然に思っているのよ」
「……」
事もなげに言い放ったネアの言葉に唖然とする。
二百年、それならあの洋館にあった鎧の数も頷ける。その間に何者にも気づかれず……いや、気付かれたとしても記憶を操作され、あるいは隷属され、今みたいなことを幾度となく続けてきた。それがアルクさんから聞かされた噂の正体。
正気の沙汰ではない。
しかし、話が通じない訳ではないので、”時間稼ぎ”を含めて説得を試みる。
「……分かった。君の話し相手になろう」
「あら? こちらとしては操る必要が無いから手っ取り早くていいのだけど」
話し相手になるのは構わない。
けど、それは今じゃない。
「僕達の旅が終わってからじゃ駄目かな?」
「んー?」
「僕達は大事な使命を受けて旅をしている。それは昨日、君に話した通りこの大陸の未来の為のものだ。だから、それまで待っててくれ。なんだったら君の言う魔術で契約したっていい。僕は、君にまた会いに行く、と」
勿論、踏み倒す気満々である。
恐怖の大魔王、ローズと強面共を引き連れて訪れてやるわ。
しかし、僕の言葉をどう受け取ったのかは分からないが、頬を抑えてキャーとはしゃぎだした彼女は、胡散臭く頬を染める。
「私、そんな大胆な告白されたの初めて」
「告白じゃねぇ!?」
縛られて告白とか僕はドMかッ!?
こちらのツッコミにけらけらと笑うネア。
「でもだーめ。そんなに待てないわ。私は一刻も早く貴方の頭の中が知りたいのよ」
「……この大陸の危機が迫っているんだ」
「魔物の私には魔王なんて関係ないし」
「どうしても?」
「どうしても♪」
この女ァ。
「叩きのめすぞ小娘」
「え?」
「ん、なんでもない」
笑顔のまま素が出てしまった。幸い、聞き間違いと思ってくれたのか僕の顔を見て目を擦っている。どうあってもこの子は僕を解放する気はないようだ。
「……貴方が自分の意思で話してくれたら早く解放してあげられるかもしれないわよ? あ、勿論、血を吸う事を前提としているから、嘘をついていても私の暗示ですぐに分かるわ」
「大人しく従ったとして……どのくらいで解放してくれる?」
「うーん、私が興味を失ったとき?」
普通の人なら喜んで受ける提案だが、僕は異世界から召喚された人間だ。
この子に僕の話をする上で、どうあっても異世界の事を話さなくてはならない。この子にとって、未知は宝だ。異世界のことについて話したら、最悪一生僕は彼女に囚われることになる。
それだけはなんとしてでも避けなくては……。
「……他に道は?」
「どうして? 大人しく私に付き合ってくれれば早く解放してあげるのに?」
「……」
「答えられないのね」
団服の襟を掴まれ、引き寄せられる。
身長差のせいか、こちらを見上げたネアはその眼を好奇のモノに変え、視線を合わせてくる。彼女の言うチャームはかけられていないが、僕の内面を探るようにする彼女から目を背けられない。
「フフ、その『隠したいお話』を聞き出した後、正気に戻した貴方とのお茶会を楽しむとしましょう」
数秒か、はたまた数分か、体感にして異様に長く感じた視線の交錯の末、ネアは突然に妖艶な笑みを浮かべると、僕の背後へ回り両肩を掴み、身を寄せてきた。
まるで、物語で出てくるような吸血鬼が、人間から血を吸うときの姿のように―――、
「冗談じゃない……ッ!!」
力の限り、右腕に力を籠める。
腕の中がギチギチと音を立て、腕に電撃が走ったような痛みを感じる。
だがそれも治癒魔法で即座に治し、構わず動かすことを試みる。瞬間的に激痛と回復を何度も繰り返す毎に、次第に右腕に走る文様の束縛が鈍り、徐々に罅割れ壊れていく。
行ける―――ッ!! まだ自由に動かせるわけじゃないけど、なんとか右手を彼女が噛もうとしている首筋に当て、手を噛ませる。
手の甲に彼女の牙が刺され、血が抜かれるが僕の体に異常は無い。どうやら人間を操るには首に噛みつくことが条件のようだ。
「うふぇ!? なぁむで!?」
「そう簡単に噛ませてやるほど、僕は甘くないんでねぇ!!」
「く……」
噛みついた僕の手から口を離し、後方に退くネア。
力技で魔術が壊せると思わなかったけどやってみるもんだな。右腕と同じように両足の拘束も壊す。
「やっぱり鍛えた体は僕を裏切らないものだね……ッ!!」
「力技で……? 嘘でしょ!?」
口の端から血を垂らし呆然と見てくるネアを余所に、僕はその足をアルクさんの方へ向ける。
とりあえずこのまま逃げなくては、もう助けなんて待っていられない。まだ拘束の呪術は発動しているけど、両足が少しでも動ければ前に進める。
「逃がす訳ないでしょう!! 捕まえて!!」
アルクさんの元へ向かう僕に、ネアが操った村の人達が跳びかかってきた。満足に動けない今では反撃も回避も無理、そのまましがみつかれるが、歯を食いしばり村人ごと引き摺って行く。
体を縛られていても、怪我人を運ぶ救命団の僕にそんなしがみつきが通用すると思っているのか。この程度の重さ、何度も何度も経験しているわ。
でも、これ以上はきついかも……。
内心弱音を吐いていると僕の目の前に居たアルクさんが起き上がった。
「アルクさん!! 気が付いたんですね!! ちょっと助……け……」
「…………」
「あー、もしかして操られちゃってますか?」
返答は僕の胴体へのタックルであった。
マズイマズイマズイッ!! 肝心のアルクさんがネアの手に落ちているなら、僕達はここを離れられない。いや、それを抜きにしても僕がこの状況をなんとかできないことにはどうしようもない。
『『『グギャ―――!!』』』
「げ……」
しかもゾンビまでもが館からぞろぞろと集まってきた。
流石にゾンビに取り押さえられたら終わりだ。
万事休す、そんな言葉が頭によぎったその瞬間―――、
「グルォォォォォォォ!!」
獰猛な獣を思わせる咆哮が周囲に響き渡った。
その声に困惑するネアだが、僕にはその声の主が分かっていた。
「ようやく、連れて来てくれたか……」
僕とアルクさんが動けなくなった今、アイツだけがこの状況をなんとかできる強さを持っている。それを理解したからこそ、アマコは僕を置いてアイツを呼びに行った。
足音は既に近くまでに来ている。
ならば、僕が言うべきことは決まっている。
「ブルリン!! 僕ごとやれェ――――!!」
「グルアァァァァァァァ!!」
力強い咆哮と共に現れたのは、青色の魔獣、ブルーグリズリーことブルリン。その背には彼を呼んだアマコが乗せられている。
僕の声が聞こえたのか、ブルリンは一切減速することなく村人に取り押さえられている僕に力の限りの体当たりをかました。
ブルリンの強烈な体当たりに、アルクさんを含めた村人達と僕は大きく吹っ飛ぶ―――が、地面に落ちる直前に事前に着地点にまで移動したブルリンの背に落ちる。
うつぶせに落ちた僕はアマコに支えられながら、とぎれとぎれに二人に感謝する。
「流石は、僕の相棒だ。アマコも……ありがとう」
「グァー」
当然だ、と言わんばかりに一声鳴くブルリンに嬉しさのあまり笑みがこぼれる。
「それより、早くここを離れよう」
「でも……」
アルクさんが―――、そう言葉にしようとして止める。
今はアルクさんを助けられない。アマコもそれを分かっているのか、必死に感情を表に出さないように唇を噛み締めている。
今は助けられない、けど。絶対に助け出して見せる。
僕はブルリンの背に乗せられたまま首だけを動かし、こちらを呆然と見ているネアを見て宣言する。
「明日の夜、仲間を取り返しに行く……それまでアルクさんを預けとくぞ。ネア」
途端に僕を睨み付けるネアにそう言い放つと、ブルリンは館に背を向け走っていく。
ネクロマンサーによって危機に陥った村。
それは仮初の姿であり、その正体はネアという魔物の知識欲を満たす為の庭だった。
ネクロマンサーと吸血鬼の混血種、その二つの血と能力を持っている強敵と僕達は―――闘わなくてはならない。
拘束の呪術は体の動きを制限する魔術です。
ウサト用に作ったものはネアが六時間かけて魔力を編み込んだものなので、生半可な力では破ることはできない程の拘束力を持っていました。