第六十一話
お待たせしました。
二話ほど連続で更新致します。
「姉ちゃん、ウサトがまた何かやらかしているらしいぜ?」
今日の学校の終わりにキョウがそんなことを言ってきた。
こちらの反応としては「またか……」と表情を微妙なものにするしかないのだけど、一体今度は何をやらかしたんだ?あのトンデモ治癒魔法使いは……。
「確か朝もナックが居ないとか言って騒いでいたけど……それと関係あるの?」
「分からん。でも小耳に聞いた話じゃあ、かなりキレてるってよ」
「キレてる……?ウサトが?」
怖い顔はするが、怒っているという顔は何故か想像できない。ま、訓練場を借りて訓練している筈だから、様子見も兼ねて見に行ってみるか。ブルーグリズリーを背負って走るウサトを一度見たのでもう驚きはしないだろう。
気だるげながらも荷物を纏め、ウサト達の居るであろう訓練場の方へ移動する。
それほど遠くも無いのでこれといった会話も無く進んでいくと、道行く学生達が皆一様に表情を複雑なものにしてすれ違っていく事に気付く。
「……?」
疑問には思うが、それほど気にする事でもないのでそのまま歩みを進める。
ほどなくして訓練場の入り口に到着する。入り口付近には結構な数の学生達がおり、皆一様に何かに注目しているのか訓練場の中心を見ている。
とりあえずウサト達を探そうかな、と考えたあたしがキョロキョロと周りを見渡すと入り口近くの木陰に座り込む見覚えのある外套を被った金髪の少女、アマコを見つける。
声をかけようとするも、彼女の顔を見て絶句する。
どこか悟りきった遠くを見るような瞳。何時もとは違った空虚さの感じられるその目に大きな違和感を抱いたあたしは思わず首を傾げていると、後ろからついてきていたキョウがトントンと肩を叩く。
「ね、姉ちゃん……」
「ん、どうしたの」
「あれ……?」
何故か顔面蒼白になったキョウが指を震わして訓練場の方を指さしている。何だ?と思いつつそちらの方を向き絶句する。
「……え」
奇しくも一昨日と同じ反応。
しかし、今度ばかりはその威力が違った。
何せ――――ウサトが、あのウサトが倒れ伏すナックの背を踏みつけながら凄惨な笑みを浮かべていたのだから。
「……で、それで真面目に走っているつもりなの?君はそれで一人前の治癒魔法使いになれると思っているのかな?さ、まだ走れるよね?……早く起きろよノロマ。君が無様に倒れている間にどれだけの時間が無駄にされているか分かっているのか」
「は、はひっ……はいぃ」
サッ、治癒魔法の光が薄く纏われた足をナックの背からどけた少年、ウサトは今度はつま先でナックを小突き起きる様に促している。その悦に浸るような笑みと倒れた者さえ罵倒する彼は、昨日のまだ温厚とさえ思えた彼とは別人に思えるほど違っていた。
呻き声と共に起き上がったナックは涙ながらにウサトに促された通りに走り出す。そんな彼をウサトは背後から突き刺さんばかりに睨みつけている。
その様相は筆舌しがたいものがあり、ギリギリと歯軋りしながら苛立たしげにつま先で地面を叩き、唇の隙間から獣のように歯を覗かせ、目を鷹のようにギラギラとぎょろつかせている。
そんな彼の異常事態に勿論あたしは混乱した。
「え……えええ?ちょ、ちょっと、あれ誰?」
「姉ちゃん、信じられねぇけど……ウサトだ」
あれが?どっかのオーガが学園に潜り込んだんじゃないの?
だって面影ほとんどないじゃん!いや、姿は同じだけど中身がごっそり入れ替わってんじゃん!!二日前より驚いたわ!朝から今までで何があったの!?少なくとも朝見た時は普通だったよね!?
目の前の人物が本当にウサトと信じられないまま、混乱していると表情をさらに恐ろしくしたウサトが直立した状態のまま、目にも止まらぬ速さでその場から跳躍する。
咄嗟に目で追うと、跳躍した彼は走るナックの背後に移動し、涙ながらに走る彼の背を足の平で押すように軽く蹴り飛ばし………って、えぇ!?
「うぐぁ!?」
「駄目じゃないか、ナック。ちゃんと治癒魔法を練らないと」
倒れた彼を冷めた目で見下ろしたウサトは、ガシリとナックの頭を鷲掴みにして無理やり自分に向かせた。
「言ったよね、魔力を意識しろって?それが何だ、ちょっと小突かれた程度で解ける程度の集中力で……真面目にやっているんだよね?真面目にやってんなら少しくらい君の本気を見せてほしいもんだなぁ、ナック」
「……でも……な、慣れてないから……」
「ん?もう二日経っているんだよ?―――そんなことが理由になると思っているの?君は僕と違って魔法を覚えている状態からスタートしているんだからもっと早くできる筈だよね。昨日の僕なら許していると思うけど、今日は違う。僕が君から求めているのは『出来ない』って言葉じゃないんだよ」
口調は何時ものように温厚なものだけどその声色は身が震えるほどに冷たい。
見ているこっちも背筋が凍ってきそうな底冷えするような威圧感を放っている。ぶるぶる体を震わせ目を逸らすナックにニコリと笑みを浮かべたウサトは、頭を掴んだ手で無理やりナックと視線を合わせる。
「確か君は言ったよね。あのクソ生意気な小娘をぶっ飛ばして今までの借り全部を返したいって」
「そ、そこまで言っては……」
「あ?」
「い、言いました!!ミーナ超ぶっ飛ばしたいです!ボコボコにしてやりたいでぇす!!」
頭を鷲掴みにされたまま上擦った声でそう返すナック。
会話の内容が物騒過ぎて、矛先の有無に関わらず戦慄する。もしミーナがこの光景を見ていたらと思うほど、流石に彼女でも同情せざる得ない壮絶な光景だった。
事実、此処に訓練目的で集まった学生達も皆口々に言葉を失い、ウサトとナックを見ている。
「そうかそうか、でもね。君は本当に真面目にやっているのかな?僕から見ても君は頑張っているよ?でもね、僕の訓練では頑張ることはあまり必要じゃないんだ」
ウサトの言葉に訳が分からないと言わんばかりの表情を浮かべるナック。
あたし自身彼の言おうとしている事が理解できない。頑張ることが必要じゃないとはどういう意味なんだ?
「頑張るという言葉は僕も嫌いじゃないよ。でもね、そういうのじゃないんだよ。頑張るとかそういう気持ちができるような訓練じゃ駄目なんだ。そういうのは治癒魔法使いの訓練では邪魔だ。ただ苦しくてつらいだけの訓練に何を頑張るんだ?ただ嫌気が差すだけだろう?自分を支える為だけの抽象的な言葉に頼るほど無駄な事はない。だから訓練を終えた達成感も、充実感も、労いの言葉も、何も要らない、あるのはただ治癒魔法の恩恵によって得られた成果のみだ」
早口でそう言いきったウサト。
成程、つまり何も考えずただただ訓練に励む人形になれと言っているようなものか……。途中経過で得られるものを全て切り捨て、その鍛錬の全てを自身の力のもととする、かなり……いや、凄く効率的で恐ろしい考え方だと素直に思う。
けど、そんな訓練を続けていたら確実に逃げ出してしまうだろう。少なくともあたしは逃げる。ここに居る学生全員がそう感じるに違いないだろう。
「頑張るじゃないんだよ。そんな気持ちも抱けない程出し切れよ?全力でやらないで治癒魔法使い舐めてんのか?やってることは簡単だろ、集中力を絶やさずに走るだけでいいんだよ。慣れも何もねぇだろ、それとも僕は右見ながら左見ろみてぇな無茶でも言ってんのか?慣れてないから無理とかつまらねぇ言い訳考えている暇があるなら走れよ」
「くっ、うぅ…………」
「僕は君を強くする。その過程で君がどれだけ傷つこうとできるだけ治していくつもりだ。でも、君がそういう中途半端な結果だけを求める気持ちで挑むなら―――僕は君に対して厳しくするのはやめよう。中途半端な君に力を貸している僕自身が馬鹿みたいだからね」
「がぅ……違う……ッ、中途半端、なんかじゃ、ない!」
「なら全力でやれ。力も無い、耐久力も無い、反射神経も並以下の君が現状できることは決まっている。できることをやれ、できなくてもやれ。君だけじゃ無理なら一緒になんとかしてやる」
掴んだ頭を乱暴に離し、中腰の状態からゆっくりと体を起こしナックを見下ろす。その表情はこちらからは全く見えないけど、彼を見上げるナックの表情を見るからには相当な形相をしているに違いない。
「さあ、立て。ここで立たないと君は本当の意味で出来損ないになる」
ナック、多分あんたは折れてもいいと思う。
ウサトの示した訓練はいわば自分を顧みない危険極まりない訓練だ。治癒魔法のおかげで体が大丈夫でも精神が耐えられるはずがない。
むしろそれを乗り越えているであろうウサトがおかしいんだ。
しかしそんなこちらの考えとは違い、ナックは目に滲んだ涙を乱暴に拭い去ると恐い目つきをさらに鋭くさせウサトを睨み返した。
「!……やって、やります……やればいいんでしょう……ッ」
ナックは歯をきつく食い縛りウサトの手を振り払うと、よろけそうになりながらも走り出した。
危なげに走ってはいるものの微弱ではあるがゆらゆらとした緑色のオーラが体に纏われていることから、ウサトの言う集中ができていることになる。
昨日とは明らかに訓練に臨む姿勢が違う……。
「くっ……くぅぅぅぅわああああああ!!」
必死。
これほど今の彼を表す最適な言葉はないだろう。
そんな彼の背中を腕を組み睨みつけていたウサトは、ほっと息を吐くと何時もの優しげな顔に戻り安心したような笑みを浮かべた。
感動的な場面に思えるが見ているあたし達からすれば訳の分からないまま、状況が解決したようなものだ。
「フ、随分と懐かしい光景だな……」
「!……先生」
困惑と衝撃から未だに抜け出せないあたし達の近くに長身の女性、カーラ先生が姿を現す。あたし達のクラスを担当している魔法の教師、少々性格に難がある彼女だが、獣人と人間を平等に扱う稀有な先生なので此処に通っている同族からは一目置かれている人間。
そんな人が嬉しそうな薄ら笑いを浮かべているけど、ウサトがこうなってしまった理由を知っているのか……?
疑問に思い彼女の方を見ていると、その視線に気づいたのか先生がこちらを向いてくる。
「む、キリハにキョウか……そうか、そういえばお前達はウサトを泊めていた件の二人だったな」
「……はい」
ウサトがうちの寮に寝泊まりしていることを知っている事についてはあまりおかしいことは無い。
問題は……そのことについて先生がどんな風に思っているか。思わず身構えてしまったあたしに先生は微笑を浮かべる。
「そんなに警戒せずとも何もしはしないさ。他はともかく私は別段おかしいことだとは思いはしないからな」
「……ウサトは人間で俺達は獣人だぜ?他人から見たら相当おかしいじゃねぇか」
「君達は彼を住処に泊めることを嫌がってはいないんだろう?それで彼がどんな接し方をしているのかが大体わかる。初めてだろ、ああいう人間は」
何も言い返せない。
確かにウサトとスズネみたいな滅茶苦茶な人間は今まで居なかった。キョウはウサトという存在に慣れつつあるけど、あたしは未だに心に引っかかる何かがある。悪い感情ではないのは確かだけど、何かもどかしい思いである事は確かだ。
複雑な思いに苛まれ表情を歪めていると、先生が再びウサトの方を向いていた。
「あれは演技だろう。手と脚が出る分彼の師匠の方がより鬼畜だ。だがそれを差し引いても彼女を思い起こさせるには十分な程の風貌だ。全く……似ていないようで似ている師弟で見ているこっちが嬉しくなるな……」
「え、演技……?あれはわざとってこと?」
しかもさりげなくとんでもないことを言ったぞこの人。
鬼のような形相で空気を震わさんばかりに響く罵倒を吐き出しているあのウサトよりも凄い人って、一日目の訓練の時に言っていた無茶な訓練を課した人のこと、だよね?
……もう、あたしの中のウサトの師匠の姿が人間じゃない。
「ああでもしないと短期間での強化は無理だからな。実際、昨日の彼の訓練は優しすぎた。何があったかは知らないが、ようやく治癒魔法使いらしい訓練になってきたんじゃないか?リングル王国に居た時は見慣れていた光景だが……今このルクヴィスで見ることになるとは、なんとも感慨深いものだ」
「うわぁ……」
彼女の言う治癒魔法使いらしい訓練と、あたし達が知っている治癒魔法使いらしい訓練は明らかに食い違っていると思う。
「どちらにせよ今日を含めての三日間、彼にとって実りのあるものになることには違いない。ま、多少性格が矯正されることは避けられないだろうがな。はははは」
冗談めかすようにそう言い快活に笑う先生。
こうして目の前で壮絶な訓練を見せられれば思わず納得してしまいそうな冗談だ。自分と同じように冗談を冗談と受け取れず引いているキョウにほっと笑みを漏らしつつも沈みかけた夕日に目を移す。
「そろそろ帰るか……ウサト達の方はまだまだかかりそうだし」
「んじゃ俺はサツキを迎えに行くわ」
「頼んだよ」
ウサトの訓練を見に来たのはいいけど思ったよりも時間をかけてしまった。まだ見ていたい気持ちはあるけど、そろそろ帰ろう。
サツキの迎えはキョウに任せて……アマコは、あの放心した様子じゃウサトとナックと帰ったほうがいいか。一応、先生に軽く頭を下げこの場を去る。
「ちんたら走ってんじゃねぇ!全力で走れ!!」
「あ”ぁい!!」
「……今日の夕飯は多めに作っておこう」
なんとなくだけど、死にもの狂いで走るナックを見てそう思った。
結局、ウサトとナック、アマコが帰ってきたのは帰ったあたしが夕食を作り終えたすぐ後のことだった。その時には既にキョウもサツキも帰ってきており、必然的に六人での夕食となった。
なのだが……。
「うぐ、うぉ……美味い……ぁぐ……俺、生きているんだ……」
「ナ、ナック……何も泣きながら食べることないじゃないか」
ウサトに担がれながらも帰ってきたナックは、目が覚めるとすぐに用意した夕食を口に運び出した。涙と鼻水を流しスープをかきこんでいる彼に喜んでいいのか注意すべきなのか複雑な思いにかられていると、彼の対面に座っているウサトが微笑ましいと言わんばかりの笑みを浮かべている。
「ははは、大袈裟だなぁナック」
「いやいや、お前のせいだからな?てかお前訓練の時と全然性格違うじゃねぇか」
「あれは僕の師匠をイメージしてなりきっていたからね。わざとっぽかったでしょ?」
「わざとじゃねぇだろ!嬉々としてやってたろお前!」
「し、失礼な!僕をあんなサディストと一緒にしないでほしいな!!アマコ!キョウに言ってやってくれ!君は団長にあったことあるでしょ!?」
「カエルの子はカエルだね」
「おいそれどういう意味だ」
「獣人の言葉だよ!意味は血は争えない、みたいな感じ!!」
「ありがとうサツキ。でもね、そういう意味で聞いたわけじゃないんだ。なんでアマコが僕にそう言ったのかの意味をだな……」
「え、そっち?ならウサトの師匠はオーガみたいな人なんだね」
「……ちょっと今までの話の流れからすると訓練の時の僕がオーガに見えていたみたいな言い方はやめよう。ね?」
「違わねぇ、お前はオーガだ」
「うん、オーガだね」
「キョウ、ちょっと表に出ようか」
「何で俺だけなんだよ!!」
ギャーギャーワーワーと賑やかな食卓。その最中、騒音にも耳を貸さず一心不乱に料理を口に運んでいるナックに、あたしはため息を吐きながらも手に持った掬いを置き気になったことを聞いてみる。
「ナックは大丈夫なの?」
「うぐっ……大丈夫、とは?」
「あんなにしごかれたんだからウサトが怖くないのかなって」
あそこまでの訓練を受けて嫌気がささないのだろうか。
あたしの言葉に少し目を見開いたナックは悩みつつもこちらに向き直り口を開く。
「確かに怖いですけど、それも俺自身が望んだことですから」
「……そっか」
ナックもナックなりに考えているんだな。
しかも、目つきが明らかに最初にあった時とは違う強いものへと変わっている。
恐らく朝から昼までの間で何かあったんだろう。
「それに訓練の時のウサトさんと今のウサトさんは別人と考えています」
「ああ、そう……」
なんだろ、今一気にナックの瞳から光が消えうせたような気がしたのだけど。
光のない瞳のままカラカラと乾いた笑みを浮かべたナックに頬を引き攣らせていると、他の三人と戯れていたウサトが何かを思い出したようにあたしと話すナックの方に顔を向けた。
「あ、そうだ。ナック、一応君に渡しておくものがあるんだ」
「渡しておくもの?……訓練に関するものですか?」
「んー、同じようなものだね。もしかしたら必要ないものかもしれないけど一応受け取っておいて」
そう言ってポケットから紙の束……いや、手帳を取り出しナックに差し出した。
「……これ、何に使うんですか?」
「日記だよ。できれば今日から書くことをオススメするけど嫌なら書かなくてもいいよ」
「へぇ、治癒魔法使いの訓練ってのは日記なんてものを書かされるのか。あれか?自分の成長している記録を書き記す、みたいな感じ?」
「ははは、そんなカッコいいものじゃないよ。言うなれば厳しい訓練を乗り越えるコツみたいなものだよ。僕もね、団長にやれって言われて続けていたけど……日記のおかげで自分を見失わずに訓練を続ける事が出来たなぁ」
「?……自分を見失わない?」
「なんの為に日記を書くんですか?ウサトさん」
日記って自分のことに書き記す為の物だった筈だけど何だ自分を見失わずって。
「訪れるであろう訓練から現実逃避する為だよ。ま、二日しかないナックには必要ないかもしれないけどね」
「……」
それは日記じゃない……。
何か他の言葉に言い換えられないけど、断言する。それは日記であって日記じゃないよッ……ウサト。
貰った日記帳を困惑したように見つめているナック。
困惑する彼を余所に懐かしむように物思いに耽っているウサト。
そんな凸凹とさえ思える師弟関係を築いた二人を見て、あたしは明日ナックに施されるであろう訓練に一抹の不安を抱いた。
その後、騒がしくも賑やかな夕食は終わりを迎えた。
各々が部屋に戻って自由に過ごしている中、あたしは夕食の片づけを手早く終わらせて明日の朝食の分の確認と準備を行っていた。何分料理ができるのがあたししかいないせいか、この寮の食糧事情は全てあたしが担っていると言ってもいいだろう。
だから少しでも注意を怠れば一食抜くという恐ろしい事態になりかねないし、食材を買うお金も限られているからその辺の工面にも注意をしなければならない。
まあ、お金に関しては懇意にしてもらっている亜人が経営している店でキョウと共に入れ替わりで働いているからそれほど問題ではなく大丈夫なのだけど。
「……よしできた。……う、う~~ん」
明日の準備を終えゆっくりと背伸びをする。
さて、この後どうしようか。部屋に戻って勉強するのもいいし、明日も早い事だしさっさと水浴びでもすませて寝てしまおうか。
欠伸をしながら台所のある場所からテーブルが並ぶ居間の方へ出る。
「誰もいない……か」
皆自分の部屋へ行ってしまったから誰も居ないのは当然か。そういえばナックが部屋に戻る時にあの日記帳を持って行ってたな。
折角ウサトから貰ったものだし、ちゃんと書くのだろうか。目つきの悪さに反して変に几帳面だから律儀に書きそうだ。
そんなことを思い苦笑しながら、着替えを取りに自室のある方へ向かう。
「……外に誰かいるのか……?」
パァンッと何かが破裂したような音が聞こえ外へ通じる扉の方を向く。
……盗人か?でもわざわざこんな場所に盗みに来る奴なんて今までいなかったし、盗む価値のあるものなんてほとんどないぞ。壁に掛けてある籠手を右腕だけに取りつけつつ、扉に手を掛けゆっくりと開き間から覗き込む。
月の光しか明りが無い外の空間に一つの人影が見える。
「……?」
見えた怪しい人影にグッと籠手を着けた右腕を構える。
しかし、徐々に暗さに目が慣れていくとその人影の姿が露わになり、その人影の正体に思わず脱力してしまった。
「なんだ……ウサトか……」
「ん?あれ、キリハじゃないか。どうしたの?」
脱力し扉を開け放ったこちらに気付いたのか、こちらを向いたウサトが首を傾げる。本当はこっちの台詞なんだけど……盗人じゃなくて良かった。
もう、無用な心配をさせないで欲しいよ全く。
「外で物音がしたら気になるのは当然じゃないか。そっちこそ何をしていたんだ?」
「僕はちょっと魔法の練習をしていたんだ」
「こんな遅くに?」
何時ものウサトならナック共々寝ている時間の筈だけど。
「明日の訓練で使おうかなって思ったから今の内に軽く練習しておこうかなーって」
「治癒魔法を?もう使っていたじゃないか」
ナックを走らせている時とか、彼が気絶した時にとか。
あたしの言葉にフッと何故か自信満々な笑みを浮かべた彼はおもむろに右手を掲げ魔力を練り始めた。緑色の魔力が手から溢れ出し、球体へと形作られ彼の手に収まる。明らかにウサトがハルファと戦っていた時に使っていた纏うような魔法ではなく、あたしやキョウに似た放つ形の魔法……。
と、すればウサトは治癒魔法を魔力弾として放つ練習をしていたのか。
ほー、と納得しているとウサトはおもむろに手の中にある魔力弾を握りしめ上半身を捻じり振りかぶり―――。
「ふぅんッ!!」
「……投げっ……て、えぇ!?」
どういう魔力弾の飛ばし方!?
出鱈目すぎる方法で飛ばされた魔力弾は、彼の正面にある木箱に勢いよく激突し先程聞いた破裂音を響かせそのまま四散してしまった。
唖然としながら魔力弾が激突した箇所を見ているあたしを見て何故か誇らしげな表情のウサト。話を聞けば魔力を放つ才能が皆無だったから、力技でなんとかした結果あんな出鱈目な事になってしまったらしい。
魔法って力技でなんとかするものじゃないんだけどなぁ……。
「丁度良い。キリハ、ちょっとそこに立ってくれ。効果があるかどうか試してみるから」
「い、嫌だよ!?だって明らかに物理的な威力が籠ってるじゃないか!」
「治癒魔法だから大丈夫だ」
「治癒魔法だからってあんな剛速球受けられる筈ないじゃん!?どんな超パワーで投げたらあんな飛び方するんだ?!」
「まあ……腕力としか」
やっぱり化物なんじゃないのかこの男は……。
能天気な顔してとんでもないことをしでかすから驚くことに事欠かないよ。
「はぁー、アンタが来てから驚いてばっかりだよ……」
「驚いてばかりって……驚かれる事ばかりしてましたね」
最初に会った時はともかくハルファとの戦いの時も、ナックとの訓練との時も、アマコを連れて此処まで来た時も予想だにしない行動をこいつはしてきた。
何をするか分からない、か。
……。
「人間ってのは皆冷たい奴ばっかりだと思ってたよ」
ただ人とは違う耳と尻尾が生えているというだけで人間として見られない。
あのハルファだって、区別する基準が獣人か人間ではなく強いか弱いかなのであまり変わらないし、今、ウサトみたいな人間と人間がするような話し合いをするのが今でも信じられないくらいだ。
「僕としては普通に接していたつもりなんだけど……」
「普通に接することができるからおかしいのさ。大体の人にとっては獣人なんて人間じゃないらしいからね」
「……そうは思わないけどなぁ」
「この都市、いやこの世界の常識がそれさ。逆に何でウサトはあたし達とそんな風に話せるかが不思議だよ」
困ったように表情を渋める彼を見て、しまったと思う。
彼は何も悪くない。慌てて取り繕うように謝罪の言葉を言おうとすると、こちらが口を開く前に先程魔力弾を当てた木箱を起こし、その上に座ったウサトが懐かしむように言葉を挟んだ。
「この世界の常識か……でも僕はこの世界の人間じゃ無いから関係ないんだよね」
「……はぁ!?」
あまりにも非現実的な言葉に呆けた声を出してしまった。
「勇者召喚って言ってね、リングル王国に呼び出された二人の勇者に巻き込まれて呼び出されちゃったのが僕って訳さ」
「勇者って……本当に物語通りの勇者だったってこと!?」
「?……他に何があるの?」
他に何がって……戦いで武勲を上げた者や国の王が直々に選び出した者等が勇者の名に相応しい者として崇められるというのが、ここ数百年の人間の慣習のようなものだったはずだ。少なくともうちの学生はそう思っている。
今でも極僅かだが、勇者と言う『称号』を持つ者達は居る。だがそれらは正真正銘の勇者ではなくあくまで称号を冠するものでしかない。
しかし、ウサトが言っている勇者―――イヌカミとカズキは何百年も前に魔王を封印し、たった一人で魔族の軍勢を蹴散らした勇者と同じ、異世界から召喚された正真正銘の勇者。それにウサト自身、勇者と同じ世界の生まれ、だとすれば彼の尋常ならざる力もなんだか納得できる。
「異世界からやってきた勇者に巻き込まれたか、成程……アンタの強さにも納得がいったよ」
「ははは、僕は違うよ。普通の人より少しだけ魔力が多いだけだし、今の僕があるのは鍛錬の成果ってやつだよ」
「それはそれで問題だと思う」
特別な才能が無いのに、勇者に見劣りしない実力を持っているのが恐ろしいわ。
よく考えれば、物理攻撃しか攻撃手段を持たないウサトと、強力な系統魔法を持っている勇者と比べること自体可笑しいのだけど、考えずにはいられない。
「話が逸れたね。ま、ようする僕が言いたいのは、違う世界から来た僕にはこの世界の差別も分からないってことだね。というか、元居た世界には魔物も亜人も居ないからね、むしろ君達みたいな存在が珍しいのさ」
「……ならなおさら、怖いんじゃないか?あたしの事が……」
亜人も魔物も居ない事も驚きだけど、そうだったらむしろ初めて見る亜人であるあたしやアマコの事を気持ち悪がったりするものじゃないのだろうか。
「怖いもんか」
しかしウサトはこちらの言葉を一蹴する。
「あたし達は耳も普通じゃないし、人間には生えていない尻尾もある。それに目も鼻も人間の何倍も優れているし……腕力に至っては大岩に大きな罅をいれるくらい強い」
「僕だってそんくらい粉々に出来る」
え、粉々とは言っては無いのだけど……?。
いやいや押されちゃ駄目だ。
「どうみても人間と言うより魔物みたいだろう……!!実際に人語を話す魔物も居る!!どんなに人の形をしていても、決定的に違っているんだよ!あたし達は!!」
「じゃあ僕もオーガだな。だって君の言ったとおりだと人間と違う部分持ってたらそれだけで魔物みたいな感じだし」
「アンタはオーガみたいに化物……怪物染みてるけど、人間だろ」
「今、怪物と言い直したのが凄い気になるけど、まあそこは置いといて……」
ピクリと眉を動かしつつも、腕を組んだウサトはこちらに体を向ける。
「正直な話、君の言う人間とか獣人とかはどうでもいい。だから君の言う挙げてもキリの無い間違い探しみたいな問答に意味を見出せないし、何度その問答を繰り返しても僕の認識は変わらない」
何と言ってもウサトからは悪い感情すら感じない。
彼は最初に会った時から関係なく、温厚なままの笑みを浮かべた。
「僕にとって、君は耳と尻尾の生えたコスプレ女子に他ならない」
「は?こすぷれ?」
「……ちょっと犬上先輩の悪い所が移ってしまった……さっきの言葉は忘れて……」
「?……まあ、いいけど」
「……コホン。キリハ、君が何やら悩みを抱えている事はなんとなく察した。でもあえて言おう、僕にとっては人間も獣人も魔族も変わりはない。そもそもが認識からこの世界の人達とはズレているし、合わせる必要も無いと思っている。君の怖いかという質問に犬上先輩ならこう答えているだろう『怖い?愚問だねっ!むしろ興奮間違いなしさ!!』と」
「……フッ、フフ……何だそれ、イヌカミのマネのつもり?」
「絶対に本人には言わないでよ。あの人こういうのに赤面する人だから……」
少し声を高くして微妙に似ているイヌカミのマネをしてみせるウサトに思わず笑みが零れる。さっきまでは苛立ちと疑心に苛まれていた筈なのに……。
「そっか……」
あたしがこの数日間抱いていた悩みは単純なことだったのかもしれない。
このルクヴィスに来た時のように今と違ってまだ人間という存在に希望を抱いていた時の様に、今では忘れかけてしまった感情を思い起こすのが怖かったからだ。
散々人間の酷い部分を見てきたから裏切られたくなかったし、信じていた人間に見放されたくなかった。あたしは逆に人間を信じず心を許さないように努めていたけど、心の奥では『また何時か』『もしかしたら』という相反する感情をずっと抱えていた。
「考え過ぎていたんだなぁ、あたしは……」
そんな思いを抱えているあたしの前に現れたウサトとアマコは容易に心の奥底で燻っていた感情を湧き起こした。その時から素直になれず疑念と猜疑心にまみれていたあたしだけど、今になってようやく自分の感情とウサトという人間について理解する事が出来た。
「やっぱりアンタは変な人間だよ。魔法も普通じゃないし、あたし達に対しての態度も普通じゃない。それに訓練をやっている時なんて変を通り越して異常の一言に尽きる」
「えぇ……散々な物言いすぎる……」
「これでも褒めているんだよ。だって、そのおかげでアマコもアンタを見つけられたし、ナックも今こうして立ち向かう事ができるようになった。それにあたしもこうしてアンタと話していられるからね」
「褒められてる気がしないけど……ま、いっか」
気付くのが遅すぎた、けどまだ間に合う。
何せもう何年も待ち焦がれて、待ち望んだことだ。
あたしが此処にやって来た時の純粋な願い。
人間の友達が欲しい。
子供のようで幼稚で愚かしい願い、だけど何時か叶うと信じていた自分はもう居ない。
でも、今こうして目の前の現実で叶えられようものなら、あたしはまた……もう一度、前に踏み出すことができる。
まずは……目の前にいるこの変な人間と友達になれるように頑張ってみよう。
ウサトの訓練は罵倒がメインですね。
オンオフが激しすぎて二重人格に見えてしまう感じです。
次話もすぐさま更新致します。