第六十話
本日二回目の更新です。
第五十九話を読んでいない方は先にまずそちらをお読みください。
逃げ出してしまった。
訓練が辛かった。
ミーナと戦いたくなかった。
これ以上無駄な努力はしたくなかった。
バカにされたくなかった。
色々な理由……いや、言い訳がある。
そのどれもが情けなく自分という人間がどれだけ矮小で、弱い存在かと再認識してしまう。治癒魔法という魔法に目覚めてしまった時からそうなってしまったのかもしれないし、そもそも生まれた時から虐げられているような存在になってしまうことが決められていたのかもしれない。
「う……」
人気の無い暗く狭い路地裏。
亜人すらも通らないほどに利便性の欠片もないその路地で座り込み、ただ自分の無力感に苛まれながら地面を見つめる。
ミーナ達にいじめられそうになった時は何時も此処に逃げる。此処は誰も知らないし、寄り付こうとしない俺の、俺だけの秘密の場所。誰もこんな道があったことも知らないだろうし、覚えていても直ぐに忘れてしまうほどの場所が俺にとって、どんな所よりも落ち着く場所に思えた。
「うっ……うぅ」
そんな場所で何時もの通りに泣く。
恥も外聞も無く誰も来ないこの場所でひたすらに涙を流す。
何時もは苛められて泣いているけど、今日は泣く理由が違っていた。
「ごめん、なさい……ごめ……なさい」
逃げてしまった。
ウサトさん……ではなくミーナから。
昨日のあの顔、自分を見下し、嘲笑い、一切の情けも知らない無邪気さを感じさせるその笑顔にひたすらに恐怖した。理解してしまった。数年に亘って虐げられていた自身が、刷り込まれたように彼女の喜色の表情に秘められた狂気とさえ思える執着が。
身体が震えた。否応なく微かに見えた勝利と言う希望が潰えてしまった。
成長できると思っていたんだ。治癒魔法なんていう厄介な魔法に目覚めて、人生がおかしくなってしまった俺が、成長して、皆に認められて、そしてウサトさんのように強くなれると思って……。
そう思うと苦しい訓練もなんとか耐え抜くことができた。
気絶しそうになったって歯を食い縛って耐えた。
ブルーグリズリーに追われても恐怖を押し殺して必死に走った。
ウサトさんの罵声の声が自分に向けられないように必死に頑張った。
でも、ミーナという無邪気な悪意に晒され、一気に冷めてしまった。
ただ走るだけの訓練が何だ。
足を鍛えてどうする?
何で走りながら治癒魔法をしなくちゃならないんだ。
どうしてこんな苦しい思いをして勝てない勝負に挑まなくちゃならないんだ。
違う。
全部これは都合の良い言い訳だ。
ウサトさんの訓練にはちゃんと意味があった。その証拠に数日前の自分とは明らかに違う事を自覚できるくらいに脚が、身体が軽い。体力だって驚くほどついた。
たった二日の訓練でこの成果。ウサトさんの訓練は間違ってなんかいない、間違っていたのは明らかに俺だった。
昨日ならもう走っている時間なのに、こんな場所で情けなく泣いて勝手に絶望して座り込んでいる。
「……俺は、馬鹿だ……」
ミーナと戦うのが怖い。
あいつと戦うのが何よりも恐ろしい。
負けたらもっと酷い目に合わされるようになるだろう。これ以上酷くなるのはあまり想像できないけど、多分、想像している遙か上をいくくらいの残虐性をミーナが見せてもおかしくない。
それならそれでいい。
不幸な目に合うのが自分だけなら……でも、負けたらウサトさんも、勇者の一人もミーナに償いをさせられる。逃げ出すような俺に勝負をするようにしたせいで……。
「期待なんてしてほしくなかった……っ」
こうなるなら希望に縋らないで居たほうが良かった。
自分だけ傷ついていればよかった。
勝手に傷が治る俺だけが傷ついていればよかった。
そうすれば誰にも期待されない、俺も誰にも期待することのない。
ウサトさんにも、勇者にも……寝床を貸してくれた獣人のキリハさん達とも関わらなくても済んだんだ。
「……ぅ……ぅぁ」
そう考えると涙が止まらなくなった。
この二日間の記憶が思い起こされたから。
つらい訓練ばっかりしていた。
そんな辛い訓練が例え善意の押し付けだったとしても、久しぶりに触れた人の優しさだった。
ウサトさんは、駄目な俺を鍛えようとしてくれた。
出来損ないの治癒魔法を使う俺を見放さなかった。
何度も何度も意識を落とす僕を励ましてくれた。
疲れて自分で帰れない俺をキリハさん達の寮に運んでくれて、暖かい料理を出してくれた。
獣人と人間の垣根を超え、楽しく談笑しているウサトさんを見て呆然としていたのはいい思い出だった。
キリハさんやキョウさん、それにサツキも特に嫌な顔もしなかった。
何時も一人の夕飯が皆で食べるとこれほど色づいたものなんだと思い出した。
「ぅ……ぁ……ぁぁぁ……ッ」
そんな思い出もこれからあっただろう未来も自分で壊した。
忌まわしい家族との暖かい思い出も忘れてしまうくらいに幸せな一時を手放してしまった。
今度こそ何も残らない。
このままミーナからの制裁を待つだけ。
でも、これは諦めてしまった俺の落ち度だ。せめて、ウサトさん達には迷惑をかけないようにしよう。俺一人で、どんな代償を払ってでもミーナがウサトさん達に関わらないようにすれば、それで済む。
「……っ」
嗚咽を飲み込みがむしゃらに目元を拭う。
行こう。俺は獣人じゃないけどドゲザでも何でもしてやる。
折れてしまった心のままミーナに挑んで負けて惨めな思いをするよりも、俺以外が傷つかない最適な未来を選ぶ方が良い。
「行かなきゃ……」
「よーし、見つけた」
「え……」
立ち上がろうと膝に力を籠めたその瞬間に場違いな程に明るい声が暗い路地に響く。
その声に脚の力が抜け再び地面に座り込み、呆然と声のする方向に首を向けるとそこには……暗い空間に場違いな程に目立つ白色のコートを着た少年が佇んでいた。
顔は暗くて見えないが、その声、その立ち姿に自然と唇が動く。
「ウサト、さん……」
●
ナックを見つけるのはとても簡単だった。
簡単と言っても僕一人では町中を駆けまわらない限り見つける事は困難だけど、ブルリンとアマコが居れば話は別だ。
まずブルリンの鼻でナックを追う。匂いを追うだけでは正確な居場所は特定できないのだが敢えて僕達は当たりが付きそうな場所を練り歩く。その最中にアマコが『自分が先程通った場所で探した』場合の未来を見る。
ブルリンの鼻で凡その範囲を絞り、アマコの予知で絞った範囲内にいるであろうナックを虱潰しに探していく。まさに完璧な連携……僕は全く役に立っていないけどね。
結果、短時間でナックを見つける事ができるも、最初に彼を発見した時は嗚咽を漏らし声を押し殺し泣いていたのでかなり慌てた。
そんなに訓練が辛かったの!?嘘だろ……できるだけ優しくしたつもりなのに。
ちょくちょく間に休憩を挟む分ローズよりも良心的なのに、いや待てそもそも休憩を入れるのが当たり前じゃないのか?
………。
と、とりあえずは後ろで僕を責める様に見ている子狐と小熊を路地の外に追いやりながら、彼と一対一で話し合いを試みる。
できるだけ軽く声を掛けて、彼の反応を見てから話し合いのしやすいように隣に座る。
太陽の差さない路地裏の地面だからひんやりして冷たいな、と現実逃避しつつも僕を視界に収めてから俯いてしまったナックの方を見ると、彼は僕と顔を合わすのが気まずいのか俯いたままだ。
「あ、え……何、で」
「こんな狭い都市だ。僕達にかかれば君を見つける事なんて造作もない」
僕自身は何もしていないけどねっ。
信じられないとばかりの目で顔を上げるナックに自嘲気味に笑う。
「ごめん。少し厳しくし過ぎちゃったみたいだ。やっぱり人に何かを教えるのに慣れていない僕じゃ全然駄目だった」
「ち、違……違うんですっ。逃げたのは、ウサトさんのせいじゃなくて、俺に……ミーナと戦う覚悟が無くて怖じ気づいてしまったから……」
「怖じ気づいた……?」
訓練に嫌気が差したわけじゃないのか。
なら何がどうしてこんな所で泣いていたんだ?首を傾げて不思議に思っていると彼はポツリポツリと此処で泣いていた理由を話し始めた。
話を聞いていくうちに、彼のミーナに対する恐怖……というより刷り込みに似た何かは想像以上に根が深いものだということが分かった。何せ一度決心した彼の心をたった一度顔を合わせただけでへし折る程のものだ。
それは僕の想像を絶するものだろう。
「君は治癒魔法使いだからミーナに苛められていたの?」
この二日間、あえて聞かなかったけど。ここまでの事態になるなら知っておいた方が良い。
「………故郷では知り合い程度の仲だったんです。といっても、家族同士は仲が良かったんですけど……」
知り合い程度の仲で家族同士が仲が良いと……あれ?確かミーナは貴族の娘だって聞いたのだけど、もしかしてナックもそうなのか?
いや、だとしても益々訳が分からない。もし仮にナックの家が貴族のものだとしたらミーナと同様の扱いを受ける筈。
でも現実は全くの真逆じゃないか。
「ウサトさんの疑問に思っている通りに俺は元々裕福な家の出です。此処に来る前はそれなりに良い生活をしていた自覚もあります」
「それが何で?」
「俺の家の家系の人達のほとんどは水を司る系統魔法に目覚めます。父だった人と結婚した母もわざわざ水系統を持つ魔法使いが選ばれました……当然、この俺も水系統の魔法を父が雇った魔法使いの講師の元で学ぶはずだった……」
「……治癒魔法か」
「ええ、此処に来る前の九歳の誕生日に俺と妹がどんな系統魔法かを調べることになりました。当然、両親は俺と妹のどちらもが水系統の魔法になると思っていた……。でも、結果は妹だけが水系統の適性を示したんです」
自嘲気味に笑った彼の姿は何処か空虚さが感じられた。
この話の時点で予測できる最悪の可能性が浮上する。
家柄と血縁に誇りを持つ貴族に生まれてしまった異物であるナックの今の状況を見れば、恐らく彼の両親は……。
「それから俺の日常は様変わりしたんです。あれだけ優しかった父と母は人が変わったように冷たくなって、仲の良かった妹と会う事もできなくなって……ははは、馬鹿みたいですよね。魔法の適性だけで差別されてしまうんですよ?それで終いには屋敷から追い出すようにルクヴィスへ入れさせられた。その時点で俺の帰る場所はなくなって……でも屋敷に居た時よりは心が軽かった。ようやく解放された、そう思っていたけど……」
思えば初めて会った時、ナックがとても慌てていたのは自分の最後の居場所であろう学園から追い出されない為に必死に授業を受けようとしていたからだったのか。
自分の住む場所がかかっているのだからあの慌てようも納得できる。
でも彼にとっては最後の居場所である学園でさえも安楽の居場所には成り得なかった。
「そこで、あまり仲良くも無かったミーナが君を、ね……」
「ミーナが何で俺を苛めるのかは分からない。両親のせいだとか、治癒魔法のせいだとか思い当たる節は沢山あるけど……どちらにせよ、俺は……俺は元の家に戻りたくないっ」
「………」
重ぉ……。
僕の知り合いは何でこんなに重い悩みを抱えている人ばかりなのだろうか。カズキ然り、アマコ然りそういう人を引き寄せやすい体質なのだろうか。だとしたら精神衛生上嫌過ぎる。
だとしても彼の悩みを聞いたその時点で見捨てるなんて選択肢はないのだろうけど。
「ようするにミーナは仲も良くないのに何故か構ってくる面倒くさい子って事でいいんだね?」
「いや、そんな可愛いものじゃ……」
「君の両親が相当なアホなのも分かった。君が此処以外に帰る場所が無い事も分かった。ならこの先はどうする?此処を卒業して、旅立たなくちゃいけないとき君は……どうする?」
「そ、それは……」
この世界は思っているよりも厳しい世界だ。
リングル王国という平和で優しい王様が統治している国を見ていると忘れそうになるけど、他の国では奴隷の売買、盗賊、魔物、国と国を移動するのにも細心の注意を払わなくてはいけないのだ。
そんな中、なんのツテもコネもない彼が治癒魔法と言う唯一のスキルだけで独り立ちできるかと言われれば、かなり難しいと答えるだろう。
彼もそれを分かっていたのか、表情を歪ませ地面を見る。
僕はそんな彼に苦笑しつつもゆっくりと立ち上がる。
「救命団に来ればいい」
「……え」
「救命団のことについては話したよね?君や僕のような治癒魔法使いが後三人いて、そのうちの一人は君とは別……っていうのかな?まあ、似たような治癒魔法を持ってる。居心地は……団長の理不尽と同僚の魔族の小言と化け物共の騒がしさに目を瞑ればまあまあ良い所だね」
この二日間の彼を見た限り、ある程度慣らせばフェルム位の訓練はこなせるだろう。
治癒魔法に関しても、身体を治せるという時点であの強面共と同じ黒服の救命団員になるという道がある。どちらにせよローズなら拒まないだろう。
「無理でもリングル王国に来てみるのも手だ。僕の友達の治癒魔法使いが診療所のお手伝いを欲しがっていたんだ。救命団で今以上の訓練を受けたくない場合は其処で一から始めてみるのもアリだね」
オルガさんとウルルさんの元なら彼もうまくやっていける。
ナックの治癒魔法だってもしかしたら元に戻るかもしれない。
「ちょ、ちょっと待ってください!!お、俺とミーナの戦いはどうするんですか!?このまま俺が戦わなかったらウサトさんが……」
「まあ、わざわざ報いとか受ける必要ないしある程度脅して口封じすれば大丈夫でしょ」
「ええええええ!?」
正直、ミーナの報いとか受ける必要も無いし、どちらにせよ無茶な要求だった場合は踏み倒すことも考えていたのだ。まあ、あくまでそれは最終手段なのだが。
ぶっちゃけ貴族つっても家の権力が無ければただの小娘、非常に……非常に心苦しいけど心を鬼にするのも厭わない。
てかノリノリでやるぞ僕は。
ついでに犬上先輩も誘おう。
「君の帰る場所は僕が用意してやる。だから気にするな、魔法をファッションか何かと勘違いしているアホ共に潰されるのなんて馬鹿らしいだろ?君は君の持ち味を生かせる場所で幸せになるべきだ」
「………っ」
「僕は今大事な旅を任されているから君を直接リングル王国に連れていくことはできない。だから代わりに手紙を書いておくよ……まだ文字を書くのに慣れていないからちょっとだけ時間が掛かるかもしれないけどね」
そこで一息吸って、ナックを見下ろす。
さて、今さらながら勝手に事を進めてしまって大丈夫なのだろうかと怖くなってきた。オルガさんとウルルさんは大丈夫だろう。でもあのローズの事だ「おめぇ何時から勝手に団員増やせる身分になったんだぁ?」とか怒られてボコボコにされる可能性が非常に高いので恐怖しか湧かない。
あれ、もしかして僕って無事に帰ったら酷い目に合わされるんじゃね?
……そ、それは考えないようにしよう。
「ここまで言ってなんだけど、どうする?」
「……本当に、いいんですか……」
「いいも何も、選ぶのは君だよ。僕はあくまで道を示すだけだ」
この世界に来た僕にローズがそうしたように、今度は僕が道を示そう。
こちらを見上げたナックに手を差し出す。その差し出された手を見て瞳を大きく振るわせた彼は、袖で目元を拭ってから恐る恐る手に近づけ、寸前で止めた。
「やっぱり俺、ミーナと戦います……」
「無理する事はないんだぞ?」
わざわざリスクを背負う必要はない。
僕の言葉にゆっくりと首を横に振った彼は、赤く腫れた目を真っ直ぐこちらに合わせる。目つきの悪い、黒く淀んだ瞳の中にはさっきまでのどんよりとした陰鬱なものから、微かな光を灯した頼もしいものへと変わっていた。
「今の俺じゃウサトさんの居る場所に行く資格はないです。ちゃんと彼女との因縁を断ち切って、ちゃんと顔向けできるようになってからじゃないと俺が納得できません。だから、その為に……」
そこで一旦区切った彼は差し出した僕の手を掴み立ち上がる。
「俺に……俺に訓練をつけてください!!」
ここで初めてナックと僕の意思が合致したような気がした。
気のせいかもしれない、でも互いの意思ががっちりと噛み合うこの感覚は嫌ではない。
なら……もう僕も自分を彼に投影させて甘くするのを止めよう。この甘さはナックの為にはならないし、むしろ手加減すること自体失礼だ。
「いいだろう。でも今度の僕は優しくしない。君が気絶しようともやめたいと言っても止めない。気絶したら叩き起こし、脚が動かなくなっても治す。どうあっても魔力が尽きぬ限り動かし続ける」
「え…………や、やってやりますっ!もう弱音も愚痴も吐きません!!」
今の間は何だ。
合致しかけた意思が一瞬離れかかった気がしたのだけど。
……まあ、それは気にしないでおこう。
「じゃ、こんな暗い場所から早く出よう。学園に戻ったら訓練を始めるぞ」
「はいっ!」
暗い路地から、ブルリンとアマコの居る通りの方へ向かう。
ナックを鍛えられる残り日数は今日を含めて三日。時間を少しロスしてしまったが、それはさして問題はない。ナックがやる気に満ち溢れているし、何より僕も彼を気遣わずに訓練を施すことができる。
本当はローズの様な手段を使うのは経験上気が引けていたが、彼の意思を見れば出し惜しみするという考えはすっぱりと消えた。
しかし、ローズのような訓練を僕ができるのだろうか…………。いや、できるじゃないな、するんだ。ナックは僕を信頼してくれているんだ。その信頼に応えるのは僕の使命みたいなものだ。
余計な善意と情けも同情も捨てよう。
彼の為に心を鬼にしよう。
この際、外道と罵られても構わない。
僕に施された走る技術を全て頭ではなく体に叩き込む。
残り三日、僕は――――鬼畜ドSになる。
「……うっ、さ、寒気が……」
「?」
隣を歩くナックが突然に顔色を青くさせているがどうしたのだろうか。
本当の訓練地獄が、始まる……。




