第四百九十九話
二話目の二日目の更新です。
前話を読んでいない方はまずはそちらをお願いいたします。
僕がベルさんについて知っていることはそれほど多くはない。
ミリアの侍女であり、かつてナックのお世話をしていた人物であること。
そしてミリアの両親ではなく、彼女の側に立っていること。
ナックもミリアもベルさんに全幅の信頼を寄せており、またベルさん自身も二人をとても大事に思っているのが僕にも分かった。
そんな彼女が僕に用事とはいったいなんなんだろうか。
「お待たせしてしまってすみません」
グルドに促され、宿舎の一階へと移動する。
つい先ほど皆で食事をした居間の席にベルさんと先輩が紅茶を用意しており、入ってきた僕を見るとすぐにベルさんは丁寧な仕草でお辞儀をしてくれる。
「こちらこそ突然お訪ねしてしまい申し訳ありませんでした」
「いえいえお気になさらず。でも紅茶まで用意してくれるなんて……」
テーブルに並べられたカップを見て、そう呟く。
「ウサト君、私はカップを用意したんだよ。褒めていいんだよ?」
「カップを出せて偉い。お手」
「わん!」
左手を差し出すと、ノリのいい先輩はそのままお手をする。
「……って、違う!! ウサト君!! 私の想定した返しと違う!! ここは私を雑に扱って、ベルだけにお礼を口にして私が十八番のくぅーんで〆る流れじゃないか!!」
「だと思いましたよ。僕が貴女の思い通りの反応を返すと思わないことですね」
「くぅーん」
「強引に〆に引き戻された……!?」
無敵かその返し……!?
僕たちのコントじみたやり取りに慣れているのか、ベルさんは微笑みながら紅茶をいれて僕と先輩に差し出してくれる。
しかし、ここを訪ねたベルさんではなく、僕が出すべきなのに……いや、僕のような素人が適当に紅茶を出すより、慣れてるベルさんが出す方がいいのは分かっているけれども。
「先ほど、アレクさんが通りがかられまして、茶葉の方は自由に使ってもいいと仰っていただいて……」
「基本的に親切だからなあいつら……」
基本強面どもは他の強面メンツと僕に対しては不親切なんだよな。
お互いが「自分でそんくらいできるだろ」と雑に扱っていいと認識しているのが分かる。
「とりあえず、座って話しましょう」
「はい。では失礼します」
改めてテーブルをはさんで対面する形で座る。
少し前にここでいつも通りに皆で食事していたわけだが、僕を含めて二人だけとなるととても広く感じてしまうな。
……僕の隣の席に座った先輩はどうしてここに来たのだろうか?
「まずどうして先輩とベルさんはここに?」
「ベルは君に用事があるからで……私はなんとなく同行した」
「なんとなく」
「なんとなくだね」
「……なるほど」
先輩のなんとなくは、確実になにかしらの理由があるからな。
変わった人ではあるけど、観察力は誰よりも優れているのがこの人だ。
そこらへんに関しても全幅の信頼を寄せている。
「私は……改めて、貴方様にお礼を申し上げたくお訪ねいたしました」
「え、お礼だなんて、僕はそこまで大層なことはしていませんよ」
「いいえ。そのようなことはありません」
ベルさんが首を横に振る。
むしろナックに訓練を施した件でお叱りを受けてもおかしくないとすら思っていたのに。
「貴方様がいなければ、坊ちゃまは今頃どうなっていたか……。旦那様の下から逃れられず、一生負の感情を抱えて生きていくことになっていたかもしれません」
「まあ、そうだろうね」
「……」
どこか重い声の先輩に、無言になる僕。
否定したいが、その可能性が高かったのは事実だ。
あの頃のナックはミーナからの仕打ち以前に、実の両親に見放され、育った家を追い出され知っている人間がいないルクヴィスに放り込まれていたんだ。
その時点でナックは精神的に追い詰められていたから、ミーナのことも合わさって肉体的にも精神的にもかなり危険な状態にあったということも確かだろう。
「親の期待というものは過剰になれば、一種の呪いにもなってしまう。それが裏切られ、裏返れば愛情は嫌悪へと変わる。……いわば反転アンチってやつだね」
「先輩、例え自体は分かりやすいけど、それはどうかと思います」
シリアスな話を長続きさせないようにしているのは分かりますけど。
だとしてもナックに関しては魔法の素養そのものは生まれ持ってのものだから、彼自身のせいではない。
幼少期のナックの身に降りかかった不幸の大半が無責任な願望を子供に押し付けた両親によるものが多い。
「縁を切らないでいた場合……坊ちゃまが望まない婚約を結ばされるということもありえました」
「婚約? ナックはまだ子供なのに?」
年齢に関してはまだ十代前半くらいだ。
この世界の婚約とかそういうのには疎いけれど、ベルさんの口ぶりからしていいことではないのは分かる。
「政略結婚ってやつだね。貴族間の繋がりや、契約を結ぶことなどを目的としたもの」
「……はい。その認識で間違っておりません」
貴族とかそういう話が出てくるから、ありえなくはないと思ったけど……。
ナックの両親は本当になぁ……。
「だからこそ、遠く離れたルクヴィスで坊ちゃまがご両親と縁を切ることを選択できたことは幸運なことでした」
「それはなぜでしょうか?」
幸運とはどういう意味でだ? なにかタイミングが重要だった……とか?
僕の疑問にベルさんが、目を伏せる。
当時のことを思い出しているのか、その表情は悲痛に歪む。
「坊ちゃまから縁切りの文が届いた時、旦那様は怒りを露わにされました」
「……怒る? 彼の両親のことを聞いた限り無関心だとばかり思っていましたが……」
「旦那様は、坊ちゃまに自身が捨てられるとは思っていなかったからかと思います」
「???」
「……なるほどね」
自分が捨てられると思っていなかった? 本当に意味が分からない。
ナックをぞんざいに扱った父親が……どうしてそんなことを思うんだ。
先輩は得心がいったような顔をしているが、僕はナックの父親の思考がいまいち理解できなかった。
「見切りをつけ、遠方へ追いやり、それでも自分たちの愛情を求めて縋る坊ちゃまを無視し続けたのにも関わらず、逆に自らが無視されることに耐えられなかった……と私は認識しております」
「なんですか、それは」
縁を切られる理由を作ったのは自分自身なのに、自分から離れていくことに我慢できない。
理不尽すぎるそれに僕は自然と拳を握りしめる。
「旦那様はお怒りのままに、そのまま坊ちゃまとの縁を切られました。その手続きも即座に行われ、ナック・アーガレスという貴族の名は正式に除名されました」
「だが、逆にそれがよかったんだろう?」
先輩の言葉にベルさんは頷く。
「あの時、もし旦那様が冷静ならば完全に見放した坊ちゃまを家の利益にするために利用しようとしたことでしょう」
「だが、怒りに任せて行動しナックを除名してしまったからもう元には戻せずナックは立場的には自由になった」
「これがもしお屋敷で話を切り出していたら、冷静になった旦那様に引き留められていたことでしょう」
手紙で事後報告という形で伝えたからこそ、考える時間を与えなかったってところか。
確かに一晩過ぎて考える時間があれば、考えを改めてしまうなんてこともありえたかもしれない。
「でもナックの貴族としての立場を元に戻すってなったらアウトじゃないですか?」
「それはないんじゃないかな? 仮に無理に元に戻そうとすれば醜聞になるからね」
悪い噂が広まるってことか。
「貴族……というより、ある程度の地位にいる家柄というものはメンツが大事なものさ。自分たちが縁を切って除名した長男に利用価値があるからまた貴族に戻します……だなんて、恥ずかしい話だろう?」
「確かに、おかしいですね」
ミリアはよく頑張っている。
僕が同じ立場だったら走って逃げていたかもしれない。
「問題があるとすれば、ナックの両親はまだあの子を利用しようとしていることを諦めていないってことなんですよね」
「そうだね。これに関しては貴族云々より、親子の情を利用しようとしているのが性質が悪い」
ナックを通して、救命団のことを知ろうとする動きを見せた。
恐らくこれまでにあった国が絡んでいるものではなく、救命団やローズ、そして自意識過剰でなければ救命団副団長の僕とのコネを作ろうとしているのかもしれない。
それか治癒魔法や僕の扱う技術とかかな?
「そもそも僕の魔法とか訓練については知ってどうなるとか全然ないんですけどね」
「ウサト君の技術はやり方だけ分かってもそれを物にするのは困難だからね。リングル王国お抱えの魔法使いであり、研究者のウェルシーが毎日白目をむきながら研究に没頭してもなお、未だに解明できていないんだから」
こっちに関してはナックの両親の魂胆を見抜いている上に、そもそも僕は自分の技術を隠していないので問題はまったくない。
あっけらかんとした僕と先輩に、ベルさんも少し唖然とした様子だ。
「それはそうと、先輩……よく貴族とかその辺について知ってますね」
「私、悪役令嬢ものも嗜んでいたからね」
「守備範囲広くないですか?」
本当に妙な知識があるなこの人。
そもそも博識ではあるんだけど、結構コアなものもあるんだよな。
僕の言葉に先輩は自信ありげに腕を組む。
「フッ、お嬢様がオタク設定って結構ありがちだろう?」
「正直、今でも先輩がお嬢様って言うと違和感みたいなものが……」
「ウサト君……?」
お嬢様、というのは分かる。
そもそもの話、普段の変人さが前面に出て残念に見えるだけで、基本なんでもできるからな。
お嬢様というより、完璧超人の方があっていると思う。
「ま、まあ私のことはともかくナックの親の干渉に関しては問題ないと思うよ。そもそも万が一、ナックを呼び戻そうとしたところで、あちらはその権利を放棄しているようなものだからね。できるとしたら家族の情に訴えかけることくらいさ」
「それなら安心ですね」
ベルさんからしても情に絆される可能性すらないと思われてるのは凄いな。
今日まで関わってきてベルさんは本当にナックとミリアを大切に想っているのがよく分かった。
「ナックは大丈夫ですけれど、ミリアはこれからが大変ですね」
「私も今後ともお嬢様をお支えしていく所存です。……この短い間でもお嬢様が坊ちゃまと……救命団の皆さま、そしてリングルの善良な人々に囲まれて生活したことは、大切な思い出になったと思います」
「思い出なんて言わずにもっと居てくれてもいいんだけどね」
「本心を言うなら、私もお嬢様にそうしてほしいと願っております」
でもミリアは両親のいる実家の下に戻ることを選んだ。
ミリアには、実家でなければ成し遂げられない目的があるんだろう。
僕たちは彼女の決めたことを捻じ曲げるようなことはしたくない。
「いざという時は僕たちを頼ってください」
「うんうん。ミリアはもう私にとっても妹みたいな存在だからね。もちろん他意はないよ? ねえ、ウサト君?」
「なぜ隣の僕を見て言うんですか?」
絶対他意ありまくりだっただろ。
隙あらば誰でも彼でも妹にしようとするんだから。
「坊ちゃまは良縁に恵まれました。ウサト様、坊ちゃまを導いてくださったこと、本当にありがとうございました」
「ナックは僕にとっても弟子で、弟みたいな存在ですから。これからも救命団の一員として彼を鍛えていきます」
「ふふふ、でも過酷すぎる訓練はほどほどにしてくださいね?」
苦笑いするベルさんの言葉に僕は安心させるように自分の胸に手を置く。
「安心してください。いつもやっている訓練より酷くなることは今のところありませんから!」
「今も中々に過こ……え、今のところ?」
なぜか安心させるつもりがドン引きされてしまった。
ナックは慣れてきたとはいえ、まだ子供だからな。
本格的な救命団の訓練をするにはまだまだ早い。
先輩がいてくれると話のテンポが物凄くよくなる不思議。
貴族などの設定は複雑にならないように結構ふんわりしてます。
今回の更新は以上となります。




