第五話
私とカズキ君、そしてウサト君がこの世界に召喚されてから約三週間が過ぎた。
この三週間訓練漬けだったせいか、私もそれなりには闘えるようになったが、流石に魔物との実戦は経験してはいない。
今は午前の訓練が終わり、訓練場の一角の木陰で昼食をとっている所だ。
「カズキ君も、随分強くなったな」
「ははは、先輩には敵わないです」
この二週間でカズキは異常なスピードで成長していった。
勿論私も、リングル王国最強の騎士のシグルスと、優秀な魔法使いであるウェルシーと引き分けるほどに強くなった。
彼らも手加減しているのは分かってはいたが、かなり驚いていたのは今でも覚えている。
でも、私の中ではまだ足りない。
この国の魔法にはロマンが足りないのだ。ただ少し強い電撃を飛ばしただけで拍手喝采の嵐。カズキ君だったら、顔を真っ赤にして照れるだろうが、私は違う。
もっと自由な発想で、魔法を使ってみたいんだ。
「やはり、自分で作るしかないのか?」
「どうしたのですか? スズネ」
おっといけない。思考が漏れてしまったようだ。
今、私に声を掛けた金髪碧眼の少女はロイド王の実の娘、セリア・ブルーガスト・リングル。
彼女のような人物が何故ここに居るかと言うと、時はウサト君がローズに連れ去られた後にまで遡る。
ロイド王は、ウサト君を連れ戻すのは困難と判断した。
そして、私とカズキに教育係として、王国軍団長であるシグルス、並びに王国お抱えの凄腕と評される魔法使いであるウェルシーを私達二人に当てた。
その際に、ロイド王は呼び寄せた娘のセリアに、彼女と同年代である私達を紹介したことが、彼女と交友を結ぶ切っ掛けになった。
「……」
一通り昼食を食べ終えたカズキは、城から外の風景を眺めている。
ふむ、何か物憂げな表情からして、ウサト君の心配でもしているのかな?
「……ウサト、今どうしてるかなぁ」
本当に、分かりやすいな。
前にウサト君に会った時は酷くやつれていた。
異世界の生活は彼にとってそれほど馴染まないものだったのか、それとも救命団の訓練がそれほどまでに過酷だったか………。
「ウサト様とはどのような人なのですか?」
ウサト君に興味を持ったセリアが、彼について聞いてくる。
私が答えようとすると、先にカズキが胸を張りながら、彼について話し出す。
「この世界に一緒に来た友達だよ。友達になったのは召喚される少し前だけどね」
「あの喜びようからすると、カズキ君は男友達がいないことは本当だったらしいね」
「ち、ちがいますよ! 俺だって、男友達のひ、一人や二人くらい……」
自信なさ気に呟いたカズキをクスクスと笑うセリア。まあ、私は知っているのだけどね。
カズキ君の学校風景を考えれば、短い付き合いでも、ウサト君は大事な友達なのだろう。
「友達ですか。そのお方はどこに行かれたのですか?」
「救命団って所かな? 確か……」
「きゅ、救命団ですか!?」
「……? そうですよね、先輩」
「そうだね」
今思い出すと、私は前に会ったウサト君の様子に疑問を持っていた。
私は元の世界では様々なスポーツを嗜んでいたため、体の構造……つまり筋肉の構造についてはいくらかの知識がある。
以前に会った時のウサト君の両足は、最初に会った頃とは見間違えるように発達していた。
それに合わせるように上半身の筋肉も鍛えられており、とても一週間で鍛え上げられる筋肉ではなかった。
凄いと思う反面で、疑問に思ってしまった。
短期間での急速な成長は体に悪い、そのような面を考えれば―――
「心配だな……」
「先輩?」
「いや、なんでもないよ。セリア、先程救命団と聞いて驚いていたけど……そこで何かあったのかな?」
先程の驚きようは尋常じゃなかった。
「いえ、あの……最近、救命団に関するおかしな噂が城に広まってまして……」
「噂って、どういう……?」
救命団に関する噂についてなにか知っているセリア。
ウサト君の話を聞いてから一向に目線を私達に合わせないのだけど、もしかしてウサト君に何かあったのか?
彼女は口ごもりながら、ぼそぼそと言葉を紡ぐ。
「あくまで噂なのですが……救命団に入った新人の方が、救命団の団員でさえも音を上げる訓練を黙々とこなしている……という噂です。そのことを衛兵の方が噂しているのを小耳に挟みましたが……」
………。
「………何だか本当に心配になってきた。今日の訓練はここで切り上げて、ウサト君の様子を見に行かない?」
「ええ、行ってみましょう」
「あっ私も行きます」
顔の筋肉が硬直するのを感じながら、二人にそう告げると、カズキも同じく顔を引きつらせながら頷くのだった。
●
午後の訓練を休んだカズキと私は、セリアと共にウサトの居る救命団の宿舎へと向かっていた。流石に一国の姫を、城の外に出すのは危険なので、護衛としてシグルスもついてきてくれている。
救命団の宿舎がある場所は、木々が生い茂っており、王国のはずれという場所に相応しく人の姿はなかった。
以前は宿舎の前にウサト君がいたはずだが、その姿は見えない。
「ここにウサト様が?」
「そうだけど……ここにはいないな」
「今は午後の訓練じゃないか?」
「じゃあ、探してみるか。邪魔になりそうだったら帰ればいいだけだし。シグルスさん、案内お願いできますか?」
「分かりました。では。付いてきてください」
様子を見るだけなので、長居するつもりもない。シグルス先導の元、救命団の訓練場へ生い茂る木々の間を通り歩いていく。
いつも城の景色ばかり見ているセリアにとって、外の景色が新鮮なのか目を輝かせきょろきょろと周りを見ながらカズキに話しかける。
「ふあ、すごいですねカズキ様!」
「そうだね」
「セリア様、あまり私から離れないように……」
「シグルスは過保護すぎですよー!」
彼女は一国の姫なのだ、シグルスが過保護になるのも無理はないだろう。
困ったような表情を浮かべながら前を歩くシグルスにカズキが申し訳なさそうに謝る。
「すいません、シグルスさん」
「いえ、気にしなくていいのです。私もローズに用があるので……この先に訓練場があります。恐らくその場所にウサト様がおられるはずです」
「そうですか!」
シグルスが指差した方向を見据える。
前に会ってから2週間弱、その期間の間に彼はどのような成長を遂げているのか、そんな思いを抱きつつ林を抜けると、直径30メートルほどの広場に出る。
自然の中にある訓練場って所か。少数精鋭の救命団には丁度いい広さだな。
その場所の中心には、腕立て伏せをしているウサト君―――だが、隣で見ているカズキからは喜びの声は出なかった。
それは私も同様であった。
「「……」」
「どうしたのですか?皆さん、一体、前で何が起こって―――」
後ろからセリアが前を覗き込むと、私達と同様に言葉を失った。
私達の前に広がった光景、それは――、
「ぬ、ぐぐぐ……!」
「おい、ペースが落ちたぞ。芋虫か手前ェは?重り増やしたくらいで音を上げてんじゃねえぞ」
「誰がッ音を上げたってッ言ったよッ!!」
「無駄口叩いてんじゃねえよ」
必死な面持ちで腕立て伏せをするウサト君。
それだけだったなら、おかしくはないけど、問題はその背に乗せられているブロック状の大岩。
見積もりで50キロほどだろうか? それがウサト君の背に乗せられている。
そして、その岩に尊大に座っている救命団、団長の、ローズの姿。
「……チッ」
「何だァ今、舌打ちが聞こえたんだけどなァ!!」
今、あの温厚なウサト君から舌打ちが聞こえた。彼は本当にウサト君なのか、何か悪霊か何かに憑かれてしまったのではないか?
「あまりにもローズさんが軽くてビックリしたんですよ……思わず舌打ちしちゃいましたよ」
「ほほぉ、嬉しい事を言ってくれるじゃねえか。そんな余裕があんならもっと重り増やしても問題ねえよな!」
地面に降りたローズは、近くにおいてあったブロック状の岩を上乗せする。
ギギギと歯を噛み締め負けじと腕立て伏せを続けるウサトに満面の笑みを浮かべるローズ。
「中々いい感じに私好みになって来てんじゃねえか。これならもうすぐあそこに投入できんな……ん? お前らは……」
カズキに至っては目を擦りこの光景を夢だと思っている。
無理もない、あの温厚なウサト君が今やギラギラと目を光らせながら腕立てをしているのだ。現実逃避したくなるのもしょうがない。
だが、騎士団長のシグルスのみが怒りの表情を浮かべ、ローズの元に歩み寄っていく。
「よお、シグルス。どうした? こんな場所に勇者様と姫様を連れて」
「貴様は何をやってる」
「あ?」
「なにをやっているか聞いておるのだ! このような未来ある若者を壊すようなマネをしおって!」
ローズの胸倉を掴みあげるシグルス。
シグルスが怒るのは無理はない、ローズがウサト君に対して行っている所業は訓練と呼べるほど生易しい物ではない。むしろ苦行だ。
胸倉を掴みあげられたローズは、無表情にシグルスの腕を掴む。純粋な握力のみで彼の篭手がメキメキと音を立てて歪んでいく。
「離せよ。アンタの騎士道精神は嫌いじゃないが、私に押し付けるな。私には私のやり方がある。それに、こいつは私の右腕にするんだぜ? これぐらい軽くこなせてくれなきゃこっちが困る」
「右腕……だと?」
「そうさ、こいつはようやく見つけた掘り出し物さ。負けず嫌いなところが良い、屈服しないところが良い、それに加え私の訓練についてこれるというお墨付きだ」
私は、ローズの目を見て思わず一歩下がる。
彼女の目には強い力が籠もっていた。やるからにはやる、決して妥協しないという意思がこれ以上なく見られた。
そんな彼女に臆さずに、シグルスはローズの手を払いのける。
「異常者が! 王に命じられ貴様を軍に戻す願いをされたが、その様子では無理のようだな!」
「かはは、右目が開かねえからどっちにしろ無理だ」
「戯言を!」
自分の縦一線に傷が刻まれた開かない右目を指差しそう言い放つローズ。
彼女は右目に刻まれた傷のせいで軍に戻ることを拒否しているのか……?
ふん、と鼻を鳴らし私達のところへ戻ってきたシグルスは、心配そうな表情をするセリアに近づく。
「少し頭を冷やしてきます。姫様、カズキ様から離れぬように」
「え、ええ……」
「落ち着いたら、すぐに戻ります」
そうセリアに言い放ち、林の中へ消えていくシグルス。
彼自身、これ以上ここに居たらローズとケンカに発展する事は理解している事からの配慮だろう。
「さあ、シグルスはどっか行ったことだし。勇者様と姫様は、これに話があるんですか?」
「『これ』じゃねえし。おい、僕を右腕にするって、どういうことですか? 右腕になった暁には僕の右パンチをローズさんにプレゼントしますよ。ささっ、右腕欲しいなら喜んで顔を差し出してください!!」
「その前に私がプレゼントしてやろうか? ……と、行きたい所だが、私は先に戻ってる」
ウサト君に右拳を構えたローズ、しかし私達の方を見て、気が変わったとばかりに宿舎の方に歩いていく。
その後姿を見届けながら、背中の重りを地面に下ろし背伸びするウサト君の元に近づく。
「大丈夫? ウサト君」
「大丈夫だけど?……こちらの人は?」
カズキ君と共にやってきたセリアを見て、首を傾げるウサト。
「私は、セリア・ブルーガスト・リングルと申します。セリアと呼んでくださいウサト様」
「さっ、様……それにロイド様の……?」
「はい。娘です」
王様の娘と聞いて、若干パニックになるウサト君。初対面の女性に様って呼ばれる事は彼にとってあまりなれていないことだろう。
現にカズキ君は戸惑っていたしね。
パニックになっているウサトに「普通に接してください」とセリアが言うと、ウサト君も渋々頷く。
「そういえば、カズキ達の訓練はどうなってる感じ? 皆、強くなったのはなんとなく分かるけど……」
「「……」」
「え、どうして無言になるんですか?」
言えない。
自分達の訓練はウサトのやっているように過酷な訓練ではないことを……。いや生易しくはないのだけどね?
実際、私達が行っている訓練は、体を壊さないように配慮され、尚且つ効率よく戦闘力を高めることができるように綿密に考えられたものだけど、ウサトの訓練は違う。
体の無理を考えない限界すら超えた危険な訓練。自分の体を癒せる治癒魔法使いにしかできないものだ。
先程の常軌を逸したトレーニングや噂の内容からして三週間。その訓練を行っていたと考えられるだろう。
体格こそは余り変化していないように見えるけど、彼の体はこの三週間で常識では考えられないほどの、とてつもない進化を遂げたことを私は既に見抜いていた。
それに興味を持った私は、迷わず彼のTシャツに手をかけた。
「ウサト君、失礼する」
「え? どうしたんですか犬上先輩……って、おおう!?」
ウサトの着ていた服を捲る。
私の行為にその光景を見ていたセリアの顔に朱が差す。
「……なるほど」
過度な訓練による筋肉の損傷を治癒魔法で無理やり治癒した結果が、この密度が高い筋繊維、持久力もさることながら、尋常じゃない力を引き出すことができるだろう。
「見違えたよ。ウサト君すごい筋肉だね……!」
「なんか犬上先輩、興奮してませんか?」
「いやいや、この短い期間でこれほどまでに仕上げてくるとは……感服したよ」
いや、本当にここまで良く苛めぬいたものだ。
「スズネ様……どうかなさったのですか?」
「ごめんセリア、俺にも分からないんだ。たまに先輩は遠いところに行ってしまうからね」
離れない私に業を煮やしたのか、無理やり両腕で私を引き剥がすウサト。
少し残念だが、ここは一先ず引いておこう。
彼に嫌われては元も子もない。
「はぁ。でも皆、元気そうで良かったよ」
「ウサトは……元気そうだな」
「ははは、最近それだけが取り得みたいになったからね」
疲れた様子を見せずに快活に笑うウサト。
……大丈夫そうだね、訓練内容はアレだけど、彼はここで上手く適応している。
何の心配も要らないと判断した私達は、どこかへ歩いていったシグルスを探すためにその場から離れようとする。
「じゃ、俺達の心配も杞憂だったみたいだから、そろそろ戻るよ」
「心配? まあいいか。今度は僕の方からそっちに行くよ、城の訓練も見てみたいしね」
「ぜ、是非いらしてください……」
城の方を見ながら遠い目をしたウサトに、セリアは小声で「なんて、お方」と戦慄していた。
騎士の訓練のレベルが、救命団の訓練量と同じだと思っている彼に、あまり城の訓練は見せたくはなかったのだろう。恐らく、騎士の士気が下がる。
一通り、話も終わってシグルスを探しに行こうとすると、林の方から一人の大男が片手に弁当箱のようなものを持ってやってくる。
「あいつは……」
「知ってるのか、ウサト」
『おぉい! 優しいオレ様がテメェの弁当持ってきてやったぜェ!!』
ビキリとウサト君の額に血管が浮くのを見た。
短い付き合いだが、ウサト君は温厚な人物だと私は理解していた。そんな彼が今のように鬼のような形相をするなんて一瞬悪い夢かと思った。
だが、現実は非情だった。
ウサト君が背の高い男に向かって暴言を吐いたからだ。
「どの面下げて、僕の弁当持ってんだ!! この木偶の坊がよォ!! その足りねえ脳みそで一週間前の出来事思い出せやゴラァ!!」
「あぁん!! 何言ってるかわかんねーなァ!! もっと馬鹿なオレに分かる言葉で言って見ろよボケがよォ!!」
「これ以上分かりやすくすると、赤ちゃん言葉になるぞ、あっそっかトング君は頭に脳じゃなくて綿が詰まってるんだったね!」
「てめぇ!」
「とんぐくんのあたまにねーわたあめつまってるんでちゅよ――――ッ!!」
「ツラ貸せコラァ!!」
「上等だッ!!」
「あ、あれは、ウサトなのか? ……え、あ、あれ? 今、ウサトは笑って、話して……」
「しっかり、カズキ様! ど、どうすれば……スズネ様!」
「地獄は人の心さえも変えてしまう……残酷だ」
「感慨に耽ってる場合ですか!? シグルスはいいですから、カズキ様を早く城に……!」
やや虚ろな目になったカズキ君に肩を貸しながら、後ろを見る。
強面の男と喧嘩をしている彼は、先ほどの温和な姿からは想像できないほどに、豹変してはいるけれど、どこか自然体に見えた。
「そうか、君は居場所を見つけたんだね……」
知らない世界にきて、誰よりも早く自分の居場所を見つけている彼を見て、私は少し羨ましく思ってしまった。