第四百十八話
二話目、二日目の更新となります。
前話を見ていない方はまずはそちらをー。
今回はレイン君視点でお送りします。
『レイン、リングル王国の彼女達から返事が来た。今日、すぐにでもお前のことを見てくれるらしい』
朝、起きるなり嬉しそうにそう言ってくださったランザス様に僕は少し混乱してしまった。
あまりにも呆気なくあちら側が話を受けてくれたことと、朝いつも顔色が悪いランザス様がいつもよりも元気な様子で起きてくれたことに僕は驚いてしまった。
「系統強化、できないまでもせめて糸口くらいは……」
ランザス様のお身体を少しでも癒せるようになれば、彼ももっと前向きになってくれるはずだ。
そのために、僕はリングル王国のあの人……ウサトさんに治癒魔法を教わらなければならない。
「ウサト、ケン……」
彼についての噂は勇者のものと合わせてミルヴァ王国にもよく伝わってきている。
リングルの治癒魔法使いは治癒魔法で目潰しを仕掛けてくる。
クマを背負って街中を走り回る。
治癒魔法をかけながら殴りかかってくる。
一度の戦いで魔王軍軍団長全員と戦った。
魔王を殴り倒した。
———そのどれが本当のことか分からないけれど、それだけの信じられない噂が出て来るなら逆に信憑性も湧いてくるものだ。
「……ここ、だよね」
指定された宿舎に繋がった訓練場。
室内に作られたその場所へ到着し、軽く深呼吸をする。
「ん? もう誰かいる?」
大きな両開きの扉の隙間から訓練場にいる誰かが見える。
目を凝らすと、そこには僕が今日治癒魔法を教わる彼、ウサトさんと別の国の勇者であるクロード様が槍を持って向かい合っていた。
「なんだろ……手合わせ? 治癒魔法使いのあの人が?」
治癒魔法使いが戦う?
確かに噂にはそんなものがあったけれど、相手はクロード様だ。
勇者の名を長い間背負う達人。僕でも知っているようなお方がどうして……?
しかし、そんな僕の考えは次の瞬間にはどこかへ消え失せる。
「っ!?」
クロード様が槍を突き出した構えを取った瞬間、ウサトさんの上半身がブレると同時に三つの風を切る音が響く。
それをクロード様が槍を三度放った音と気づいた瞬間には、破裂するような踏み込みの音と共にウサトさんがクロードさんの眼前に接近———そのままさらになんらかの攻防を交わした後に、お互いにまた距離をとってしまった。
「な、なにが起きてるの……?」
少なくとも僕が知る治癒魔法使い……いや、人間の動きなんかじゃなかった。
勇者という立場であるクロード様は分かる。
だけれど、あの人はなんだ。
治癒魔法使いのはずなのに、なんであんな動きができるんだろうか。
『役立たずの魔法を見せるんじゃねーよ!』
『あー、治癒魔法……治癒魔法ねぇ……』
『治癒魔法に頼らなくても回復魔法があればいーじゃん別に』
脳裏にランザス様に拾われる前の記憶がよぎる。
嫌な記憶を振り払うように頭を振り、僕は意を決して扉を開き中へと足を踏み入れる。
ウサトさんはすぐに僕に気づいたようで、肩にフクロウを乗せながら手を振ってくれる。
「こっちだよー」
「は、はい!」
手招きされて、あたふたとしながら彼に駆け寄る。
さっきは凄い気迫だったから少し不安だったけど、今は優しそうだ。
「あ、あのっ、今日はよろしくお願いします!!」
「うん、よろしくね」
柔らかく微笑んでくれる彼に安心する。
それに、僕と同じ治癒魔法使いに会ったのはこの人が初めてだから親近感も湧いてくる。
「改めて、自己紹介をするよ。僕はウサト・ケン。救命団って組織に所属していて、今は副団長って肩書を持っている。普通の治癒魔法使いとはちょっと違うけれど、技術とかについては信頼してもらっていい」
「どこがちょっとなのよ」
「!!??」
ふ、ふふふふフクロウが喋った!!?
普通の黒いフクロウの使い魔だと思った魔物が突然人語を口にしたことで、声も出せずに驚く。
そんな僕にくすくすと笑ったフクロウはウサトさんの肩から離れると、一瞬の光と共に人の姿へと変わってしまう。
「私はネア。ウサトの使い魔、吸血鬼なの」
「きゅ、吸血鬼!!?」
「こいつのことは気にしなくても大丈夫だよ。人に害意はないし、僕の仲間だからね」
待って、一気に目の前の治癒魔法使いへの認識がおかしくなりそう。
子供の僕だって魔物が人語を使う異常さをよく理解している。
「君のことはレインって呼んでも大丈夫かな?」
「は、はい! 呼び捨てで大丈夫ですっ!!」
「ありがとう。……さて」
ぱん、と手を鳴らしたウサトさんは膝を折って僕と視線を合わせるように腰を落としてくれる。
優し気な表情から一転して、真面目な様子へ変わった彼の目を見て僕は内心を見透かされているような心境になってしまう。
「まず君が僕からなにを教わりたいのか聞いておこうか」
「なにを、教わりたい?」
「治癒魔法と魔力の使い方を教えることは決まっているけど、レイン……君が僕に何を求めているかまず聞いておきたい」
「……っ、僕は……」
ランザス様は自分のために治癒魔法を学ぶ必要はない、と言ったけど、僕はそんなつもりはない。
ランザス様の言いつけを破ることになってでも、僕は彼に長く生きていて欲しい。
ウサトさんと目を合わせ、しっかりと自分の意思を言葉にする。
「僕は、系統強化を覚えたいです……!!」
「……」
「僕自身、未熟なのは分かってます。系統強化がとてつもなく難しくて、危ない技術だってことも分かってます。だけどっ、それでもランザス様を助けたいんです……っ」
「……それだけ聞ければ十分だ」
掛け値なしの本音を口にした僕の前に手が差し出される。
「系統強化を習得するのは難しい。精密な魔力操作と、感覚も掴まなければならない。そして、なにより重要なのは……使い手自身が癒すべき相手をしっかりと見定めていなければならないことだ」
「それでも、やります。どれだけ難しくても、危険でも僕はやります」
差し出された手を握る。
硬く、大きな掌に握り返され、彼は僕と目を合わせる。
「最初に言っておくけれど、僕が君を指導できる時間は少ない」
「……はい。分かっています。最悪、切っ掛けさえ教えていただければ———」
「多少無理をさせることになる」
「えっ、む、無理とは……?」
治癒魔法の訓練で無理をさせる……?
僕の疑問に答えずウサトさんはにこり、と微笑む。
さっきと変わらない人当たりのいい笑みだけど、どこか薄ら寒いものを感じた。
「なので、早速訓練を始めようと思う」
「あの、話を聞い―――」
瞬間、握られた手を通して僕の全身に暖かい魔力が流れる。
治癒魔法———それも僕よりも強く暖かい魔力が、手から腕、心臓を通って全身へ回り、さらに加速していく。
意図しない魔力回し、それも僕が行っているそれよりもさらに早く、滑らかなソレは———
「~~~!!!?」
身体の内側をかき混ぜられるような感覚に襲われる!?
感じるのは痛みではなく、こそばゆい感覚に常時襲われさらにその上から治癒魔法の波動で癒されるような感覚に苛まれる……!!
なにを言いたいか分かりにくいけど、椅子に座って足が痺れた感覚が全身を襲う感覚と同じだばばば!!
「な、なななななんですかこれはぁぁ!?」
「君の魔力回しを僕の魔力で干渉して加速させた。多少無理やりになるけど、これに慣れれば魔力操作の技術も上げられるはずだ」
言っていることが意味不明なのですが!?
なにをさらっと僕の魔力に干渉しているのこの人!?
身体をぶるぶると震えさせている僕に、傍で見ていた使い魔のネアさんが「あちゃー」って感じの目で見てくるが、僕の方はそれどころじゃない。
ま、まともに座ってられないィィ!?
握手した腕を振り払おうにもとんでもない握力で固められ振り払えなぁい!?
「ねえ、ウサト。これどれくらいやるつもりなの?」
「とりあえず一時間くらいかな」
い、いいい一時間!?
これを!? この状態を!?
「普通の訓練と同じくらい嫌だわコレ」
「あとで君達もやるんだよ?」
「えっ」
全身を加速して駆け巡る魔力。
その不可解さに悶えるが、ウサトさんは頑なに———いや、僕を逃がすまいとするように手を離さなかった。
●
「……少しやりすぎちゃったかな……?」
「どう見ても少しじゃないでしょこれ……」
「———ッ、———ッ」
よ、ようやく解放された。
でも最後あたりは全身の違和感もなくなってきて、魔力回しの速さに馴染んだって感じがしてきたのが分かる。
でも身体を動かしていないのに全身汗だらけだ。
「だ、大丈夫?」
「へ、平気です。疲れはしましたけど、魔力の感覚が軽い気がします……」
分かるくらいには魔力回しがやりやすくなっている自覚がある。
普通にやっているだけじゃ絶対に一時間くらいでこんなに巧くいかない。
「他者への魔力回しの強制順応。まーた別方面でやらかしたわねー……ウサト、貴方ここにいる間もウェルシーに文送っときなさいよ」
「まあ、そうだよなぁ」
額に手を置きながらいつの間にかフクロウに戻っているネアさんにウサトさんはそう答える。
「……さて、次は系統強化の練習だね」
「えっ!!? で、でも系統強化は危ないって……」
発動させること自体危ないはずだ。
魔力の濃度を上げるために、魔力を注ぎ込み続けるのが系統強化に至る方法だ。
だけれど、失敗すれば行き場を失った魔力が破裂し———術者の肉体を大きく傷つける。
「言っただろう? 多少、無理をするって。大丈夫、僕がついてるから君が傷つくことはない」
「……はい」
「さあ、もう一度手を握るんだ」
「……っ」
「……今度は違う訓練だから安心してね?」
さっきの地獄の一時間のことを思い出して、伸ばしかけた手を引いてしまった。
で、でも今度はなにをするんだろうかと思い、その手を握る。
「治癒診断。……それじゃあ、今から系統強化のやり方を説明する」
ウサトさんによると、系統強化の仕組みは魔力を一定の大きさに留めながら、そこにさらに魔力を注ぎ込み、その濃度を上げるというものだ。
聞くだけなら簡単だと思ったけれど、その結果失敗すると濃度を上げた魔力が使い手本人を襲い、場合によっては重傷を負ってしまうというもの。
「多分、お手本にはならないけど、僕の系統強化を見せるよ」
手を握っている逆の手に治癒の緑の魔力が灯される。
それは次第に色を濃くし、深い緑色へと変化していく。
「すごい……」
間近で見るのは二度目だ。
一度目見た時、ウサトさんは一瞬で系統強化を発動してしまったけど、今目の前でゆっくりとその工程を見せられると彼がどれだけ凄いことをしているのか理解させられた。
「よし、早速やってみよう」
「魔力が暴発しそうになったら……」
「僕がいる。大丈夫、信じて」
……ウサトさんの言葉に頷き、彼の手を握っている手と逆の手に魔力を籠める。
そして、説明されたとおりに魔力の形を一定に留め、無理やり魔力をつぎ込む。
「ッッ!!」
これは、無理だ……!!
やってみて分かる。これはいわば既に一杯に水が注がれた容器に、零さないようにさらに水を注いでいくようなものだ。
これを、あんなこともなげにやってみせていたのかこの人は!?
「ウサト、さん!!」
「隙間なく魔力を埋め込むように注ぐんだ。意識を集中して」
だ、駄目だ……!! 破裂する!!
つぎ込んだ魔力を抑えきれず、膨らんでいく。
「———ッ」
痛みに耐えようと目を瞑った瞬間、握った手からウサトさんの魔力が流し込まれ———魔力が破裂し、僕の頬に暖かな水滴のようなものが飛んでくる。
それが、血だと分かり泣きそうになるけど、僕の手には痛みは……。あれ?
「ない……?」
目を開けて、手元を見ると僕の手には傷はなかった。
だけど、その代わりにウサトさんの握った手と別の手が血まみれになっていた。
掌、指、手の甲に切り傷ができて、そこから煙のように治癒の魔力があふれ出している。
「……え?」
「系統強化の失敗は僕が肩代わりする」
一瞬、言われていることの意味が分からなかった。
だけれど、僕の無傷の手とウサトさんの手、そして破裂する瞬間に僕の身体を駆け巡った治癒の魔力のことを考えて、ウサトさんが僕の系統強化の失敗を代わりに受けたことを理解してしまった。
「他の系統強化を僕に移してもこうなるのか……」
「な、んで……で、でも血がっ……!!」
「大丈夫。すぐに治すから」
傷は瞬きする間もなく、一瞬で癒えてしまった。
でも痛みは感じていたはずだ。
あんなに傷だらけになって、どうして僕のためにここまでしてくるんだ。
「ごめん」
「……え?」
動揺する僕にウサトさんが頭を下げた。
どうして、貴方が謝るんだ。
むしろ怪我をさせてしまった僕の方が謝らなくちゃいけないのに。
「最初に言うべきだったけど、言ってしまうと躊躇してしまうと思ったから黙っていたんだ」
「あ、頭を上げてくださいっ!!」
確かに躊躇してしまっただろう。
というより、肩代わりすると言われても意味を理解できていなかった可能性すらある。
それくらいにこの一連の訓練でウサトさんがしてきた技術は異様なものだった。
「あの、とりあえず血を拭いてください」
「あ、うん」
「あー、ちょっとなに勿体ないことしてんのよ!!」
ウサトさんが手拭いで血に濡れた手を拭こうとすると、フクロウのネアさんがまた光と共に黒猫の姿に変わり、血が滴るウサトさんの手を舐め始める。
「ちょっと、今大事な話をしてるんだからやめなさい。意地汚い」
「吸血鬼に血を飲むのやめろって言う方が意味不明よ」
「……はぁ。猫の姿なだけマシか。分かったよ」
黒猫を肩にのせ、手を差し出した彼は何事もなかったかのように僕と目を合わせる。
「系統強化を練習する上で、こうなることは常に覚悟しておかなきゃならない。僕は治癒魔法使いだってことと痛みを我慢できたから訓練できたけれど、君にそれを強いることはできない」
「だから、貴方が肩代わりして……」
系統強化を教えてくれる。
それだけでも十分なのに、この人は大怪我をしてまで僕を助けようとしてくれている。
どうして、昨日会っただけの僕にこれだけのことをしてくれるんだろう。
少なくとも治癒魔法使いだからって理由じゃない。
「ランザスさんの身体のことは僕もよく分かっている」
「っ」
僕の疑問を察したのか、ウサトさんがランザス様のことを口にした。
「彼の身体は膨大な魔力のせいで内側からボロボロにされて、治癒魔法ですらその場しのぎにしかならない。そして多分……君に治癒魔法を教えさせようとした理由も、彼自身のためじゃない」
「……はい。ランザス様は自分のためではなく、僕のために治癒魔法の教えを受けるようにと。あの方は、自分が長くないからって……いなくなった後、僕が生きていけるように……」
「……やっぱり、か」
ウサトさんも察していたのだろう。
思わず涙ぐんでしまう僕に少し思い悩んだ様子を見せた彼は、僕の肩に手を置く。
「この祭りが終わった後、ランザスさんの身体をなんとかできる人を紹介できるかもしれない」
「そんな人が、いるんですか!?」
「この場で名前を出すことは無理だけど、二人ほど知っている。だけど僕の独断では絶対に無理だ。ちゃんと許可をもらわなくちゃならない。それでも試してみる価値はあるはずだ」
どこまで信じていいか分からない。
でもこの人なら、昨日会ったばかりの僕のためにここまでしてくれる彼を信じたい。
「だけど、方法を教えるだけじゃ駄目だ。レイン、君がランザスさんに生きる希望を教えるんだ」
「僕、が?」
「ああ。一番ランザスさんの近くにいる君が、だ」
「……! やります!」
ランザス様はもうこの先を生きる気持ちがなくなってしまっている。
きっと、助かる方法があると僕やウサトさんが言っても、首を縦に振ってくれないだろう。
治るかもしれない。
これまで、そう言われて何度も何度も希望を打ち崩されて、疲れ切ってしまった彼に、今度は僕が希望を教えてあげないといけない。
「そのために僕を利用するんだ。別に君の国の上の人たちに伝えてもいい」
「いえ、あの……お気持ちは嬉しいんですが、貴方の技術を報告しても理解できないと思います」
「……」
「当然ね。実物を見せられている国のお抱えの魔法使い達が毎日頭を抱えているんだもの。報告だけで理解できたら苦労しないわ」
実際に技を受けた僕でさえ分からないんだから、報告を聞いただけの王国の人たちは理解すらできないと思う。
そもそも治癒魔法とか魔力回しの上辺だけの情報だけじゃ、この人の技術を解析するのは絶対に無理だ。
「コホン。とにかく、この時だけは失敗を恐れるな。気に病む必要もない、どうせ後々ネアに血をあげなきゃいけないんだし、手間が省ける」
「え、これは別腹だから後で普通にもらうわよ?」
「……はぁ。……じゃあ、続きをしよう」
ネアさんの声にため息を零したウサトさんは僕に手を差し出す。
その手を見た僕に、彼は問いかけるような言葉を口にする。
「できるか? レイン」
「やれます」
「いい返事だ」
彼の手を握り返す。
ランザス様を助けたい。
その一心でこの場にいるけど、もう一つやるべきことが決まった。
僕はなにより、この人の信頼に応えなくちゃいけないんだ。
レイン君の決意と(ウサトの)血を見る覚悟。
今回の更新は以上となります。