閑話 彼の最後の旅路
三日目、三話目の更新となります。
前話を見ていない方はまずはそちらをー。
今回は過去話、???視点のお話となります。
あの野郎を封印した後、俺は自らの身分を捨てた。
名前もなにもかもをかなぐり捨てて、最後の放浪の旅に出たわけだ。
その道中で、各地に仕込みをほどこしながら並行して人間の悪意を煽る悪魔を狩り続けた。
悪魔にこれといった恨みはない。
だが、奴らの生き方はこの世に生きる者にとって毒でしかない。
恐怖を得るために人を堕落させ、戦争を引き起こす。
未来のために、俺が試練を課すであろう世界の人間たちのために俺は最後の仕事を行ってきた。
「はぁ……」
雨が降りしきる深い森の中。
雨宿りをするべく一際おおきな木の陰に腰かけ、曇天の空を見上げる。
「六つ、か」
深く被った外套から宙に浮かぶ六つの光球を見つめながら、俺はこれまでの道中を振り返る。
悪魔は見つけ次第、消滅させてきた。
だが全てではない。
限られた個体だけは握りつぶさずに封印したままの状態で保管している。
「あの龍と同じように試練と化すか、どうか」
もう十分なほどに試練は残した。
後は未来の……その時代の人間が困難に立ち向かうだけだ。
このまま悪魔なんて残してはさすがに無理難題すぎるのは自分でも分かっていた。邪龍、性悪魔王、悪魔ときては普通に考えれば対処し切るのは無理だろう。
———だが、そう思う一方で俺は未来なんてどうでもいい、と。
滅んでもいいとそう思ってしまっている。
「……ひでぇ面だな」
地面に溜まった水溜まりを覗き込み、そこに移る自分の顔に自嘲気味に声を漏らす。
水面に映る俺の顔はとても生きている人のものじゃなかったからだ。
こけた頬に伸びた髪に髭、そして暗闇を落とし込んだような真っ黒な瞳。
この世界に召喚される前の生きながら死んでいた頃に逆戻りしたような姿。
「元の、世界……か」
元の……今や遠い別の世界で死ぬはずだった命。
数えるのも億劫なほどの武者の持つ槍に刺し貫かれ、ようやく死ねると思った。
妻と娘を病で亡くし、
戦で無様に負け、
忠誠を誓った主も殺され、
最後に自らの命すらも散らそうとしていた俺が無様に生き延びてしまったのがこの世界だ。
そんな世界でも争いが絶えなかった。
人と人が土地を、飯を食うために奪い合う。
世界が変わったはずなのに、なにも変わっていなかったというのはなんともまあ笑えない冗談だと我ながら笑ってしまったもんだ。
だが、そんな世界で出会った獣の耳と尾を持つ幼子。
病で死んだはずの娘、日凪の面影を見せた幼子に、『カンナギ』と名付けた。
「……すまない」
無意識に零れ落ちた謝罪の言葉。
本音を言うなら俺はナギと向き合うことができていなかった。
あの子を見れば、俺は自らの手で土に埋めた娘と妻の亡骸を思い起こしてしまう。
だが、それでもあいつの存在は俺を救ってくれていたのだろう。
「……」
しかし、そんなちょっとばかりの幸運だけではこの世界はあまりにも残酷すぎた。
人のちっぽけな優しさは、それ以上の悪意で踏み潰される。
俺がどれだけ人を救ったとしても、たった少しの歪で感謝の言葉も、善意も塗り替えられてしまう。
サマリアールで笑っていたあの子のように。
だから俺は———、
「……俺は、いったい、なにがしてぇんだ……?」
今になってそんなことを呟く。
今の人間に絶望し、未来へ賭けた。
そのために俺は多くの手を汚した。
自身のことを信頼していたナギのことを裏切ってしまった。
もう止まることができないのは俺自身がよく分かっている。
軋み、悲鳴を上げる心を無理やり繋ぎ止めながら俺は立ち上がる。
「……終わりにしよう」
今から向かう地に最後の悪魔がいる。
そいつを始末して、悪魔という存在はこの世から消える。
●
「ああ、いるよ。化物がさ」
目的の村には確かにそれらしき気配と、悪魔の存在に怯える村人たちの姿があった。
想定と違っていたのは村人は怯えこそはいたが、目に見えての被害を受けていないように見えたことだ。
人間の心を巧みに操る悪魔にしては少し珍しいくらいだ。
「悍ましいよ。見た目がね、まるで人じゃないんだ。魔物みてぇな羽根に角も生えてんだ」
「……そいつはどこに?」
「村はずれの小屋だよ。あんた退治屋なんだろ?」
乱暴な口調の男に頷く。
魔物を始末する退治屋というのはそれほど珍しくもない。
仮初の身分としてはもってこいだ。
「退治するなら早くしてくれよ? あの家にいられると邪魔なんだよ」
そう語る男の声には普通ではない嫌悪感が帯びていた。
「その家には以前は誰か住んでいたか?」
「んなこと聞いてどうすんだよ」
「興味本位だ。特に意味はねぇよ」
面倒そうに舌打ちをした男は、その小屋のあるであろう方向を見る。
「女が住んでいたんだよ。どっかの貴族の娘だとか。なにかやらかして勘当されたらしくてな。元は別嬪だったらしいが、あの小屋に来てからはやつれていてよ、正直不気味だったぜ」
「その女と魔物には関係が?」
「……知らねーな。女の方はもう死んじまってるから」
口にしたくないんだな、と察する。
そしてこの村にやってきたであろう女が村の者達からどのような扱いを受けていたのかを察する。
貴族とやらについては俺もよく知らんし、進んで知りたくもねぇ奴らだが妙に気になる。
「話を戻すが、その魔物はこの村になにかしたのか?」
「したに決まってんだろ。食い物を盗むんだ。こっちはあんな化物に売る飯なんてねぇのによ」
「……売る? そいつぁ、あんたの店に普通に買いにきたのか? 客として?」
「っ」
俺の問いかけに男が声を詰まらせる。
それに合わせ、周囲の視線が鋭さを帯びる。
余所者である俺に対しての敵意と“これ以上踏み込むな”という警告を感じ取り、大人しく引き下がる。
「変に訊いて悪かったな。……日が暮れたら小屋に行く」
「頼んだぜ。……だが、あんたが死んだときは……」
「ああ、お前達には関係のないことだ」
———そう珍しくもないことだ。
旅をしていれば余所者を歓迎しない村など山ほどある。
むしろ無条件で受け入れる方が何かしらの罠を疑うべきだろう。
「……そういう意味ではリングルはいいところだった、な」
裏のないもてなしを受けたのはあそこが最初で最後だった。
いつ刺客がくるか警戒しているうちに滞在期間が終わり、そのまま国を出て肩透かしを食らったのは今となっては笑える話だ。
「未だに世界は荒れている……」
魔王を倒してすぐに世界が……人の荒れ果てた心が元に戻るわけじゃない。
そんなこと分かり切っていたはずが、その分かり切っていた事実は俺の心に淀みを残していく。
一旦村を出て準備を整えてから件の小屋へと向かう。
「あそこか」
太陽が沈み、周囲が暗闇に包まれる。
村の外に出て少し離れた場所に存在する小屋を見つけた俺は、鉄の剣を引き抜きながら小屋へと近づいていく。
「……いるな」
この小屋の中に悪魔がいる。
気配でそれを察し、魔法で闇を照らしながら扉を押し開く。
小奇麗な部屋。
最低限の家具と食器が並べられた場所で、俺は小さな息遣いを耳にする。
まるで恐怖を押し殺すような声が聞こえる方を光で照らす。
そこにいたのは———、
「……っ」
視線を下げて———そして、目があった。
部屋の片隅で震える小さな影。
「ああ、クソ」
カラン、という音は俺が剣を自らの手から零れ落とした音か、はたまた壊れかけた心に亀裂が入った音か。
人ならざる羽に角を生やしたソイツの恐怖に染まった瞳を見て、俺は自分自身の運の悪さを初めて呪ったのだった。
『さあ、私は誰でしょうか?』
バレバレでしたがヒサゴ視点のお話でした。
登場人物+技説明紹介を更新した後、第十五章は終わり第十六章へ移ります。
登場人物紹介は本日19時頃に更新いたします。




