第三百二十八話
昨日に引き続き二話目の更新となります。
第三百二十七話を見ていない方はまずはそちらをお願いします。
治癒魔法とは本当に怖い魔法だ。
足が動かなくなり、次第に遅れていった隣の奴が治癒魔法の光と共に強制的に全快状態にさせられ、走ることを強制される。
身体には疲労が残らない。
だけど、常に全力を強いられる精神がその変化に対応できずにどんどん削られていく。
『キーラ! そこからの眺めはどうだ!!』
『よく見えます!! 高くて楽しいです!!』
会話だけ聞けば微笑ましい。
見た目が治癒魔法使いがブルーグリズリーを背負って、さらにその上にキーラちゃんを乗せているというものでなければ……!!
『倒れそうな人、ズルしそうな人を見つけたら僕に教えてくれ!!』
『わ、分かりました!! 責任重大ですね!! 頑張ります!!』
『いい子だ!!』
訂正!! 会話の内容も恐ろしすぎる!!
あれって監視役だったの!? そういう意味だったの!?
「あ、ウサトさん。あの人、倒れそうです!!」
「え、それはまずいね。……オラァ!! 気絶してる暇があったら走れ!! 達者なのは態度と口だけかァ!! この愚図が!!」
「んぶひぃ!?」
ウサトとキーラちゃんに暴言を吐き出していた男の目が虚ろになりかけ倒れようとするが、それよりも早くウサトの治癒魔法と怒声が直撃する。
一瞬で現実へと引き戻された彼は必死に足を動かし走る。
「ふ、ふふ、このいつ怒鳴られるか分からないハラハラ感……! あぁ、癖になりそうです……!!」
「ショォォン!! 私に力をぉぉぉ!! ショォォォン!!」
「ダレカ、タスケテ……」
そして隣のやつらが変態すぎて心がくじけそうになる……!!
ヴィーナとかもう隠すことなく興奮しているのが恐怖でしかない!!
●
二〇周を走り終えた頃には、私たちは訓練場で倒れるくらいにまで疲労していた。
ま、まさか本当に全力に近い速さで走らされるとは思いもしなかった……!!
「よしっ、準備運動は終わったな!!」
心って言葉だけで折れそうになるのね……!!
訓練場にたどり着き、疲労困憊で倒れ伏す私たちの前に降り立ったウサトの声が絶望へと叩きつける。
何度も思うけど、なんでこいつ全然疲れたように見えないの!?
理不尽じゃない!?
ブルーグリズリー背負って走ってたのに!!
息も絶え絶えで起きられない私たちに、ウサトは悩まし気に腕を組む。
「……仕方ない。ウルルさん、治癒魔法をお願いします」
「はいはーい!」
「各自、水分補給!!」
この惨状を見て慣れた様子で駆け寄ってきたウルルが倒れ伏した私たちに治癒魔法をかけてくれる。
「たくさん走ったね。確か、エルちゃん……だったよね?」
「え、そ、そうね」
ウサトのことを調査するために話をしたはずだ。
まさか名前までを憶えているとは思わなくて素で驚いていると、ウルルはおもむろに私の土で汚れた手を両手で包み込む。
「大丈夫。貴女ならちゃんと乗り越えられるから。頑張ってねっ」
「ぁ、はい……」
……ハッ!?
あ、危ない! そっちの気はないのにときめきかけた。
治癒魔法使いは皆、一癖も二癖もあるの……? こ、怖い、怖すぎる。
『や、やさしい……』
『て、天使……』
『女神……』
他の奴らは悉く落とされているようだ。
無理もない、と思いながら渡された水筒で喉を潤す。
「さあ、もう十分休んだだろう」
全員が治癒魔法と水分補給を終えたところでウサトが私たちを見回す。
やや不機嫌そうに思える顔と腕を組んだその姿は異様に様になっているあたり、昨日の奴とは別人に見えてしまう。
『こ、こわい……』
『あ、悪魔……』
『魔王……』
「誰が無駄口を叩いていいと? ……次の訓練だ」
静かになったところでウサトは次の訓練を指示する。
彼はおもむろに両手を掲げ、ぱん、と音を立てて手を合わせる。
「僕が一度拍手をしたら腕立て伏せ一回だ。それほど難しくはないし、簡単な訓練だよ」
さあ、みんな広がって腕立て伏せの準備っ! ……と、明るく指示したウサトに従い、私たちは地面に手をついて腕立て伏せの体勢に移る。
内容だけ聞けばそれほど難しくはない。
「ウルルさん、いつでも治癒魔法を使える準備を」
「了解っ!」
「ハンナさん、楽をしようとした人には幻影魔法でペナルティを」
「うえぇ、そこまでしますか……?」
「キーラには、今から魔力回しの基礎を教えるから待っててね」
「はい! よろしくお願いします!!」
今さりげなく幻影魔法でペナルティって聞こえたんだけど。
と、思っているとウサトが手を叩き腕立て伏せの合図が鳴り響く。
すると、どうだろうか。
手を打ち鳴らしたウサトの手から治癒魔法の粒子のようなものが周囲へと広がっていくように見える。
「……まあ、腕立て伏せなら兵士時代に何千回もしてるしね……」
これだけって感じなら別に平気だ。
治癒魔法を使われているならなおさらだ。
「……」
音が鳴る。
腕立て伏せをする。
「……」
音が鳴る。
腕を曲げる。
「……」
音が鳴って、腕立てをする。
そんな単調で地味な訓練がいつまでも続いていく。
治癒魔法によって体は常に癒されていくのは分かる。
このままずっと続けられる自信はある。
だけど、これはいつになったら終わるのか。
そんな思考を挟んでいる間にも、ウサトの手が打ち鳴らされる。
無心でいられなくなり、徐々に余計な思考が私たちの頭によぎり始める。
次に手が打ち鳴らされるまでの時間が、果てしなく遠い。
私たちは、なにをさせられているのだろうか。
すごく、辛い。
疲れていないはずなのに、身体が言うことを聞かなくなってきている。
規則正しいリズムで打ち鳴らされる手拍子を、聞くのが苦痛になって……!!
「あ、あの!!」
「ん、なにかな?」
一人が声を上げても手は打ち鳴らされる。
隣で恍惚としているヴィーナ以外の全員の視線を集めた男は、顔に汗をにじませながら笑みを顔に張り付けたウサトに質問を行う。
「こ、これは、いつになったら、終わりですか?」
「……。終わり? いつ終わりかだなんて決めてないよ」
き、決めてない……?
唖然とする男と目を合わせたウサトは、まったく悪意を感じさせない様子で続きの言葉を口にする。
「だから数えていないんじゃないか」
そしてまた手拍子が、静かな訓練場に鳴り響く。
●
八日目
こころが しぬ
だんだんと つらい とさえ おもえなくなる
わきあがるしこう は けずられ
さいごには なにも かんがえられなくなる
ああ そうか
これが さと
———
「ふぅー」
「はぁんっ!?」
何者かに耳に息を吹きかけられ椅子から転げ落ちる。
口元に手を寄せたヴィーナはにこにこと微笑みながら浮かべながら私を見下ろしていた。
「や、やややや、やめなさいよぉ!! びっくりしたじゃない!?」
「いえ、なんだかブツブツ呟きながら手帳に文字を書き殴っていたので。……正気に戻りましたか?」
「……えっ」
なんで私、日記なんて書いているの?!
書いてることも怖ぁ!? 無意識になにを書いていたんだ私!?
一日の訓練が終わった後、宿舎に戻った私は崩れ落ちるようにベッドに倒れ込んだ……ところまで覚えている。
気が付いたら私はヴィーナの悪戯で目を覚まし、椅子から転げ落ちていた。
「そもそもなんで貴女がここにいるの?」
「覚えていないんですか? 私とノノさんは今日から貴女の部屋に泊まることになったんですよ?」
「……あ、そういえば……」
元々、ここは兵士宿舎で戦争時は私一人で住んでいたわけじゃない。
戦争が終わり、兵士をやめる者が出たことで結果的に一人部屋みたいなことになっていたけれど……。
今日、募集で集まったメンバーの中で数少ない女性隊員であるノノとヴィーナがここに住むことになったんだった。
「それで、ノノは?」
「そこのベッドの上でさっきまでの貴女と同じく気絶しています」
「あー……」
見れば死んだようにベッドに沈んでいるノノの姿がある。
私もそうだったのだから無理はない。
「しかし、やはり聞いていた通りのお人でしたねぇ。うふふふ」
「なんで貴女そんなに元気なの……?」
どう見ても私とノノと比べると元気なヴィーナに素直に疑問に思う。
「私って人が泣いたり苦しんでいる顔とか、感情が大好物なので」
なんで私こいつと同室なの!?
4人用の部屋を1人で利用していた私が言うのもなんだけど、今から別の部屋にこいつ移動させられない!?
「でも、それ以上に私自身がそんな目に遭うのも好きです。個人的にはこっちの方が……ふふ」
「この変態が!!」
「あぁっ!」
無駄に色っぽく喘ぐなぁ!!
なんだこのやばい奴! 今までどこに隠れていたんだよ!?
頼むから宿舎にいる間は私を休ませてよぉ……ッ!!
「……ん? あれ、ノノは?」
さっきまでベッドで寝ていたノノの姿が消えている。
起きたのかな? いや、それにしても……んん?
「あの子の荷物もなくなっているけど……」
「ふむ……これは、あれですね。逃げましたね」
逃げちゃったか……。
まあ、あの子に限ってはウサトから離れるために入ったのに、ウサトの訓練を受けることになってしまった残念な子なので別に止める理由もな——、
「二人っきりですねぇ。エルさん」
「やっぱりノノ連れ戻してくる!!」
この変態と一緒の部屋は普通に嫌だぁ!!
割と真面目に身の危険を感じるので私はノノを呼び戻しに駆けだすのであった。
●
私にとってあの治癒魔法使いは未だにトラウマ的な存在である。
私の行く場所の先々に出没しているので、多分私を完全にターゲットにしている。
挙句の果てには、ハンナさんまでも……!!
「悪魔の傀儡となってしまった……!!」
私だけでも逃げなければならない。
そんな決意を固め、荷物を持って宿舎から脱出した私は、暗い夜道へと飛び出す。
「まずはショーンと合流してから……」
それからどうするかは考えよう。
頼れる相棒のショーンさえいれば後はどうとでもなる。
「よし、このまま——」
「あれ? ノノさん?」
「んひっ!?」
背後。
宿舎の裏庭、暗闇から現れた気配とその声に体の底から震える。
「ち、治癒魔法使い……!?」
「ははは、今は訓練外だからウサトでいいですよ」
見た目だけは人当たりのいい笑顔を浮かべて近づいてきた彼に、咄嗟に荷物を隠す。
あ、あの時の悪魔のような姿が脳裏にちらつく。
奴は明かりのあるところにまで出てくると、私に頭を下げてきた。
「この前は驚かせてしまいすみませんでした」
「えっ……」
「一応魔王領に潜入中だったので変装する必要があったって理由があったんですけど、まさかあそこまで驚かれるとは思わなくて……。ハンナさんに聞きました。結構トラウマになっちゃっているみたいだって……」
普通に謝られて驚く。
な、なんだ、昼間の時と同じように人格を使い分けている……!?
……も、もしかしたらハンナさんも警戒を解いているし、そんなに悪い悪魔じゃないのかも……。
「その……戦争中でしたから謝る必要もないと……思います」
「別に僕、悪魔でもなんでもないんです。あれ、僕の仲間の能力で魔族とか悪魔に見えるようにしていただけなんですよ」
「それはそれでやばいのでは……?」
どうやったら魔族と悪魔に見えるようになるんだろう。
地味に疑問に思っていると、やや安堵した様子のウサトが話を切り出してくる。
「ああ、ハンナさんにお聞きしたのですが、ノノさんの相棒にショーンという飛竜がいますよね」
「そ、そうですね……ま、まさかショーンになにか!?」
「? いえ、さすがにここから飛竜の世話をするのは大変だと思い。こっちの厩舎に連れてきたんですよ」
ということはここにショーンが……?
もしかしてこの人、いい人間……?
「さすがに了解を取った方がいいと思ったのですが……。なぜかハンナさんに急かされて」
「あ、ありがとうございます」
「僕もブルリン……ブルーグリズリーを相棒としていますし、大切にする気持ちはよく分かります」
元兵士の私達からすれば、この治癒魔法使いがブルーグリズリーを相棒としているのはよく知っている。
……そういう意味では、私とショーンと同じかもしれない。
「これで心置きなく訓練に集中できますね」
「えっ」
「近くに相棒がいれば、集中が途切れることもないですし」
あれ? これって私脱走できなくなった?
ショーンがここに移動させられたから、ここから離れられなくなった……!?
「もしかして……」
ショーンをここに連れてきたのって私がここを離れられないようにするためじゃ……!?
ひ、昼間の豹変具合を考えるとこの男が何を考えているのか、さっきの言動が善意からのものかもわからない。
ただ一つ言えることは、私はここから逃げることができなくなってしまったということだ。
「あ、え、その……私、訓練……」
「はい?」
「やめ……いや、今日の訓練ってどんな意味があったんですか……?」
訓練をやめたい、という言葉が出ないぃ……。
私の質問にウサトは少し困ったように笑う。
「魔族の皆さんは体力面は鍛えられていると思ったので、心の方を鍛えようかなって」
「ココロ……?」
「ええ、魔物の領域は話に聞けば、いつ凶暴な魔物に襲われるか分からない環境らしいです。そこで求められるのは常に周囲に神経を研ぎ澄ませる集中力と、過酷な環境で正気を保つ精神力です」
そこで……、と続けたウサトは唐突に手をパンッ、と鳴らす。
今日の腕立て伏せの時と同じ音に、ぞわり、と背中に気持ちの悪い感覚が走る。
「ひっ」
「なら訓練方針的には肉体を鍛えつつ、その精神を追いつめに追いつめて強くする方がいいと考えたんです。……大丈夫ですか?」
「大丈夫です……」
駄目だ、身体にトラウマが刻まれている。
うっかり腕立て伏せをしそうになった自分が怖くなる。
「疲れているようですし、あまり長話をするのも悪いですね」
「え、ええ……」
「そろそろ、僕も宿舎に戻ります」
訓練時の怖い顔と今の顔、どちらが本物なのか分からない。
いや、どっちも本物ということでも怖いことには変わりないけれど。
「それではまた明日もよろしくお願いします」
「……」
「うん?」
「えっ、よ、よろしくお願いします……」
不思議そうに首を傾げるウサトに声を震わせて答える。
それで終わりなのか、彼は宿舎から離れるように暗い夜道を進んでいく。
「……に、逃げられぬぅ」
治癒魔法使いから逃げたい、という意思はあった。
でもそれと同じくらい今日の訓練はやばかった。
ショーンがここに連れてこられたから、迂闊に動けなくなってしまったんだけど。
「ハッ、まさかハンナさん、これを分かって……!? う、ううう裏切りおったなぁ……!!」
「出て行ったと思ったら、扉の前で何やっているの……? ノノ」
後ろの扉から出てきたエルさんに不思議そうな顔をされてしまう。
それでも私は地面に手をつきながら、このどうしようもない状況にただただ慟哭するしかなかった。
※ウサトとハンナは善意でショーンを移動させました。
いつ終わるか分からないものほど怖いものはない……を、行うウサトでした。
今回の更新は以上となります。




