閑話 魔王の“お願い” 前編
お待たせしました。
閑話となります。
前編、後編と分けましたが、二日にわけて更新するほどの長さでもないので、予定変更して続けて更新いたします。
「シエル、貴様に頼みがある。聞いてくれるか?」
魔王軍の皆さんが帰還なさって間もない頃。
魔王様の侍女である私に、魔王様がそんなことを言ってきた。
場所は、城下町が見渡せる城塞の上なのだけど、思いもよらない魔王様のお言葉に、一瞬私の耳がおかしくなったのかと思った。
「え? 魔王様、今、なんと?」
「貴様に頼み。言い換えるならば、お願いがあると言ったのだ」
魔王様が、私に、頼み?
現在、魔力を大きく使ってしまった魔王様はその回復のために、魔王領に及ぼしていた力を最小限にとどめたまま生活している。
そのせいか魔王様の行動範囲は城の広間から外にまで広がり、以前よりも外を歩くようにはなった。
しかし、そんな魔王様からの頼み。
しかも、“お願い”と茶目っ気を装った実質的な命令。
私は、どんな理不尽な命令が来るかと思い、密かに故郷で喧嘩別れした母への遺書を書くことを決意していた。
「どうして、そう死にそうな顔をするのか分からんが、さほど難しいことではない」
「え?」
「これから、この場所に向かってはくれないか?」
空間に浮かんだ魔法陣から一枚の地図を取り出した魔王様は、それを私に見せた。
そこには魔王領の明細な地図と、赤い印のようなものがつけられている。
「あの、ここは?」
「以前、我が軍が根城にしていた場所だ。ここを少しばかり確認してきてほしい」
見たところ、中々に遠い場所にある。
しかし、魔王様たってのお願いだ。断ることなどできよう筈もない。
侍女として最も近くで仕えていて分かるけど、魔王様は命令しているって自覚はない。
単純に、私を信頼しているからこそのお願いなのが、やばい。
「なぜ、私なんですか? 私、侍女なのですが……」
「ふむ。貴様を信頼しているということもあるが。貴様の視点から見た“あの場所”について聞いてみたいと思ってな。……心配するな、護衛はつける」
「はぁ……」
信頼していると聞いて一瞬胸が高鳴ったが、どこか含みのある言い方に不安になってしまう。
「魔王様、お呼びでしょうか?」
すると、城塞に私達以外のもう一人が現れる。
振り向くと、そこにいたのは銀髪の魔族、第二軍団長のコーガ・ディンガルさんだった。
今回の戦いで左腕を失ったとは聞いていたけど、彼は気軽な様子でないはずの左腕を掲げていた。
「コーガよ。左腕は大事ないか?」
「全然問題ないですよ。むしろ、前以上に俺の魔法に馴染んでいる気さえします」
コーガ軍団長の黒く染まった左腕が変形し生き物のように蠢き、鋭利な刃物へと変わる。
彼の腕が本物ではなく、闇魔法で作られたことに気付き、思わず「うっ」と思ってしまうが、そんな私を気にするまでもなく、彼は楽し気に笑う。
「それで、なぜ俺をここに?」
「貴様に私の侍女の護衛を頼みたいと思ってな」
「護衛? どこかへ行くのですか?」
「あの、ここらしいです」
コーガ軍団長が私の手にある地図を覗き込む。
ふーん、と興味深そうに頷いたコーガに、魔王様が言葉を発する。
「軍の立て直しをしている今、貴様は手持無沙汰だろう? ここで貴様を腐らせるよりかは、動かしていた方がこちらとしても都合がいい。それにだ」
一旦言葉を切った魔王様は、コーガ軍団長を見て小さく口の端を歪める。
「護衛として向かう場所は、貴様にとって面白いことが起きるかもしれないぞ?」
「……本当に魔王様は人を乗せるのが巧い。護衛の任、了解しました」
二ィ、と物騒な笑顔で護衛を受けるコーガ軍団長。
魔王様は満足そうではあるけど、私としては正直、コーガ軍団長が怖いのだ。
だって、仕事をしないことで有名だし、何より先の戦場では“キュウメイダン”のウサトという、やばい治癒魔法使いを相手に笑いながら殴り合いをしていたという噂を聞いているのだ。
「では、任せる。護衛の者は増やしても構わない。貴様の裁量に任せる」
「お任せを」
それだけ言った魔王様は、その場に私とコーガ軍団長を残して城の方へ戻っていってしまう。
私はびくびくしながら、城下町を見て笑っているコーガ軍団長を見る。
「あ、あの、コーガ軍団長……」
「うん? ああ、あんたは俺の部下でもねぇし、魔王様の大事な侍女だからな。コーガで構わないぞ」
「で、では、コーガさん。これからどうするんですか? すぐに、出発ですか?」
私の質問にコーガ軍団長———いや、コーガさんは思案するように腕を組む。
「まあ、すぐに出発してもいいが、まずは連れていけそうなやつを誘ってみるか。護衛は俺だけで事足りるだろうが、何が起こるか分からねぇからな」
「……」
意外としっかりと考えてくれていることに素で驚く。
年齢的に私よりも年下ではあるけども、話で聞いていたよりはしっかりとした方のようだ。
「まず軍団長の俺を護衛に当てる時点で、魔王様が何かしらの事態を想定しているのは明白だな。だったら、それなりの奴を護衛に連れてくるべきだ」
「だ、誰を?」
「アーミラは……あいつ、帰るなりネロのおっさんと修行を始めちまったからなぁ。あいつが駄目だとすると……比較的暇そうで、そこそこ戦える……ギレッドのおっさんは、駄目だ。あの人がいなくなったら、魔王軍が瓦解する」
数秒ほど考えて、ハッとした顔になったコーガさん。
その表情は年相応の子供のもので、ちょっとだけ彼への印象が変わった。
「よし、さっそく行こうぜ」
「え、あ、ちょっと待ってください」
即座に思いついたことを行動に移すコーガさん。
一体、誰に護衛を頼むのだろうか、と疑問に思いながら私はコーガさんについていくのであった。
●
コーガさんが向かった場所は、城の外にある兵士の宿舎であった。
現在は、傷ついた兵士達の治療と、それぞれの部隊の立て直しが行われており、兵士が生活しているここでさえも、人の通りは少なくなっている。
「軍の立て直しは、ギレットのおっさんが主導でやってくれてはいるが……一体、どれくらいかかるんだろうな。少なくとも、魔王様は進軍ではなく迎撃のための編成を考えているようだが。そのあたり、侍女としてなにか聞いてないか?」
「いえ、私の立場では、そのようなお話はあまり聞きませんね」
部隊別に作られた宿舎の間を歩きながら、コーガさんを見る。
実は、以前から魔王軍の中で噂になっている“治癒魔法使い”のことが気になっている。
嘘か真か、戦いに行かない侍女という立場だからこそ、その真偽を確かめることはできないが、実際に相対し、戦った彼ならば、話を聞かせてもらえるかもしれない。
そう思い、私は少しばかりの勇気を振りしぼり、コーガさんにリングル王国の治癒魔法使いについて聞いてみることにした。
「あの、コーガさん」
「ん? なんだ? えーと……」
「あ、シエルです。その、魔王領内で噂になっている治癒魔法使いについてなんですが……あれって本当の話なんですか?」
「おう、事実だ」
あ、あっさり認められてしまった。
頬を引き攣らせる私に、コーガさんは楽し気に目を細めながら勝手に治癒魔法使いについて語っていく。
「あいつはなぁ。本当にやべぇ奴でさ。治癒魔法使いなのに肉弾戦を仕掛けてきたりするんだよ。最初に戦った時なんて、訳わからねぇ原理で治癒魔法で衝撃波を叩き込んできてさ」
「治癒魔法で衝撃波?」
「あとになって判明したんだが、まさか系統強化を意図的に暴発させた衝撃だなんて、予想外もいいところだぜ」
「系統強化を暴発?」
「まあ、それを使う前から相当だったな。なにせ闇魔法を纏っている俺を相手に、近距離でぶん殴ってくるしな。いやぁ、あの時は本当に楽しかった」
待って、理解が追い付かない。
え? 人間? 人間の話をしているんですよね?
「で、次に戦ったらあいつ、今度は俺の元部下と同化したんだよ」
「ドウカ?」
「言い方を変えれば合体だな。闇魔法の力を取り込んだあいつは、全身の至る場所から魔力を暴発させてきてな。あんときの蹴りは、正直、マジで一撃で意識を持ってかれるところだったぜ」
「闇魔法を取り込む?」
治癒魔法要素はどこなんですか?
駄目だ。話を聞いただけでは、その治癒魔法使いのイメージが人間として思い浮かばない。
身長三メートルの筋骨隆々の人間の形をしたナニカってイメージで固定されてしまっている。
「俺と戦った後も、色々とやらかしたらしいが、まあ、ほとんどが事実だろうな」
「触手とか、悪魔の翼とか、戦車と化したブルーグリズリーの背に乗り魔物を蹂躙したとかも……?」
「見てはいねぇが事実だろうな。むしろ事実じゃないことの方が少ないんじゃないか? あいつの場合」
すごい信頼だ。
なんだろう、コーガさんの口ぶりには完全に敵対する相手以上のものがある。
「ま、あいつ……ウサトに色々とトラウマを刻みつけられた奴もいるしな。やれ飛竜から叩き落とされただとか、至近距離で放った矢を掴み取られて、その上張り倒されたとか、今回だけでも相当暴れまわっていたな」
「敵なのに、嬉しそうに話すんですね」
相手は、勇者と同じく魔族に仇なす存在だ。
それをさも嬉し気に語るコーガさんに少しばかり棘のある言い方になってしまった。
「あいつは俺の好敵手だからな。あいつが強くなればなるほど、戦う俺も強くなる。ま、あいつからすれば迷惑な話だろうが、敵同士なので気にしてやらないってわけだ」
「……」
「おいちょっと、露骨に俺から距離を取るのはやめて」
普通に引いた。
敵ではあるもののウサトという治癒魔法使いに少しばかり同情してしまった。
「は、話を戻すが、トラウマの話だが……その中で特に酷い奴がいてな。つーか、うちの第三軍団長なんだがな」
「え、ハンナ様がですか!?」
ハンナ・ローミア。
新しく第三軍団長となった女性であり、幻影魔法の使い手。
搦め手と智謀に長けた人で、魔王様の前でお会いした時は恰好いいと思うと同時に、ちょっとだけ怖い印象を抱いた人でもある。
「いや、調子に乗ってウサトに幻術かけようとしたらしんだよ。しっかし、どういうわけかあいつ幻の類は効かねぇらしくてさ、逆に驚かされて捕まっちまったんだよ」
「……」
「はっはっは、傑作だよな。なんだよ、幻に耐性って」
もう悪魔かなんかじゃないんですか?
幻への耐性とか、どうやったらそんな耐性が身につくというのだろうか。
あれか? 強力な幻を延々と見せられ続ければいいのか? そんなことすれば間違いなく精神が壊れるでしょうけれど。
「で、そのハンナを護衛として連れていけねぇかなって」
「……もしかして、今向かっているのは……」
「ハンナのいるところだ。ほら、丁度見えてきたぞ」
コーガが指さした方を見ると、他の兵達の宿舎よりも一回り大きな建物が目に入る。
やや古びてはいるものの外観自体は宿舎と差異はない。
まず、扉の前でコーガさんは「ハンナー! コーガだー! 開けてくれー!」と声を張り上げて、ハンナ様を呼ぶが反応はない。
それにコーガさんは首を傾げる。
「ん? いねぇな。裏手の方か?」
「あ、ちょっと勝手にいかない方が……」
関係なしとばかりに彼は建物の裏手に進んで行く。
この行動と決断の早さが第二軍団長たる所以なのだろうかと思いながら、彼についていくと建物の裏手に綺麗に整えられた花壇を発見する。
そして、その花壇の一つにこちらに背を向けるようにしゃがんでいる女性を見つける。
「フ、フフ、魔王領の外の栄養のある土ならば、立派に育つことでしょう。フ、フフフフ」
悪だくみをするような不吉な笑みを零しながら、スコップ片手に花壇の手入れをしている第三軍団長、ハンナ様がいた。
あまりにも私が抱いていた第三軍団長のイメージとは違いすぎて、私だけではなくコーガさんまでもが言葉を失ってしまうのであった。
「フフ、ん? ……え?」
そして、私達の存在にようやく気付いた彼女は自身の手元と、こちらを交互に見ると一気に顔を青ざめさせる。
それを見たコーガさんは気遣っているつもりなのか、親指を立てながら満面の笑みをハンナ様へと向けた。
「意外だが、まあ、可愛い趣味だぜ! うん!!」
「コーガ君……!」
「ちょっとババくせーけど! 俺はいいと思う!!」
「……」
なぜこの人は的確に、特大の煽りをかましたのだろうか?
無言のまま、無数の紫色の魔力弾を生成させたハンナ様。
慌てて弁解の言葉という、煽りをいれていくコーガさん。
殺到してくる魔力弾を前にした私は、もうこの時点で心がくじけそうになるのであった。
負けたらギャグキャラという理不尽。
戦闘以外は基本ポンコツかつ、デリカシーのないコーガでした。
次はすぐさま更新いたします。