第二百十四話
お待たせしました。
第二百十四話です。
『———』
声が聞こえる。
それは、何か大事なことを伝えようとしている気がする。
しかし、僕にはそれが分からない。
響く声はやまびこのように木霊し、ばらばらになって僕へと伝わってくる。
『———! ———ッ!』
その声を聞き逃してはいけない。
ぼやけた意識の中、漠然とそう感じた僕は、その声を聞き取ろうと意識を集中させる。
両手を耳に添えて、耳を澄ませる。
『来て……駄目。私……声に、騙され……ない、で』
微かに、断片的に捉えた声。
ようやくそれを聞き取ったその時、漂うだけだった僕に見える景色が、一瞬にして変わる。
暗転しながら目まぐるしく回る視界。
永遠に続くかもしれないと、錯覚するほどの光景に飽き飽きとして瞳を閉じて、次に目を開けた時には———、
「あ、ウサト君。目が覚めた?」
「……先輩?」
僕の顔を覗き込む先輩の姿があった。
周りを見れば、見覚えのある部屋の中にカズキ、先輩、レオナさんと、フェルム、アマコ、ナックがいる。
僕を含めて七人が向かい合うように座っており、部屋——馬車の中はガタゴトと揺れている。
「ああ、そうか。リングル王国を出たんだな、僕は……」
魔王討伐の任務を受けた僕達は、魔王領に出発する際の準備をする場所、拠点へ向かうために城が用意してくれた馬車に乗っていた。
汗の滲んだ額を拭いながら、座っている背もたれに再び背中を預けようとして、肩でフクロウ状態のまま昼寝をしているネアに気付く。
「いないと思ったら、僕の肩にいたのか……」
「ホー……」
いや、馬車に乗った時は普通に席に座ってたはずだよね? いつのまに僕の肩に来たの?
肩のネアを見て、首を傾げている僕に正面にいる先輩と隣に座っていたアマコが話しかけてくる。
「ウサト君、どうしたの?」
「顔色悪いけど……」
「あ、えーと、変な夢を見ちゃいましてね。……どんな夢を見たのかは覚えてませんけど」
夢と聞いて、アマコが首を傾げる。
「怖い夢?」
「いや、怖くはなかったような気がする」
内容は本当に覚えてない。
だけど、忘れちゃいけないことを、忘れてしまったような喪失感がある。
少し悩む素振りを見せながらも、アマコは続けて僕に疑問の言葉を口にする。
「それじゃあ、ローズさんに訓練される夢?」
「怖くないって言ったよね?」
「ウサトって訓練大好きだから、ついに寝てる間も訓練しだしたのかと」
「……」
「あ、ごめん、今の無し。だから『その手があったか!』みたいな顔やめて」
夢の中で訓練か。
イメージトレーニングの延長みたいなものかな。
「まあ、それほど気にするほどでもないと思う」
「そうだね。私の夢とは違って、ウサトのは普通の夢だろうしね」
むしろ、僕が予知夢を見たら何事だって思う。
『ううむ、ウサト君が昼寝をしている間に、また膝枕をかませるかと思ったのにできなかったな』
『スズネ殿、そういうことをするのは、あまりよくないんじゃないか……?』
『レオナさん、止めてくれるな。私には、これしかないんだ……!』
何やら先輩がレオナさんと小声で話している。
感じからして、先輩がレオナさんを困らせているようではないけど……。
「カズキ、出発してからどれくらい経った?」
「大体一時間くらいだな」
「一時間か。それほど時間が過ぎてなかったな……」
馬車に入ってすぐに睡魔に襲われたから、リングル王国の城門を潜ったところさえ覚えていない。
思っていた以上に緊張していたのかもしれないな……。
「とうとう、出発しちゃったんだよな……」
「そうだなぁ。一旦拠点に立ち寄るけど、当分はリングル王国に帰れないかもしれないな」
カズキの言葉に頷き、次に緊張したまませわしなく外の景色を見ている、ナックへと話しかける。
「ナックは、馬車に乗るのは初めてかな?」
「い、いえ! 小さい頃に何度か乗ったことはありますけど……」
ローズ達のいる拠点に連れていくため、ナックを乗せてもらえるように許可をもらった。
ウェルシーさんもセルジオさんも、城の仕事を手伝っていたナックのことは知っていたようで、快く馬車に乗ることを許可してくれた。
肩身がせまそうにしたナックは、ちらりと先輩達を見る。
「スズネさんやカズキさん、ミアラークの勇者に選ばれたレオナさんがいらっしゃる馬車に、同席していると考えると緊張しちゃいまして……」
「はは、レオナさんとは初対面だし、緊張しちゃうのも仕方がないね」
既に紹介は済ませてはいたが、ナックにとっては余計緊張することになったのかもしれないな。
「……子供に距離を取られやすいのだろうか、私は……」
と、考えているうちに会話を聞いていたレオナさんが地味に落ち込んでいる。
これはフォローせねばと話かけようとすると、別の席から声がかけられる。
「ふん、この程度で緊張するなんて、まだまだだな」
そんな声が聞こえてきたのは、馬車の一番端っこからであった。
人二人分ほど距離を置きながら、一番端に座ったフェルムに、ナックがジト目で言葉を返した。
「そういうフェルムさんは、どうして一番端に座っているんですか」
「……ボクは不必要に馴れあわないだけさ」
フッ、とニヒルに笑みを浮かべたフェルム。
そんな彼女に気付いたのか、先輩が満面の笑みを浮かべて立ち上がる。
「フェルム! そんな暗い所にいないでこっちに来なよ!」
「絶対に嫌だ! 誰がお前のような変人のところに行くか!!」
「そう言わずに、一緒に旅をする仲なんだから」
「こっちに寄って来るな! 怖いんだよお前ぇ!!」
ゆっくりとフェルムの元へ向かおうとする先輩に、
「スズネ、騒がないで」
「いや、私は孤独になりかけている子を――」
「ウサトに飛び掛かろうとしないで」
「しないよぉ!?」
……え? このタイミングで僕に飛び掛かろうとしたの? 不意打ち?
大きな反応を見せる先輩に、アマコが淡々と言葉を発する。
「予知で見た」
「予知冤罪だよ!? ウサト君! 私がいきなりそんな変なことすると思う!?」
「……いや、その……えーと……」
「どれだけ信用ないの私!?」
困った反応をする僕に、先輩はガビーンとショックを受ける。
「ま、まさか、数秒先の私がそんな大胆な行動に出るなんて……! いや! むしろ、未来の私が実行したと決定づけられた運命ではないのだろうか!? つまり、今やってしまってもオッケーということになるのだろうか? 待て、ここは馬車の揺れで足をとられて、偶然を装っていくって感じで――」
先輩、めっちゃ早口でなにかを言ってる。
僕と先輩のやり取りを見てくすくすと笑みを浮かべていたアマコだが、突然ぎょっとした顔になる。
なにかあったのだろうか?
「じょ、冗談だよ。スズネ」
「そうと決まれば……って、え? 冗談?」
「うん。ちょっとからかっただけ」
呆気に取られた先輩。
僕は、なんとなくアマコの冗談だと分かっていたけど、本物の予知じゃなくてよかった。
防ぐにしても避けるにしても、何かの拍子で先輩が怪我をしたら大変だからな……。
「ふ、ふぅ、危なかった。予知でそうなるなら、このまま飛び掛かってやろうと思っていたところだったよ」
「なんで貴方は、そうその場任せなんですか……」
あ、あっぶねー。
あのまま続けてたら、冗談の予知が現実になっていたとか。
アマコも「そこまで予知してなかった」って冷や汗かいてるし、やはり恐ろしい人だ。
大人しく席に戻った先輩を見て、さっき詰め寄られかけたフェルムが安堵のため息を零している。
相変わらず僕達とは距離を離しているけど……うーん、大丈夫だろうか。
近くにナックがいるから話し相手はいるのだろうけど。
「ウサト、ちょっとフェルムと話してきていい?」
「え? 君が?」
隣にいるアマコが小声で話してきた提案に驚く。
気絶した僕を看病するために宿舎にいたアマコだが、その時もフェルムと話していた様子はない。
多分、まともに話すのが今が始めてだろうけれど、大丈夫だろうか?
「一回、ちゃんと話したいと思ってたんだ。あの人も、私とフラナと同じだし」
「たしかにそうだね。……話してみるといいよ。口は悪いけど、良い子だよ」
「うん」
そう言って、フェルムの隣の空いている席に向かうアマコ。
彼女がフェルムの隣に座り、ナックを交えて三人で会話を始めたところまで見た僕は、彼女達から視線を外す。
「……暇つぶしに本でも読むか」
ネアに持っていくように言われた本を取り出すべく、足元に置いたカバンを膝に置く。
旅の荷物の大体は、別の場所にまとめてしまってしまったので、カバンに入っているのは本とか手拭いくらいしかない。
とりあえず目的の勇者の手記を取り出そうとすると、カバンがもぞもぞと動いたことに気付く。
ん? なんだ?
首を傾げると、カバンの隙間からひょこっと黒い耳と小さな頭が飛び出す。
「ククル? なんだ、ここにいたのか」
「キュッ」
団長のペット、ノワールラビットのククル。
実は出発前にこいつを探していたのだけど、僕のカバンの中に潜んでいたのか。
なんで早く出てこないんだと怒るべきなんだけど、僕を驚かせたかったと考えれば、それほど怒りもわかない。
カバンから飛び出し、僕の手を伝って腕を上っていったククルは、肩の上で寝ているフクロウ状態のネアを後ろ足で蹴落とした。
「おわっと!? ……全く、この子は……」
「うぅ……ホゥー」
咄嗟に両手でネアを受け止めるが、肝心の彼女はうなされるだけで起きない。
どうしていいか分からず、そのまま掌においたままククルに注意する。
「こら、喧嘩をするな」
「キュ……」
「はぁ、反省してるならいいよ」
しょんぼり、としたククルの頭を指でなでる。
いや、甘いのは分かってるけど、どうにも憎めない。
これを分かってやってるから、小悪魔なんだよな。
「う、うううう、ウサト君! な、なんだいその爆発的にかわいい子は!?」
「ウサト。もう一匹、使い魔がいるのか?」
「……ノワールラビットか? これはまた……随分と珍しい……」
気づけば、先輩、カズキ、レオナさんが僕の肩にいるククルに注目していた。
先輩は、ある意味予想していた通りの反応ではあるけど……。
「あれ? 教えていませんでしたっけ?」
そういえば、なんだかんだでククルのことは教えていなかったような……。
レオナさんが知らないのは当然として、先輩もカズキもそう何回も救命団の宿舎に来ていなかったしな。
ククル自体、自由に動き回っていていないし。
「初めて見たよ! そして今心奪われた!」
「すみません。僕に分かる言葉で話してください」
分かるけれど、あまりの勢いに頭がついていかないです……。
しょうがないな、とばかりに腕を組んだ先輩はキリッとした表情に切り替えると、演劇のように手を前に差し出した。
「ああ、漆黒の君よ! 私の心は、その麗しく果実のように赤い、罪造りな瞳に盗まれてしまった……!」
「誰が格好よく言えと……」
同性の心すらも射止めそうな勢いがあったけど、それを向けられたのがククルなのが悲しいところだ。
当のククルは興味なさそうに、毛づくろいをしている。
とりあえず、左手にのせているネアに気を配りながら、肩にいるククルを指さす。
「この子は、僕の使い魔じゃなくて団長のペットです。レオナさんの言った通り、ノワールラビットって魔物で、名前はククルっていいます」
「へぇ、ローズさんの……なんというか、意外だな」
「はは、僕も最初は同じことを思ったよ」
興味深そうにククルを眺めているカズキに同意する。
実際は、ローズの相棒に相応しい知能と理不尽さを兼ね備えた魔物なんだけどね。
まあ、見た目も仕草も間違いなく可愛いからな……騙されるのもしょうがない。
「まさか、ここでノワールラビットが見られるなんて……」
「レオナさんは、ご存知なんですよね?」
「ああ。……とても臆病で警戒心も強いと聞いている。類まれな探知能力を持っていることから、滅多に人間の前に姿を現すこともないんだ。私も、実際に見るのは初めてだ」
……臆病? え? こいつが?
むしろ率先して、相手を騙しにかかろうとするヤバいウサギかと……。
「君は、本当に魔物に好かれるな」
「そうでしょうか?」
のんびりと肩に居座っているククルと、掌で寝ているネアを見たレオナさんがそう口にする。
それに同意するようにカズキが頷いた。
一方の先輩は、無言でこちらをジッと見つめている。
怖い。
「たしかに。ネアもブルリンも魔物だしな。その子もローズさんのペットだっていうし、もしかしたらローズさんに近いものを感じて、懐いているかもしれないな」
「単純にネアと喧嘩したいだけかもしれないけどね」
いつも顔を合わせる度に喧嘩を売っているし。
そんな会話をしていると、ふと前触れもなくククルが僕の肩から飛び降りた。
「ん? ククル」
「キュー」
僕の膝に着地し、もう一度跳躍したククルは僕の前の席にいる先輩の膝に飛び乗った。
当然の如く先輩はパニックに陥った。
「———ッ!? ———!?」
「ウサト、スズネ殿が助けを求めるように君を見ているんだが……」
「あー、はい。先輩、そいつは基本的に無害なので、大丈夫です」
言葉も出せないほどの衝撃を受けた先輩は、その場を動くことすらできない。
そんな先輩を知ってか知らずか、彼女の膝の上できょろきょろと首を動かしたククルは顔を上げると、そのまま先輩の腕を伝うようによじ登り、肩でジャンプして———頭に飛び乗った。
「キュ」
「ウサト君、私もう死んでもいい。もう悔いはないよ」
「悟った顔で何言ってるの、この人……」
魔王討伐の旅は、どうしたんですか……。
ぴょんぴょんと先輩の頭の上で楽し気に飛び跳ねているククル。
満ち足りたような顔をしている先輩。
ククルの行動は以前、人間状態のネアにやっていたものと同じに見えた。
「……もしかして」
ククルお前……先輩をネアと同じ遊び相手としか見ていない……?
傍らで見ていたカズキとレオナさんもそれに気づいたのか、何とも言えない顔をしている僕をチラチラと見ている。
ううむ、どうしようか。
「キュ、キュー!」
「こらこら、暴れるな。ははは」
……うん、先輩も幸せそうだし、拠点に到着するまでは放っておいていいかな。
二人に目配せした僕は、馬車の壁に背を預ける。
半開きになっていた鞄から勇者の手記を取り出し、片手でページを捲りながらネアが解読してくれた部分に目を通していく。
到着するまで、あと少し。
拠点には、救命団の皆と……ローズがいる。
ネロ・アージェンスに傷を負わされたと聞いているから心配だ。
よくよく考えると“膝枕をかます”ってすごい言い方ですね……。
今回の更新は以上となります。




