第百八十九話
お待たせしました。
今回も三話ほど更新する予定です。
ウサト殿が戦場へと向かわれた。
ローズ殿と共に肩を並べて向かっていくその後ろ姿は、前回の戦いの時と同じように見えて、しかし全く違っていた。
大きな使命を背負った力強い背中。
ローズ殿に負けず劣らずの“力”を備えて、戦場へ向かっていくウサト殿を見て、私自身も自分の使命を全うしようという意思を固めた。
「——気を引き締めなくてはな……」
私の使命は、救命団の治癒魔法使いの方々がいるテントを護ること。
救命団は今回の戦いにおいても重要な役割を担っている。
そんな彼らを護ることが、どれだけ重要なことかよく理解している。
「アルク、聞いたか?」
「何をだ?」
共にこの場を護っている同僚の声に反応する。
「戦場で味方の裏切りが起こっているらしい」
「裏切り……?」
「さっき復帰して戦線へ戻ったやつに聞いたんだが、突然味方に攻撃されたんだってよ」
「……」
ネアのように人を操る魔物がいるのか?
いや、吸血鬼のように戦いの最中に血を吸うなんて、自らをも危険に晒す行為はできるはずがない。
それなら魔法か?
「とにかく、気を付けたほうがいい。相手は魔王軍だ。どんな手を使ってきても不思議じゃねーぜ」
「ああ。心に留めておく」
同僚の言葉をしっかりと受け止めていると、視線の先の扉――主に救命団の黒服の皆さんが通る場所から、血にまみれたカームへリオ王国の騎士が一人、入ってきた。
「お、おい。あいつ大丈夫か?」
「外の騎士は何をしているんだ……」
その騎士の上半身の鎧は真っ赤に染まり、覚束ない足取りでこちらに歩いてきた。
どうみても危険な様子の騎士に、咄嗟に駆け寄っていく私と同僚だが——、その時、違和感のようなものを抱き足を止める。
「いや、待て」
「待てって、あいつどう見ても大怪我してんだろ!? 放っておけば死ぬぞ」
動揺する同僚の言葉を無視して、騎士の体を注視する。
血にまみれ、怪我をしているように見える。
しかし、何かがおかしい。
騎士の目が虚ろなのは、怪我を負っているからということで説明がつく。
血まみれなのは怪我をしているから。
だが、その血は———どこから流れている?
彼の身なりはあまりにも綺麗であった。いや、血で汚れてはいるのだが、その鎧も下に来ている服にも一切の傷も、穴もないのだ。
私は左手を腰の剣に添えつつ、騎士から距離を置く。
「一つ、質問をよろしいでしょうか?」
「アルク……?」
「失礼ですが、怪我をしている箇所を教えてくれませんか?」
その大量の血はどこからきたものなのか。
冷静になればなるほど、男の見た目の異質さに気付く。
その出血量でここまで歩いてこられるはずがないし、そもそも意識すら保てないはずだ。
「治癒、魔法……使い」
「ええ、治癒魔法使いを呼んで早急に治療したいのは分かります。ですが、まずはどこに傷を負っているかを教えてください。そうでなければ、貴方をここから先に通すことはできません」
「魔法……治癒……使い、魔法」
「……」
「治癒、魔法使いを、出せ」
「アルク、こいつぁ……」
うわごとのように治癒魔法使いと呟く男に、同僚も異常を察したのか腰の剣に手を添えるが、私は彼に待ったをかける。
ここで騒ぎを起こせば後ろのテントにいる救命団の皆さんを巻き込んでしまうことになる。
捕縛するなら、この場から離れてから――、
「——その人は怪我人ですか!?」
背後から聞こえてきた声に怖気が立った。
救命団の活動拠点のテントの入り口から治癒魔法使いとして派遣された少女———ケイトさんが顔を出していたのだ。
男の目がぎょろりとケイトさんへと向けられるが、それに気づかないのか彼女は慌ただしく手招きをしながら、彼へと呼びかけた。
「怪我をしているなら早くこちらへー! すぐに治癒魔法で癒し——」
治癒魔法、という言葉を聞いた瞬間、男の右腕が背中に回るのを私は見逃さなかった。
彼が血にまみれた半ばから折れた剣を取り出す前に、私はその手首に剣の柄尻を叩きつけ、左腕をねじり上げそのまま拘束する。
獣のように唸りながら暴れる男を同僚と共に縄で縛りながら、小さな悲鳴を上げたケイトさんへと声をかける。
「がぁ、あぁぁ!」
「すぐにテントへ戻ってください! 彼は気が動転しています!」
「え!? は、はい!」
猫のような機敏さでテントへと戻っていったケイトさん。
そんな彼女を目で見送った後、縛られても尚暴れている騎士に傷があるかどうかを探したが、彼はどこも怪我なんてしていなかった。
「全て、返り血ってことか」
「……突発的な裏切り行為ってことか?」
「いや、違う」
騎士の目に顔を近づけ、覗き込む。
彼は元は青色の瞳をしていたのだろうが、今やその青い瞳には縁を覆うようにして紫色の魔力が揺らめいていた。
しかし、それも弱まってきているのか、その揺らめきが消えた瞬間に、騎士の体が脱力しそのまま気絶してしまった。
「今すぐ、シグルス軍団長にこの情報を伝えろ。相手は、我々を魔法で操り同士討ちをさせている。そして、その魔法の使い手はここ――救命団が活動しているこの場を狙っている、と」
「クッ、そういうことかよ……!」
もう一人の同僚が急ぎでシグルス軍団長に情報を伝えにいっている間に、私は対策を考える。
まずは、怪我人を連れてきてくださる黒服の皆さんに警告を送らなければならない。
彼らは結構な頻度でここを通ってくれるので、すぐに伝えられる。
「しかし、もし倒れた怪我人を装って操られた者がテントに運び込まれたらどうするのか……」
先ほどの騎士を操ったものは明確にこの場所を狙ってきた。
躊躇なく、同士討ちを仕向けさせるような相手だ。救命団の彼らの良心に付け込むようなことをしてもおかしくはない。
「今、できることをするべきだな」
完全な対策を立てるのは難しいが、予防線を張ることはできるはずだ。
私は、この場にいる護衛に聞こえるように声を張り上げる。
「魔王軍が味方を操り、ここで我々のために力を尽くしている救命団を害しようとしている! よって彼らを護るために、今から外だけではなくテントの中にも護衛を配置する!」
救命団の皆さんに手を出させはしない。
それは、ここにいる護衛全てが思っていることだ。
私の言葉に同僚が頷いたのを確認し、迅速に再配置させる場所を決める。
自身の持ち場に戻った私は、戦いが繰り広げられている壁を見据える。
「絶対に、手を出させはしない」
ヒノモトでも同じだったが、今も状況は変わらない。
私は彼を信じて、自分の戦いをするまでだ。
———きっと今も、ウサト殿は傷ついた人のために戦っていることだろうから。
●
戦場に出てからノンストップで戦場を駆けまわり怪我人を癒していた僕は、地面に倒れ伏している一人の騎士を助けようとした。
彼を抱えて安全な場所にまで連れて行こうとした瞬間、突然起き上がった彼は傍らに落ちていた剣を拾い、僕へと振るってきたのだ。
「止めてください! 今、癒しますから!」
「治癒、魔法使いぃぃ!」
「ッ、錯乱している!?」
うわごとのように「治癒魔法使い」と呟いている彼の剣を籠手で鷲掴みにしながら、僕は必死に彼へと声を投げかけているが、効果があるようには思えない。
しかし、明確に僕に敵意を持っていることは確かだ。
もしかして……これがウルルさんの言っていた豹変するってことなのか?
「ウサト、この人、魔法かなんかで操られているわよ!?」
「魔王軍の誰かがこれをやったってことか!?」
ネアの声に歯噛みする。
このまま彼が正気に戻るのを待っている訳にはいかない。
しょうがない! 本当はこんなことしたくないけど!
「目を、覚ましてください!」
「ゴフ!?」
「それ、むしろ気絶するやつぅ!?」
暴れるなら、治癒パンチで気絶させる。
前のめりに倒れる形で気絶した彼を抱え、すぐさま近くの騎士に簡単に事情を説明して、彼を預けた後に走り出す。
「——こっちが押されてきているな」
「ええ。味方が操られているかもしれないって不安が、ここにいる人たちの動きを鈍くさせているんでしょうね」
「そこまで考えての作戦だろうね……」
悪辣だが、効果的な作戦だ。
こちらの不安を煽ると同時に、軍全体の動きを鈍くさせているのだから。
ネアも吸血鬼の力とネクロマンサーの力で、同じようなことができるがそれには手間がかかるし、何より僕のサポートをすることができなくなる。
それを考えると、こちらの味方を操っている相手は相当な実力者だと考えられる。
「早くなんとかしないと、陣形が瓦解するかもしれない……!」
かといって、僕にはどうすることもできない。
自分の無力さに歯噛みしていると、目の前で地上に降りた飛竜が暴れている光景が目に映る。
鋭利な爪の生えた足で踏まれた騎士、牙の生えた口に足を噛まれているもう一人の騎士を目の当たりにする。
「それ以上やらせるか! 治癒魔法弾!」
『———ハッ!? グハァ!?』
地上に降りた飛竜の背に乗っていた魔王軍の兵士を治癒魔法弾で叩き落とす。
それを確認した僕は、飛竜に殺されかけている騎士達を助けるべく、脛のあたりに足刀蹴りを叩き込み、バランスを崩し、晒された腹部に思い切り右拳を突き刺し——、
「その口を開けろォ!」
――治癒連撃拳を叩き込む。
籠手から発せられた衝撃を受け、飛竜は苦悶の声を上げその口を開けた。
『ッ、グ、ギャ……!?』
「ウサト!」
「よぉっし!!」
飛竜の口から解放された騎士をすぐに受け止めた僕は、足蹴にされていたもう一人の騎士を担いで一旦離脱する。
「あと少し遅ければ、間に合わなかった……!」
魔王軍の兵士が普通に乗っている飛竜は、全長五メートル以上はある。
人間より大きいってだけで脅威なのに、飛竜は炎を吐いたり、力も強い。
……とりあえず、完全に意識を失っている二人を安全な場所へ連れて行かなくては……ん?
『ち、治癒魔法使いがいたぞー!』
『ど、どこだ!?』
『あっちだ、あっち!』
『どこにもいないんですけど!?』
眼前には治癒魔法使いの僕を探している魔王軍の兵士たちがいる。
このままでは見つかって攻撃を受けてしまうが——迂回している時間は僕にはない。
「貴方って魔王軍では、珍獣みたいな扱いされてるわね」
「ネア、風圧への耐性を。——このまま突っ切る」
「え? あ、ちょ、待っ―――」
怪我人を抱えなおした僕は地面を力の限りに踏み込み、一気に解放する。
ネアの魔術により、風圧――空気抵抗への耐性を身に宿した僕は、周囲の音を置き去りにするような感覚に身を任せながら前へ、前へと突き進むのであった。
●
「——傷は治しました。二人を安全な場所へお願いします」
「た、助かります!」
無事に前線から離脱して、後方の騎士に二人の怪我人を預けることができた。
今いる場所は、前線の一歩手前——後方での支援などを任された人たちがいるところである。
ここにいれば安全だが、僕はすぐに前線へと戻らなければならない。
「ネア、行けるか?」
「さっき酷い目にあったけど行けるわ……」
……敵の真正面を全力疾走したこと根に持っているのか?
げんなりとしているネアに苦笑しつつ、前線へと走り出そうとするが——、
「——っ」
その瞬間、これまでに感じたことのない得体のしれない寒気を感じた。
ヒノモトでコーガに向けられたような殺気。
しかし、彼とは比べ物にならないほどに鋭く、身の毛もよだつほどの冷たさのあるもの。
間違いなく、何かが近づいていることを感じ取った僕は、籠手を展開させると同時に、寒気を感じる方へと走る方向を変える。
「う、ウサト、どうしたのよ!?」
「ネア、斬撃への耐性を僕に……!」
「え、なんで――」
「早く!」
僕の切羽詰まった声に驚きながらも、彼女は斬撃への耐性を僕へ付与してくれる。
そのまま前線の方へと走っていくにつれ、魔王軍の兵士の数が減っていることに気付く。
それだけなら、こちら側が勝っていると思えるが、どういう訳かすれ違っていく騎士達の表情は、優勢に戦いを運べている喜びなどではなく、僕の進んでいる先にいる“何か”への恐怖へと変わっていた。
次第に、騎士達は武器を構えたまま足を止め、同じ方向を見ていることに気付く。
その方向に進んでいこうとすると、リングル王国の騎士が胸から血を流しながらこちらへと飛んできたことで、慌てて受け止める。
「っと、大丈夫ですか!?」
「ぐ、ぅ、ウサト様……」
「喋らないでください!」
胴体を鎧ごと切り裂かれている……!?
すぐに治癒魔法をかけようとするが——傷口に魔力を注ぎ込んだ瞬間、まるで霧散するように魔力がかき消されてしまった。
「なっ!?」
治癒魔法が作用しない。
どれだけ必死に治癒魔法を施そうとしても、彼の傷は治すことができない。
それでも治癒魔法を施そうとする僕の腕を掴んだ騎士は、焦燥している僕を見て声を震わせながら、声をかけてきた。
「奴の剣は、呪われています。今、貴方様を失うわけには、いきません……すぐにこの場から離れ……て」
「だから、喋らないで……」
「……」
騎士の瞳から光が失われ、僕の腕を掴んでいた手から力が抜ける。
静かに彼の亡骸を地面に下ろした僕は、一度だけ力の限りに地面を殴りつけたあと、傍らに控えていたもう一人の騎士に声をかける。
「……回復魔法を受け付けない効果は、時間の経過により消えるはずです」
「……え?」
「治癒魔法と回復魔法を受け付けない怪我人は止血をさせてから救命団員の拠点へと運んでください。あそこには十分な量の包帯と道具があります。できれば、この場に黒服を呼び、僕の指示した方法を伝えてください」
「りょ、了解しました! ウサト様は、どうなさるのですか……?」
「僕は……敵の足止めをします」
騎士からの制止の声がかかる前に、刺さるような殺気が放たれている方へと進む。
「ネア。急いで団長を連れてきてくれ」
本音を言うなら今から相対する相手とローズを引き合わせたくはない。
だけど、そうしなければ犠牲者が増えてしまう。
「……分かったわ」
「僕がくたばる前に頼むよ?」
「縁起でもないこと言わないでちょうだい。……耐性の魔術は残していくわよ?」
「助かる」
僕の肩からネアが飛び立っていくのを確認し、前を向く。
そこには——倒れ伏す騎士達の中に立っている、一人の魔族がいた。
くすんだ金髪に、ねじれた角、褐色の肌。
他の兵士とは違う、鎧とマントを纏った男の手には血のように赤い剣が握られていた。
彼は———ネロ・アージェンスは僕に視線を移すと、少しだけ目を丸くした。
「白い服……」
「ネロ・アージェンス、だな」
「俺の名前を知っている?」
ローズと同等以上の実力を持つ、風と剣の使い手。
一切戦う構えを見せていないにも拘らず、全く隙がない。
目の当たりにして分かる。
僕には勝てない。
しかし、それでもここで引くわけにはいかない。
ここで彼を放っておけば、たくさんの人が呪いの剣の餌食となってしまう。そうなれば、治癒魔法使いの僕達でさえ手が出せなくなってしまう。
そうならないために、僕は死ぬ気で彼を足止めする。
「ああ、そうか」
籠手を展開させたまま警戒していると、戦場では場違いなほどの穏やかな声と共に彼は頷いた。
「お前がローズの弟子か」
そう呟いた瞬間、ネロは無造作に魔剣を切り上げ―――風の刃を放った。
ウサトのイライラゲージがどんどん上がっていく……。
次話は、明日の18時に更新いたします。