第百七十九話
お待たせしました。
第百七十九話です。
救命団創設の理由と、ネロ・アージェンスについて。
今、以前ローズが率いていた部隊の方々の話を聞いたが、恐らく彼らと関係しているのだろう。
ローズに傷を負わせた強敵との因縁、それは怪我だけのものではないと、漠然とだが僕にはそう思えた。
「話は魔王が復活する前にまで遡る」
ローズの話に真剣に耳を傾ける。
「今の時代まで、大きな動きを見せることのなかった魔族たちが不審な行動をしている、という情報が騎士団に所属していた私の耳に入ってきた」
「魔族との本格的な戦いは、やはり魔王が復活した後から?」
「そうだな。小競り合いは起きていたが、大規模な戦闘は数百年単位で起きていなかったはずだ。だからこそ、魔族たちの不審な行動に、リングル王国は必要以上の警戒をした」
そりゃあ、今まで大きな行動に出なかった勢力がおかしな行動をし始めたら警戒するのも無理はない。
問題は魔王軍が何をしていたかってことだ。
「んで、不審な行動をしている魔族が目撃された場所ってのは、お前も知っている『リングルの闇』だった」
「リングル王国から近いじゃないですか……」
「ああ、だからこそリングル王国は動かざるを得なかった。だが、魔族はただでさえ人間以上の身体能力を有する奴らだ。生半可な戦力を向かわせても意味がないので、当時大隊長だった私に魔族の偵察任務を任せられたってわけだ」
魔族が動いている場所がリングル王国に近いことも驚いた。
数時間ほどかかる道だが、それでも向かおうと思えばたどり着ける距離なのだ。
リングル王国の人々が焦るのも分かる。
でも、ローズに偵察が任されたってことは、もしかしてその部下の方々も――、
「私は最も信頼する部隊、アウル達を連れていくことにしたが……」
「……団長?」
不自然に話が途切れたことに首を傾げると、暫しの無言のあとにローズが再び口を開いた。
「少し、思うところがあってな。あの時の私は、治癒魔法の力を過信しすぎていた。即死じゃなければ死なせることもないし、死ぬこともない。そして部下達もそんな私を頼りにし、全幅の信頼を寄せてくれていたんだ」
「……」
「……話を続ける」
“治癒魔法に頼りすぎている”
回避を身につける訓練をするとき、ローズが僕に言った言葉である。
話を聞いた今なら、その時の言葉が違った意味に聞こえてくる。
「部隊を連れて、魔族が目撃されたといわれる『リングルの闇』へと偵察へ向かった私達は、そこで十数人規模の魔族達と相対することになった」
「魔族はリングルの闇でなにを……?」
「見たところ、強力な魔物を捕獲していたようだな。……もしかするなら、戦争時に出てきた蛇の魔物に関係があるかもしれんが、正確なことは私も分からねぇ」
あの巨大ヘビか。
グランドグリズリーを葬るほどの力を持った魔物だったけど……あの強さの根本は魔族によってもたらされたものかもしれないってことか。
「で、その魔族の中に一人……厄介な奴がいた。そいつが、ネロ・アージェンスさ」
ここで、ネロ・アージェンスとの邂逅か。
その時を思い出すようにローズは瞳を閉じた。
「一目で分かったよ。“こいつは他とは違う”ってな。相手も同じことを思っただろうよ。私自身、今までになかったことだ」
風を操るとは聞いているけど、いったいどんな戦い方をするのだろうか?
この人に傷を負わせられる時点で、尋常じゃないのは分かるけども。
「奴の実力を見抜いた私は、無駄な戦闘を避けるべく魔王領に退くように警告をしたが、あちらは即座に却下し、目撃者である私達を始末しようとした」
「問答無用って感じですね。魔族側にもそれだけの理由があったってことなんでしょうか?」
「ああ、奴らは魔王が封印から復活することを予期していた。その時に備えて戦力を集めていたところに出くわしてしまったわけだな」
魔王が復活するから、魔族が動き出したというわけか。
当時の状況からして、それを知ったリングル王国は相当な混乱状態に陥ったに違いない。
「戦いが始まった直後、他の魔族は部下達に任せて、私はネロ・アージェンスを抑える役に回った。奴は、部下達に任せるにはあまりにも強すぎたからな……」
「ネロ・アージェンスという人はどんな戦い方を? 風系統の魔法を使うってのは分かりますが」
「奴は魔法を纏う技術を使っていた。風が鎧の役割を果たすと同時に回避から攻撃までを補助する……ま、凡そ反則的な戦闘力を有していた。おかげで私の攻撃は風の鎧に阻まれちまったな」
何気なく言うけど、ローズの拳を防御できるってのが異常だ。
何度も食らった僕だからこそ言えるけど、手加減しているであろう状態でも十メートル単位でぶっ飛ばされるのだ。
「えぇ、そんな相手にどうやって戦えばいいんですか……」
「私の戦い方は、お前とそう大差ねぇよ。近づいて殴る、それだけだ。だが、奴の持っている刃が赤色に彩られた剣にだけは絶対に当たらねぇようにはしていたがな」
「え? どうしてですか?」
「当時の私は、斬撃に何かしらの呪いを付与する魔剣とあたりをつけていたからだ。まあ、見て分かるくれぇに危なそうな剣だったな」
呪いを付与する。
そんな剣をローズに強いと言わしめるほどの実力を持つ人が使っているなんて……。なんというか、やばいってレベルじゃない。
「以前、傷に作用する呪いに治癒魔法は効かねぇ、と忠告したときのことを覚えているか?」
「ええ、忘れるはずがありません」
というより、忘れたくても忘れられません。
回避を身につけるためにローズにアホほど殴られた衝撃的な訓練でしたから。
「お前にそう忠告した理由は、ネロの持っている剣がまさにそれだったからだ」
「……!」
「奴の持っている魔剣は、斬りつけた部分の魔力の流れを一時的に断ち切る呪いを付与するものだ」
魔力の流れを一時的に断ち切る呪いってことは、魔力が流れなくなるってことだよな……?
治癒魔法は、傷口に魔力を流し込んで癒すから――、
「ッ!? それって、僕達にとって天敵じゃないですか!」
「ああ。魔力が流れなくなるってことは、傷を負った部分に対しての回復魔法・治癒魔法の効果が阻害されるってことだ。恐らく、治癒魔法に限ったことではなくあらゆる魔法使いに対して、有効な剣だろうな。幸いだったのは、呪いの効力はあくまで一時的ってことだな」
呪いが続くのは一時的だとしても、よりにもよってそんな力だなんて……!?
対人戦であれば、ほとんどすべての戦いを有利に運ぶことのできるえげつない剣だろう。
なにせ、万人が使えるであろう回復魔法の応急処置すらも無効化させるものだ。
「そんな剣を使っている相手とよく戦えましたね……」
「それほど難しくはねぇ。風による斬撃は治癒魔法で癒して無視。んでもって剣の攻撃は弾いたり、避けつつ対処。まあ、相手も剣技だけの奴じゃなかったのが厄介だったけどな。斬撃やら中にいる者を切り刻む竜巻やら作り出して、かなり面倒だった」
「……」
待てよ。さっきの発言からしてこの人、呪いの効果は知らないけど「当たるとやばそうだ」って感覚だけで剣に当たらないように避けて、且つ近づいてぶん殴ろうとしていたってことになるんだけど。
……え、どういうこと?
勘でやばいって認識したの?
危なそうな剣を持つ相手に、普通に接近戦を挑んでたの?
自分でいうのもなんだけど脳筋すぎない? それとも身体能力を突き詰めると脳筋戦法が最適解になるのだろうか?
「しっかし、問題なのはいくら戦っても勝負がつかなかったことだな。速さは互角、身体能力は私が上だが、技術と技の多彩さは奴が上。こっちの攻撃は風の鎧で阻まれ、あっちの攻撃は治癒魔法と体術で対応できていたからな。このままじゃ永遠に勝負がつかないとさえ思えた」
腕力で上回れちゃうんだ……。
いや、拮抗状態になる時点で、僕の想像できる域を優に超えている。
「一方で、私とは別に戦っていた部下達は十数人規模の魔族を相手にしても、優勢に戦いを進めていた」
「たった七人なのに、強かったんですね。アウルさん達は」
「ああ。だがな、私は見誤っていたんだよ。奴ら……ネロ・アージェンスと魔族達の覚悟と執念ってやつを、な」
窓に視線を向け、右目に当たる部分を掌で覆ったローズ。
その様子に、ローズの並々ならぬ感情を察し、嫌な予感を抱いた僕は恐る恐る質問を投げかける。
「何を、したんですか?」
「奴らは、生きて帰ることを諦めたんだよ」
……は?
「いずれ動き出すであろう魔王軍の障害になりかねねぇ私達をその場で排除するために、魔族全員が自滅覚悟で突っ込んできたってことだ」
「あ、いえ、それって……」
一瞬、ローズの話していることが理解できなかった。
誰しもが生きたいと願っている。
それは、人間も魔族も変わらないと僕は考えていた。
魔族達が、どのような目的と志があってそのような行動をしようと思ったのかは僕には分からない。けれど、彼らのとった行動は敵にとっても味方にとっても理不尽なものに思えた。
「ネロの命令を聞いた魔族達は自身の傷も顧みずに部下達へと殺到した。まさか戦っている相手全てが自滅覚悟で突っ込んでくるなんて想像もしていなかったんだろうな。……一人がなんとか迎撃しようとするも剣で貫かれた一人が腕を押さえつけ、地面に倒れ伏したもう一人が足にしがみつき、身動きのとれないところに次の魔族が襲い掛かり、諸共地面に倒れ伏すことになった」
まともじゃない。
自分の命すらも度外視で襲い掛かってくる。それも全員がそうしてくるなんて……すぐに対応できるはずがない。
「その光景をまざまざと見せつけられた私は、動揺しちまったんだ。そして、ネロはその隙を見逃すような相手じゃなかった。……一瞬の動揺を突かれた私は右目を切り裂かれ、視界の半分を失ってしまったわけだ」
「ネロ・アージェンスの剣には呪いがあるから……」
「ああ」
呪いにより魔力の流れを絶たれ、治癒魔法が無効化されてしまう。
視界の半分を失う。
片目だけで戦えばいい、という簡単な話じゃない。
半分の視界、距離感、目に見えるもの全てが違った中でいつも通りに戦うことはほぼ不可能に近い。
ローズは自嘲するように呟く。
「治癒魔法を過信しすぎたツケが、その時になって回ってきちまったんだろうな。傷ついた仲間も治癒魔法ですぐに癒せる。自分自身も治癒魔法がある限り万全の状態で戦える。その驕りが、最悪の状況を招いちまったわけだ」
その驕りは、僕の中にも少なからずあった。
だからこそ、今の話は僕にとって他人事じゃない。
「だがな、本当に最悪なのがこの後だ」
「……本当の、最悪……」
これ以上の最悪の展開があるのだろうか?
できることならあってほしくないが、そうはいかないようだ。
「次々と死んでいく部下達を見ていくことしかできない私に、ネロがとどめを刺そうとした瞬間——、唯一無事だったアウルが私の盾になり、ネロの斬撃を真正面から受け、斬り裂かれた」
「———」
「ただの剣であれば治癒魔法で救えたはずの傷だったが、それを魔剣の呪いが許さない。周囲は魔族と部下達の死体で溢れ、生きているのはネロと私、致命傷を受け死に瀕したアウルだけだった」
言葉を失ってしまう。
地獄すら生温い凄惨な状況に、なんて言葉をかけていいか分からなくなる。
「怒りで頭がどうにかなりそうだったよ。倒れていく部下達に何もできなかった自分に、死に向かっているアウルを救うことのできない自分にな。だがそれ以上に……その時の状況を作り出した、ネロ・アージェンスが憎くてたまらなかった」
憎い。
その言葉がローズの口から出た時、僕は思わず肩を震わせてしまった。
この人は暴言こそ言うが、人を憎んだり、呪うような言葉は絶対に言わなかったから、純粋に、怖い、と思ってしまった。
「まあ、ようするに私は怒りで我を忘れちまったわけだ。怒りと憎悪のままに肉体を無理やり動かした私は、治癒魔法ですら間に合わないほどに体を壊しながら、ネロを殺すために拳を振るった」
「……殺してしまったんですか?」
「いいや。ぶんどった魔剣で木に張りつけにして追い詰めたが、無理だった。私の体が耐えられなかったこともそうだが、止めを刺されようとする奴の元に、その場にはいなかった赤髪の魔族の少女が助けに入った光景が目に入っちまってな……その姿が、アウルと重なっちまった」
自分を庇って致命傷を負ったアウルさんと、怪我を負ったネロ・アージェンスを救った魔族の少女。
……当時のローズにとっては皮肉な光景だっただろうな。
「これが、私とネロ・アージェンスとの因縁だ」
この人は、想像を絶するほど辛い過去を持っていた。
アウルさん達を語ったときの、穏やかな口調と表情からしてどれだけ部下達を信頼し、大事に想っていたのか、痛いほどよく理解できた。
だからこそ、聞いておきたいことがあった。
「……団長は、今もネロ・アージェンスを恨んでいますか?」
「恨んでないと言えば嘘になるな。自身の部下すらも捨て駒にした野郎だ。許す方がどうかしているが……」
そこまで口にして、ようやくローズは笑みを浮かべた。
「あいつに……アウルに、死に際に言われちまったんだよ。ずっとあいつらの憧れた私のままでいてくれってな」
「アウルさんが……」
「恨み言の一つでも吐いてくれればどれだけ良かったことだろうか……あいつ、笑いながら言ってきやがったんだぞ? こっちは必死こいて助けようとしてたのによ」
アウルさんは、最期の時までこの人のことを……。
彼女のことを語ったローズは、脱力するように椅子のせもたれによりかかり、続けて言葉を発する。
「なら、そうするしかねえだろう? こんな私に憧れていたあいつらに顔向けできるような生き方をしてやろうってな」
アウルさんが遺した言葉は今、僕達が知っている救命団のローズという人物を作り上げているということなのかもしれない。
それだけの影響を、この人に与えるだけの存在感があったと、僕には思えた。
「そして、私は救命団を作った。来たるべき魔王軍との戦いに備えるために。そして、私のように身を引き裂くような痛みを他の誰にも味わうことのないようにな」
「それが、救命団の創設された理由……」
救命団の創設された理由の根本。
それは、人を死なせないための部隊。
だからこそ、この人は誰よりも速く戦場を駆け、多くの人を救おうとしていたんだ。
信頼する仲間を喪った自分と同じ痛みを、他の誰にも味わうことのないように。
「あとはお前だ」
「……僕ですか?」
「私と同じ治癒魔法使いを育てることも目的の一つでもあった。死なない部下……私にもしものことがあった時、代わりの役目を全うできる、そんな存在が」
「……」
僕はまだ未熟だ。
学ぶこともたくさんあるし、鍛えるべきところも両手の指じゃ足りないくらいある。
一人前と認められても、まだスタート地点に立ったようなものだ。
僕の目指すべき目標にはあまりにも遠く、そして今の話を聞いて、その目標はさらに遠のいてしまった。
「アウルさん達のこと、ネロ・アージェンスのこと、それと救命団のこと。今日、貴女の口からこれらの話を聞くことができて本当によかったと、そう思います」
それでも、僕は誇らしい気持ちになった。
僕が教えを受け、師匠として尊敬する救命団のローズは、疑う余地もないほどにすごい人だということを改めて知ることができたのだから。
「だから、その、えーっと……これからもよろしくお願いします!」
うまく言葉が思いつかなかった僕は、勢いのまま立ち上がり、そのまま深々と頭を下げた。
こういう時、自分の語彙力のなさが嫌になる。
顔を紅潮させている僕を見て目を丸くしたローズは、呆れたように笑った。
「それはこっちの台詞だ。副団長として、これからもよろしく頼むぞ。ウサト」
「っ、はい!」
大きな戦いを前に、このことを知ることが出来てよかった。
なんというか、今まで知ることのなかったローズの過去と、かつてこの人を慕っていた人たちの話を聞いて、思うところが沢山あったけれど、とりあえず、次の魔王軍との戦いは絶対に生きて帰ってやるって気持ちになれた。
いや、元よりそのつもりだったけれど、より強くそう思うようになったのだ。
「どうやら、長々と語っちまったようだな。明日も早いだろう。部屋に戻っていいぞ」
……話が長かった、という感じはしなかったな。
聞き入っていたから、あっという間に感じる。
ローズの言葉に従い、席を立ち頭を下げたあとに団長室をあとにしようとするが、その前に何かを思い出したのか、呼び止められる。
「いや待て、お前に一つ任せたいことがあったんだ」
「はい? なんでしょうか?」
任せたいこと? 副団長としてだろうか?
疑問に思っていると、腕を組んだローズが口を開く。
「フェルムのことだ」
フェルム。
かつて僕達の敵として立ち塞がった黒騎士であった魔族の少女。
そんな彼女も今では、救命団の一員だけど、依然としてあの子の立場は不安定なままである。
だからこそ、フェルムの名前がローズの口から出てきた時、朧気ながらも何を任されるのか、なんとなく理解できてしまったのだった。
ゴフッ(ギャグ不足で吐血)
実のところ、アウルの最後の言葉でローズは復讐の道に走らずに済みました。
ローズの過去は魔王復活前の前日譚のようなものです。
治癒魔法を持つ自分への慢心と、その弱点。
救命団を作るに至った理由などがありました。