第百七十七話
お待たせしました。
第百七十七話です。
リングル王国に帰還した僕は、道中で再会したネアを肩に乗せて団長室を訪れた。
断りをいれてから団長室に入ると、机の上で書類に目を通しているローズの姿が視界に入りこんだ。
書類に目を通しつつ、手元の用紙に何かを書き込んでいる彼女に不覚ながらも意外、と思ってしまった。救命団の団長として仕事をしていることは知っていたけれど、実際に作業をしているところは見たことがなかったからだ。
少し呆気に取られたあと、すぐに我に返った僕は会談から帰ったことを伝える。
「団長、ただいま会談から帰還しました」
「おう。言伝だが、会談での話は聞いている。副団長として初の任だったが、どうにかうまくやれたようだな」
「たくさんの人に助けられてしまいましたけどね。ははは……」
副団長としての任を全うできたかは自分でも分からない。
僕なりにやったと言いたいところだけど、今回の会談でも反省する点の方が多いのも事実だ。
僕の言葉に手を止めてこちらを見やったローズは、微笑を漏らし手元のペンを机に置いた。
「で、魔王軍のことだ」
「魔王軍が来るまで、救命団はどのように動かすんですか?」
前回は急な進軍だったので、ウルルさんとオルガさんを含めた救命団員全員を招集したあと、すぐに戦場へ向かったけど、その時と比べれば時間がある分、出発までに色々とできることはあるはずだ。
「基本的に城の騎士と違い、魔王軍が本格的に動き出すまで大きく動かない。動くとすれば、他国の軍と合流する時だ」
「と、いうと?」
「来たるべき進軍に備えてろってことだ」
救命団自体はそこまで大きく動く必要はないって感じか。
むしろ、救命団が本格的に動き出さなくてはいけないのは戦いが始まってからだな。
一人納得していると、ローズがテーブルに置かれた書類を僕の前に滑らせた。
「これは?」
「お前が戻ってくる前に舞い込んできた計画だ。見てみろ」
書類を手に取り、文字に目を移す。
最初の一文に目を見やり、僕は呆気にとられた声を漏らしてしまう。
「他国から治癒魔法使いを派遣……? 団長、これは……」
「文字通り、治癒魔法使いの増員が外からやってくるってことだよ」
「外の治癒魔法使い……ですか。その彼らに訓練を施すんですか? 僕みたいに」
「バカか。いくら治癒魔法使いっつても、お前のようにいくはずねぇだろ。訓練はやらせねぇで、怪我の治療のみって話だ」
なんだろう、すっごく釈然としない。
まるで僕は最初からまともじゃなかった的な言われ方をしたんですけど。
あの地獄を作り出したのはあんたなんですけど……?
蹴り飛ばされたり、すごい罵倒食らわされたりしてたんですけど?
いや、負けたくない一心と、ローズに一矢を報いる覚悟で断固として逃げ出さなかったのは僕なんだけど……。
今まで静かにしていたネアも、僕を横目で見て「やっぱり、精神がやばいのね……」って呟いているし。
「……でも、大丈夫なんですか?」
人手が増えるのは嬉しい。
嬉しいけれど……リングル王国以外の治癒魔法使いの認識を考えると、少し心配になってしまう。
僕の不安を察したのか、ローズは組んだ手に顎をのせてこちらを見やる。
「あまり期待はするな。治癒魔法使い全員が、私やお前のように強くはない」
「……はい」
「戦いがなくなった平和な時代ってのは、人の認識を大きく変える。戦いの中で必要とされていた治癒魔法使いもそうだ」
「ウェルシーさんから聞きました。治癒魔法使いも、昔は重宝されていたって」
皮肉な話だけれども、戦いのあった世界だったからこそ治癒魔法が活躍していた。
しかし、魔王軍との戦いを経て、数百年もの平和が訪れたことで、治癒魔法使いの必要性もなくなり、ついには万人が扱える回復魔法と同一視されるようになってしまった。
「ああ。今の治癒魔法の一般的な認識は回復魔法より少しだけ傷の治りが速いだけの魔法だ。その認識に引っ張られ、使い手本人も自身の魔法と向き合わず、腐っちまう」
「腐る?」
「使えない魔法だと、中途半端に癒す魔法だと、そう思いこみ努力することをやめちまう。ま、ようするに自分自身の可能性すらも潰しちまうってことだよ。……かつてのナックのようにな」
治癒魔法を持って生まれてしまったがゆえに、両親から冷遇され辛い時期を送っていたナック。その結果、ミーナの言っていたように前に進むことをやめてしまった。
彼の過去を考えれば、ローズの言っていることの意味がよく分かる。
「系統強化を扱えるようになれば多少マシだっただろうが、今の時代では系統強化の会得が難しく、そこまでの練度に達している治癒魔法使いは……私の知る限り、私とお前だけだ」
治癒魔法の系統強化は病すら癒せる、と聞けばすごい使い勝手がいいと思うけれど、そもそも系統強化を会得すること自体が極めて難しい。
僕のように怪我を度外視で無理やり系統強化を会得することは、常人がやるようなことじゃない。
ウェルシーさんに散々、おかしいって言われましたからね……。
「オルガさんは?」
「あいつは生まれながらに系統強化並みの魔力を持っているだけだな。特別、系統強化の訓練は積んじゃいない」
なるほど。
それじゃあ、今の時代で系統強化を扱えるほどの治癒魔法使いは本当に少ないんだな。
「治癒魔法使いが必要なくなった時代か」
それは確かに喜ばしいことだろうけれど、治癒魔法使いにとっては辛い時代だと思える。
「団長は、この増員を受けるんですか?」
「今回ばかりは人手はいくらあっても足りねぇ。派遣されるであろう治癒魔法使いは日常的に治癒魔法を扱っているウルルやオルガほどの使い手ではないだろうが、それでも治癒魔法使いだ。いないよりは、断然マシだろうよ」
「確かにそうですね」
救命団の治癒魔法使いはオルガさんとウルルさん、ナックを合わせても五人だけだ。
だが、ナックを戦いの場に連れて行くことは絶対にないから、実質的に拠点で治癒魔法での治療が行えるのはオルガさんとウルルさんの二人だけになる。
そう考えると、実力は未知数でも治癒魔法の増員があるのは非常にありがたい。
「私が動けなくなる可能性もあるからな。できる限りの備えはしておいた方がいい」
「……」
僕は敢えて、彼女の呟きには反応しなかった。
この人は弱気なことは口にしない。だとすれば、その言葉通りに鬼のように強いローズが動けなくなる事態がありえるかもしれないということになる。
……そんな状況、想像もしたくないけれどその時、もう一人の白服である僕が率先して動いていかなくちゃならない。
「お前は何か意見はあるのか? 副団長として」
「……そうですね、決定自体には異論はありません。ですが、魔王軍が来るまでにやっておきたいことがふたつあります」
「なんだ?」
「まずはミアラークの女王ノルン様に勇者の武器についての文を送ることです」
魔王軍の戦いにおいて勇者の武器は必要だ。
もし間に合わないようであれば、それを前提とした戦い方を考えなければならないので、どちらにせよ連絡は必須だ。
ただし、送る相手が相手なので、城を通してロイド様公認の正式な文として送らなければならない。
それと、僕の籠手について訊きたいこともあるからそれも訪ねておきたい。
「もう一つは、お時間があれば団長に直々に指導をお願いしたいと思いまして」
「ほう。また痛い目にあうことになるぞ?」
「望むところです」
「フッ、いいだろう」
「ホ、ホゥ……」
二ィ、と口の端を歪めるローズに、ネアが怯えたような声を漏らす。
成長に近道なし。
例え、ボコボコにされようともその先に確かな成果があるのなら、訓練するしかない。
内心で覚悟を決めていると、腕を組み瞳を閉じたローズが何かを考え込んでいることに気付く。
「団長?」
「……頃合い、か」
十数秒ほどの沈黙の後にそう呟いた彼女は、こちらを見る。
その表情からは何を考えているのかは伺えないけれど、何か重要なことなのは朧気ながら分かった。
「夕食後、団長室へ来い。お前に話がある」
「え? 今じゃ駄目なんですか?」
「生憎、片付けなきゃならねぇ作業があってな。こっちが先だ」
「……分かりました」
夜か。
ローズに手傷を負わせた魔族、ネロ・アージェンスの話か、それとも別の話か、それは分からない。
だけど、それが僕にとって重要な話になると、予感するのであった。
●
一通りの報告と指示を聞いた僕とネアは団長室を退出した後、ブルリンのいる救命団の宿舎へ足を運んでいた。
目的は、ブルリンの様子を確認することだ。
なんだかんだいって、ここまで長い間ブルリンと離れることはなかったので、彼が何かやらかしていないか心配だったのだ。
人を襲うことはないと断言はできるのだけど、寝ぼけた拍子に僕と間違えてナックの背中にのしかかってしまう可能性もある。
ネアによれば、これといった騒ぎは起こしていないらしいけれど……。
「ブルリーン、大人しくしてたかー」
「グア?」
「きゅー」
「あ、ウサトさん」
そんなことを考えながら肩にのせたネアと共にブルリンのいる厩舎へと訪れると、そこにはブルリンの他にナックと、藁の束の上にちょこんと座っている黒いウサギ、ノワールラビットのククルがいた。
ククルの姿を見て、露骨に警戒しだしたネアはスルーするとして、この様子からしてブルリンと仲良くやっていそうで安心した。
「おかえりなさい! ウサトさん!」
「うん、ただいま。ブルリンは……大丈夫なようだね」
「はい。基本大人しいので、俺でも全然平気でした!」
「グアー」
当然だ、と言わんばかりに一声鳴いたブルリンを撫でつける。
ごわごわとしている毛並みに、相変わらずだなぁと思っていると、肩の上のネアが前触れもなく飛び上がった。
何事かと思っていると、飛び上がったネアの代わりにククルが肩に飛び乗ってきた。
どうやらククルがネアのいる肩に飛び上がり、それをネアが避けたようだ。
「ハッ、前までの私じゃないわ! 貴女のような畜生ウサギの攻撃なんて止まって見えるわ! バァーカ! アーホ!」
空を飛びながら程度の低い暴言を口にするネア。
ちょっと引きつつ、彼女に視線を向ける。
「ネア、ウサギ相手に悲しくならない?」
「こいつの本性知ったら、全然そうならないわね!」
まあ、平気で人を誑かしてくる悪魔みたいなウサギだけれども。
一方のククルはネアの煽りなど毛ほども気にしていないのか、僕の頬に頭をこすりつけている。
かわいい。
「キィィィ! そこは私のよぉぉ!」
「きゅっ!」
ネアの方は驚くべき煽り耐性のなさで、ククルへと突撃をかます。
それを察知していたククルは、ぴょんと肩から飛び上がると、フクロウ状態のネアの背中を蹴って厩舎の入り口の方へといってしまう。
背中を蹴られたネアは「ひゃ~」と情けない悲鳴を上げながら墜落? しそうになるが、その前に僕が両手で受け止める。
「大丈夫? ネア」
「う、ぐ、あのウサギィィ……! あったまきた! もう許さない!」
一瞬の光と共に黒髪赤目の少女の姿へと戻ったネアは、逃げて行ったククルを追って厩舎から出て行ってしまった。
……楽しそうでなにより。
ククルも遊び相手ができてどことなく嬉しそう……なのかな?
厩舎の出口を見て、曖昧な笑みを零した僕は、藁の束が積まれた山に腰を下ろす。
「ルクヴィスでキリハ達と会ってきたよ。それに、ミーナにもね」
「! そうですか。相変わらずだったでしょ?」
「なんというか……君もあの子も色々と大変だなって思ったよ。君との関係はややこしいってレベルじゃなかったしね」
学園で出会った同士なら、まだ幾分か分かりやすい関係だったけれど、幼馴染っていうところがややこしくしているんだなって思った。
そこまでは口には出さないけども。
「やっぱり、そう思いますか?」
「ああ」
「……まあ、俺もあいつも悪いところはありましたからね。あいつがやったことは簡単には許すことができませんが……それをじっくり考えている余裕は今のところないんで、保留にしている感じです」
保留、か。
まあ、ほぼ部外者の僕が口出しするまでもないし、できることなら見守っていくべきだな。
……今ちょっとおっさんっぽさが出ちゃったな。
最近の僕どうした? ナックという弟分ができてちょっと精神的に老けちゃったのか?
「それはともかく、キリハさん達は元気でしたか?」
自分の精神がおっさんっぽくなっていることにショックを受けていると、ナックが話題を変えてきた。
僕もすぐに気持ちを切り替えて、彼に笑いかける。
「もちろん。キリハもキョウもサツキも皆、君のことを気にかけていたよ」
「皆が……」
「手紙でも送ってあげたらどうかな? アマコに頼めば、ルクヴィスにいるキリハ達にフーバードを届けられると思うけど」
「是非!」
ナックにとっても、キリハ達はかけがえのない友人に違いない。
明るくそう答えた彼に、微笑みながら僕は立ち上がり、軽く準備体操をする。
「さて、今日まで馬車での移動だったから、少し体を動かそうかな。ナックもどう?」
「ウサトさんがよければ、一緒に走りたいです」
今日、魔王軍のことについてロイド様とローズから聞かされたせいか、どうにも体を動かしたくなってしまっている。
本当はローズに休むように言われているけれど……まあ、無理をしすぎない程度なら怒られないよね?
ついでに惰眠を貪っているブルリンも起こそう。
寝ぼけながらものっそりと起き上がったブルリンの背中を摩りながら、ナックと共に宿舎の外へと出る。
すると、外では未だにネアが息も絶え絶えな様子で地面に倒れ伏していた。
『この! どきなさい……!』
『きぃ、きゅー!』
『こ、この、何度もバカにしてぇ……!』
頭の上でぴょんぴょんと跳ねて煽っているククルをネアが払いのけようとするが、ひらりと躱され再び逃げられてしまう。
その様子を見た僕は、思わず目を背ける。
「……ネアは、誘わなくても大丈夫そうだな」
「そ、そうですね」
既に疲労困憊のネアをスルーした僕達は、いつもよりゆっくりとした足取りで走り出す。
いつもより余裕をもって走っているせいか、つい色々なことを考えてしまう。
今夜、ローズの口から明かされるであろう話の内容とか、魔王軍はいつやってくるとか、これから僕はどのような方針で動けばいいのか、とか。
主に悪い方向にばかり思考がいってしまうけど、一つ確かなことが言えるとすれば――、
「残された時間は、少ないってことだな」
戦いは避けることはできない。
だからこそ、その限られた時間でできるかぎりのことをしていかなくてはならない。
ここで改めて、この世界での治癒魔法使いの状況を出しておきました。
治癒魔法使いは、戦いのあった昔は重宝されましたが、本編の時代においては系統強化の使い手どころか、熟練の使い手すらもほぼいないので、回復魔法よりちょっとだけ効力の強いだけの魔法が使えるという認識となっております。
治癒魔法使いが希少ということも理由の一つでもありますね。