第十九話
面白くない人生だった。
家族、建物、学校、クラスメート、友人、その全てがモノクロのように荒んで映っていた私はどうしようもない程に退屈していた。
何でもできてしまう自分が嫌い。だから、他人に「将来」の事を聞いてしまう……何になりたいか、なりたくないか、何でもできてしまうからこそ、私にはやりたいことが見つからなかったから、他人の語る『夢』に羨ましさを感じていた。
フィクションは好きだ、ファンタジーとかSFとか……空想の世界を生き抜く主人公達の姿に心を躍らされた。恋愛とかサスペンスとか歴史じゃなく……現実とはかけ離れた物語が大好きだった。
結論を言うと私は現実とは違う非現実に惹かれていたんだ。
親の期待から、弟からの嫉妬から、他人の羨望から、私に向けられた全ての眼差しから抜け出したい。
世間との繋がりからも離れたいとすら思っていた。
『姉さんなんて居なければ良かったんだ!!』
一つ年下の弟から言われた言葉。
瞳に一杯の涙を溜めて、声を震わせながら私を罵倒した弟。
姉として普通に接してきたはずだった。
私は、どこで間違えたのだろうか。
いや、これは言い訳だな、切っ掛けは確かにあった。事あるごとに私の事を引き合いに出してくる両親の言葉。常に私と比べられる弟の心はどんどんすり減っていった。
両親に悪気がないのは知っている。悪意がないからこそ、両親の言葉は弟にとって何より鋭い刃物として、彼の心に突き刺さった。
弟は両親からの愛が欲しかった。それが貰えなかったから私を罵倒した、ただそれだけの話だった。
そう、全て私が悪いんだ。
私ができないフリをすれば、私がここにいるから……外面だけを取り繕っている私なんて、どこか遠くに消えてしまえばいいのに……。
●
「……ぁ……は」
嫌な、夢を見てしまった。
気怠い体に違和感を感じながら身体を起こすと、なぜか服が濡れていることに気付く。
周囲を見回してみれば生い茂った木々とゆるやかに流れる川。
一体、私は何でこんな場所にいるのだろうか? 確か、早朝にウサト達と王国の訓練に出て、盗賊に遭遇して、モンスターの襲撃を受……け……て、
「そうだ! ウサト君!!」
ようやく全てを思い出した私は顔を青くさせ、私を庇ってくれたウサト君を探す。
「………ぅ」
「良かった……いた……」
ウサト君は、私のすぐ隣でうつ伏せの状態で気絶していた。
彼の衣服には無数の傷が刻み込まれている。
私を庇ってモンスターの直撃を受けた彼は、私諸共空に打ち上げられてしまった。私にはその後に記憶がないけど、あの後川に落ちて、ここまで流れ着いてしまったのだろう。
そうだとしたら――、
「ウサト君は、私を抱えてここまで運んできてくれたんだ……」
緩やかに流れる川の上流に目を移すと、大きな轟音と水しぶきをたてる落差二十メートルほどの大きな滝が広がっていた。
「ごめん……」
ここまで連れてくるのだって大変だったはずだ。
とりあえずは安全な場所を探さなければ―――ウサト君の体を下から持ち上げ、背負おうとする。
うぅ、重い……。
「私は、受けた恩は必ず返す女だ……ッ」
それに彼がこの世界に来てしまったのは元はと言えば私のせいだ。
だからこそ彼は絶対死なせてはいけない。
気をしっかり持つんだウサト君!
「犬上先輩。もう大丈夫です。今、目が覚めました」
「起きるのが早くないかな……」
私の決意が無駄になったじゃないか。
気絶から目が覚めたウサト君は、私の背から降り、怪我がないか確認しながら体を動かしている。全身が薄い緑色のオーラに包まれている事から治癒魔法を行使しているようだ。
しかしな、ウサト君、この行き場のない決意はどこに向ければいいんだい。
私、結構恥ずかしいことを言ってしまった気がするのだけど。
「大丈夫ですか、犬上先輩」
「それはむしろ私の台詞なんだが……」
「僕は大丈夫です。慣れてますから」
多分それは慣れちゃいけないものだと思う。
しかし気まずい。魔物からウサト君を守ろうかと思って行動したのはいいけど、結局守ってもらったのは私だ。
不甲斐ないばかりである。
「……犬上先輩、まずは今の状況を説明します」
「え……あ、ああ」
深刻な表情で、私に語り掛けてきたウサト君は、今いる場所について説明する。
彼の話からすると、私とウサト君はフォールボアという猪のモンスターの突進攻撃を受けて、森の中に吹き飛ばされた後に川に落ち、流れの緩い滝壺付近から岸に上がったという。
その際、ウサト君は疲労のあまり気絶してしまったと……。
大体は私の予想と同じだけど、ウサト君にはかなりの負担をかけてしまった。
「……すまない、ウサト君」
「謝らないでください。僕が勝手にやったことですから。それより、今いる場所について説明します」
だとしても、私が気にするよ。
でもいつまでも落ち込んでいられないので表面上は冷静さを保とうと努める。
「この森は僕が約10日間サバイバルした森、『リングルの闇』と呼ばれている場所です」
「ここが君の言っていた……」
それならこの場所はかなりやばいところではないのか?
私とウサト君が気絶している間に、魔物に襲われなくてよかった。
「じゃあすぐにここから出ないと……」
「危険です。空を見る限りこの場所はじきに暗くなります。先輩がいくら強くてもどこから来るか分からないモンスターを相手取るのは無理でしょう?」
「うっ……」
確かに暗い中で、襲ってくる魔物と戦うことなんて今の私では無理だ。
「だから明るくなってから動きましょう」
「でも暗い間は……」
「僕は木の上で生活してモンスターの目から逃れていましたが、先輩は木登りとかできますか?」
「木登りなんてしたことないから、自信はない」
そういう遊びはさせて貰えなかった。
木登りに慣れているウサト君ならまだしも、私が木から落ちるようなことがあったら、下手をすれば死ぬかもしれない。
私の言葉に、腕を組みながら悩むウサト君。
暫しの長考の末、出た答えが―――、
「じゃあ、ここにしましょう」
「はい!?」
地面を指さしながらそう言い放ったウサト君。
夜もモンスターが沢山出るんじゃないの?
「ここなら、近くに水辺がありますからね。わざわざ拠点を探すようなことしても魔物に襲われるだけだし」
「た、確かにそうだ……」
「じゃ、決まりですね」
ウサト君は手慣れたように木の葉や木の枝を私の前に集め始める。やがて大きく積まれた木の葉と木の枝、一体ウサト君は何をしようとしているのだろうか。あまりキャンプとかやった事はない私じゃ彼を手伝うことも出来ない。
「犬上先輩、魔法で火を点けてください。焚火でもすれば大抵のモンスターは火を怖れて近づいてこないはず」
「あっ、そうか。分かったよ」
ウサト君に言われた通りに、積まれた木の枝に火種となる電撃を放ち、火を点ける。
暖かな火が、煙を上げながら大きく燃える。両手を火にかざすと温かい、服が濡れているせいか寒気を感じていたんだ。
「先輩、荷物は?」
「ああ、リュックと剣はあるよ」
幸い、服もあるので濡れてなければ着替えることもできる。
服以外にも、ナイフと地図。地図は使えないけれど、ナイフは役に立つ。
さらにリュックの中を覗くと、運よく水が浸入してなかったのか乾いた状態の服が入っていた。
「良かった。乾いているね」
「着替えてきたらどうですか? 僕は服なんてすぐに乾いちゃうので、気にせず着替えて良いですよ」
「分かった。その前に……剣とナイフを出しておくよ」
ウサト君の目の前にそれらを置き、服を持って着替えそうな場所に移動する。
その際に、お約束の如くウサト君に一言。
「覗かないでね?」
「は?」
今の反応は少し傷ついた。
●
持ってきた着替えは、学校で着るようなジャージのようなものだった。着慣れた服ではないけど文句も言ってられない。
ウサト君だって濡れた服を着たまま我慢している。
周囲が暗くなり、焚火の淡い炎が周囲を照らす。森の中では獣のような声が響き渡っている……恐らく魔物の声なのだが、襲われるかもしれないと考えるとやっぱり怖い。
ウサト君はよくこんな森で10日間も住めたものだ。
「……お腹空きましたね」
「そうだね」
「実は、朝から何も食べてないんですよ」
確かに、朝早く王国を出たからか何も口にしていない。
肝心の食料は護衛をしてくれている二人が持っていたから、私は持っていない。食料を調達すると言ってもこんな暗くては、食料を見つけるどころか、逆に私達がモンスターの食料になってしまうだろう。
手詰まり、その言葉が頭に浮かびあがった瞬間、ウサト君が私の方を見ていることに気付く。
「……な、なんだい、ウサト君」
「先輩……川がありますよね」
え? それがどうしたの?
●
ごうごうと大きな音を立てる滝。
緩やかに流れる川に両手を浸しながら。私は後ろを振り返り距離を取ったウサト君の方を見やる。
「これでいいかい?」
「僕は避難オッケーです。いつでもビリッといって大丈夫ですよ」
避難って……まあ、いいや。
目を瞑り、身体の中の魔力を感じ練り上げた魔力を両腕に集める。
すぐには解放せずに、溜めて一気に解き放つ。解き放たれた魔力は雷へと変化し、溢れ出すように川に浸した両手から放たれる。
一瞬の放電の後に両手を浸していた場所を中心にプカプカと魚のような生物が浮き上がってゆく。
「は、はは、魔法で魚獲りとは……」
若干落ち込みながらも、ウサト君の方に振り返ると―――、
「いやホント、先輩が居てくれて良かったです……」
大絶賛されていた。いや、むしろ感激されている。
悪い気はしない。悪い気はしないのだけど……何だか素直に喜べない。
その後、二匹ほど浮かび上がった魚を私が食べられるように調理して食べてみた。
内臓を取って焼いただけだったので、味はお世辞にも良くはなかったけど、空腹を満たすことはできた。
「いやー犬上先輩が居ると違いますね」
「いやいや、大袈裟すぎるよ」
「犬上先輩が一緒なら、あと三か月は生きられそうですよ」
「え? そ、そうかな?」
照れるじゃないか。
やっぱり一人より二人のほうがいいね。でもウサト君、直球過ぎるよね。
普通に照れてしまったよ。
「そうですよ、火もつけられるし、魚も獲れる。一家に一台欲しいくらいですよ」
「私は家電かなにかかな!?」
直球の度合いが違かった。
しかし、後輩に弄ばれるのは先輩としてはアレなので、ここは先輩としての威厳を発揮しなければな。
「酷いなウサト君。君は私をなんだと思っているんだい」
「……変な人?」
ぐはぁ……!
自分で放った言葉が、変化球付きで倍返しされて返ってきた。君の目には私がどう映っているのウサト君! でも今までの行動を振り返ると、そう言われるのも分かってしまうのが悔しい! けど面と向かって言われると、なんだか凄いダメージだよ!
暫しウサト君の「変な人」発言に落ち込んでいると、火の番をしていたウサト君が嘆息しながら私に休むように促してくる。
「もう暗いので、そろそろ寝たほうがいいんじゃないですか? 火は僕が見ていますから」
「いやいや、ウサト君にだけ任せる訳にはいかない、私が……」
「……なら、交代で見ましょう。頃合いを見て起こすのでそれまで寝ていてください」
そこまで言うなら、ウサト君の言葉に甘えよう。
ふふふ、だが私は騙されないぞ。そう言っておきながら、君は朝まで私を起こさないつもりだろう?
数多くの書籍を嗜んだ私にとって、君の行動は手に取るように分かりやすいのだ……!
そういう親切は私にとって逆効果。むしろ変な罪悪感しか抱かせないぞ。
しかし、疲れているのも事実だ。ここはウサト君の言う通り、少しだけ休ませてもらって時間を見て代わろう。
「ああ、じゃあ少し休ませもらおうか……襲わないでね」
「……ないわ」
「!?」
そんな風に言わなくても。
横になるとすぐに睡魔が襲ってくる。
少し、少し休むだけだ、深く寝るつもりはない。そう頭の中で反芻しながら私の意識はだんだんと遠くなり、眠りに落ちた。
「犬上先輩、交代です」
「………君は何度私の予想を上回れば気が済むのかな?」
未だに周囲が暗い中。私は普通に起こされた。
ウサト君ッ、君というやつは、君というやつは……!