第百六十九話
第百六十九話です。
翌日の午前。
大図書館内で会談が行われている頃、僕とカズキと犬上先輩は宿の近くにある訓練場で軽い雑談を交わしながら準備運動をしていた。
「それで、模擬戦闘ってどのような形式で行うんですか?」
「んー、さすがに午後も控えているからそこまで過激なものはできないし……どうしようかな」
「……カズキは、何かいい案とかないかな?」
考えてなかったんかい。
顎に手を当てて考え込む先輩に肩を落としながら、カズキに意見を求める。
僕と先輩の姿を見比べたカズキは、暫し考え込んだあと、何かを思いついたのか笑顔を浮かべる。
「そうだな。鬼ごっこみたいに触ったほうが勝ちとかは?」
「先輩と鬼ごっことか、勝てる自信ないんだけど」
「身体能力全振りのウサト君に言われたくないんだけど……」
雷獣モードで全速力でこられたら僕も逃げ切れませんって……。
僕と先輩の反応に「どっちもどっちだな」と頷くカズキ。
「そもそもの話、先輩は僕となんの模擬戦闘をするんですか? 雷獣モードの練習ですか?」
「そうだね。正直、城の中では私の速さに対応できる人がほとんどいないんだ。カズキ君は……魔法を使えば、互角に戦えるんだけど、周りへの被害が多すぎて……」
「それで僕ですか……」
まあ、反射神経は人並み以上の自信はあるから別にいいのだけど。
先輩の速さに対応できるかどうかは……やってみないことには分からない。
「分かりました。とりあえず一度やってみましょうか。形式は……カズキの提案してくれた通りに、鬼ごっこ形式で……」
「私が君の右肩に三回触れられたら、私の勝ち、三分間凌ぎきったら君の勝ちってのはどうかな?」
「いいですね。それでいきましょう」
三分間だけ先輩の手を防げば僕の勝ち、か。
少しきついかもしれないけれど、ワクワクしている自分がいる。
「あ、もしも、私の手が滑ってあらぬところへいってしまった時は……笑って許してほしいな」
「……」
「じょ、冗談だよ! だからそんな見損なった目で見ないで!」
割と本気で冷たい目になってしまった僕に焦りまくる先輩。
そんなやり取りを交わしたあと、僕と先輩は訓練場の一画で向かい合う。
審判役にはカズキがいるので、周りを心配する必要はないだろう。
「制限時間は百八十秒、二人のどちらかが動けば数える。二人とも、いつでも始めてもいいぞ」
カズキの言葉に頷き、先輩へと視線を移す。
僕に三回触れればいいというだけなので、彼女は丸腰だ。
その一挙一動を注視しながら、構えを取る。
「遠慮なくどうぞ」
「ああ、そうさせてもらおう。何気に君とこうやって相対するのは初めてだから……それを無駄にしないように、私も本気で行く」
先輩の全身が煌めいたと認識した次の瞬間——、僕の右肩には先輩の手が置かれていた。
唖然としながら、目の前にいる先輩を見れば、カノコさんに勝るとも劣らないドヤ顔であった。
「一回目。油断大敵だよ、ウサト君」
「……さすがです」
先輩は一瞬だけ雷を纏い、僕から距離を取る。
予想以上の速さだ。
雷を纏うだけあってとんでもない速さだけど、完全に目で追えなかったわけじゃない。
自身の頬を張り、完全に目を覚ました僕は右腕に籠手を展開する。
「籠手を使ってもいいですか?」
「私の手から逃れられるのなら構わないよ!」
「上等……!」
再び、雷を纏い一瞬の高速移動を行ってきた先輩に右腕を引く構えを取る。
狙いは肩だというのは分かっている!
視界で微かに捉えた影を認識した瞬間、治癒加速拳を右側に放ち、左側方へ加速する!
「ッ、外れた!? もう一度!」
こちらを追いかけてきた先輩にさらに後方へ跳躍。
当然の如く、追ってきた先輩の手がこちらへ迫った瞬間に、横に放った加速拳で空中で方向転換をし、その手をひらりと躱し———たつもりが、僅かに肩に指先が触れてしまう。
「くっ、失敗か……! やっぱ速すぎますよ、先輩……」
「ちょっと待って、明らかに君の方がおかしい移動していたんだけど。空中で前触れもなく横にスライドしたんだけど!」
僕に触れた指先を複雑そうに見ながら、先輩がそんなことを言ってきた。
先輩が治癒加速拳に慣れないうちに、完全に避けきるつもりだったからかなり悔しい。
「治癒加速拳。これは……系統強化の暴発を利用した移動法です」
「それってもう系統強化とは別の技術のような気がしてきたよ。敢えて名付けるなら……系統発破?」
発破とかそんな物騒な……。
発動までの工程を考えれば発破も間違えていないけれど……まあ、それは今はいい。
再び右腕を引くように構えを取り、治癒加速拳が出せるように魔力を籠める。
「さあ、こうして話しているうちに時間は過ぎてますよ? あと一回触れれば貴女の勝ちです。僕が貴女の速さに慣れるのが先か、貴女が僕に触れるのが先か……勝負です」
「ふふ、面白い。なら、もっと攻めていこうじゃないか!」
視界いっぱいに雷が輝く。
瞬間、こちらへ先輩が放った三つの電撃が迫ってくる。
「甘い!」
即座に反応した僕は、その場から動かずに籠手で全て払い落とす。
それと同時に、側方から伸びてきた手を勘で躱すと、先輩が驚愕の声を漏らした。
「なっ!?」
「よぉしッ!」
あてずっぽう回避成功!
狙う場所と微かな動きさえ見えれば避けられなくもないぞ!
ぬか喜びも束の間、すぐに我に返った先輩は僕から距離を取らずにそのまま雷を纏ったまま、手を伸ばす。
しかぁし! そんなことは織り込み済みぃ!
しゃがんだ勢いのまま地面へ拳を突き刺し、そのまま魔力を暴発する!
「ぬん!」
「きゃっ!?」
それにより生じた魔力の衝撃波が、先輩の足に直撃し大きくバランスを崩させた。
これぞついさっき思いついた即興技、治癒転ばし拳!
地面に打ち込んだ拳を起点に系統強化の暴発を行い、魔力の衝撃波を放つことで相手を転倒させることができる行き当たりばったりな技だ!
多分、二度と使う機会はないだろう!
「ふははは! この勝負はもらいましたよ!」
態勢を崩した先輩を視界にいれながら、思い切りバックステップをし全力で逃げる。
思わず悪役のような高笑いを上げてしまうが、それを受けた先輩は嬉しさ全開といった笑顔を浮かべた。
「やっぱり君は、私の見込んだ男だ!」
「む!?」
「君を相手に二分いっぱい保たせようとしたのが駄目だった! 君に勝つには———」
そう言葉にするやいなや、これまでよりも明らかに多くの電撃を纏う先輩。
最早、眩いほどに迸らせた電撃はジリジリと地面を跳ね、昼間で明るいはずの訓練場をさらに明るく照らしている。
どう見ても全力モードの彼女は、頬を引き攣らせている僕へと揚々と叫んだ。
「最初から全出力でいけばよかったんだ!」
「……ちょ、ちょっとタイ——」
「いくよウサト君!」
そのまま視界から掻き消え、とてつもないプレッシャーが全方位から迫ってくる。
どうしよう、心なしか先輩が速すぎて分身しているようにも見える。
……。
「ええい、こうなったら逃げ切ってやる!」
僕は先輩の猛攻を凌ぎきるべく、籠手を構えるのであった。
……というより、先輩完全にテンション上がって楽しんでいますよね……。
●
「あー、逃げられなかったー!」
訓練場の傍の原っぱに寝転びながら、肩の力を抜く。
鬼ごっこの結果は先輩の勝ちであった。
さすがに全出力状態の先輩から逃げ切るのは無理だ。
五秒くらいしか保たなかった……!
「そういうけど、私もかなりギリギリだったよ。電撃を纏える時間もあと数秒ほどしか残ってなかったし」
「されど数秒ですよ」
その数秒を凌ぎきれなかったことで、僕は負けた。
魔力も体力にもまだ余裕はあるけれど、すごく神経を使わされる勝負だった。
避けさせない攻撃を繰り出してくるローズの訓練とは、また違った経験がつめた感じがする。
「いやぁ、二人ともすごかったです。先輩の方は電撃を纏える時間、格段に増えていたじゃないですか」
やや興奮気味のカズキの言葉に、先輩は照れくさそうに笑う。
「私なりに色々と工夫してみたんだ。雷獣モードでいられる時間は、少しずつ伸びているけど、それでもまだ実戦で使うには心許ないから、一瞬だけ発動したり出力を押さえたりしているんだ」
出力を抑える、か。
「一瞬だけ雷を纏って、時間を節約していたから、何回も連続での高速移動ができたんですね」
「そうだね。今は切ったりつけたりしてやりくりしている感じ」
僕の治癒加速拳も決して少なくはない魔力量を使う技だ。
先輩から魔力をセーブするコツとか訊いてみれば、もっとうまく扱えるようになるかもしれないな。
「ウサト。あれってなにしたんだ?」
「あれって?」
「先輩の体勢を崩した技だよ。もしかして普通に地面を殴って揺らしてたのか?」
「あ、それ私も気になる。いきなりバランス崩されてすっごいびっくりしたから……」
いくら鍛えても地面を殴って人が倒れるくらいの揺れを起こせるはずないです……。
特別隠す事情もないので、治癒転ばし拳について二人に説明する。
「よくもまあ、即興でそんな技を考えられるね。実際に食らったから言うけど、無防備な相手なら確実に動揺を誘える技だと思う」
「戦いの真っ最中に足元を気にしなくちゃいけないのは地味にきついからなぁ」
なんだか僕が思っている以上に、治癒転ばし拳は厄介な技なようだ。
……今度、使い道を考えてみるか。
「んー、治癒転ばし拳か。……治癒転倒拳って名前でもいいんじゃない?」
「! 前から思っていたんですけど、先輩ってネーミングセンス半端ないっす。尊敬します」
「え、えへへ、そうかな?」
実のところ転ばし拳じゃ、ネアにボロクソに言われるかもしれないって思ってた。
いや、僕としては転ばし拳もそんなに悪い名前じゃないと思うんだけど、今度からこの技は治癒転倒拳と名付けることにする。
転倒拳ってダイレクトすぎて変化球染みたカッコよさがあるしね。
「あ、ウサト君。一戦交えてみて何か気になったことはあるかな? 私としては欠点とか、アドバイスとかをいただきたいのだけど。あ、褒めるのもあり——」
「ウサト様、お水はいかがですか?」
「ああ、いただくよ。ありがとう、エヴァ」
隣にいるエヴァから水をもらう。
水を一口飲み、一息ついた僕は改めて先輩の方へ視線を移す。
「……あくまで僕から見て思ったんですけど、少し動きが単調で分かりやすい気がしますね」
「やっぱりそうか……速くなりすぎるとそうなっちゃうんだよね……って、んん?」
ん? どうしたのだろうか?
先輩は首を傾げ、僕とエヴァを交互に見たあとに数秒ほど考え込んだ後に声を上げた。
「なんでエヴァがいるの!?」
先輩のその一言で、ようやく僕は隣にいるエヴァの存在に気付く。
当たり前のようにそこにいたから逆に気が付かなかったな。
「あ、そういえばそうですね。エヴァ、いつからここに?」
「ウサト様とスズネ様が勝負をなさる前くらいです」
「気づいてなかったのにナチュラルに会話してたの!? しかも、君は結構前からいるし!」
ルクヴィスで呪いから肉体と魂を取り戻しても、いつのまにか近くにいるところだけは変わらないなぁ。本当に気づいたら“そこ”にいるって感じ。
「すごいな。俺も気づかなかったぞ。えーっと、ウサト、この子が前にいっていたサマリアールの王女?」
「うん。……エヴァ、彼が僕の友達のカズキだよ」
「あ、お初にお目にかかります! サマリアール王国のエヴァ・ウルド・サマリアールと申します! 勇者のカズキさんですよね! ウサト様からは一番のお友達と聞いております!」
「そうか、一番の友達か……なんだか照れるな」
「こ、今度はちゃんと言えました……」
エヴァの説明にカズキが嬉しそうに頷く。
サマリアールでカズキについて話したことを覚えていたことに、若干恥ずかしい気持ちになりながら、自己紹介を無事に済ませることができたエヴァに向き直る。
「あ、先ほどのお二人の戦い、とてもすごかったです! 速くて全然見えませんでしたけど、なんというかすごいのは分かりました!」
「あ、ああ、ありがとう」
なんだろう、この子の真っすぐな言葉にたじたじになってしまう。
曖昧な表情でお礼を返していると、先輩がエヴァに声をかけた。
「君は一人なのかい?」
「いえ、近くに騎士の皆様がおりますよ」
一人で出たんじゃなくて護衛の方と一緒か。
よかった、エヴァが一人で抜け出したって話じゃなくて。
そう安堵していると、訓練場の入り口付近からこちらを見ている怪しい空色の人影を発見する。
「ん?」
『渦中に飛び込んでいく姫様、勇ましい……!』
『若さは強さね……フフ』
『疲れた殿方にさりげない優しさ。姫様、完璧です……!』
……僕は何も見なかった。
複数人の空色の騎士達が、こちらを窺っている光景なんて見なかった。
そう自分に言い聞かせ、話題を変えるべくカズキへと向き直る。
「カズキ、訓練を再開しよう。エヴァはここで見ていくかい?」
「ご迷惑ではないなら……」
「先輩もカズキも構いませんよね?」
「もちろんだよ」
「俺も構わないぞ」
「カズキさん、スズネさん……ありがとうございます!」
新たにエヴァも加わり、賑やかになったところで訓練が再開される。
最初に先輩と模擬戦闘という名の鬼ごっこをやったことだし、次は組み合わせを変えてみるのも悪くないかもしれない。
「ウサト。剣の練習に付き合ってくれないか? あ、疲れてるならいいんだけど……」
「体力のほうは大丈夫だよ。あー、僕って剣は使えないんだけど、それでもいい?」
「ウサトは自分の得意な戦い方でいいぞ。その籠手を使っても構わない」
それなら遠慮なく使わせてもらおう。
というより、普通に使う上ではこれはただ硬いだけの籠手だから、盾みたいなものなんだよな。
カズキとの剣の練習、彼がどれほどの剣の腕かまだ知らないけれど、やるからには先輩の時と同じく真面目にいこう。
治癒転倒拳はちょっとした範囲攻撃ですね。
基本のカズキ、特殊のスズネ、暴発のウサト(!?)といった感じで、三人の成長する方向が定まってきましたね。