第百六十一話
お待たせいたしました。
第百六十一話です。
旅は、目的地へ向かう道中が楽しい、と元の世界で同じクラスだった友人が言っていた。
確かにそうだと思う。
目的地へ到着することも大事だけれど、それまでの旅路の中で変わりゆく景色、変化していく動植物を見ていくのも、中々に楽しいものがある。
そして、そんな目的地に着くまでの束の間の時間、友人達と語り合うことも、一つの楽しみでもある——今日の朝くらいまでは僕もそう思っていた。
「先輩。いい加減、寝相を装ってアマコに抱きつこうとするのはやめてください」
現在、僕は馬車の中で正座している先輩を前に説教をしている。
この数日間、先輩は再三の忠告を聞かず、寝相を装ってアマコを抱き枕代わりにしようと行動に出た。その度にアマコが避けていたのだが、この人は半端なく諦めが悪かったので、非常に気が進まないけれど僕が説教? のようなものをすることになった。
「ふ、濡れ衣も甚だしいよ、ウサト君。そんな証拠はどこにあるのかな?」
「現行犯じゃ足りないんですかね……」
しかし、それでも先輩はふてぶてしく黙秘を続けている。
この場にいる全員が先輩の犯行を目撃しているにも関わらずだ。
「ふふん、私は寝ている時、隣の狐っ子に抱きつく癖があるんだ。これは私が鋼鉄の意志を以て、隠し通してきた十の秘密のうちの一つなんだ」
「どんだけピンポイントな癖なんですか。もう白状しているも同然なんですけど」
「あ、私の秘密を喋らせたウサト君には、責任を取ってほしいな」
「先輩。勝手に秘密暴露して責任取るように要求される僕の気持ちになってください」
なんでこの人、正座させられているのにこんなに堂々としてるの? どうして何かを期待するような目で僕を見られるの? すごいな、鋼鉄の意志。
カズキとウェルシーさんは苦笑しているし、アマコはこれ以上なく冷たい目で先輩を見下ろしているし。
どんなことを言ってもしぶとく抵抗するのは分かっているので、ため息をつきながらアマコに視線を向ける。
こくり、と頷いたアマコは口元を隠し、恥ずかしがるようなそぶりを見せながら先輩に話しかける。
「スズネ、正直に言ってくれれば、抱きついて寝るくらい考えてあげるのに……」
「私、イヌカミ・スズネは、ばっちり起きたままアマコに抱きつこうとしたことを認めます」
「おい、鋼鉄の意志」
どんだけ欲望に忠実なんだ、貴女は。貴女の意志は鋼鉄どころか、豆腐以上の脆さなんですけど。
潔く認めた先輩に、アマコは可愛らしく首を傾げて考えるようなそぶりを見せ、普段あまり見せない笑顔を浮かべた。
「考えてあげた結果、今日からスズネと五人分くらい離れて寝ることにするよ」
「旅を始めてから一番の笑顔!?」
「別に考えてあげるだけで、やってあげるとは言ってないよ」
「謀られた!?」
まあ、確かにアマコも考えてあげるとしか言ってなかったな。
アマコに騙されたのが、よほどショックなのか僕の方に話しかけてくる。
「ウサト君、アマコが嘘をついたよ!」
「至極真っ当な判断だと思いますが……」
「くっ」
「いや、そんな苦渋の表情を浮かべられても……。ほら、もう正座はしなくてもいいですから、立ってください」
手を差し伸べて先輩を立たせて、座席に座らせる。
落ち着きを取り戻した先輩は、腕を組むと何事もなかったかのように僕達に話しかけてきた。
「さてと、出発してから三日が経つけど、馬車の旅も悪くないね」
「さっきあんなやり取りをしたばかりとは思えない態度と言葉ですね……」
「馬車の旅も悪くないね!」
そのまま押し通すんですか。
……先輩が変わらず元気なのは悪いことではないので、このまま話を続けようか。
「ルクヴィスを出た後の旅は、僕達は徒歩での移動でしたからね。そう考えると、馬車での旅ってのも趣が違っていいと思いますよ」
「俺と先輩は馬だったけど、自分で手綱を持つよりも幾分か落ち着けるのはかなりいいな」
動かないで移動するってのもちょっとだけ勿体ない感じはしないでもないけど、快適なことには変わりない。
ごく自然(?)な流れで乗り物の話に移ったのでそれについて話していると、先ほどまで無言だったウェルシーさんが、顔を上げて僕に話しかけてきた。
「あの、ウサト様。お聞きしたいことがあるのですが、構わないでしょうか?」
「あ、構いませんよ」
「ありがとうございます」
どこか思いつめたように見えるけれど、どうしたのだろうか?
「お聞きしたいのは、ファルガ様についてなんです……」
「え? ウェルシーさんが、ファルガ様に……ですか?」
何を聞かれるのかと気になってはいたけど、ファルガ様関連か。
以前、ロイド様の前で籠手を見せた時も興味津々な様子だったから、一応予想はできていたけども……。
ウェルシーさんの言葉に驚いていると、隣にいるカズキが首を傾げた。
「ファルガ様って、確かウサトが行ったミアラークを守る神龍……のことだよな?」
「うん。前に話した、君と先輩に勇者の武具を用意してくれるお方のことだね」
ファルガ様の存在はミアラークの王族にしか知らされていないという機密中の機密。勇者の武器を受け取る本人であるカズキには話しておいたけど……ウェルシーさんは何を聞きたいのだろうか?
「ミアラークの女王様に、かの神龍との謁見の機会をいただけるよう取り計らっていただけないでしょうか……!」
「え?」
謁見、ということはファルガ様と会いたいということだよな?
ウェルシーさん以外の全員が驚きに声も出せない中、彼女は思いつめたような表情を浮かべる。
「決して、私欲のためではありません」
「いや、ウェルシーのことだからそれは分かるよ。だけど、ウサト君にそう願い出る理由を教えてほしいんだ」
「勿論、お話しします」
やや緊張した面持ちで僕達を見回したウェルシーさんは、一呼吸置いてから口を開いた。
「カズキ様とスズネ様はご存知かもしれませんが、私達王国に勤める魔法使いは異世界に召喚された者を、異世界に返還する術を研究しているんです」
「異世界に召喚された者、僕達のことですね?」
「はい。皆様を召喚した際は、王国の古書に記された“スクロール”を用いて召喚の術式を発動させました」
「スクロール?」
なにやらファンタジーっぽい単語が出てきた。
名前的に魔法か魔術が封じ込められた紙みたいなものなのかな?
「スクロールとは、魔法や魔術を紙面に封じ込めたものです。今では魔術と同様に廃れてしまった技術ですが、このリングル王国の大書庫の奥深くに『勇者召喚』の術式が施されたスクロールが見つかったのです」
僕達……というか先輩とカズキという勇者を召喚した方法を知らなかったので、少し驚いた。
しかし、勇者召喚のスクロールがリングル王国で見つかるってのも、なんだか不思議な話だなぁ。
横目で先輩を見ると「スクロールもファンタジーだよなぁ」と若干、嬉しそうな様子で呟いている。
……真面目な話の時でも、先輩は相変わらずであった。
気を取り直して、ウェルシーさんに質問を投げかける。
「そのスクロールは今も残っているんですか?」
「召喚発動時、スクロールは古書と共に燃え尽きてしまいました。その後に、皆様が召喚され……」
「そこから先は僕達が知ってる通りってことですか……」
「……はい」
先輩とカズキは王国で勇者としての訓練に励み、僕はローズに救命団に拉……ではなく連れ去られ、訓練漬けの毎日を送ることになった。
「それで、その僕達が召喚された時とファルガ様の話にどういった関係が?」
「正直に申し上げます。私達、王国の魔法使いでは皆様を異世界に帰還させる術を見つけることができないのです……」
悲痛な面持ちでそう言葉にするウェルシーさんに、僕達は言葉をなくす。
帰る方法を見つけられないという言葉もそうだけど、ウェルシーさんがここまで追い詰められたように口にしたことに衝撃を受けたからだ。
「皆様を元の世界に帰還させるには、私達は多くの技術を失いすぎたんです」
失いすぎた?
それは、どういう意味だろうか?
それを質問する前に、ウェルシーさんは呟くように言葉を発する。
「数百年前、つまり魔王と先代の勇者様が戦っていた以前は、人類は苛烈な領土争いをしていたそうです」
「それは、戦争といってもいいのかな?」
先輩の言葉にウェルシーさんが頷く。
魔王と先代勇者が戦う前、魔王軍という人類に共通の敵がいなかった時代には人間同士が争っていたという訳か。
分からない話じゃないけれど、その時代に先輩とカズキが召喚されなくて本当に良かったと思う。
「他国の土地、文化、魔法体系を取り込み、己が力とするための略奪行為が当たり前だった時代です。今とは比べ物にならないほどに高度な水準で魔法が使われていたと言われています。それこそ、今では使い手の少ない系統強化を五人に一人は扱えていたほどに」
「そ、そこまでですか?」
「あくまで文献に記されていたことですが、ほぼ事実と言ってもいいでしょう。なにせ、戦いが絶えることのなかった厳しい時代でしたから戦士の質も相応に高められていたはずです」
魔法の奥義、系統強化を五人に一人って。
やばすぎるだろ、その時代。とても想像できない。
「しかし、人類の戦いの時代は魔王率いる魔王軍の台頭により終わりを迎えました。強大な力を持つ魔王軍を前に、人類は団結せざるを得ませんでしたから……」
「薄々は分かっていたが、当時の魔王軍はそこまで強大な相手だったというわけか……」
「はい……。しかし、皮肉な話でもありますが魔王軍という共通の敵を持ったことで争い合っていた国々は団結することができたのです」
魔王軍と団結して戦うという点では現代と似通っているが、当時と今では個々人の戦力が大きく離れすぎている。
同じ状況とはとても言えないな……。
「魔王が先代勇者様により封印された後は、戦いの起きない平和な世が今の時代にまで続いていきましたが……その長い年月のうちに私達は多くの技術を失ってきました」
「それは魔術とかですか?」
「ええ。それとスクロールもですね。これらは戦争で多く利用されていた技術でした。ですが、戦争がなくなり平和な日々が続くにつれ、伝えられてきた技術は風化し、最後にはそれを伝える者さえいなくなってしまったのです」
伝えるものがいなければ、いずれは消えてしまうということか。
魔術に至っては、習得するのにかなりの時間をかけなくてはいけないからな。
「勇者召喚は、今の時代では失われた技術です。それを復元するのも、解析して皆様の世界へ帰還させる方法を探すのも、非常に難しいことなのです。ですが、そんな時に、ウサト様が永い時を生きる神龍、ファルガ様と出会ったことを知りました」
「まさか、ファルガ様に会いたい理由は……」
「はい。皆様を元の世界へ帰す方法、もしくは知恵をお貸しいただければ、と思いまして」
ファルガ様は永い時を生きる神龍であり、魔術にも詳しい。
勇者召喚のことも知っているかもしれない。
そう考えていると、決意を固めたウェルシーさんが深く頭を下げた。
「無理な願いというのも重々承知しております。ですが、私には平和な世界に住んでいた皆様を元の世界に帰す義務があります。その為なら、私は力を尽くします」
やっぱり、ウェルシーさんは僕達を召喚してしまったことを気にしていたのか。
多分、僕達が気にしていないと言ったとしても、この人は、僕達を巻き込んでしまったことに責任を感じてしまうだろう。
先輩とカズキとは違ってウェルシーさんと話せる機会はほとんどなかったけれど、彼女がとても心優しい女性だということは僕でも分かる。
……ここまで言われてしまったら、断ることなんてできないよな。
「……分かりました。ミアラークの女王、ノルン様にファルガ様と会えるかどうか交渉してみます」
「っ、ありがとうございます」
「ですが、すぐには会えないかもしれません。魔王軍との戦いも差し迫っていますし、ファルガ様もカズキと先輩の勇者の武具を造っている最中なので……」
「魔王軍との戦いを終えた後でも構いません。停滞しかけていた帰還術式の研究を進められるのならば、私はいくらでも待っていられます!」
リングル王国に戻ったらレオナさんにフーバードを送っておくか。
流石に僕個人で王族に文を送るわけにもいかないからな。
だけど……『帰還術式』か。
ふと、カズキと先輩を見て、頭に浮かんだ考えを振り払う。
僕が元の世界に帰るか、帰らないかは僕本人が決めることだ。カズキと先輩を理由にして考えていいことじゃない。
だけど、いつまでも楽観的にしていられるわけじゃない。
「ウサト君?」
「……はい?」
「いや、私のことを見てボーっとしてるから……とうとう私の魅力に気づいちゃったか、なーんて」
自分で口にしてから照れるなら言わなければいいのに。
……たまには先輩の冗談に乗ってみるか。
「ええ、どんな状況でも元気でユーモアを忘れないところは非常に魅力的だと思いますよ?」
「そ、それは褒められてるのか、言外に能天気と言われてるのか……」
「どっちもなんじゃない?」
「アマコも結構辛辣だよね……」
アマコの言葉に落ち込む先輩に、苦笑する。
今の時代だからこそ、こうやって笑っていられると考えたらなんだかありがたいって気持ちになるな。
もし僕達が召喚されたのが争いの絶えない時代だったのなら、先輩とカズキはただただ戦うための存在として戦うことを強制させられたかもしれない。そう考えると、心の底が冷える思いに駆られる。
その時、巻き込まれてしまった僕はどうなっているのだろうか?
役立たず扱いをされて捨てられてしまうこともありえそうだし、純粋な治癒魔法使いとして戦争に駆り出されそうでもある。
どちらにしろ、今の時代よりも笑うことができないことは確かだ。
「いや、待てよ。数百年も昔だったら僕や団長のような戦い方をする治癒魔法使いも珍しくはなかったんじゃ……?」
今よりも高水準な魔法が普及していた時代だ。
治癒魔法使いの在り方だって今とは全然違っていたかもしれない。
そう呟くと、僕以外の全員の視線がこちらへ集まる。
「面白い冗談だね。ウサト」
「いやいや、それはないよ。ウサト君」
「流石になぁ」
「残念ながら、そのような文献は確認されておりません……」
この総ツッコミだよ。
一縷の望みすらも叩き潰されるとは……。
動揺しながらも、言葉を絞り出す。
「ぜ、全員で否定するのは酷くないですか?」
「あはは……。当時の治癒魔法使いは、今よりもずっと重要視されていたらしいですね。戦いの中では、個人が持つ回復魔法程度では補うことすらできないほどの怪我人が溢れていましたから、治癒魔法のような絶大な治癒力を発揮する魔法使いは重宝されていたとか」
な、なるほど、真っ当に人を癒す本来の役割に収まっていたのか。
思いのほかまともな返答に曖昧な反応を返しているとアマコが僕の手の甲に掌を添えた。
「ねぇ、ウサト。治癒魔法使いが普通に訓練してウサトやローズさんみたいになると思う?」
「え、そりゃあ死にもの狂いで訓練すれば……」
「違うでしょ?」
「……ならないです」
どうして僕は自分よりも年下の少女に優しく諭されているのだろうか?
僕の言葉にアマコは満足気に頷く。
「普通じゃないことをした治癒魔法使いがウサトなんだよ? ウサトは自分が常軌を逸した治癒魔法使いということを認めたほうがいい」
「いや、しかし……」
「これから先、それを認めないまま人間離れした動きをするつもりなの?」
可愛らしく首を傾げているアマコに、表情を引き攣らせる。
嘘でしょ、この娘マジで言っているんですけど。しかもこの表情、からかうとかそんなこと関係なしに本気で諭すつもりで口にしてる。
感動とは別の感情で泣きそうになる僕であった。
先代勇者が召喚された以前は割と危ない時代でした。
今回は、ちょっとした説明回でした。