第百二十四話
お待たせしました。
第百二十四話です。
「ここが隠れ里か……」
狼の獣人、カガリさんに招かれた獣人の隠れ里は意外と広々とした空間だった。
場所の構造としては、深く生い茂った森に囲まれた集落、といったところか。
でも、ただ木々が生い茂っているような感じではなく、畑やちゃんとした家屋が建っているので、想像していたよりも快適そうな生活を送っているようだ。
「……でも」
それにしても、隠れ里に住む獣人達からの視線が凄い。
人間に対する恐れ。
そして、初めて見るであろう人間に対しての好奇心。
しかし、不思議と敵意は少なく思えた。
「ここにいる殆どのものは人間を見るのは初めてだからな。奇異の視線が多いのは仕方のないことだ」
慣れない視線に晒され挙動不審になっていたのか、前を歩くカガリさんが僕に話しかけてきた。
人間を見るのは初めて、か。獣人の住む領域に入り込むような人間は殆どいないらしいから、無理もない。ルクヴィスで魔法を学んでいるキリハ達のように人間の住む場所に入り込んでいる獣人が珍しいだけなんだ。
「僕としては全然気にしていませんよ。むしろこれくらい慣れたものですから」
「……そうか、ただの人間がここに来るとは思ってはいなかったが……君も、苦労しているんだな」
んん? なんか凄い哀れむような表情をされてしまったんた。
あれ、まさかこれ、僕が周囲から避けられているような人だと思われている? リンカは信じられないといった視線を向けてくるけど。
……いやいや、慣れたものっていってもそれは視線を集めることに慣れているというだけで、悪意を向けられることに慣れているわけじゃないのですが。
「あながち間違ってないんじゃないの? ここまでの旅路はすっごい苦労したし」
「その苦労の一端に君が関わっていることを忘れたのかな?」
黒髪赤目の姿で隣を歩くネアの言葉にそう返すと、露骨に視線を逸らされる。
危険度でいえば、ルクヴィスとミアラークで起こった騒ぎと遜色のない事件だったんだぞ、あれ。
しらばっくれるネアに溜息を吐き、再び前へ向き直る。
すると、視界の端に像のようなものがあることに気付く。
「ん? なんだろ」
よく見れば、小さな広場の中心に人型の像が建っている。
獣人の女性……いや少女のものだ。
中々に古い像なのか、痛んでいる部分が多々見られるが刀のような武器を腰に差していることは分かる。
「ウサト殿、どうかしましたか?」
「えと、あそこに像が……」
足を止めた僕に声をかけてくれたアルクさんに、像のことを教える。
すると、僕達に気付いたカガリさんが、像のある方向に顔を向き独り言のように呟きはじめた。
「あれは我ら獣人達にとっての英雄、カンナギ様の像だ」
「英雄……何をした人なんですか?」
僕の質問に彼は慈しむように像を見やる。
その視線には、尊敬の念が深く込められているように思えた。
「勇者様と獣人を引き合わせてくださった、ただ一人の獣人。あの方のおかげで、今日まで私達は生きながらえているといっても過言ではない」
像から視線を外し、再び歩き出すカガリさん。
続きは歩きながらってことか。
僕達も小走りで彼の後ろについていく。
「数百年前、獣人族は人間に、今以上に虐げられていた。力ある者は魔王軍との戦いに駆り出され、力なき者は捨て駒とされ、戦いの中で多くの命が散っていった」
「……」
本当に酷いことをしていたんだな、当時の人間達は。
獣人達を無理矢理戦場へ送り込ませ、自分達はできるだけ被害が少なくなるように戦う。
アルクさんも顔を顰めている。きっと、今の僕と同じ心境なのだろう。
「これは途方もない過去の出来事であり、今を生きる君達にはなんの関係のない話だ。少なくとも、儂は君達を憎んでいたりはしていない」
僕とアルクさんの心情を察して、カガリさんがそう言ってくれた。
「……話を戻そう。人間に虐げられ、獣人族の存亡が危ぶまれたその時、カンナギ様が獣人族の元に勇者を連れてきてくださった。途方のない強さを有していた勇者様は、我らを無為に死なせないために、単身で魔王の軍勢と戦ってくださった」
ここでも勇者か。
本当に勇者に関する逸話は大陸中に広まっているんだな。
カガリさんの話にネアは、首を傾げた。
「戦った? それって見返りもなく?」
「そこまでは儂も知らん。だが、勇者様は戦い以外にも蛮族同然だった我らに知識を授けてくださったと言われている」
「戦ってくれるだけじゃなくて、知識も授けてくれる。私達の知る勇者とは違う、というより新たな側面って感じね……」
確かに。
今まで僕の知っている勇者のイメージは”裏切られ続けた英雄”といったものだ。
だが、カガリさんの話を聞けば”慈悲深い英雄”といったイメージになる。
ルクヴィスで行われた仕打ちを考えれば、人間を憎悪してもおかしくはないのに……結局は、人間の敵である魔王を倒した勇者は、なんの為に戦っていたのだろうか。
「その勇者の従者をしていたカンナギ様はどんな人だったんですか?」
「優しいお方とも、冷酷なお方とも言われている。確かに言えることは、カンナギ様はとても力のあるお人だったらしい」
「力のある? 高い地位の人だった、ということですか?」
「いいや、この場合は腕っ節のことだ。伝えられている話では敵をバッタバッタとなぎ倒し、斬って殴って進む女傑だったそうだ。まあ、誇張も入っているだろうがね」
「き、斬って殴って進む……」
なにその全速前進正面突破を地で行っているような人は……。
イメージが完全に獣耳の生えたローズで固定されちゃったんですけど。
あ、想像してみたら駄目だ、全然可愛げがない。むしろ体に刻みつけられたローズへの恐怖が僕を苛んできやがった。
「着いたぞ」
自身の想像力の豊かさに精神的なダメージを負っていると、前を歩いていたカガリさんが足を止める。
前方を見れば、そこには木で作られた二階建ての家屋。恐らくここが、この隠れ里の長であるカガリさんと彼の孫であるリンカの住む家なのだろう。
振り向いてこちらを見たカガリさんは、僕達の少し後ろをついてきているブルリンに視線を向ける。
「流石に魔物を家の中に入れることはできない。そこの馬と一緒に外で待ってもらうことになるが、よろしいかな?」
「分かりました。……ブルリン、少しの間ここにいてもらってもいいかな?」
ブルリンの前でしゃがみ、そう伝えると彼はこくりと頷くとそのまま脱力するようにその場に座り込んだ。
その様子を見て、カガリさんは目を丸くする。
「まさかとは思ったが、使い魔契約なしに信頼関係を築けているのだな」
「分かりますか?」
「ああ、ブルーグリズリーから喜色の感情が伝わってくるよ」
人語を介さない動物の感情を読み取ることができる、獣人ならではの特性。
僕もブルリンがなにを考えているかなんとなく分かるけど……ちょっと羨ましく思ってしまった。
そんなことを思いながら、カガリさんへ振り向いた僕は苦笑しながら親指でネアを指し示す。
「使い魔としての契約を結んでいるのは、こいつの方ですよ。ま、僕の場合はこいつから無理矢理契約させられたんですけどね」
「……君はなんというか、とても儂の知る人間とは違う……奇天烈な人間のようだ」
それって褒められているのだろうか。
微妙な表情でそう言葉にしたカガリさんに、少しだけ釈然としない気持ちになりながらも、僕達は彼の家に足を踏み入れるのだった。
●
「――そういう事情であったか」
案内された客間で、カガリさんに僕達がこの地を訪れた理由を語ること十数分。僕達の話を聞き終えたカガリさんは、ゆっくりと肩の力を抜いた。
「お前が故郷を飛び出して二年……長い旅路だったな、アマコ」
「……うん。でも、ようやくここまで来れた。それもこの人達のおかげだよ」
アマコがそう言うと、カガリさんの視線が僕へ移る。
「ウサト、といったか」
「はい」
「君がこの子に頼られて、この地を訪れた治癒魔法使いということでいいんだな?」
カガリさんの言葉にしっかり頷く。
真っ直ぐと視線を逸らさない僕に彼は、感心するように声を漏らした。
「まさか、獣人の為にここまで来る人間がいるとはな。なんというか、随分と……変わり者な人間がいたものだな」
「そうでなくちゃ、ここまで来てくれないよ。ね? ウサト」
「なんで自分で変わり者って肯定しなくちゃいけないのさ」
ね? じゃないよ。ここで僕が『うん』と言ったら自分は変わり者ですって認めているようなものじゃないか。
変に嬉しそうなアマコに笑みを引き攣らせる。
「本国にいる倅に文を送ろう。奴ならば、無事に彼女に引き合わせてくれるだろう」
「父さんを頼るの?」
「他に誰に頼む? 彼女の娘なら、喜んで引き合わせてくれるだろうよ」
話からして、リンカの父親に頼むのかな?
獣人の国にいれてくれるほどの人ということは、結構な地位についている人なのか?もしそうだとしたら、最初にリンカに出会ったことは幸運なことなのかもしれないな。
「今日文を出すとしても、返事が来るまでの二日ほどはここにいてもらうことになるが、それでも構わないな?」
「皆、大丈夫だよね?」
「ああ、問題ないよ」
アルクさんに確認を取りながら、アマコにそう返事をするとカガリさんの隣に座っていたリンカが身を乗り出して、アマコに話しかけた。
「それじゃっ、アマコは少しの間だけど、ここに居るってことだよねっ!」
「うん。そうなるね」
「やった! 話したいことが沢山あったんだ!」
余程、アマコとの再会が嬉しかったのか、満面の笑みを浮かべるリンカ。
そんな彼女を横目で見たカガリさんは、呆れたような、それでいて微笑ましいといった表情を浮かべた。
「君達がここにいる間は、ここで泊まるといい」
「……えと、いいんですか? その、僕達まで泊めてもらって」
「いいんだ。部屋は有り余っているからな」
本来は、泊めてもらうという考えなんてなかったけど、カガリさんが親切な人で良かった。
今回は、彼の厚意に甘えよう。
「部屋は二階に空き部屋が二つあるから、好きに使ってくれて構わない」
「ありがとうございます。ただ泊まらせてもらうのも悪いですし、僕にできることがあったらなんでも言ってください」
「む……それじゃ、家の裏手で薪割りをやってもらってもいいか? 見ての通り年だからな、薪を割るのに苦労していたんだ」
「それくらいなら任せてください」
「ウサト殿、私も手伝います」
じゃあ、部屋に荷物を置いたら、アルクさんと薪割りだ。
……薪割りか。リングル王国にいたときもやってたなぁ。あの時は、トングと競争しながらやってたら、薪を割りすぎてローズに怒られたんだっけ?
今は、ナックとフェルムもやらされているんだろうなぁ。
「早速荷物を置きにいくか」
カガリさんに一礼してから荷物を置きに二階へ向かう。
その際に、なぜかリンカも立ち上がり僕達についてこようとしていたが、それほど気にすることでもないと思い、そのまま扉を開けると――、
「ちょい待て、リンカ。お前は今から説教だ」
「い゛ぃ!? なんで!?」
僕達についてこようとしたリンカの頭を鷲掴みにするカガリさん。
リンカの表情が青ざめるが、それに構わず彼は険しい表情を浮かべる。
「ずっと言いたかったんだが、いきなり矢を射る奴がどこにいるんだ。相手が温厚だったからよかったものの……もし、危険な人間だったらお前の身が危なかったんだぞ?」
「い、今その話題を持ち出してくるの!? 叱るのは後でもいいじゃん!」
どうやら、昼間の襲撃のことについて、カガリさんはお冠のようだ。
「黙らっしゃい! 儂はそんな乱暴な子に育てた覚えはないぞ!」
「ウ、ウサトは普通の人間じゃないよ! そいつ素手で飛んでくる矢を掴み取るし、足だって私よりも速いんだから!」
「そんな化物染みたことする訳ないだろう! 客人に失礼だぞ!」
「こ、今回は本当なんだよぉ!!」
「そんな分かりやすい嘘に騙されるほど、儂は耄碌しておらん!」
「うわあああ! 助けてアマ――」
……。
カガリさんとリンカのやり取りを見たアマコは静かに扉を閉めた。
暫しの無言の後、何事もなかったかのように僕を見上げた彼女は二階を指さした。
「ウサト、行こ」
「お、おう」
心なしかリンカに対するアマコの扱い方が手慣れているように思えるのだけど……。
まさか、二年前も……?
なんだかリンカがかわいそうに思えてきてしまった僕は、閉ざされた扉から聞こえてくる怒声と泣き声に合掌をしたあと、荷物を持ちなおして、部屋のある二階へ上がっていくのだった。
リンカの扱いを心得ているアマコでした。