第百十五話
お待たせしました。
第百十五話です。
レオナさんがクレハの泉から水を持ち出してしまった。
一度飲めば、絶大な力を使い手に与え、その代わりに肉体を蝕む毒。
”欲と業を以て欲すれば、心は引き裂かれ、体は痛みの末に朽ち果てるだろう”
ノルン様から聞いた言葉。
欲と業、彼女がそのような悪意でクレハの泉を利用しようとしたわけじゃないのは分かっている。
レオナさんは覚悟の上でファルガ様に頼んだはずだ。
……正直、僕はレオナさんに何を言っていいか分からない。
彼女の覚悟を知った上で、彼女を止めるか。
正面からカロンさんと相打たんとする彼女に怒りをぶつけ、無理矢理にでも止めてみせるか。
こればっかりは、もっと彼女と話してみないと何とも言えない。
「それでは、明日の昼にカロンとの戦いを始める」
ファルガ様との話の後、夜にカロンさんとの戦いに向けて作戦会議が行われた。
集まったのは、僕、アマコ、アルクさん、ネアとノルン様とレオナさんだ。
明日の昼に行う戦いのおおまかな作戦だが、僕とネアを中心にカロンさんを抑え、レオナさんとアルクさんが僕の援護を行う形となった。
カロンさんを相手取る上で最初に行わなくちゃいけないのは、ファルガ様から作られた斧を彼から引き離すこと。
彼の脅威たらしめる要素の一つである、規格外の氷の魔法を封じるための対策だ。
斧を引き離したそのあとは、彼を戦闘不能になるまで追い詰めていく。あのカロンさんを戦闘不能に追い詰めるのは非常に難しいだろうけど、僕達が力を合わせればそれも不可能な話ではない。
そして、僕達の戦闘をサポートするのはノルン様とアマコ、ブルリンだ。
ノルン様には、僕達とカロンさんの戦いを野生の魔物に邪魔されないように結界を張る役割を、アマコには、結界の外から僕達に対する危機とカロンさんの動きを予知し、それを僕達に伝える役割を担って貰った。
ブルリンにはアマコの護衛を任せる。
僕とブルリンだけならまだしも、アルクさんとレオナさんとも組むとなれば、かえってブルリンが邪魔になってしまうと考えてのことだ。
「どうしたんだ? ウサト?」
作戦会議を終えて各々が自室へと戻っていく中、僕の視線に気付いたレオナさんが首を傾げた。
いつもと変わらない僕を気遣う彼女の表情に、顔を顰めてしまった僕は、慌てて口元を押さえた後に、ぎこちなく作った笑みを彼女へ向ける。
「ははは、なんでもないです」
「……そうか」
どう切り出していいか分からない。
というより、ノルン様がまだいるこの場所でレオナさんと話はできない。
なんとかレオナさんを誤魔化した僕は、逃げるように部屋をあとにするしかなかった。
●
部屋から出た僕は、自室ではなく訓練場の方に足を運んでいた。
暗くなった訓練場は、月明かりと城から漏れる魔道具の光に照らされており、僕は肌寒い夜風が吹く中、訓練場の端の方に腰掛けた。
「はぁ」
ファルガ様は、僕にレオナさんを救ってくれと頼んだ。
だけど、レオナさんを止めるにはどうしたらいいか分からない。
単純に、レオナさんの持っているクレハの泉から持ち出した水を没収すればいいわけじゃない。もしそんなことをすれば、彼女は自棄になってしまう。
かといって、このままカロンさんとの戦いを迎えれば、レオナさんは躊躇なく水を使ってカロンさんと戦ってしまうだろう。
「難しいな」
本音を言うなら、どうして頼ってくれないんだ! って言いたいけど、この状況になるまで僕が気づけなかったのも悪い。
「……ッ!」
自身の不甲斐なさに、強く拳を握りしめる。
あれだけ一緒に訓練していて、レオナさんの悩みを知って、それでも彼女が抱いた苦悩を理解しきれなかった自分が許せなかった。
「ウサト、大丈夫か?」
「……!」
背後からの声に振り返ると、そこにはレオナさんの姿があった。
訓練時とは違い、鎧を脱いで黒色のロングスカートが印象的な服装に着替えた彼女は、振り返った僕の顔を覗き込むように見下ろした。
「レオナさん、どうして……」
「少し様子がおかしかったからな。心配して見にきたんだ」
照れくさそうに笑うレオナさん。
その様子は、明日死を覚悟しているようには見えない。
「本当にどうしたんだ? まさか、明日のことでなにか気になることでも――」
「ファルガ様から聞きました。貴女が、クレハの泉の水を持ち出したことを」
「……っ」
そう切り出して、立ち上がった僕は背後のレオナさんへと近づく。
気まずげに視線を下に向けている彼女に手が届くほどまでの位置に近づいた僕は、続けて言葉を紡ぐ。
「レオナさん。貴女は、カロンさんと相打つつもりなんですか?」
「……ノルン様が私を止めにくると思っていたが……。そうか、ファルガ様が選んだのは君だったのか」
自嘲気味な笑顔を浮かべるレオナさん。
……言葉にはしていないけど、彼女の態度からしてファルガ様の言葉は本当だったようだ。
彼に限って、嘘ではないことは分かっていたけれど、こればっかりは嘘であってほしかった。
「あの方は、本当に分かっている。私が、一番知られたくなかった人物を当ててくるなんてな……」
「一番知られたくなかった……?」
「私の知る誰よりも真っ直ぐで、正しいことを迷いなく行おうとする君は、私にとって眩しすぎた。君と一緒にいると、私はどこかで君に嫉妬して、君のように真っ直ぐでありたいと思ってしまう。君のことを見るたびに、この水を捨ててしまいたい衝動にかられてしまう……」
スカートのポケットから彼女が取り出したのは、小瓶に入っている透明の液体。
クレハの泉から汲み取った水。量はかなり少ないけれど、その小瓶は異様な存在感を放っていた。
「私は愚か者だ。どんな理由があっても、禁じられた泉に手を伸ばしてしまった。その時点で私は力に魅入られてしまったんだ」
それは違う。
そう言いたかったけれど、その言葉は声にはならなかった。
彼女の言うとおり、どんな理由があっても泉に手を伸ばしてしまったのは他でもないレオナさん自身だ。彼女が自分の意思で選んで、決断してしまった。
それを、慰めの言葉でねじ曲げることはできない。
「レオナさん、考え直してくれませんか? 貴女が命を投げ出す必要なんてないんです。明日の為に今まで訓練してきたじゃないですか」
「……」
「それなのに、貴女が自身の命を投げ出してカロンさんを倒そうとするだなんて……貴女にとって、今日まで僕とアルクさんと一緒に行ってきた訓練は無駄だってことなんですか?」
責めるような言い方になってしまうけど、この際仕方がない。
多少強気に出てでも、レオナさんがどういう意思を以て、相打つ覚悟を決めたかを知らなくてはならない。
僕の言葉に無言で俯いてしまったレオナさんだが、諦めたように笑みを零した。
「本当に……君の心の強さが、羨ましいよ」
「え?」
「君達との訓練の日々は無駄ではなかった。実際に、君は驚くほど早く強くなって、カロンと戦えるほどにまで成長した。きっと今の君と私が本気で戦ったのならば、君が確実に勝つだろう」
「だったら――」
「しかし、それでも足りない。いくら君がカロンと戦えるようになっても、彼が戦いの最中に強くなってしまったら、強くなった君でも倒すことは無理だ」
ありえない、とは断言できない。
実際に、僕が初めてカロンさんと戦った時、まだ猶予を残していたにもかかわらず彼は覚醒し、龍の片鱗を見せて、僕とレオナさんを圧倒した。
それと同じようなことが明日起こらないなんて保証はない。
「それにカロンと戦えるようにはなっていても、倒せる可能性は依然として低いままだ。明日の作戦で彼に”決め手”が通用しなかったら、私達には打つ手がなくなってしまう……」
「だから、貴女自身がクレハの泉の力で勝負をつけようと……?」
「そうだ」
レオナさんの言う推測は間違っていない。
確かに、僕はカロンさんと互角に戦える力はあっても、彼を打倒しうる決定打がない。
「本当は、希望がなかった訳じゃないんだ。君達と一緒ならカロンを倒せるかもしれない、そう思った時もあった。しかし、最悪の可能性を考えたら……私の足は自然と泉の方に向かってしまった」
「……レオナさん、貴女は……」
「ウサト、君はここで死んではいけない人だ。魔王という脅威がいる以上、大きな戦いは避けられない。その戦いの中で、多くの人を救える存在である君が、こんなところで死んでいいはずがないんだ」
僕は前しか見てられない、ただただ向こう見ずなだけのガキだ。
でも、レオナさんはそう思ってはいない。
彼女の確固たる意思の前に、僕の言葉は届かない。
「でも――」
「ウサト。分かってくれ。私は……勇者なんだ……!」
レオナさんに制止の言葉をかけようとした瞬間、彼女が僕の襟を掴み自身へ引き寄せた。
驚きのあまり口を閉ざしてしまった僕と、レオナさんの視線が合う。
さっきまで、前髪で隠されていた彼女の双眸には涙が滲んでいた。
「これ以上、引き留めないでくれ……君の言葉を聞く度に折角の決心が揺らいでしまうんだ……!」
「どうして、そこまでして……」
「私は、この国の勇者としてっ、守らなければいけないんだ! ミアラークを、皆の帰る場所を! その為にはカロンを殺さなければならない!」
「っ、貴女は一人で戦っているわけではないでしょう!?」
彼女の言葉に、僕も思わず反論してしまう。
「そうだ、そうだが……一人じゃないからといって、勝てる保証がどこにもないじゃないか! いくら体が頑丈でも、君は人間なんだ! 首を斬られれば死んでしまう!」
「首を斬られないようにすればいいじゃないですか!」
「そういう問題じゃないだろう!」
「じゃあどういう問題なんですか! 勇者であることが命を投げ出していい理由になっていいわけがない!」
自分でも熱くなっているのが分かる。
僕は、この人に怒りを抱いている。
他人のことばかりを優先して、自分のことなんて全く考えていないこの人に。
僕も同じようなものだけど、この人は生きようとする意思がない。それが、僕にとって我慢ならない。
「私は、勇者なんだ! 皆の帰る場所を守らなければならない! ノルン様も、ファルガ様も……ウサト、君だって死なせたくない!」
「僕だって同じ気持ちです! だけど、貴女の言う”皆の帰る場所”には自分だけが入っていない! そんなの、あまりにも悲しすぎるでしょう!?」
「……っ!」
勇者ってなんだよ。
そんなことを強いるためにファルガ様とノルン様は、貴女を勇者に選んだわけじゃないはずだ。
僕の訴えに、レオナさんは無言になってしまう。狼狽えたようにも見えるけど、涙を浮かべた瞳には頑なな決意がありありと見える。
この人は、どうあっても自分の考えを曲げないつもりだ。
「貴女は、自分の命と引き替えにカロンさんを殺して止められるのならそれでもいいと……?」
「それでも、構わない」
「カロンさんに帰りを待つ人がいるとしても、ですか?」
以前に話してくれた、カロンさんの奥さんのこと。
レオナさんが懐かしむように語っていたのは今でも覚えている。きっと、それはレオナさんにとっても大事な思い出のはずだ。
しかし、レオナさんは口元を歪ませ、小さく俯く。
「……ああ」
その返答を聞いた瞬間、僕の顔から表情がなくなった。
一瞬だけ空っぽになってしまった僕の心に溢れたのは、今までとは違った怒りの感情であった。
「いい加減にしろよ」
「……っ」
「構わないわけないだろうが!」
敬語すら忘れて、僕は彼女へ怒鳴る。
僕の考えを押しつけるべきじゃないのは分かっている。分かっているけど、そんな表情でそんなこと言われたら黙っているわけにはいかないじゃないか……!
その表情を僕は知っている。サマリアールで呪いに蝕まれた少女が、同じ表情を僕へ向けていた。
自分の感情を押さえ込んで、消えゆく自分の運命を無理矢理に受け入れようとしていた、エヴァと全く同じ表情を、レオナさんはしている。
「本当は怖くて堪らないはずだ! 逃げ出したいはずだ! それなのに、貴女っていう人は……! カロンさんを殺して、死んで楽になろうとしている!」
「ち、違う、そんなことは……!」
「自分がカロンさんを殺して死ねば、それで済む! 彼を殺した責任は自分が背負って消える! そうなれば、ミアラークに平和が戻る、そういうことじゃないのか!?」
僕の胸ぐらを掴んでいる、レオナさんの手を左腕で引きはがす。
それに驚いたレオナさんと視線を合わせた僕は、一層の覚悟を固めて言葉を吐き出す。
「貴女がいくら死を受け入れても僕は認めない。僕の目の前で命を投げ出すことなんて絶対にさせない!」
「……っ」
「僕の目を見ろ!」
僕の言葉に、レオナさんの瞳が揺れる。
ここで目を逸らすことは許さない。
一旦気持ちを抑えて、深呼吸をし心を落ち着けた僕は彼女に言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
「レオナさん……。僕は、一人ではミアラークにまでたどり着けませんでした」
「え……?」
「初めての戦場を駆けたときも、邪龍と戦った時も、サマリアールで呪いを解くために奔走したときもそうです。誰かに助けられて、支えられて前に進んできました」
リングルの森で、蛇に殺されかけたところを助けてくれたローズ。
魔王軍の兵士に止めを刺されそうな時に助けてくれた騎士さん。
邪龍との戦いと、サマリアールの呪いを解くために、力を貸してくれた仲間達。
彼らがいなかったら、今の僕はどこかでのたれ死んでいたかもしれない。
「一人じゃできることは限られてる。だから、一人で全てを背負わずに、周りにいる誰かに助けを求めてもいいんです」
未だに僕の胸ぐらを掴んでいる片方の手を解いた僕は、そのまま座り込んでしまったレオナさんをに手を差し伸べた。
「ここにはノルン様も、メイドさん……城の皆も、もちろん僕達もいる。貴女が助けを求めれば誰もが手を差し伸べてくれるはずなんです。だから、貴女も手を伸ばしてください」
「……手、を?」
こちらを見上げた彼女は、呆然としながら僕の手を見つめた。
まるで、自分がその手を掴んでいいのか、と迷うように肩ほどの高さまで持ち上げた手を震わせる。
「私は、助けを求めても……いいのか?」
「ええ、思う存分に頼ってください」
震えているレオナさんの手を掴む。
冷たい手の感触に少しだけ驚きながらも、彼女を見ると、僕の手をジッと見たまま涙を流していた。
……僕は彼女の心境に変化を与えられただろうか。
というより、年上の女性を泣かせてしまった罪悪感が今になって胸にきているのだけど。
「レオナさん、立てますか?」
目元を拭い無言で頷いた彼女を立ち上がらせた僕は、彼女が握っている小瓶を一瞥する。
……本当は、今ここで没収するか、小瓶を叩き割るべきなのだろうけど、彼女が再び泉から水を汲んできてしまえば意味がない。
「その水は持っていて構いません。だけど、僕が生きている限り絶対に使わないでください。例え、四肢を折られようとも、体を壊されようとも僕はカロンさんを止めて、助けます」
「どうして、君は……そこまで……」
貴女はとても優しく、そして不器用な人だ。
違う面が多いけど、その部分が似通っている人は知っている。暴力的で、理不尽で悪魔のように恐ろしい人だけれど、確かな優しさを持っていたあの人のように。
「僕の言いたいことはこれで全部です。これ以上、貴女に言うことはなにもありません。あとは……自分で考えて、答えを出してください」
質問には答えずにそう言い放った僕は、戸惑うようにこちらを見ているレオナさんに背を向けて、その場を離れる。
今夜のやり取りが、明日にどのような影響を与えるかは分からない。
僕の言葉が届いていなかったら、レオナさんは明日、泉の水を飲んでしまう。そうなったら、彼女は己の力に振り回されるだけの怪物に変わってしまう。
しかし、もし考えを改めてくれたのなら、泉の水を飲まずにカロンさんと戦ってくれる。もしその時、レオナさんが僕達を頼って戦ってくれれば、とても心強い味方になってくれるはずだ。
結局僕ができたのは、彼女を救うことじゃなくて、選ばせることだった。
「……もっとうまいことが言えたら良かったんだけど……」
訓練場から離れ、城への入り口に入ったあたりで、額を押さえて愚痴を零す。
結局は感情に任せて言葉を吐き出して、その結果レオナさんを泣かせてしまっただけだ。
僕の言葉で彼女を傷つけてしまったせいで説得するどころか、逆に追い詰めてしまったのかもしれない。
そう考えると、感情的な自分に嫌気が差してくる。
「変に良いこと言わない方が、貴方らしいわよ」
「……ん?」
自己嫌悪に陥っていると、入り口の近くの影から、人影が姿を現わした。
目を懲らしてみると、その人影はフクロウのネアを頭にのっけたアマコであった。
「癪だけど、ネアの言うとおりだよ。ウサト」
「ちょっと、癪ってなに? 私と同じ意見ってのが気に入らないの? だったら、私だって癪なんですけど」
「うるさい、毛玉」
「け、毛玉ぁ!? 言うにも欠いてこの可愛らしいフクロウの私を毛玉扱い!?」
なぜに頭にネアを乗っけているのかは分からないけど、二人がここにいる理由はなんとなく察しがついた。
……また、心配かけさせちゃったなぁ。
内心で苦笑した僕は、口喧嘩を始めた二人に口を開く。
「アルクさんは?」
「さっきまでここにいたけど、レオナさんとウサトのやり取りを見た後、安心して部屋に戻っていったよ」
「多分、空気を読んだんじゃないのかしら? ウサト、すっごい悩んだ顔していたし」
「アルクさんには気を遣われてばっかだなぁ……」
本当に僕には勿体ない旅の仲間だ。
……一人じゃない、か。
自分で言った言葉だけど確かにその通りだ。




