第百九話
遅れてしまい申し訳ありません。
第百九話です。
レオナさんと戦った日の夜。
僕は未だに訓練場で、一人訓練に励んでいた。
訓練といってもそれほど激しいものではなく、今までのやり方とは違う、静かに、ゆっくりとしたものであった。
「無駄な力をいれずに、打つ」
足は半歩空け、脇を締め、拳は腕だけではなく体全体で突き出すように意識する。
自分に言い聞かせるように呟き、ゆっくりと力強く拳を突き出す。
『ウサト殿、貴方はまず己の力を完全に把握することから始めてください』
アルクさんとレオナさんは、僕に力が入りすぎているといってくれた。
確かに、僕は力に振り回されていたのだろう。
今の今までは、純粋な身体能力のみで相手を打倒してきたからか、それを問題とはしていなかったけど、レオナさんのような純粋な技術のみでこちらを翻弄してくる相手には、体のいいカモにしかならない。
「……どう見ても、正拳突きだけどね」
結局は空手で用いる正拳突きのような構えになってしまったけど、アルクさんが言うには最も強い一撃ができるのがこの体勢だという。
「地に足をつけて、か。言い得て妙だな」
体の捻りで、力を伝達するイメージで、最後に拳で叩きつける。
アルクさんは、今までの僕の拳を槌と例えた。
大ぶりで威力もあるが、あくまで吹き飛ばす意味合いが強い攻撃だと。
そして、これから僕が目指すべきは、刺し貫く槍のような一撃。
拡散ではなく、相手の芯に”刺さる”攻撃。
『ただ飛ばすだけではいけません。一撃必倒、貴方が理想とすべきはそれに限ります』
相手の意識を確実に飛ばし、防御すらも容易く崩す……僕の今の理想とする攻撃がソレだ。
「ふぅ……」
だけど、それは難しい。
今の今までしてきたものを短期間で変えるなんて、意識から変えなくては無理だ。
勿論、最初からうまくできるなんて考えていない。
そもそも、僕って格闘とか剣の才能は並らしいし、地道にやらなくちゃいけないのは今まで通りに変わらない。
「ま、何事もチャレンジあるのみ……ってね」
訓練に近道なし。
積み上げた訓練に無駄はなし。
鍛えた筋肉は僕を裏切らない。
即ち、愚直に鍛え続けることが今の僕にできることだ。
もう一度、深呼吸をし、再び拳を構えようとすると、空から僕の肩になにかが落ちてきた。
「ん? ネアか」
「随分、暇そうな訓練しているわねー」
肩の上を見れば、黒いフクロウの姿に変身したネアがそこにいた。
翼を折りたたんだ彼女を横目で見て、一息ついた僕は構え直した拳を納める。
「どうしたの? 君は夕食の後、書庫に籠もるって……」
「あぁ、えっと、そう。その途中でウサトの姿を見つけたから、見にきたのよ。一人寂しく訓練しているだろうから」
「悪かったな、一人寂しくて」
ちょっとばかし口を尖らせながら、そう返す。
「……で、なにしてたの?」
「なにって、訓練だけど?」
「そうじゃなくて、なんの訓練をしていたのかって聞いたのよ」
珍しいなネアが僕の訓練に興味を示すなんて。
普段は興味なさげにしていたのだけど、どういう風の吹き回しだろうか。
「姿勢を正す……訓練かな? 必勝奥義、一点集中治癒魔法正拳を会得するべく基本に立ち返っている……感じ」
「うわなにその仰々しい名前……一点集中って、貴方、それ控えめに言っても相手が死ぬわよ。具体的に言うと殴った場所に風穴が空いて。なに、その技は相手を一回殺して蘇らせる技なの?」
「違うわ!!」
なにその色々となにかを超越したような技!
恐ろしすぎるわ!
「これは力の制御を兼ねている訓練でもあるから、そういう心配をなくす為のものでもあるんだよ」
「力の制御ねぇ。随分とまぁ……順序が滅茶苦茶ね。私から見ても、それは最初に覚えるべき訓練じゃないの?」
「……まあ、僕ほどになるとね」
「目がすっごい泳いでるんだけど……」
「ぐっ……」
僕はどちらかというと、戦うためじゃなくて走るために鍛えていたようなものだから、力を制御するという考えに至れなかっただけなんだ。
内心で言い訳しながら、誤魔化すように深呼吸をし拳を腰だめに引き絞る。
左脚を一歩だけ前に踏みだし半身の構えを取る。
「フッ!」
息を吐き出すと共に、腰だめに引き絞った右腕を突き出す。
腰の位置から繰り出された拳が半回転し、風を切る。
「……」
拳をゆっくりと引き戻し、足を引いた僕は緊張を解く。
そんな僕の様子を肩の上で見ていたネアは、ふーんと意味深に頷いた。
「よく分からないけど、力任せじゃないことは確かなようね」
「そうなったらいいんだろうけど、まだまだなんだよなぁ……」
今やっていることはあくまで姿勢を正すことを主としているものだ。いずれは、戦闘中でもこれを行えるようにならなければいけない。
「はぁ、ウサトは最終的にどれだけ強くなりたいの? そろそろ自重しないと化物よりも上の化物になっちゃうわよ」
「化物よりも上の化物ってなんだよ……」
というより、僕は既に化物なのかよ……。
最終的か、そんなこと考えたこともなかった。やっぱり目標としてはローズに認められるくらいに成長したいけど、やっぱり今の訓練とかみ合わせるなら……。
「状況に合わせてゴリ押しと理詰めで攻められるようにはなりたいね」
力だけで突破できなければ、相手の攻撃を目で見切った上で最適な一撃を叩き込み、理屈だけじゃ通じない相手なら力でねじ伏せて叩く。
つまりは、使い分けて戦えるようになればいい。
僕の言葉に、ネアが引くように口に翼を当てる。
「それは決して両立することがないはずなんだけど……」
「無理なわけじゃないだろ?」
その為には、レオナさんとのもう一つの訓練をうまくできるようにならなければいけないけど。
そっちの方は、何度か経験があるから難しくはない。
「ま、あのカロンとかいう龍人にはそれくらいしなきゃ駄目かもね」
「そうだね。だけど、僕だけで勝てるとは思っていないよ」
慢心しているわけじゃない。
僕はどこまでいっても、身体能力が逸脱しているだけの人間に過ぎない。僕にとっては、できないことの方が多い。
「僕には頼れる仲間がいるしね」
「それって、私も入ってるの?」
「は? なに言っているんだよ。結構今更な質問だぞ、それ」
「っ」
と、言葉にしてから、猛烈に後悔した。
ネア相手にかなり気恥ずかしいことを言ってしまったことを自覚したからだ。
どうして僕の口はこう、脊髄反射で動いてしまうのだろうか。
「……」
「……ネ、ネア?」
僕の言葉に少し俯いていたネアは僕の肩から下りると、光と共に吸血鬼としての姿、黒髪赤目の少女の姿になって僕を真っ直ぐに見つめた。
「え、どうしたの?」
「やっぱり、言わなきゃいけないと思って……」
……何を?
そんな改まって何を言われるのだろうか。僕としては全く心当たりがないのだけど。
まさか、ネアの方は僕のことを仲間とさえ思っていなかったとか、そういうのか? そうだったら、結構ショックなんだけど……。
「ありがと」
しかし、僕の想像に反して、彼女が呟くように言い放った言葉は僕への感謝であった。
僕は彼女の言葉の意味が分からず素っ頓狂な声を出してしまう。
「え?」
「私が原因なのに、責任を被ってまで庇ってくれて」
……。
彼女の言葉を頭の中で反芻した僕は、無言で彼女に近づき、その頭に手を当てた。
「……」
「ウ、ウサト……?」
困惑する彼女を余所に、僕は厳しい表情で治癒魔法を彼女の頭を包み込むように流し込んだ。
頬を少しだけ赤くさせていた、ネアの目がつり上がる。
「って! 別に熱もなにもないわよ!! 貴方って時々本ッ当に失礼ね!!」
「……え!?」
「驚くなぁ!!」
僕の手を振り払ったネアは行き場のない怒りに憤慨する。
もしかして、さっきのは本当に素直に感謝の言葉を言ってくれていたのか……?
「いや、君が素直に感謝できたことに驚いて……もしかして、どこか具合でも悪いのかなって……」
「その心配のされ方、もの凄く腹立つ……」
「いや、ごめんごめん」
ふて腐れてしまった彼女に謝ると、幾分か機嫌を戻してくれたのか腕を組んで、こちらを向いてくれる。
でも、ネアに感謝される日が来るとはなぁ。
素直じゃない子だから、そう言う言葉を口にすることはないとは思っていたんだけど、この子も旅をしていくうちに成長してくれたってことかな?
「というより、僕は平気で君を見捨てるような奴って思われていたのか? それは少し心外なんだけど」
「そうじゃないわよ。でも、ウサトには大事な旅があるし、アマコは母親を助けるって目的があるから……私を見捨てるのが、あの場では最善だった……」
「それこそ悪手だろ。旅の仲間を切り捨ててまで、前に進もうとは思っていないよ」
あの場で、ネアを見捨てていたら、僕は絶対に後悔していただろう。
多分、一生引き摺るくらいの罪悪感を抱いてしまう。
そんなのは嫌だし、僕自身彼女は旅の仲間の一員だと思っている。
「それに、ファルガ様は全部知っていたと思うよ?」
「私もそれは分かっていたわ。彼を前にして隠し事はほぼ無意味に思えたし……」
ファルガ様は、僕に選ばせた。
それにどういう意図があるかは分からないけど、確実に言えることはあの方は、最後まで戦うことを僕に強要しなかったってことだ。
「ま、毒を食らわば皿までってやつだね。君を仲間にした以上、君の主である僕が責任を持たなくちゃいけない」
「なによそれ……私は毒ってわけ?」
「問題とか全部ひっくるめて、君を受け入れるってことだよ」
そう言うと、ネアは言葉に詰まったのか無言になる。
あれ? そもそもの意味が違うかな?
ま、ニュアンス的には伝わっただろうから、別に良いか。
その場で背伸びをし、腕の力を抜く。夕食を挟んだとはいえ、昼から同じ訓練をぶっ続けでやるのは流石に疲れたな。
「んー、そろそろ終わりにするか。城に戻ろう」
「……え、ええ」
「?」
なぜか歯切れが悪いネアに首を傾げつつ、僕は城の方に歩を進める。
すると、いつの間にかフクロウの姿に変身したネアが無言で僕の肩に飛んできた。いやに大人しい彼女に少しだけ疑問に思うが、それほど気にすることでもないので、僕はネアと共に城に入る。
暫く無言のまま城の通路を歩いていると、前方から木箱を抱えたメイドさんの姿を見つける。
「あ、ウサト様。それに、ネアさん、ですよね。こんばんは」
「こんばんは。何をしているんですか?」
挨拶を交わし、彼女の持っている木箱を注視する。
見た感じ、空き瓶が沢山入っているようにも見えるけど……これは、もしかしてポーションの?
メイドさんは、僕の質問に少しだけバツの悪そうな表情を浮かべる。
「ポーションの空き瓶ですね。ノルン様がお使いになったものを私が処分しているところです」
「ノルン様は、大丈夫なんですか?」
ミアラークの結界を維持する役割を担えるのはノルン様だけだ。
僕の治癒魔法で応急処置はしたけど、万全になった訳じゃない。
「あの方は、人一倍責任感の強いお人ですから……弱音こそ言いますが、絶対に投げ出したりはしないんです。実際は、ポーションの効果だって微々たるもので。ウサト様が来る前までは、本当は限界に近かったんです」
「そうなんですか……」
昨日、初めてノルン様と会ったとき、確かに酷い状態だった。
顔に生気がなく、目の下には隈が見え、立っていられるのが不思議なくらいに疲れ切っていた。
「私ではどうすることもできません。ノルン様の意思は固い……だから、今の私にできるのは身の回りのお世話くらいです」
「……貴女は、どうしてここに残ったんですか?」
この人はなぜ他の人達のように、逃げなかったのだろうか。
それはメイドさん以外のこの城に残っている人達にも言えることだけど。
「単純にノルン様とレオナ様が放っておけなかっただけ……ですね。私も皆と一緒に逃げろ、と言われていましたが、気付けばここに残っていました」
「ノルン様もレオナさんも、最初は二人だけでここで戦うつもりだったのか……」
ファルガ様もいるから、正確には三人だろうけど、無謀なことには変わりない。
まさか、その時点からファルガ様は僕達が来ることを分かっていたのか? ……あり得るな、あの方ならあらかじめ待っていてもおかしくはない。
「お二人は頑固すぎなんです。少しは身近にいる私達を頼ってくださればいいのに、全部自分にしかできないからと仰って……レオナ様に至っては、ノルン様以上に無理をなさっていますし……」
プンプンといった擬音が聞こえそうなくらいに、怒るメイドさん。だけど、その怒りも純粋にノルン様とレオナさんを心から心配するものであった。
……レオナさんが無理をしている、か。
多分、昨日ファルガ様が彼女のことを”勇者レオナ”と呼んだことが関係あるんだろうな。勇者の称号を持っているレオナさんが、どうしてカロンさんを”勇者となるはずだった”と口にしたのか……現状、部外者である僕が迂闊に首を突っ込めない話題ではあるけど……うーん。
「あ、そうでした! 次に会ったときにお聞きしようと思っていたことがあるんです!」
「はい? なんでしょうか?」
悩ましげに唸っていた僕を見て、何かを思い出したのかメイドさんが話しかけてくる。
とりあえず頷くと、彼女は笑顔のままスカートのポケットから一枚の紙を引っ張り出した。
それは、やや茶色がかった紙。
文字がぎっしりと書き込まれ、その真ん中当たりには大きな文字で、デカデカと……なにか……が……。
……これは……ッ!?
見間違えようのない、この”記事”は僕の心に大きな衝撃を与えた―――、
「あの、僕ちょっと気分が悪いので部屋にもどぉ……!?」
アマコの予知魔法も真っ青のスピードで状況を把握し、撤退を試みようとした僕だが、それと同時に僕の体が肩の上のネアが発動した拘束の呪術によって縛り付けられる。
突然体が動かなくなった僕は、動揺のあまり拘束の呪術を破れずに硬直してしまった。
「もうちょっと話を聞きましょうよー。ねー、ウサトー」
「ネ、ネアァ……貴様、裏切ったなぁ……!」
「え? なんのことー? で、そこのメイド、ウサトに何を聞きたいの?」
肩の上を見れば、ふてぶてしい顔のフクロウが一匹。
僕達のやり取りに首を傾げるメイドさんだが、ネアの一声で笑顔に戻った彼女は丁寧に折りたたまれていた紙を僕へ見せた。
「今朝、見つけたんですが! これってウサト様のことですよねっ! 勇者と将来を誓い合った治癒魔法使いって! 似顔絵は全然違いましたけど、私的には凄く興味あります!」
邪な魂胆など一切感じさせないメイドさんの言葉が、僕の精神に深く突き刺さった。
見せられたのは、先輩と僕の例の記事。
それを真正面から見せられた僕は、あまりの衝撃と恥ずかしさに、顔を真っ青にさせたり真っ赤にさせたりを繰り返す。
「ハハッ……、た、ただの噂ですよ。僕なんかが、勇者に釣り合うはずが、ありませんよ」
「……うーん。そうなんですか……そういうことにしておきましょう」
かろうじて誤魔化したが、それでもメイドさんは怪しむようにジト目で僕を見つめ、次の瞬間にはまた笑顔に戻り、手に持った記事を丁寧にしまった。
ご、誤魔化せたか……?
流石は先輩だぜ、遙か遠方の地から僕へ直接攻撃をするなんて……。
しかも、なんか微妙に噂に”将来を誓い合った”とか変なものもついているしぃ!
なにこれ、もう大陸全土に知れ渡っているの? 恥ずかしすぎて、その場を転がり回りたい衝動にかられるんだけど!?
遠い場所にいる先輩は、この記事のことをどう思っているのだろうか。
軽く言葉を交わしてメイドさんと別れた僕は、小さな溜息と共に魔導具の明かりに照らされた通路を歩いて行くのだった。
同時期、「クルミアァ……!」という怨嗟の声と共に地面を転がり悶えている先輩の姿があったそうな。
更新の方が遅れて申し訳ないです。
次巻に向けて、あれこれと作業していたので、こちらの方の更新が遅くなってしまいました。
この一週間で大分余裕もできましたので、更新の方は元に戻せると思われます。