第九十九話
更新頻度的にも時間的にも、ちょっと早めの更新です。
第九十九話です。
今回、ついにあの魔物が登場します。
魔物の群れに追いかけられること数分。
依然として魔物の群れは僕達を狙っており、その数は減るどころか増えているようにも思える。
恐らく、ここら一帯の魔物が集まってきているのだろうけど……追いかけられている僕達からしたら迷惑以外の何物でも無い。
だけど解決策がないわけじゃない。
このまま走り続ければいずれはミアラークがあるっていう湖までたどり着けるはずだ。そこまで行けば、船に乗って湖を渡れる。流石の魔物も湖にまで入ってこないだろうから、湖にさえたどり着けばこっちのものだ。
「木の数が少なくなってきました! もうすぐです!! ウサト殿、大丈夫ですか!?」
「僕は全然問題ないです!」
「いや、ブルリンと馬と併走している貴方が問題ないのはおかしくない?」
肩の上でそう呟くネアを無視して、背中のアマコと隣を走るブルリンの安否を確かめる。
とりあえず、皆これといって怪我をしていないようなので安心する。
「ウサト、前から何かが飛び出してくる……!!」
「魔物か……!」
安心したのも束の間、数秒後の状況を予知したのか僕の首に手を回したアマコが耳元でそう伝えてきた。
ネアも聞いていたのか、肩の上で魔術を発動し右手に拘束の呪術を送ってくれる。僕も即座に治癒魔法弾を右の掌に作り出し、目の前のしげみが揺れ動くと同時に治癒拘束弾を放るように投擲する。
立ち止まっている時間は無い、僕達を阻もうとするなら無理矢理こじ開ける。
「オオオオ!! ウォッ!? オオオオ!?」
「……っ」
十五メートルほど離れた茂みから飛び出すと同時に治癒拘束弾が直撃したのは、人型の魔物。
二・五メートルという大きな体躯。
凶暴そうな見た目をしている魔物は、傍目には筋骨隆々の人間のように見えるが、赤みがかった肌とその手に持たれた大きな棍棒からして、人間ではなく魔物であることが分かる。
治癒拘束弾を受け、硬直しているそいつの姿が鮮明に見えてくるにつれて、僕は目の前の魔物に妙な違和感を抱く。
筋骨隆々。
野蛮な武器。
鬼のような恐ろしい顔。
あれ?……ちょっと待って、こいつってもしかして……。
「オーガ!? なんでこんな奴がっ―――ウサト!?」
「僕はこれと同一視されてたのか……!?」
こんな奴みたいって言われてたの僕は!?
これ、どちらかというとあの強面共じゃん!?
今までオーガという魔物の姿を知らなかった僕は、内心言いようのない理不尽さを抱き、拳をこれ以上無く固く握りしめる。
「ウォッ、オオオオ!!」
「ウサト! 拘束が解けたわ!? こいつは並の相手じゃ―――」
「しゃらくせぇ!! アマコ!」
「そのままでいい、オーガは反応できない」
アマコの予知を聞いた僕は、ブルリンと馬を一瞬だけ引き離す形で踏み込み、一気にオーガの懐に入り込み、力を込めた治癒パンチを鳩尾に突き出す。
「ちょ、そのまま突っ込むの!?」
「僕はこんなに野蛮じゃ、ない!! 食らえやぁ!!」
「少しは私の話も聞きなさいよぉ!?」
音も無く突き刺さった拳に、オーガは空気をはき出すようなうめき声を漏らし、白目を剥く。
動きが鈍ったところで、僕はオーガの右腕をつかみ取り、後ろを振り向くと同時にこちらへ迫ってくる魔物の群れに放り投げる。
オーガは先頭にいた魔物を押しつぶすように落下し、そのおかげで群れが進む速さが遅くなる。
その光景に僕は前髪をかき上げながら、フッと笑みを零す。
「……全く、失礼な話だよね。僕をあんな魔物と同じように扱うなんてね……」
「うん……もうオーガじゃないよ。オーガ以上の何かだよ」
「あ、あれ? オーガってブルリンと同じくらい危険な魔物のはずだったんだけど……私がおかしいの?」
肩の上と背中の声を無視して、僕は再び走り出す。
でも……まあ、オーガも結構強面だったけど、ローズほどじゃないね。威圧感とか全然無いし、何より拳の一撃程度で沈むようなら、強面共の方が怖いな、うん。
あいつら下手すれば、治癒魔法使いの僕よりも頑丈だし。
だけど、気になるところもある。
「ネア、オーガってのは、人が住んでいるところの近くに出るものなのか?」
「え、いいえ。普通は魔素の濃い場所にしかよりつかないはずよ。多分、あの咆哮の影響を受けて住処から出てきたと思うのだけど……明らかに普通じゃ無いわ」
やっぱりこれもさっきの声が関係しているのかもしれない。
とりあえず、ミアラークに入って身の安全を確保したら、ミアラークの女王にこの事を伝えよう。ミアラークの周辺に魔物達に強い影響を与える存在が闊歩していたとしたら、それは僕達だけでは無く、ミアラークにも悪い影響を与えるものになりかねない。
「ミアラークが見えてきました!」
「っ」
アルクさんの声に我に返り、前を見る。
木がなくなり、開けた景色の前に白色の都市が見える。サマリアールほどは大きくないけど、都市としては大きなところには変わりない。
「……ウサト」
「ん? アマコ、大丈夫だ。もうすぐ船に乗れるから」
「いや、違うの……」
僕の方に手を置き、遠くを見るように乗り出したアマコは信じられないものを見るかのように目を見開く。
気になって僕も前を向き、彼女が見ている方向を注視するが、見えるのは湖にあるミアラークと、太陽の光を反射し白く輝く湖の―――、
「ちょっと待て」
白く輝くのは良い。
だけど、どうして湖の水面が動いていないんだ。
まるで時が止まったかのように固まった湖に、絶句した僕は状況を把握するために一気に加速し、湖全体を見渡せる場所に移動する。
湖に近づくにつれて、まず感じたのは肌寒さ。
まるでその場所だけ季節が変わったかのように一気に温度が下がったのを感じた僕は、焦燥しながらも周りを見渡す。
「どうなっているんだ……!」
「凍ってる!?」
水上都市ミアラークに到着した僕達を待っていたのは―――、
湖に囲まれた美しい水の都では無く、氷に支配され、水上都市の影も無く様変わりしてしまった銀世界であった。
●
湖が凍ってしまっている。
それもかなり広い範囲で。
ファンタジーという世界に完全に馴染んでいた僕だけど、これだけの光景には絶句せずにはいられなかった。
「これじゃあ、船なんて出てるはずが無い……! アルクさん!! やっぱり僕が足止めします。アルクさんはアマコとブルリンと一緒に直接ミアラークへ行ってください!!」
普通に走っていてはアルクさんの馬が追いつかれてしまう。
魔物の中に何かを飛ばしてくる相手がいるという可能性が無いとは言い切れないので、まずここで足止めをしなくちゃならない。
「ッ……ウサト殿なら大丈夫だと信じていますが……!」
「僕は足止めしたらすぐに離脱するので大丈夫です!」
「……分かりました! 無理はしないように!」
苦々しい表情で頷いたアルクさん。
そんな彼に僕も頷き、背中のアマコを下ろし、傍らにいるブルリンの背中に乗せる。
「ブルリン、アマコを頼んだぞ」
「グルァー」
「……心配してないけど、ちゃんと戻ってきてね」
「ああ!」
ブルリンとアルクさんの乗った馬がミアラークの方へ走っていくのを見送った僕は、彼女らに付いていこうと羽ばたいたネアを捕まえて前に向き直る。
「ネア、君は僕と足止めだ」
「え、嫌よ! 誰が好き好んであんなとこで戦わなくちゃならないのよ!? 怪物同士仲良く戦ってきなさいよ!?」
怪物同士仲良くって……。
ちょっとイラッとしながらも笑顔を保つ。
「大丈夫、僕が守るから」
「守りたいならこのまま私を放しなさいよぉ!? その台詞は今言っても狂気しか感じないわ!?」
「なーに、足止めと言ってもほんの1、2分だけだよ。ただ殴って攪乱するだけの話だよ」
「そこを心配しているわけじゃ無いんだけどぉ!?」
無駄話もここまで。
何時でも走り出せるように足を半歩広げ、拳を構える。
まず先頭のオーガをぶん殴って、敵意を集める。
んでもって、他の魔物をつついたら距離を取ってひたすら回避に努める。ヒット&アウェイで沈められるやつは沈めていこう。
「よし―――」
その時、背後からズガァンという凄まじい破砕音が響く。
「!?」
「今度はなによ!?」
何事かと思い、後ろを振り向けば凍った湖の中―――僕から三十メートルほど離れた場所に二人の人影があった。一人は上半身裸の長身の男性で男とは思えないくらいに髪が長い。もう一人はひび割れた鎧を纏っていて性別が分らない。
男は手に白銀色の輝きを放つ大きな両刃の斧を持っており、だらりと脱力するように両腕を下げて、鎧を纏った人物を見つめている。
一方の鎧の人は―――恐らく、何かとてつもない力で凍った湖の表面に叩きつけられたのか、砕けた氷の中心でうめき声を漏らして、長髪の男を睨み付けていた。
状況からして、アマコが言っていた戦闘音を出していた人達はこの二人と見ていいけど―――、
「……魔物の群れの動きが止まっている……?」
魔物達を見れば、戦くように体を震わせ、その場から逃げ出していた。
まるで恐ろしい存在に目をつけられたくないかのように、森へ逃げていく魔物に嫌な予感を覚えながら、僕は肩の上で固まっているネアを軽く小突く。
「大丈夫か、ネア」
「ふ、ふん。あれがなんなのかは分からないけど、早くアルク達を追いましょうよ。馬とブルリンの速さならすぐにミアラークに着くでしょうし、私達がここにいる理由ももうないし……」
動揺している。
あの懲りるということを知らないネアが?
確かにアルクさんの馬とブルリンなら、すぐにミアラークに辿り着くけど―――、彼女がこんなに怯えるようにしているのは見たことが無い。
「う、うぅ……」
「―――」
氷に叩きつけられ、身動きが取れない鎧の人にゆっくりと歩み寄る長髪の男。その手に持たれた斧を軽々と振り上げ―――、
「まずッ!?」
「ウサト!?」
反射的に前へ飛び出す。
どう見てもあの長髪の男は普通には見えない。あの鎧の人も味方かどうか分からないけど、殺されそうになっているところを見逃すほど人でなしじゃ無いつもりだ。
拳に治癒魔法を灯した僕は、即座に距離を詰めると同時に、斧を振り上げる長髪の男の腹部に手加減をした治癒パンチを叩きつけ、大きく殴り飛ばす。
その時、拳に妙な感覚が。
「……っ」
なんだ、硬い?
筋肉に阻まれた訳でも、ゾンビを殴ったような感触でも無い。
まるで邪龍やあの蛇のような硬い鱗を殴ったような感覚に戸惑いつつも、僕は後ろを振り返り呆然とこちらを見上げる鎧の人に声をかける。
「殴った……? 彼を軽々と……」
「動けますか!?」
「え、あ、あぁ……ッ、痛」
足を押さえる鎧の人。……想像したよりも高い声だな。
表情は見えないけど、至る所に怪我を負っていることは間違いなさそうだ。
すぐさま治癒魔法で怪我を治さなくては。
そう思い、彼(?)に駆け寄り治癒魔法を施そうとすると、ガシリと手を掴まれる。
「早く逃げるんだ……! いくら不意打ちが成功しても、彼はすぐに起き上がるから……!」
「起き上がるってどういう―――」
「ウサト! 後ろ!!」
ネアの声が聞こえると共に背後で何かが砕ける音がすると、こちらへ風を切って近づいてくる気配がする。すぐさま背後を振り向いた僕の視界には、こちらへ拳を叩きつけようとする長髪の男の姿が映り込む。
僕は咄嗟に右の掌を前に突き出し、男の拳を受け止める。
「―――ッ!」
「ッ、む……!」
拳を衝撃が突き抜ける。
予想外の威力に驚きつつも、足に力を込め衝撃を耐えきり、逆に拳を捕まえる。
長髪の男は無表情のまま、目を見開く。
「―――!?」
「嘘……受け止め、た……?」
なぜか後ろの鎧の人も驚いているけど、今は目の前に集中しよう。
意思を感じさせない瞳に見えるが、敵意は感じる。―――どうやら、こっちが敵で間違いなさそうだ。
ならば―――、
「治すから、もうちょっとぶっ飛んでろ!!」
掴んだ拳を引き寄せ、大きく後ろへ引いた左足での回し蹴りを放つ。
しかし、長髪の男は斧を持っている腕で蹴りを受け止める。防御ごと蹴り飛ばそうと力を込めるも、男の凄まじい膂力によって完全に蹴りが止められてしまった。
―――ッ、真正面から受け止められた!?
長髪の男が僕に掴まれている拳に腕に力を入れる。こちらも足を氷に突き刺して、負けじと張り合おうとするが、相手も相当な膂力なのか力が拮抗し、足場である氷に大きな罅が入る。
「……ぐっ……!?」
なんて力だ……!
少しでも気を抜いたら押し負けるぞ!?
僕と同等……もしかしたらそれ以上の力かも知れない。
「ウサトの馬鹿力と張り合ってる!?」
「力の抜けること言ってないでサポートしてくれ!」
ネアが魔術を発動し、掴んでいる拳から拘束の呪術を流し込み動きを一瞬だけ止めさせる。
「―――!?」
「フゥンッ!」
その隙を付き、下から突き上げる形の治癒拘束拳を胸部にたたき込み、さっき以上に殴り飛ばし無理矢理距離を取る。
殴り飛ばしたのは良いけど、拳の感触からしてさほどダメージは受けていないな。
殴った左手を振りながら、僕は焦るように声を漏らす。
「なんだあの人、人間の力じゃ無いぞ……?」
「ねえ、それ本気で言ってる? その言葉は自分に返ってくることを理解してる?」
……。
「流石の僕でも拮抗するのがやっとだった……! クッ……こんなことならもっと鍛えておけばよかった……!」
「クッ、じゃないわよ。拮抗している時点でおかしいことに気付きなさいよ」
苦虫を噛つぶすような表情を浮かべている僕にネアの言葉は聞こえない。
聞こえないったら聞こえない。
……多分すぐに起き上がってくるだろうから、鎧の人を治している時間は無い。
長髪の男の攻撃を警戒しながら、僕は鎧の人の背中と膝に手をいれ持ち上げる。
「ゃっ、な、何を……」
「ここから離れます」
「は、離れるのは君だけで良い!! 鎧を着たわ……自分を運んで逃げられるほど彼は甘くない!」
この人はあの長髪の男が何者かを知っているのか。
なら後で事情を聞かなくちゃな。
「心配は無用です。僕にとっては慣れたものなので」
「慣れたものって……うゎ!?」
鎧の人を抱えたまま、全速力でその場を離れる。
人を抱えた移動は救命団の僕にとっては本業だ。それは鎧を着ていても変わらない、むしろ魔王軍の戦いの時は騎士達は皆鎧を纏っていたから、この人を持ち上げて走るくらい訳ない。
それに、治癒魔法使いの僕が怪我人を残して逃げる訳がない……!
「痛み、が……これは回復魔法、じゃない?」
「治癒魔法です。怪我は大したことが無いのですぐに治ります!」
「き、君は治癒魔法使いなのか!? それなのに彼を相手取っていたのか!?」
「ええ。……ッ!」
背後で大きな音が聞こえ、氷を砕きながら何かが迫ってくる音が聞こえる。
やっぱり追ってきたか、相手がどういう存在かは分からないけど、足で僕に追いつけると思うなよ……! 足を速めると気配がどんどん遠ざかっていく。
抱えている鎧の人には後ろが見えたのか、息を呑む。
「何者なんだ、君は……」
「僕はウサト。リングル王国から来た使者で、”普通”の治癒魔法使いです。ミアラークに重要な書状を渡しに来たんですけど……。えーと、貴方は?」
肩の上のネアが小声で「普通な訳ないじゃない……」と呟いているが、それは無視して身じろぎする鎧の人に質問する。
すると、言い淀むように兜を震わせる。
「自分はレオ―――、ッ!? 離れろ!」
鎧の人の慌てたような声に、反射的にその場を飛び退く。
次の瞬間、空から大きな氷柱がさっきまで僕が居た場所に突き刺さった。氷柱は凄まじい冷気をまき散らし、散弾のように破裂する。
驚きに目を見開きながら大きく距離を取った僕が、氷柱が飛んできたであろう方向に目を移すと、そこには両刃の斧を振りきりながらもこちらへ近づいてくる長髪の男の姿と―――続いて空から降ってくる沢山の氷柱が―――、
「ッネア、耐性の呪術だぁぁぁぁ!!」
「もうやっているわよぉぉぉ!?」
あんな散弾付きの氷柱なんて食らったら僕はともかくネアと鎧の人が危ない!?
恐らく氷の礫に対する耐性がほどこされ、魔術に包まれた僕は、降り注ぐ氷柱の回避に集中する。
「……ッ、なんなんだよ! 魔法の範疇を超えているぞ!!」
「あの斧から凄い力を感じるけど……並の力じゃ無いわよこれ!?」
鎧の人を片手だけで支えつつ、もう片方の手で散弾をたたき落とす。
全ての氷柱が落下し終わった時には、引き離したはずの長髪の男はかなり近くにまで近づいていた。
「すまない、君を私達の戦いに巻き込んでしまった……」
抱えている鎧の人が、弱々しくそう言った。
対して、長髪の男は氷の地面に勢いよく斧を突き刺すと、大きく息を吸い、怒声の如く無表情からは想像できない大きな声を上げる。
「ォオオオオオオオオオオオオ!!」
「……ッ、こいつ」
やっぱり魔物を暴走させていたのはこの人だったか……!
それにさっきの氷といい、この湖を凍らせてしまったのもそうなのか!?
何時でも動けるように構える。
「彼の名は、カロン」
抱えている鎧の人がまるで痛ましいものを見るかのように、震えながら僕にだけ聞こえる声で小さく呟く。
「元々は人間の……勇者になるはずだった男だ」
”元々”は人間。
勇者になるはず”だった”。
その言葉に僕は、この状況は限りなくまずいものだということを認識せずにはいられなかった。
強敵の登場です。