第九十八話
第五章です。
水上都市ミアラークへの旅は何事もなく進んでいた。
アマコの予知のおかげで魔物との戦闘は極力避けられたし、ネアの時のような罠もなく、普通に通りかかった村で食料も補充できた。
流石に旅には慣れたかな? とか、周りの景色を楽しんでいこう、だとか思えるほどには旅を満喫できる余裕が出てきた―――のだけど、最後の最後に僕達は厄介事に巻き込まれようとしていた。
「どうしてこうなるんだろうなぁ!!」
『ギャオオオオ!』
『グオオオオオ!』
今、僕達は走っている―――といっても、走っているのは僕とブルリンと、アルクさんを乗せた馬だけれど、問題はそれじゃない。
僕達の後方で魔物の群れが凄い勢いで追いかけているのだ。
本来なら、こんな数の魔物に遭遇することなんて滅多にないはずなんだけど、突然の出来事だった。アマコが予知したとしても避けられないほどの規模の魔物の群れが現れたのだ。
「ウサトっ、前見て前! ここで転んだら追いつかれちゃう!」
「あんた、私とアマコがいるってことを忘れるんじゃないわよぉ!?」
ボーッとしながら走っていると、肩の上にいるネアと背負っているアマコが焦ったように声を上げる。
てか、ネアは普通に空を飛んで逃げて欲しいのだけど、この状況でドジッ子の彼女がその考えに至ることはなかったのだろうか……?
「ウサト殿、もうすぐミアラークです! 船に乗ってしまえば魔物は湖にまでは入ってこないはずです!」
馬に乗っているアルクさんに答える。
「分かりました! 最悪追いつかれそうなときは、僕が足止めします! そのときはアマコとネアを頼むよ、ブルリン!」
「グルァ」
「……頼みます! くれぐれも無茶はしないように!」
僕が全力で走ったら、ブルリンも馬も置いてきぼりにしてしまう。
そうならないように速さは合わせているけど、いざという時は僕が魔物を相手取ろう。所詮は野生の獣、鼻っ柱をぶん殴れば戦意喪失して帰ってくれるだろう。
それに追い返すのが無理だとしても、足止めに徹すれば魔物の大群も数分は押さえられるはず……。
「だけど、どうしてこんな数の魔物が襲ってくる……?」
呼吸を乱さないように走りながら、ミアラークがあるであろう方向を見やる。
この数は普通じゃない。
ここら一帯の魔物がすべて集まっていると言ってもいいほどの数だ。
「……まさか、あの声が原因か?」
思えば、僕達の耳に届いたあの『声』がこの騒動の始まりかもしれない。
その声を聞いたのは、順調に思えた旅が一瞬にして魔物からの逃走劇に変わる少し前にまで遡る。
●
ルーカス様の衝撃発言。
エヴァの真っ直ぐすぎる気持ち。
そして、先輩の遠方からの援護射撃。
それらから逃げ出すようにサマリアールを飛び出した僕達は、次に訪れる国―――水上都市ミアラークへと向かっていた。
「あー、もう、僕は一体どうなってしまうんだろう……」
「ウサト、ずっと同じこと言っているけど、もう諦めた方が良いよ」
サマリアールを出て二週間。
僕は先輩の記事を思い出す度に同じことを呟いていた。
「でもさ、こんな似顔絵が出回っているんだよ? 実際の僕を見たら絶対想像と違うとか言われそうで怖いんだけど……」
「気にしすぎだよ。それに、ウサトの良いところは見た目じゃないよ」
そのフォローは色々な意味に捉えられるから素直に喜べないや……。
もし、今向かっているミアラークで変な印象でも持たれていれば、書状渡しに支障が出たり、僕が精神的に大きなダメージを負う可能性がある。
それに―――、
「プップー、いつみても傑作ね! この鼻にきらきらした感じの笑顔! 全然ウサトっぽくないのが面白すぎるわ!」
「……」
先輩と僕について書かれた記事を翼で器用に持ったフクロウが、いちいちからかってくるのが鬱陶しくて仕方が無い。
しかも、サマリアールを出てから二週間ずっとこんな感じだ。
余程、僕に気絶させられたのを根にもっているのだろうか。
「……ふんっ!」
「きゃん!?」
あ、アマコがネアを鷲掴みにした。
ぶんぶんと、ネアを掴んだ手を回し始めるアマコ。回されている当人は声にならない叫び声を上げている。
最早、二人の喧嘩(?)は見慣れたものなので、僕は馬を引いているアルクさんへ視線を移す。
「アルクさん。ミアラークって湖の上にある都市なんですよね?」
「ええ、この大陸を通る大河、その中心にある湖に位置する都市がミアラークです」
僕達がこれから書状を渡しにいく場所、ミアラーク。
イメージとしては水の都って感じだけど、実際のところはどうなんだろう?
最終目的地である獣人の国へ行くには、ミアラークを通らなければならないから少しでも知っておかないとな。
「それじゃあ、やっぱり船とか沢山あるんでしょうか?」
「ミアラークは漁業もさかんな場所ですので、かなりの数の船がありますよ。中には水に住む魔物との戦闘を主眼に置いた船なんてものがあるほどです。安全に獣人の国のある対岸へ行くなら、ミアラークの船に乗ることが最適ですね」
「へぇ、普通に泳いで渡るとかは無理なんでしょうか? それか橋を探したりだとか……」
湖を避けて河を泳いだり、橋を探してそこを渡ればわざわざミアラークの船に乗る必要もないんじゃないか?
ちょっと単純だけど、できなくはないだろうし。
僕の言葉にアルクさんはゆっくりと首を横に振った。
「水の中では人間は魔物に勝てません。泳いで河を渡ることに成功したとしても、その先に待っているのは魔王領と獣人族が住む領域、人間が迂闊に踏み入れてはいけない場所なので橋も作られてはいません」
「魔王領……まさか、彼らがリングル王国を攻める時、大掛かりな橋を造っていたってのは……」
「そうですね。そもそも対岸を結ぶ橋自体が造られていなかったからですね」
なるほど、確かに人間側はわざわざ魔王領や獣人の人達が住む場所に入る必要なんてないから、橋も造る必要がないよな……。
にしても、少し話には出たけど、水の中に住む魔物か……。
今までは陸に住む魔物しか出会わなかったから、一度でもいいから会ってみたいものだね。
元の世界では、河童とかがそれに当たるのかな?
「あ、そうです。ミアラークは魚料理が美味しいと評判なんですよ?」
「魚料理ですか」
湖っていうから淡水魚だろうか。
いや、海からも近いっていうらしいから、海水魚もいるかもしれないな。元の世界でいうスズキとか鮭みたいな感じで。
流石に刺身とかはないだろうけど楽しみなことには変わりない。
なにせ、最近食べたのはただ焼いただけの川魚だからね、本格的な魚料理は滅多に食べられない。
ミアラークの魚料理に心躍らせていたのが顔に出ていたのか、僕の顔を見たアルクさんはにっこりと笑みを浮かべる。
「ミアラークを訪れた際には、魚料理を食べに行きましょうか? 話に聞く限り、ミアラークの魚料理はとても美味しいと評判らしいので」
「いいですね。ついてからの楽しみが増えました」
「ははは、私も楽しみです」
あ、でもブルリンはどうしようかな。
そう思い視線を隣に向けると、期待の籠もった眼差しを向ける熊が一頭。
「あー、分かった分かった。後でブルリンにも魚を持って行ってあげるよ。一番大きいやつでいいよね?」
「グルル♪」
現金なやつだなぁ。
苦笑しながらブルリンを撫でつけると、後ろから土埃にまみれたネアが涙目で僕の肩に飛び乗ってくる。
アマコも額を手で拭いながら隣に並んでくる。
まるでやりきったとばかりの彼女に苦笑している反面、片手間でネアに勝利を収めていることに戦慄を隠せない。
「ふぅ。ウサト、なんの話していたの?」
「こ、この狐、私のこと散々虐めた後にそれっておかしくない!?」
肩の上のネアがバタバタと羽を動かし、アマコに抗議する。
「うるさい、またぐるぐるされたいの?」
「ひぇ!? あ、貴女ちょっとウサトの危ないところが移っているわよ!?」
「おいなんだ。僕の危ないところって」
さらっと僕の危ないところって言われたんですけど。
危ないところってなんだ。人を危険人物みたいに言われるのは地味に傷つくんだけど。
「……私は別にいいよ。ウサトみたいになっても」
「私は良くないんだけど!? 貴女は人の形をした化物になっても良いって言うの!?」
「ねぇ、もっとオブラートに包んでくれない?」
しれっと答えるアマコにどん引きしているネアだけど、どうして会話に参加してない僕に一番ダメージが来るんだろうね。
しかも、散々な言われ様だけど僕ってカテゴリーとしては歴とした人間だからね?
ちょっと鍛え過ぎちゃっただけだからね?
「で、ウサト。さっきの質問だけど……」
「ん? ああ、ミアラークのことについて話していたんだよ」
「ふーん」
ふーん、て興味なさげだね君は。
「良いところだよ。獣人の国の近くにある人間の都市だからサマリアールみたいに露骨な差別もないし。……数は少ないけど、獣人も出入りしているところだよ」
「へぇ、知り合いとかはいるの?」
「ううん。その時はあまり余裕無かったし……」
「……」
そうか、この子が獣人の国を出た後に最初に訪れた場所がミアラークだったんだな。
母親を救いたい一心で、周りの景色を見ている余裕なんて無かったはずだ。
……少し無神経すぎたかもしれないな。
「……あの時の私と、今の私は違うから」
ぽつりと小さくアマコがそう呟く。
「ずっと一人だった……でも、キリハ達と、リングル王国の人達に出会って……そして今ウサト達と一緒だから、全然苦しくない」
「そっか」
「うん」
小さく微笑んだ彼女に僕も笑いかける。
一人じゃない。
その言葉を聞けて僕は安心した。
もう一人で旅をしていた時のような孤独な女の子じゃない。今は、僕にアルクさんにネア、ブルリンだっている。
この旅が終わった後、彼女がずっと笑顔でいられるようにしてあげたいな……。
「……?」
「どうしたアマコ? 突然立ち止まって」
「誰かが戦ってる……」
頭の耳に手を添え、立ち止まったアマコ。
誰かが戦っている、か。
アマコの言葉を聞いたアルクさんは、剣の柄に手を添えて周囲を警戒する。
足を止めた僕は前方を注視しつつ、アマコに状況を確認する。
「この先で戦闘が行われているってこと?」
「鉄を打ち合うような音……それと、何かが砕ける音……」
「砕ける? 地面が?」
「ちょっと違う、かも。なんていうかガラスとか氷が砕ける音に似てる……」
僕も耳を澄ますが、獣人の耳でようやく捉えられるほどの音なのか聞こえない。
誰かが襲われているのだろうか。
旅商人が盗賊に襲われている可能性があるけど……一番怖いのは助けに行った僕達を誘き出すための罠だったという可能性だけど―――まずは確認してみないことには分からない。
「ネア、空を飛んで様子を見てきてくれないか?」
「……しょうがないわねぇ」
空を飛べる彼女なら危険も無く状況を把握しに行ける。
面倒くさそうに羽を大きく広げたネアは、空を見上げてゆっくりと羽ばたき始める。
―――ォォオオオオオオオオオオオオオオオ!!
「っ!?」
突然、大きな雄叫びのようなものが前方から聞こえてきた。
獣のような、それでもって圧のある声に僕とアルクさん以外が体を大きく震わせる。
今まさに空を飛ぼうとしていたネアも空中で硬直し、地面めがけて真っ逆さまに落ちそうになっていたので慌てて受け止める。
「ネア、どうした!?」
「……っ、雄叫びに魔力の波動が乗せられてた……この先にいるのはただの生物じゃないわ!」
「波動……?」
僕とアルクさんには効果はないみたいだけど、ブルリンとネアと馬、そして獣人のアマコにも影響が出ているようにも見える。
人間よりも鋭い感覚を持っている生き物だけに分かる……超音波みたいなものか?
聞こえなかった僕にはあまりよく分からないけど……。
「っ、皆、走って……」
「アマコ?」
驚愕の面持ちを浮かべたアマコが震える声で呟く。
彼女の言葉と共に、後ろを向いたブルリンが森の奥を睨み付け唸り出したので、そちらを向けば森の方から沢山の足音と、魔物の鳴き声が聞こえてきた。
……偶然じゃない、よな?
「さっきの雄叫びに込められた魔力がここら一帯の魔物を暴走させてる!?」
「何!? 我を失っているって事か!?」
「意思の強い魔物なら大丈夫だけど、野生に生きる魔物じゃこの波動に抗えないのよ! 早く逃げなさい!」
だったらここら辺にいる魔物全部が錯乱状態に陥っているということか!?
しかもそれが僕達の方に来ているって……いや、とにかくここは逃げなくちゃ!
「皆、走るぞ!! って、アマコ!?」
「……っ」
隣を見れば、自分の体を抱きしめ震えているアマコの姿。
身が竦んで動けないのか!?
いっそ、後ろへ突っ込んで時間を稼ぐか!? いや。それじゃあ足止めし切れなかった魔物がアマコ達を襲ってしまう。動けないアマコがいるこの状況で、僕一人で全ての魔物を足止めすることは不可能に近い。
……しょうがない。
「ジッとしていろよ!」
「きゃっ!?」
ネアを肩に乗せた僕は、アマコを抱えて走り出す。
「アルクさん! 馬を走らせてください!」
「分かりました!」
馬に乗り、手綱を引っ張ったアルクさんは、勢いよく馬を走らせる。
ブルリンは元から図太いので、先ほどの雄叫びの影響など気にしてもいない様子で僕の後ろをついてくる。
後ろからは、既に魔物の大群が押し寄せてきている。
しかし、群れではなく、様々な種類の魔物が入り交じっているにも関わらず、喧嘩もせず僕達だけを視界に納め、襲いかかろうとしている。
目も血走っているから、僕達を餌だと思い込んでいるのだろうけど……いくらなんでもこれは異常すぎる。
「一体何が起こっているんだ……!」
明らかに普通じゃない事態に僕は焦燥しながらも、アマコを抱えて道を突き進むしかなかった。
ナチュラルに馬と熊に混ざって走るウサト君でした。
今回も彼は巻き込まれます。
第4章は戦闘がメインではありませんでしたが、今回は結構ガッツリ入る予定です。
※活動報告にて、第三巻店舗特典について書かせていただきました。