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愛しのハンバーグ  作者: 七刻眞一
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ただいま、小松食堂

―ハンバーグが大好き。

―誰だろう、私にハンバーグを教えてくれたのは?

―お爺ちゃんだ。

お爺ちゃんは、食堂を経営していた。私は、お爺ちゃんの美味しい料理を沢山食べた。

その中でも飛びっきり美味しかったのは、十歳の誕生日に特別に作ってくれた―あのハンバーグ。

太い低い声が響く、髭を蓄えたお爺ちゃんの優しい声がする。

―「美代、このハンバーグは、『究極のハンバーグ』なんだよ」

―「きゅうきょく?」

―「そう、究極だよ。最高に美味しいって意味なんだ」

―「へぇ、凄い。じゃあ、お店にも並ぶんだね」

―「いや、これは、これで最後、もう二度と作らない。誰も食べれない」

―「なんで、」

―「これを美代に食べさせる、約束だったんだ。これは秘密のハンバーグなんだ」

―「秘密なの?」

―「そう、誰にも言ってはいけないよ。美代が十歳になるまで秘密だったんだから」

なんで?私が十歳になるのを待ってたんだろう。そして、私は完全に目を覚ました。

ここは何処?

それが、大学の医務室だというのを後で知った。美代は、研究室で頭を打ち付けて、日溜保育所の時とおなじように気を失っていたのだ。陽輔のときと同じだ。

「気が着いたか」浩太が声を掛けてきた。そこには浩太がいた。

「陽輔くんは?」

浩太は首を振った。

「日高先生は?」

同じく浩太は首を振った。

「美代、叔父さんも同じことになったよ…存在していないことになってる」

美代は、驚いて聞き返した。「本当に…?」

「あぁ」

 美代は気を失っていた間のことを浩太に訊いた。

 研究錬で倒れていた美代は、浩太と近くを通りかかった学生の助けにより、ここまで運ばれたそうだ。医務室へ運ばれた後、日高馨のことを誰も知らないことが分かった。浩太もそれ以上は訊かずに医務室に同行したそうだ。

また、浩太の母、知子が携帯に電話してきたらしい―。それによると、日高馨は、数年行方不明のまま。『サラ・ドゥ・ピアンゾ』は、今月一杯で取り壊して『レジデンス』に変わること。店は、今までと同じ。しかし、叔父さんが大学の教授であり、毎年戻ってきている事実はなくなって、叔父さんは、もう十年以上も行方不明のままということになっていた。さっきまで居たのに、大学教授である過去は変わった。

 過去が変わって、歴史がつじつまを合わせたのか―?

 更に、浩太がいうには、母に叔父さんが何者かを訊いたらしい―。

知子さんは衝撃的な事実を伝えた。

―日高馨、浩太の叔父さんは、浩太とは親戚でもなく、全くの他人だということ―。

知子さんが小さいころに、自宅近くに現れた孤児だったらしい―、行くあてのない子供を日高家は養子として迎え入れたとのことだ。

日高先生も、孤児だったのだ。

陽輔くんと一緒だ―。

この共通点に何があるというのだろうか―ただの偶然なのだろうか―。

謎は全く解けない。

美代には、陽輔と日高馨の記憶がある。日高教授の『なかったことになるんだ』と言う言葉は嘘である―。

「俺達には、全くなかったことになってないな」浩太が美代に訊いた。

「そう、私達の記憶に陽輔くんと日高先生は残ったまま。ある意味、酷い」

二人がとる行動は決まっていた

「高知へ行こう」そう言いだしたのは浩太だった。

美代も同じ考えだった。陽輔、日高、おそらく高橋も消えたのだろう―。

謎を解くのに、いくつかのキーワードがある。一つは、『小松良明』お爺ちゃんだ。とにかく、実家の『小松食堂』へ行き、日高先生と一緒に写っていたお爺ちゃんのことを調べることが、この謎を解く近道に違いない。それに、二つ目は、あの赤いノート、『小松良明のノート』と呼ばれるお爺ちゃんのノートを、日高先生は持っていた。

最後の一つは、日高先生は最後に言っていた。

―全ては、『究極のハンバーグ』が解ける頃には、答えがでる。

―知りたいなら、『究極のハンバーグ』に答えが詰まっている。

「浩太、『お爺ちゃん』『ノート』『究極のハンバーグ』を調べれば答えがあるはず…」

「そうだな、叔父さん…いや、叔父さんでもないか、…日高先生は、『究極のハンバーグ』に応えた詰まっていると言っていた」

美代は、意識が失っている間のことを思った。

意識しているのかもしれない。だから、お爺ちゃんの夢を―ハンバーグの夢を―見たのかな。美代は頭に蘇ってきた小さい頃の記憶を切なく思った。秘密の意味は何なんだろう。そこにも何かが隠されている気がした。

日高先生が言うように、『究極のハンバーグ』を解くことが、答えにつながる―。

二人は、それを信じて高知に向かった。




 岡山駅まで新幹線で行き、特急『南風』を乗り継いだ。瀬戸大橋での眺めは素晴らしく、四万十川や土佐湾を見下ろす美しい景色や、のどかな田園風景を越えて四時間あまり。大きな屋根を要した高知駅に到着した。

 高知駅についた二人は、荷物を持って改札口から出る。いざ、やって来たが、二人は不安で一杯だった。結局、陽輔や日高のことから一端遠ざかることになる気がした。しかし、二人を知る者も物もない。

あのまま、大阪にいても、高橋でないにしても、別のレジデンスの奴らがやって来て、何が起こるかわからない。謎を解くには、三つのキーワードが集合する『小松食堂』に来るのが一番手っ取り早いのは間違いないはず―。


 駅には、美代の弟、良一が迎えに来ていた。駅の改札口から出てくる二人を見つけて、良一は手を振った。

「誰?」と訊く浩太に「弟よ」と答えた。二人の側に良一は走ってきた。浩太が声を掛けて握手を求めた。

「はじめまして、粕谷浩太です」

「あ、こちらこそ、よろしく。山本良一です。良かった間に合って、さっき来たところなんですよ」二人は握手を交わした。浩太はごわごわとした、良一の手を握って、一瞬に良一が料理人であることを悟った。それは、相手も同様のようだった。不思議な苦笑が二人の間に一瞬起こった。

良一の後をついて、二人は駅から少し歩いた。振り返る駅の横に、完成したばかりの大きい店舗が見えた。『焼いてみて屋』という大きな看板が目立つ飲食店だ。

「あんなのあった?」美代が良一に訊く。

「最近、できたんだ。ハンバーグが美味しいらしいよ」

「ハンバーグ?」美代はじっと足を止めて、なぜか、その建物を眺めた。

そうしている間に、二人が先に行ってしまった。美代は、青いキャリーバッグを引きながら、走って良一と浩太の後を追った。

良一は近くのコインパーキングに停めた自家用車に案内した。コインを投入しながら、「さぁ、乗って、乗って」と中古のセダンに乗るように急かした。かなり年代ものだ。

「あなた、免許取ったばかりでしょう、大丈夫なの?」折角迎えに来てもらってるのに、美代はかなり不満だ。

「何言ってるんだ、大丈夫さ、もう半年も運転してる。買い出しもこいつでいつもいってるしさ」

「本当に大丈夫?」美代にとって、良一はいつまでたっても弟の気分だ。浩太の赤いキャリーバッグと美代の青いキャリーバッグの二つの大きな荷物をトランクに入れると、浩太と美代は、後部座席に乗り込んだ。

良一の車は、跳ねるわ、飛ぶわ、危なっかしかった。良一の腕前のせいか、ぼろ車のせいかは分からなかったが、車は、はりまや橋から土佐城方面へ向かって走った。

運転手、良一は口を開いた。

「そうそう、粕谷さんは、婆ちゃんのところに泊まってもらうよ。綺麗えなとことちゃうから、気分悪ぅ思わんといてな」と鼻をすすった。

「え、なんで、家じゃないの、家に泊ってもらわないの!」美代が弟に文句を言う。

「仕方ないやん、婆ちゃんがそうしろっていうんやから、粕谷さんて、料理人だろう」

「一応、そうだけど…」自分の店もなくした浩太は『一応』とつけた。

「だから、お婆ちゃんが、『小松食堂』のほうに泊ってもらえって。あ、お婆ちゃんのところっていうのは『小松食堂』の二階のことだよ」

「へえ」浩太は頷いた。

美代はなんだか、納得いかない感じだった。



 山本家は美代をいれると四人家族である。父親の修、母親の幸子、弟の良一だ。『小松食堂』は、山本家から、バスで三駅離れたところにある。十年前に『小松良明』に先立たれ、母方の祖母である小松美和子が一人で住んでいる。

良一の車は走っていく。

『小松食堂』が近くなるに従い、美代にとって、よく知る馴染みのある街並みが迫ってきた。懐かしさのあまり美代は含み笑いと笑顔でにやにやしていた。

『小松食堂』の駐車場は広く四十台ほどの駐車スペースは、八割程度は埋まっていた。良一は、ボロ車をその駐車場の一角に停めた。

「どうぞ、着きましたよ」と良一は浩太と美代に声をかけた。美代はさっさと車から降り、浩太は赤いキャリーバッグを良一の手から受け取って降ろした。

北には山並みが並び、予想以上に山が近くに見える。空気が大阪より澄んでいて気持ちがいい。美代はここで育ったのだ。そして、ここに『小松良明』がいた―。

感慨深く『小松食堂』を見つめる。『小松良明が開いた店』。武家屋敷を一瞬思わせる日本家屋の作りだ。白い壁に黒枠の窓が一定間隔でついている。鬼瓦が屋根の隅から見下ろしている。その上に二階がある。同様に白い壁に黒枠の窓。見たことがある建物だった。―分かった―。

叔父さんと小松良明が一緒に写っている写真は、『小松食堂』がバックだった。

看板と暖簾が少々違う気がするが、雰囲気はまったくこの場所に違いなかった。

浩太が苦笑いをして、美代の後を追って荷物をひき始めた。美代が食堂に走っていく、車に鍵をかけた良一が浩太の歩くペースにあわせて、近づいた。

「姉ちゃんと、付き合うと大変でしょ。マイペースっていうか、どんどん先に行ってしまう。本当、人の言うこと訊かないんだよなぁ」

「別に付き合ってるわけじゃないんだけど…」浩太はさらりと受け流そうとするが、良一は一人で話だす。

「うるさくて世話焼き、おせっかい、で的を得ず、何か抜けてる…」

浩太は、さすが弟と―その観察眼に恐れ入った。

美代は、二人が自分の話しをしているのを察知して、腕を組んで浩太と良一を睨んだ。

「それに、地獄耳…」良一がぼそりという。

「何、二人で話してるのよ、今、私の悪口言ったでしょう」と声を荒げる。

「はい、はい、」良一が空返事をして、浩太にほらねという顔をしてみせた。三人は、『小松食堂』の暖簾をくぐり、引き戸になっている扉を引いて店に入った。

「いらっしゃいませ」の言葉と同時に「ただいまー」と美代が声を掛けた。

店内は混雑している。

浩太が関心した。―これは、普通のレストランではない―。当然、食堂という名にあてがわれるようなお店でもない。大人気の和風大衆レストランとでも言う雰囲気だ。ざっと五十人以上は客がいるのが分かる。店内は100席以上はあるのではないか―。はっきり言って、『サラ・ドゥ・ピアンゾ』とは比べ物にならないほど大きくて、広い。

「最近、近くのレストランがつぶれちゃったから、駅へ出ないなら、ここしか食べるとこ、のおなったからな。客がぐっと増えたよ」良一の説明を訊きながら、店の奥へ案内される。美代が一歩先を、どんどんと奥へ歩いていく。

「おぉ、美代ちゃん」昼間からビールを飲んでいるオジサンが美代に声をかける。「ただいま、おじさん」

小松と書いた鉢巻きを絞めて、割烹着を着ているのが従業員らしい、その一人が、美代に声をかける。すぐに、後ろに続く浩太の姿を見て、まあと変な奇声を上げる。

「ただいま、西村さん」

「美代ちゃん、帰ってきたの…最近、お婆ちゃんの若いころそっくりになってきたねぇ」手招きして、「一緒にいるのは彼氏?」と親しげに訊いてくる。「仕事関係です…」とそっけなく答える。

今度は、向かいから「あら」と声がかかる。「どうも、岡林さん、ただいまです」

浩太は、『小松食堂』での、美代の存在を十二分に理解した。美代は、ここにも自分の居場所を持っている。それに反して、浩太には居場所がない。『サラ・ドゥ・ピアンゾ』も『帝新ホテル』も、もう自分の働く場所ではない。自分はこの先どうすればいいのだろうか―。考えないようにしていた思いがふつふつと溢れ、美代をうらやましく思った。

良一が、奥の席を指さして、「あそこへん、空いてるから座ってや」そういうと、鉢巻きと同じ柄の藍色と白色の暖簾をくぐって、奥へ消えた。暖簾の向うからは、「母ちゃん、連れてきた。姉ちゃんと彼氏…」と外まで大きな声が聞こえる。

「なんか、変な誤解があるようだ、ちゃんと、説明しといてくれよ」浩太は、やっかみ半分で、自分に向けられる色目使いの叔母さん達の目に、勘弁してくれといわんがばかりに美代に懇願した。

「わかってるわよ、いちいち言わないでいいわよ」美代が、連れない浩太の言葉に、ふて腐れた。すぐに、暖簾の向うから母親の幸子が現れると、こっちを見つけてやって来た。

「あらあら、遠かったろう、そちらが粕谷さんかい?」上品な感じの品の良さそうなお母さんだ。浩太にとっての母親像としては対局にいる感じだった。

美代が早速、説明した。「うん。私のアルバイト先の店長。粕谷浩太さんよ」浩太は立ち上がり頭を下げて挨拶をした。

「あぁ、えいのよ。座って座って、ゆっくりしていってねぇ。食堂のメニューで悪いけど、定食を出してあげるから、食べていき」

何も乗ってないお盆を抱えて行こうとする母親に美代が裾を引っ張った。

「お母さん!例の件、お婆ちゃんに訊いてくれた?」

「え、例の件って…なによぉ」

「だから、『究極のハンバーグ』のことよ?」

思い出すような素振りをして、「あぁ」と手を叩いた。「忘れとぉったわ」

「お母さん!最悪…もう、私が直接訊くわ。婆ちゃん、奥にいるよね?」

「いるわよ」

「ちくっと覗くね」浩太に「ごめん」と声を掛けて、美代はスタスタと暖簾の奥へ消えた。幸子もにこっと浩太にむけて笑うと、美代の後ろ、ちらちらとこちらを見ながら暖簾の奥へと消えた。残された浩太はバツが悪く、その場にかしこまって座った。

―賑やかな家族―。浩太は、自分と違う環境に、楽しそうな家族に、にやっと笑った。



暖簾の奥は細長い厨房になっており、二階へつながる階段と大きな冷蔵庫を目の前に、直角に長細くなっている。冷蔵庫の前には、大きな配膳板が置かれており、注文が入った料理の分だけ伝票と皿が並べられている。美代を追いかけて来た幸子が美代の肩を叩いた。

「美代、えい感じの男の子じゃない、背も高いし、男前だし。料理も上手なんでしょう」

「料理!?当たり前じゃない、イタリアンシェフよ、抜群に美味いから」

「かっこえいな…」

「あのね、お母さん、電話でも言ったけど、浩太はそんなんじゃないの、なんども言ったでしょう。バイト先の店長よ」

「なに言ってるのよ。えい男の子じゃない、彼氏にしときなさい」この母は何を言ってるのだ。

「『小松食堂』を見たいって、大阪からやって来たんだから…彼氏とかそんなんじゃないの…誤解せんといて、ほんまに」浩太のことは、『小松食堂』を見てみたいという、『サラ・ドゥ・ピアンゾ』の店長として説明した。今、店は一旦閉店しているという具合で―。

「えいやん…かっこえいのに…」幸子は、美代の言葉を全く聞いてない。暖簾を片手で持ち上げてちらりと浩太を覗いてみる。思わず目があって、ニコッと幸子が笑い返す。「えいと思うのになぁ」と一人言を繰り返す。

「もう!私、お婆ちゃんに用があるから…」美代は、ぷんぷんして、厨房の奥へ進んでいった。

良一は既に、割烹着を着て厨房に鎮座していた。忙しい中、厨房の隅で茶を飲みながら仕事もせず、くくっと笑いをこらえていた。

「あんたも、笑ってないで仕事しなさい」美代が叱る。



美代は手を洗い、厨房の奥のお婆ちゃんの元へ来た。自然とここから、奥へ入るときは、手を洗う。お爺ちゃんが居る時、いつもそうしていたからだ。『ここから、一歩でも入るなら、手を洗え』という言いつけどおり。

「お婆ちゃん!」美代は大きな声を出して呼んだ。大きな丸底の北京鍋を振り回して、金属のお玉がカンカンと火花を散らすように音が鳴る。同時に複数の料理が彼女の腕からつむぎだされている。どんなに暇でもどんなに混んでいても、ほとんど一人っきりで厨房を運営する―小松美和子―それが、美代のお婆ちゃんだ。

北京鍋の取っ手には赤い布が巻きつけられ、両手でしっかりと握る。赤は美和子のトレードマークだ。ふわっと中身が宙に舞う。米の一粒一粒を滑らかに波を打つように回しながら、お婆ちゃんが美代のほうをちらりと向いた。時折、丸い鉄のお玉が米粒を押し付けて、ジューと音がなる。手は止まらない。

「お婆ちゃん、帰って来たよ」

「あぁ、そうかい」つれない一言が返ってきた。

「お婆ちゃん、実はお願いがあるの!教えてもらいたくて、わざわざ戻ってきたのよ」

手は止まらない。ジューと音がなった。「何を教えるのさ、料理かい…」

「そうなの…お婆ちゃんに訊きたいんだけど…」

「なんだ」盛り付けられた焼き飯の天辺に花のように紅生姜が盛り付けられた。

「お爺ちゃんが私に作ってくれたことがある…『究極のハンバーグ』を教えて欲しいの『小松食堂』のメニューじゃないんだけど…」

お婆ちゃんの動きが固まった、上目遣いにじっと美代を見た。「ハンバーグ…そんなメニューはないよ」

「分かってるわよ。昔、お爺ちゃんに秘密だって言われて作ってもらったことがあるのよ。今、どうしても、そのハンバーグを知りたいの。あんなに美味しかったのに、食堂のメニューになってないのも不思議…話すと長くなるけど、どうしても『究極のハンバーグ』を知りたいの…お婆ちゃん、この通りお願い。教えて…」

「ハンバーグなら、ただ挽き肉をこねて焼けばいいじゃないか!」

「駄目なのよ。それじゃ、普通なの…えーと、どういえばいいのかなぁ。もうじれったいな…そう、お爺ちゃんのノート、あの赤いノートあったでしょう。確か、あれに書いてあると思うんだけど…あのノートを見せて…」美代は両手を合わせて頼み込んだ。

「ノートはない…」

美代は顔を上げた。冷たくあしらっているようでもあった。

いつになく、厳しい口調に美代は動揺した。

「爺ちゃんは何でも、お前に優しくするからいかんのだ。料理というのは、そんな簡単に教えてもらうものじゃない。自分で手に入れるものじゃ。それに、『小松良明のハンバーグ』はお蔵入りメニューで、門外不出。美代の頼みでも駄目じゃ」

「門外不出!?どういう意味なの。お婆ちゃん…」

「もう二度と作らないメニューだって言ってるのさ」中華なべをそのまま、油をたらして再度、熱し始めた。「幸子、上がったよ、持って行きなさい!」美和子は大きな声で配膳盤のほうへ叫ぶと、再度、料理の続きへと戻った。

「なんでよ」

「しつこいのは嫌だね。それに、ノートはずっと昔から行方不明だ。誰かが持ち出したのかもしれん。人様のものを勝手に持ち出すんだからな…罰当たりなことだ…」油を馴染ませるように、両手で、北京鍋を傾けた。

「ノートもないの?門外不出とか言わずに教えてよ、お婆ちゃん!」美代の声にも反応せずに、そのまま、「忙しい」と料理に集中しだした。

「もう」美代はプイと顔を背けて、お婆ちゃんから離れた。入れ替わりに幸子がやってきて、怒っている美代を見て、首を傾げた。

暖簾をくぐり店内に戻ってきた。かしこまった浩太が座ったままだった。

ノートが無くなったというのは分かる―。

だって、ノートは日高先生の机にあったのだから―。

『究極のハンバーグ』、お婆ちゃんは知っているようだが、教えてくれそうにない―。溜息を吐いて、浩太の隣に座りなおした。

「どうだった、誤解は解けたかい」

「えっ」

「なんだよ。そのために行ってくれたんじゃないのか」

「あぁ、それね、大丈夫よ…大丈夫」しどろもどろに答えた

「なんだよ。なんか変だなぁ」浩太がじっと美代を見つめる。

「そうだ。あとで、ここの厨房見せてもらえるかな」浩太は少し落ち着いたのか、料理に対する積極的ないつもの浩太に戻ってきていた。

「見るぐらいなら大丈夫だと思う。でも、お婆ちゃんが居ない時にね、私も中に入ると怒られるぐらいだから、多分、良一ぐらいしか入れないと思うよ…」ハンバーグのことがあたまを過ぎる。どうやって、お婆ちゃんから聞き出そうか、あの様子は作り方を知っている気がする―。



幸子が日替わり定食をもってやって来た。二人の前にお膳ごと並べると、同意も得ずに美代の前に勝手に座った。

「今日の日替わり定食よ。召し上がれ。美味しいわよ」

カリカリに揚げられたピーナッツとにんにく?がまぶしてある鶏のから揚げだ。パセリがちらしてあり、横には、しし唐ともう一品揚げられている。真っ赤な朱の茶碗に盛られたご飯と同じく朱の茶碗に入った上げだけの味噌汁。色が載った、たくあんが付けられている。彩りも華やかで、食欲をそそる。

「いただきます」浩太が、目を輝かせた。

「どうぞ」母親はそういいながら、浩太がかぶりつくのをじっと見ていた。

から揚げを噛み締めると、鶏のジューシーな脂が口に広がると同時に、甘辛い風味と味が漂う。「蜂蜜を使ってる?卵黄…醤油…」

「秘伝のタレと蜂蜜を利用する『小松食堂』の定番『から揚げ』よ」

「この細いのは、…山芋…うまい」カリッとした食感がのこされたまま、これも同じ蜂蜜と秘伝のタレであろう、同じ味わいが感じられる。

「食べるのに邪魔だから、お母さん、向うに行って、行って」美代はそう言って、「もう、」と呟く母親を追い払った。

美代と浩太の、座席5つ後方に二人の知っている顔があったが、二人は全く気付いていなかったが、丸い顔。丸い体格。『ピクティ』の丸山だった。

「ウマ、美味い」がつがつと定食を食べている。

「美味しいですか?」幸子は、あまりにおいしそうに食べている丸山に訊いた。丸山は頷きながら、「美味しいです」と口いっぱいに頬張りながら答える。

客に味の批評を訊く美代の癖は、母譲りなのかもしれない。

丸山は、口いっぱいに頬張りながら、目つきは尋常なく美代と浩太を追いかけて、舌先は味を詳細に分析していた。「『小松食堂』…食堂とは名ばかり、これは一流レストランだ、味も店も作りは一級品。妥協のない店だ。恐ろしいぞ。この店が『ピクティ』の近くにあったら、終わりだな…。楽しくて、美味しくて、人気もある」

丸山は、メニューの隅から隅までじっと見つめて、探し続けた『究極のハンバーグ』を、しかし、どれもおいしそうだが、目当ての『究極のハンバーグ』はなかった。



美代と浩太の二人が食事を終え立ち上がるのを見て、丸山は食べかけの定食を置いて、二人をそっと追いかけた。二人は暖簾をくぐってすぐの階段を二階へと上がった。結構急な階段で登るが大変だ。浩太は大きな赤いキャリーバッグを持ち上げながら、壁や段に当たらないようにそっと足を繰り出した。

「急でしょ」

「これ、お婆ちゃんも登ってるのかい、危ないよ」苦笑いをして浩太は壁に手をつきながら登った。

階段を上がったところは廊下が縦にずっと伸びていた。手前のふすまを開けると、広い二十畳ぐらいの畳の間になっていた。部屋の中では良一が、一人で掃除機をかけていた。

「まだ、途中なんだけどさ…」良一が入ってきた二人に愛想よく答えた。

「あんた、本当に厨房に出てないわね」

「仕方ないだろう、婆ちゃんが入れてくれないんだから…」

「まだ、そんな事言ってるの」

二人のやり取りをもとより、浩太は部屋を見渡していた。「広いな…もったいない」浩太は、ただ、ただ広い部屋を見渡した。

良一は、美代に掃除機を渡した。美代は仕方なく受け取ると掃除機を掛けだした。

「いいよ。俺がやるよ」という浩太に「いいって姉ちゃんにやらしといたら…それより、ここ眺めがいいんよ」と良一は、窓際に寄った。

部屋は北向きに窓が連続して付いていた。店の北側は道路が通っている。その窓を一つずつ連続して開け放した。窓は、完全に端に寄せられる作りになっていて、すべて開け放つと、絶景のパノラマが出現した。壁一面が絵画の一部のように、四国山脈の山が浩太に迫ってくる。

「どうだい」良一が、自慢げに窓の外を眺めた。浩太は、窓際に寄る。

「すごいな、絶景だ…」感嘆の言葉が漏れた。

「明日は、姉ちゃんに高知見物に連れてってもらったらいいさ」

「いや、…料理の勉強に来たんだ。そういうわけにはいかないさ…」

「そうか、料理人なんだな。でも、イタリアンシェフなんだろう。うちなんか、ただの食堂だぜ、和食やら中華やら何でもありの亜流だぜ」

「『小松食堂』…『小松良明』に興味があるんだ…それに、さっきの定食も凄かった…」

「ふーん、最近、少ないんだけどなぁ、たまに何処かの年配の料理人が、お婆ちゃんに頭下げて、料理の極意を教えてくれとか、弟子にしてくれとか、来るけど、お婆ちゃんは全員追い返すんだよなぁ。浩太さんもそういう、『小松良明』信者なのかい?」

「信者か?なるほど、もしそうだとしたら、それは、さっき店に来てからそう思った。どちらかというと、さっきのさっきまで料理には興味はなかった。どちらかというと、『小松良明』自身に興味があるだけさ」

「ふーん。でも、正直、ここに泊まれるなんてびっくりだ。お婆ちゃんの気まぐれなのかなぁ。こんなの初めてだぜ」

浩太は、気まぐれでも何でも、そんな幸運に自分がめぐり合っているとは思っても見なかった。

「まあ、俺も年末とかさ、忙しい時ぐらいしか、ここに寝泊りしないんだけどさ」そう言って、良一は、近くのふすまを開けた。「そいで、こっちに布団がある。申しわけないが、泊っている間は、布団一式だけ抜いて使ってくれ。使ってる分は、ここに直さんでいいから…ずっとそのままでいい」

「あぁ、ありがとう」

掃除機の音がやんだ。

「ここね、昔、うちで働いていていた人のために、お爺ちゃんが店を改築したんだ。寝泊りする場所を作ったの。今は、使われていないけどね」美代が掃除機の電源コードを戻しながら話した。

「へぇ、そうなんだ」

「私も小さいころ、ここで寝たことがあったけど、怖かったな」

「怖い…?」

良一が笑った。「ここ、お化けが出るらしいんで…」

「お化け…」

「ははは、」良一が困惑している浩太を見て笑った。

「端っこで、なるべく出口に近いところで寝ることにするよ」

「ははは、大丈夫だって」

ひとしきり笑った良一が「そろそろ、店に出るわ、後はよろしく」良一はそう言って、階下へトントンという足音と共に消えていった。


階下では、暖簾を持ち上げて、丸山がきょろきょろと見渡していた。

「しまった…いったい、あの二人はどこへ行ったんだ」丸山は彼らを見失っていた。どうも、二階へいったようなのだが…階段の上へ上がっていくわけにもいかず迷っていた。そぉっと階段の上を見上げた。その時、丸山は肩を後ろから叩かれた。ドキッとして、振りかえる。

「あら、お客さんどうしました?」幸子だった。

「あ…あ、あの、あ、あったかいお茶ないですか?」しどろもどろに答える丸山に対して、幸子はニコッと笑った。

「わかりました」平然と答える幸子に、丸山は頷いて「お願いします」と汗を拭きながら、席へ戻っていった。幸子はお茶を用意した。



 美代は、二人っきりになっても、良一が気をもんでくれたような感じには全くならなかった。それよりも、陽輔と日高教授のことが頭から離れなかった。一刻も早く、調べる必要がある。

「良一もいなくなったし、そろそろ本題に入りましょう」美代が話しを切り出した。

「そうだな」浩太も頷いた。

「で、叔父さんが言ってた『究極のハンバーグ』は、分かりそうなのか?」

美代は先ほど、厨房でお婆ちゃんと話したことを浩太に聞かせた。

「そうなのか…なら、その役目は俺がやるか…」浩太が溜め息混じりの顔をした。

「それなのよ。お婆ちゃんが、浩太をここに泊めるなんて、なんで言ったんだろう。私、『小松食堂』に泊まったお客さんなんて、一度も知らないのよ」

「俺に訊かれても困る。俺が料理人だからか…」

「判らない。お婆ちゃんが料理人は料理人として扱えって、『小松食堂』には料理人が泊まる部屋があるんだからって、うるさかったらしいのよ」

「料理人かぁ…」浩太が意味深に頷く。

「どういう意味だと思う?」

「まぁ、孫娘がかわいいんじゃないのかい、一緒の屋根の下に泊まるっていうのは…」

「ばかなこと言ってるんじゃないわよ、一緒に寝るわけじゃあるまいし…」

美代にとって、そんな理由でないのは分かりきってた。

「まぁ、とにかくだ。ここに居た方が、『究極のハンバーグ』や『小松良明のノート』のことを調べるのに好都合だ。それに、『日高馨』や『小松良明』のこともある」

「そうね…、お婆ちゃん、ノートもなくなったって言ってたわ」

「それは、叔父さんが持ってたからだろう」

美代も浩太もそうだろうと思った。ノートを見つけるという点からは難しそうだ。

「それはそうと、下の食堂…凄い活気があって、繁盛しているな」浩太は食堂の話をした。

「そりゃ、地元はここぐらいだしね…」

「あの日替わり、正直、びっくりした。本物だよ。ごめん、正直『小松食堂』って言うぐらいだから、心のどこかで料理への期待はしていなかったんだ。でも、恐れ入った。中途半場なフレンチやイタリアンのシェフじゃ太刀打ちできない腕前だ。この店…何ていうかなぁ…口では言えないけど…凄い」

「あのメニューや料理は当然だけど、店のテーブルや厨房の配置、図面全部、隅から隅まで、お爺ちゃんが大工さんと打合せして造った食堂なの」

「『小松良明』か!陽輔くんや叔父さんには悪いが、ここへ偶然に来ることになったけど、正直、料理でこんなにわくわくするのは、イタリアで賞をとって以来だ。『小松良明』が亡くなっているのが残念でならない。是非、生きている姿に会って、直接に料理に対する思いを訊きたいなぁ」浩太は本来の目的とは違った意味を『小松食堂』に見出していた。

「叔父さんもだから、会いに行ったのかなぁ、分かる気がする」

美代は、お爺ちゃんを褒めてもらえる嬉しさ反面、浩太を一瞬でとりこにしてしまった『小松良明』に妬ける想いだった。

「それより、ここにくれば何かつかめると思ったけど…実際、場所が変わっただけで、何の進展もないのよね。この後どうすればいいと思う?」美代は浩太に訊いた。

浩太は、顎に手を当てて考えた。「うーん。叔父さんは『小松良明』と写真を撮っていた…あれは本物だと思うか?」

「あの写真ね。こうなってくると、あれは本物でしょう」

「そうだな、だから、『小松良明のノート』が、大学の研究室にあった…」

「私もじっくり見た事はないんだけど…お爺ちゃんが大事にしていたから覚えているの…料理に関することが、びっしりと書かれたノート。赤い布のカバー…それに、『究極のハンバーグ』の記述…見覚えがあるから、間違いないと思うわ」

「そうなると、日高と小松良明が会ったのは、間違いない。つまり、叔父さんは、『小松良明』に会いに行ったということになる」

「そう。なんて、バカげた話してるんだろうと思うけど、そう考えて間違いない」美代は大きく頷いた。浩太はひらめいた。

「お爺ちゃんの資料はない?写真とかアルバム?そこに日高が写ってたりしないかな。もし、日高を知っている人が分かれば、その人に訊いてみることもできるかもしれない」

「写真ね、なるほど、調べてみる価値あるわ」「ちょっと待ってて…」美代はふすまを開けて、ドタドタと奥の部屋へ走っていった。浩太は、窓からの絶景と、吹き込んでくるそよ風を感じて、しばらく待ちぼうけた。

美代はアルバムを二冊とルーペを持って帰ってきた。

「あったわ。アルバム」

「何、その虫めがね?」

「これが約にたつの!」

「どれどれ」浩太と美代は、畳の上、部屋の中央にアルバムを広げて二人で肩を寄せた。

「この青いアルバムが、私が生まれる前のほうで、『小松食堂』:のアルバムなの、こっちの赤いのは、最近のぶんね」迷うことなく、青いアルバム『小松食堂の歴史』とかかれたアルバムを開けた。


初めに目に飛び込んできたのは、工場のような大きな建物をバックに撮られたセピアに焼けた集合写真だった。

ざっと百人以上が写っている。浩太は自然に日高の顔を捜した。美代は写真の説明をしだす。

「お爺ちゃんは、初め工場に勤めていたらしいの…これが、その勤めていた工場での記念写真よ。工場は住み込みの期間従業員を雇っていたらしんんだけど、住み込みだったんで、食堂があったらしい…お爺ちゃんは、そこの食堂で、料理をしていたの…」

「工場の料理人か…これ、工場の人数?百人以上いてるよな…」浩太は目を細める。

「確か、前からの二番目、この人がお爺ちゃん、うん、そう」美代は、先ほどのルーペを取り出した。「役に立つでしょう?」

「なるほど…」浩太が美代からルーペを受け取ると前から二番目の『小松良明』を見た。

百人ぐらいが写っている写真だ。いくら写真自体が大きいといっても、顔は非常に小さい、しかも写真は少しセピアに焼けている。工場の白をバックに撮られているのが幸いで、目鼻立ちは見て取れだ。確かに髭を蓄えた、あの写真の男が写っている。お爺ちゃん、小松良明の隣の男が気になった。小松良明が、肩を組んでいる男がいる。かなり親密な感じだ。

「この肩を組んでいるほうがお爺ちゃんだな、肩を組まれているのは、誰?、隣の奴。顔が分かりづらいな…」

美代は唇を尖らせて、思い出していた。

「あ、思い出した。…お爺ちゃんのライバル。昔、訊いたことがある。お爺ちゃんが一度も、勝てなかった凄腕の料理人だと…」

浩太は眉をしかめた。「『小松良明』が一度も勝てない?なんか、それだけで、凄い言い回しだな。凄腕の料理人って誰なんだい?まさか、…日高薫?」

「名前判らないの。お爺ちゃん、名前を教えたがらなかったの、結局分からずじまい…」

「また、秘密か、お爺ちゃんは秘密好きなのかい?ハンバーグも秘密。同僚の名前も秘密。怪しすぎないかい?」浩太は疑問を持った。

「そう言われれば、確かに怪しいけど…」美代も認める。

浩太はページを捲ると、食堂のスナップ写真が数枚あった。作業着をきた沢山の人が楽しそうに食事をしている光景が写っている。

「これがお爺ちゃんね」美代が指差している写真は、シェフの格好をした男が横を向いている姿だ。その後ろにも例の男が移っている。お爺ちゃんの指が丁度、顔のところにあり、残念な写真になっている。しかし、今度は髪型がよく見える。短髪の男のようだ。

「さっきの男だ」

「お爺ちゃんと一緒に盾涌工場の社員食堂の料理人として働いていたらしいわ…」

「盾涌工場って?」浩太は聞き返した。

「工場の名前よ。盾涌工場っていうんだけど、実は、お婆ちゃんの旧姓は、盾涌美和子っていうの…お婆ちゃんのお父さんがやっていた工場よ」

「なるほど…、工場の娘と食堂のシェフが結ばれるわけだ。ということは、これが『小松食堂』の原点な訳だ」

「そうかも…でも、『小松食堂』ができるのは、もっと後」

「この短髪の男?日高に似てないか?」浩太は自分でもよく判断できず、首をひねりながら尋ねた。

「うーん、似ているともいえるけど、別人ともいえなくもない…よくわからない」

更にページを捲った。

「実は、お爺ちゃんとこの人は、、工場採算悪化で食堂を閉鎖することになって…、工場内じゃなく、工場の外で食堂を経営することになるの…」

「それが、『小松食堂』か!」浩太は納得したふうに訊いた。

「違うの、これが、この写真…盾涌食堂よ」と言って、ページを指差した。「会社のオーナーの盾涌さん、お婆ちゃんのお父さんね。と一緒に作ったらしいの、共同経営ね、その料理人としてやって来たのがお爺ちゃんと、そのライバルのもう一人ってわけ」美代が盾涌食堂のページを見せた。

「なるほどね。先ほどの食堂より、少し内装がおしゃれになっている。外で、十分お客さんを呼べる料理だったってことだろう。『小松良明』と『そのライバル』がやってるんだからな、繁盛してたんだろうな…。こっちの写真は、作業着の人が多いよね。ということは、工場の近くにあったのかい」

「そうよ。工場の真横。私が小さい頃まで盾涌食堂はあったのよ」

「あったって…今はないんだ」

「そう。つぶれちゃった。ここに写っているのがお婆ちゃんよ。このとき、盾涌食堂に居てたのよ」

―確かに美代に似てる―。食堂で言われた言葉を浩太は思い出した。

しばらく、盾涌食堂の写真が続いた。それ以降、例の怪しいライバルの姿がアルバムから消えた。

「怪しい男の姿が無くなったな。写真に登場しなくなったぞ…」

「そうね…」

更に捲る。アルバムも終わりに近づいてきた。『小松食堂』の写真があった。

「ここで、お爺ちゃんが独立するのよ。『小松食堂』ができるの」やっと、『小松食堂』が登場だ。沢山の人々に祝ってもらっているのが写真で見てとれる。この中に叔父さんがいるのだろうか、あのライバルの男は、ここにもいるのか?ルーペをかざして浩太が探すが、見つからない。小さい人影はルーペでも誰か分かるものではなかった。看板が違う。暖簾が違う。まちがいない、―例の写真の背景にある『小松食堂』はこれだ―。

「日高が持っていた写真は、ここで撮られたものに間違いがないね。ほら、この看板が確か写っていたと思う。今と少し違うね」

「そうね、この写真の看板は私も良く知らない。何回か改装しているから。あの写真、ここで撮ったものだったんだ…」

浩太は、じっと見つめた。

「叔父さんはここにいた。だって、この頃おお爺ちゃんの写真、ほら、アップで写っているのがこれだろう。あの時見た、お爺ちゃんの写真に年齢が近いと思わないかい?」

「思う…」

「これで、疑う余地はない。叔父さんは、やっぱりこの時代に来ていたんだ。と、いうことは、お爺ちゃんのライバルというのも叔父さんの可能性が非常に高いんじゃないかな」

「どうやって、五十年前にいるのかがわからないけど…」

「あの不思議な現象をみたあとで、話を総合すると、そうとしかいえない」

「そうね、そう考えるのが自然よね」

浩太は、腕を組んだ。「ライバルが叔父さんなら、料理が上手いのは納得できる。この謎の男、小松良明のライバルの軌跡を追えば何かわかるんじゃないかな」

「そうかもしれない…」美代はじっとアルバムを見た。

浩太は、鋭い眼差しで腕組みを続け、考えている。

「『盾涌食堂』を辞めて、お爺ちゃんは、なぜ、『小松食堂』を作ったんだ。なぜ、独立したんだい?その時、その男は何処へいったんだ?一緒に『小松食堂』をやっていたのかな」

「『小松食堂』には居てないと思う。その後、『小松食堂』は繁盛して、『盾涌食堂』は人気がなくなっていくのよ…」

「じゃあ、『盾涌食堂』にも居なかった。つまり、その男も辞めたってことか。お爺ちゃんより、料理の腕が上…『盾涌食堂』が人気がなくなるっていうことは、少なくともそこには居ないということだろう…」

「わからない…」

「『盾涌食堂』って、この近くにあるのかい?」

「そう遠くないけど…」

「行ってみないかい?」浩太の提案で、二人は、『盾涌食堂』や『盾涌工場』が近いということで、実際に見に行くことにした。


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