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荒野でのとある一幕

 丘陵地帯に差し掛かり、路端のごつごつとした礫はますます多くなってきた。

 活火山でも近くにあるのだろうか、夏ももう終わりだというのに、地面から立ち上ってくる熱気で体中汗びっしょりになり、ぐにゃりとゆがめられた道は逃げ水がそこかしこで見えていた。

「ねえR、もうちょっと涼しくできないの?」

 額から目へと流れ込んでくる汗を木綿の上着の袖で拭いながら、僕は、隣に座って指でハンドルをリズムよく叩きながら、ボロバンを運転している男に話しかけた。

 彼の咥えている、もう短くなってしまったたばこからは楽しげに煙が立ち上がり、天井に当たって細く開いた窓から外へと流れ出していた。

「まぁそういうな、少年。こいつはお前より年食ってるんだ」

 そう言ってから男は、吸い終わったたばこを窓から投げ捨てた。

「空調が調子悪いのはいつものことさ。もっと窓を開けりゃ、風も入ってくるだろうに」

 そう言いながら男はずっと楽しそうに笑っていて、僕は少し腹が立った・

「窓を開けたら、風で髪の毛がぐちゃぐちゃになるからいやだ」

 そう文句を言いながらも、僕は重いハンドルを回して窓をいっぱいまで開き、ムスッとした顔を窓枠に乗せた。

 伸ばし放題でぼさぼさの髪の毛は、風を受けて僕の頭から逃げだそうとするように動き回り、顔を転がる汗粒は一瞬でどこかへと掻き消されていった。

 横で男が今日何本目かのたばこに火をつける、カチン、シュ、というライターの音が聞こえた。   

 

「ねえ、今日はどこに泊まるの、R」

 僕が彼に再び話しかけたのは、もう日も沈みかけ、辺りをひんやりとした空気が覆い始めた頃だった。

 あたりの礫はさらに大きさを増し、ボロバンはガタガタとひどく揺れながら丘と丘の間を縫う細い道を走っていた。

「うーん、そうだなぁ、もうすぐ街が見えてくるはずなんだが…」

「こんな石だらけで何にもないところに?」

 男は困ったように頭をかいたが、それでも彼が笑みを絶やすことはなかった。

「ねえ、ちょっといい?」

 男が火をつけようと口に咥えたたばこを、つまんで窓の外に放り投げながら僕は訊いた。

 男は少しの間、用がなくなったライターを右手でかちゃかちゃといじっていたが、最後にはそれを僕の方に投げてよこした。

「…なんだ」

「なんであのとき僕を助けたの」

 そう言いながら僕はこの男に助けられた日のことを思い出していた。

 僕の不完全な、まるで破って細かな紙片の山にしてしまった手紙を、もう一度テープで継ぎ合わせたみたいな、そんなつぎはぎだらけの記憶の中の、うだるような熱気に包まれた夏のある日のことを。

 

もともと僕には両親なんていなかった。いや、いたことにはいたのだろう。でも僕は、彼等の面影すら覚えていない。

だから僕が家族と呼べるのは、後にも先にも孤児院の兄弟と母親代わりのシスターだけだった。だがその彼等も死んでしまった。僕の命と引き換えるようにして。

 あの日、僕たちはただ広くて何にもない荒野を、古くて汚いトラックに揺られていた。 空は雲ひとつなく晴れ渡り、からからに乾いた煙っぽい風を縫いとめるように、太陽の光が幾千もの矢になって大地に降り注いでいた。

 運転席にはシスター。荷台には兄弟たち。そして助手席には僕がいた。

 その日の朝から体調を崩していた僕は、居心地の悪い荷台から助手席へと移り、シートを倒して横になっていた。

 いつでも彼等は陽気だった。

 病気の僕などそっちのけで、大声で歌を歌っていた。シスターも楽しそうに歌に合わせて体を揺らしていた。

そして、爆弾が爆発した。

Rに言わせると、それは「前方に熱を感知して金属片をばらまく対車両爆弾」というものだったらしい。

僕はシートを倒していたので見えなかった。シスターも見えていなかった。

長年この危険な土地を生き抜いてきた彼女にも見えなかったのだ。よほどうまく隠されていたのだろう。

僕が見たのはただ視野いっぱいに広がる、真っ白な閃光だけだった。

次に気づいた時にはもう日も暮れて、あたり一面真っ暗だった。右肩がひどく痛かった。  トラックは路端の小さな地面の隆起に乗り上げ、助手席側を下にして横向きに倒れていた。

隣にいる先生を起こそうと彼女の体を揺すった、でも起きなかった。

もっと強く揺すってみた。でも起きなかった。

力いっぱい揺すった。

すると彼女がこっちを向いた。死んでいた。

彼女の顔の左半分は、えぐり取られたようになくなっていた。血で髪の毛がぱきぱきに固まっていた。

彼女の遺体を目の前にしても、僕は何の感情も湧いてこなかった。

あまりにも急に変わってしまった世界を信じられなかったからだろうか。それともただ薄情なだけなのだろうか。

フロントガラスがあった部分から車の外に出た。右肩は全く動かなかった。折れているようだった。燃料が漏れてガソリン臭かったのを覚えている。

立って少し歩くと何かにつまずいた。

ラタスだった。死んでいた。トラックの荷台から投げ出されたのだろう。彼の体は糸が絡まったからくり人形のようだった。

少し歩くと後ろでトラックが爆発した。爆風で僕は吹き飛ばされた。顔をしたたかに地面に打ち付けた。

でももうどうでもよかった。

立ち上がって辺りを見渡した。

トラックが燃える火であたりを赤々と照らしていた。

彼等が僕の周りに転がっていた。ひとりひとりのもとに歩み寄った。

 ラック、死んでいた。

 レビィ、死んでいた。

 ソーム、死んでいた。

 リーナ、死んでいた。

 みんな死んでいた。

あはははははは―

 僕は笑い出した。とても楽しそうに。

 まるで、この世のすべてが僕を笑わせようとしているようだった。僕は笑い続けた。

 いつまでも、いつまでも、いつまでも…。

 

「楽しそうなところ申し訳ないんだがな」

 目を開けると、男が前をじっと見ながら、右手で僕の肩を掴んで左右に揺すっていた。

 知らないうちに眠ってしまっていたようだった。シャツは寝汗でびっしょりになっていた。「さっき町まであと少し、の標識が見えた。もうすぐ目的の町につく」

「ふーん、そう。でも僕は寝る」

 僕はふて腐れて、是席を倒して横になった。そして、天井のクッションの穴の数を数え始める。

「まぁ、そういうなよ。お前が下りる準備をしてくれないとまた賊に狙われる」

 そう言いながら、男は困ったように笑い、箱の最後の煙草をくわえて、いつの間にか僕から取り返していたライターで火をつけた。

 もう辺りは真っ暗だった。

 曇ってきたのだろうか、真ん丸な月明かりすら朧げで、ただ車のタイヤが路の小石を踏んづけて弾き飛ばす、ぱんっ、かつ、かつ、という音だけが、この透き通った闇にわずかな波紋を残し、そしてあっという間に消えていった。

 視界の端にぼんやりと映る男はやはり笑っていた。

「人のことよく言うよ。―えいっ」

 勢いをつけて、僕は座席から起き上がり、下車のための荷造りをしに、座席と座席の間からバンの後ろ側に滑り込んだ。

「それにしても少年」

 ばらばらと辺りに散らばった食料品の缶詰をひとところに集めようと苦労していると、男がバックミラー越しに僕を見て、話しかけてきた。

「ずいぶんと楽しそうだったな。どんな夢見てたんだ」

「それにしてもR。ほんとにこんなところに町、あったんだね」

「…ああ、そうだな」

 目を心もち見開いた男は少し間を置いてから返事をすると、溜息をつくように笑って僕から目を切った。

 彼の口から帯になって流れ出た煙草の煙は、回転し膨らみながら空気と混じり合い、次第に色を失って窓から外に吹き出ていった。道の先に目を移すと遠くにかすかに光が見えた。

「町だね」

 そう言って僕は前の座席に戻り、いっぱいに開いてあった窓を閉めた。


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