小さな箱は彼女の心
僕が彼女に会ったのは、中学の入学式だった。
彼女は、長い髪を後ろで束ねて、とても清楚な感じの女の子だった。
そう。どこにでもいる女の子。
ある事を除いては……。
「やーい、何か言って見ろよー。バーカ」
「そうだ、そうだ。ちゃんと会話してみろよ。バーカ」
入学から数ヶ月が過ぎた頃、知った仲間以外話さなかったクラスが、時間の経過と共に慣れ、全員が誰とでも話をするようになっていた。
そう、彼女を除いては……。
僕は、彼女を面白半分でからかう仲間を止めた。
「なぁ。お前ら、その辺でやめておけよ」
彼女を、からかっていた奴らは、今度は僕をターゲットにする。
「なんだよ。お前、こいつが好きなんだろー?」
「そうだそうだ。こんな奴を好きなんて、お前変人だな」
そう仲間の一人が言うと、周りが手拍子をしながら言う。
「へーんじん。へーんじん。へーんじん」
僕は、馬鹿にされた悔しさで、彼女を助けた事を後悔した。
「うぅ~……。うーぅー……」
彼女は、僕の袖を親指と人差し指で掴み、揺すりながらそう言った。
そう。彼女は口が利けない。口だけではない。歩くのもたどたどしく、走っているところを見た事がない。たぶん、走ると転んでしまうからだろう。入学当初は母親が付き添い、登下校をしていたのだが、今は一人。
僕は、彼女の掴んだ手を勢い良く振りほどいて言ってしまった。
「うるさい! お前のせいで馬鹿にされたじゃないか!」と……。
翌日、彼女が僕に何か箱のような物を渡して来た。
その箱は、半分しか包めていない折り紙が、セロハンテープで乱暴に止まっている。リボンがお粗末でタコ糸だったし、蝶々結びではなく固結びだった。包まれていないところからは、お菓子の箱であることが見て取れる。
「うー、ぅー。んー」
一生懸命に、箱を僕の方へ突き出してくる。僕はどうしたらいいのか分からず、ただ、呆然と立っているだけだった。
「おぃ! アイツ、何か渡してるぞ」
それを、この前の奴らが見つけ、彼女と僕をからかう。
「プレゼントじゃんかよー。お前ら付きあってんのか? アハハハ」
「お前も好きだよなー、こんな奴と付き合うなんて。アハハハ」
僕は彼女との関わりで、また馬鹿にされたことに憤りを覚え、差し出されている箱を手のひらで弾き飛ばした。箱は、弓から放たれた矢のように勢い良く教室の後ろへ飛んで行った。
「俺につきまとうんじゃねぇ!」
僕はそう言うと自分の席に着き、取り巻きを追い払う。
すると彼女は後ろへ行き、箱を拾ってまた僕に差し出した。
「うーうー……、うー、うー」
「いらねぇよ! どっかいけって!」
そう言って、また箱を飛ばした……。
彼女は、またそれを拾い差し出す。
「うーうー……、うー、うー」
僕はそれを無視した。
数日経ったある日の朝、教室に入ると何やら騒がしい。
先日、彼女が差し出していた箱を奴らが取り上げ、キャッチボールでもするように投げあっていた。
彼女はそれを追い、右へ、左へ、不自由な足を一生懸命に動かし、箱を取り返そうとしている。そして、奴らは僕を見つけるなり、彼女に言った。
「お、彼氏が来たぞ。彼氏に頼んで取り返したらどうだ? あ?」
彼女は、僕を見ること無く箱だけを一心不乱に追いかけている。
僕も、『彼女とこれ以上関わるのはごめんだ……』そう思い、無視して席に着く。
その時だった。
机や椅子が音をたてて倒れる音がする。その先には、彼女が倒れていた。
僕の身体は、自然と彼女に駆け寄っていた。
「……」
彼女は何も言葉を発しない。もちろん泣く事もしていない。ただ、額に手を当てているだけだった。僕は、彼女の両肩を抱き、身体をゆっくり起こした。
額には、机にでもぶつけたのか血が出ている。僕はハンカチを取り出し彼女の額に当て、そこに彼女の手を持って行って押さえるように教えた。
「てめぇら! いいかげんにしろよ!」
次の瞬間、僕は何も考えず奴らに掴みかかり殴っていた。そして、彼女が必死に取り返そうとしていた箱を奪い取り奴らに言う。
「てめぇら、これ以上彼女に何かしたら、俺が相手になる。覚えておけ」
翌日、彼女は学校に来なかった。そして次の日も……。
彼女が学校に来たのは三日後だった。母親に付き添われ、登校してきた。
奴らが校長室に呼ばれる。
しばらくして、奴らは神妙な面持ちで教室へと帰ってきた。
そして、僕も校長室に呼ばれた。
僕も彼女にひどい事をした。周りの目や自分の保身の為に、彼女を拒否してきた。頭の中では、やってはいけない事と言うのはわかっていたのに、クラスメートからの異質な目でみられる事に怯え、僕は彼女を無視し傷つけた。呼ばれるのは当然かもしれない。
校長室には、校長と担任、そして彼女。その隣に彼女の母親が、応接の椅子に座っていた。
僕は、担任に今回の騒動の話をするように言われたので、正直に全部話しをした。おそらく、全員に聞いているのだろう……。
僕が話を終えると、彼女の母親が僕に話し始めた。
奴らに、からかわれていたのを僕が止めた日、家に帰った彼女は、空になったお菓子の箱に折り紙を貼りつけて、プレゼントを作ったことを聞かされた。
彼女が今までそんな事をした事はなく、それは、家族をも驚かせた行動だったと言う事を。
そして最後に、彼女の母親から意外な言葉を聞かされる。
『この子を守ってくれてありがとう』と。
翌日、僕が学校へ行くと、彼女と彼女の母親が校門で待っていた。
今、学校に挨拶をしてきたところだと。
今日でこの学校から、障害者用の学校へ転校することを聞かされた。
なるべく普通の学校に通わせたいと思う親心で通学させたが、やはり難しいということになって、転校するのだと言う。
「うーうー、んー、うー」
彼女は、あの箱を僕に差し出している。
「ごめん、君がなぜ僕にプレゼントをくれるのかわからないんだ」
「うー、んー、ぅーー」
必死に彼女は伝えようとしているのかもしれないが、わからない。
ここで母親が、補足するように言ってくれた。
『そのプレゼントは、自分を守ってくれた感謝の気持ちを表したかった』のだと。
「ありがとう」
僕は彼女の気持ちに応えるように、その箱を受取った。そして、二人に一礼をして教室へと向かった。
教室に入り箱を開けて見た。中には、一個だけ飴玉が入っていた。それを僕は口にほおばる。彼女の入学式から今までの事が走馬灯のように流れた。
僕は思う。
あの時、周りの目や自分に対しての批評を気にせず、真っ先に彼女を助けに行ってあげていれば、転校せず普通の学校に通えていたんだと……。
僕は思う。
周りからどう思われようと関係ない。これからは、僕が正しいと信じる事をやって行こうと……。