激動の日々の始まり
ザッザッと草をかき分けて地を踏む音が幾重にも重なって響く。
白地に青いラインの走った隊服に身を包んだ集団が、周囲を警戒するように視線を動かしながら歩行している。時折物音が聞こえればそちらに警戒体制を取り、冷や汗をかきながら殺気を滲ませる。
そのうちの一人が、先頭の男にヒソッと話しかける。害獣たちを警戒しての小声だ。
「たいちょー、ホントなんですかぁ? この島から救難信号が出たって。今のところ誰もいませんけど」
「あぁ、救難信号がここから発信されたのは間違いない。だが確かに、未だに人が生活していた痕跡は見当たらないな……」
半ば呟くような言葉に、男は面倒くさそうな顔で溜息を吐く。
「じゃあもう帰りましょうよ。わざわざ危険を冒してまでこんなところに来る必要ってありました?」
正直な言葉に苦笑いが生まれる。それは口にせずとも、全員が思っていたことだった。
かれこれこの島に降り立って二時間は経過している。しかしお目当ての人物は影も形もなく、救難信号は何かの間違いだったのでは、と思っていた。
人一倍正直な男は続ける。
「というかそもそも、こんな島で人が生きていけるわけないじゃないですか」
朗々と響く声に合わせて、白い鳥が空を飛んだ。囀りながら仲間達を集めて、集団でどこかへ飛んでいく。
「―――ここは防壁も何もない、一面海に囲まれた孤島なんですから!」
―――――25××年の七月某日、その悲劇は起きた。
ことの始まりは、日本が新しく無人島が発見したこと。
小さくはあるが、緑豊かな美しい島。未知の果実も謎の鉱石もある神秘の島だ。
島の存在を知った政府は嬉々として散策隊を差し向けた。それがのちにどのような災厄をもたらすか知らぬままに。
船に乗り込んだ隊員達は島中を探索し、最後に島の中央にある洞窟へ向かった。
その最奥には、古びた大きな箱が鎮座していたらしい。
黄金製の和錠がされた箱は見るからに人工物で、隊員達の心を揺さぶってしまった。
そしてこじ開けられた箱。
全員が期待に胸を躍らせた―――その中から黒い“ナニカ”が這い出てきて、隊員の一人を襲うまでは。
結論から言うと、あれは“パンドラの箱”だったのだ。
政府の研究結果によると、あれはかの伝説の箱と同じモノを閉じ込めていたのだとわかった。
そして隊員を襲った“ナニカ”は負の感情などの悪とされる罪深いモノたちを凝縮し、人を破壊する衝動を持つ化け物だったのだ。
そんなことを知っていたら誰も開けなかっただろう。だが、嘆いてももう遅い。
あの化け物―――神話になぞらえて“災厄”と呼ばれている―――はその場にいる隊員達を皆殺しにせんと暴れ回り、最終的に爆弾が如く爆発して、島中の全員を吹き飛ばした。
散策隊のメンバーは一人残らず海に落ち、行方知れずとなっている。
そして災厄は海に飛び込み、海は美しい碧からドス黒く変色し、島はまるで最初からなかったかのように姿を消した。
それから海からは時折災厄が這い出てきて、人間を襲うようになった。無垢な子供のようにケタケタと笑いながら、何体もの化け物が人々を蹂躙したのだ。
海が災厄の象徴となり、政府は急いで海と陸を隔てるように、日本全土に防壁を建てた。無論、事態を察した他国もだ。
そうして人類は海を失い―――しかしてある程度の平穏を得た。
だがしかし、やはり災厄は何度でもやってくる。
海から、海に準ずる川から。
街中に突然現れる災厄に対抗するため、とある防衛機関が設けられた。
名を【プロメテウス】。その仕事は命を賭して災厄と戦い、人々を守ること。
世界中の国で設立されてからは、特殊なエネルギーで創られた武器で災厄を薙ぎ倒しぶっ倒し、人々の安息に大きく貢献している。
今不満を垂らしながらもこの孤島を歩き回る、白地に青いラインの隊服を着た彼らもその一員。国を、ひいては世界を守るヒーローたちである。
「ということで救難信号は嘘です。もしくはもう死んだんですよ。発信されて二ヶ月ですからね、何もおかしくはありません」
「まぁ、普通に考えればそうなんだろうが……」
まるでこれは普通ではないんだと言わんばかりの口調に、後輩が突っかかる。
「なんですか、じゃあ隊長は発信者が生きているとお思いで?」
「可能性はゼロではないだろう。なにせ発信者は、あの間宮悠河なんだから」
間宮悠河とは、プロメテウス設立史上最強とされる隊員だ。
抜群のバトルセンスと身体能力で、日本の安寧に大きく貢献した。
しかし十数年前に行方不明となってしまい、いまの今まで連絡が取れていなかった。
ところが二ヶ月前、突然プロメテウス隊員なら全員が所持している発信機から、救難信号が出されたのだ。
最強の隊員の生存がわかった防衛機関と政府は大喜び。十数名の隊員達がヘリコプターで海を渡り、この孤島までやってきたのだ。
正直言って、これはかなり命懸けの捜索である。
この島には壁がない。いつ災厄に襲われることか、読めたものではない。
「ま、たとえ遭遇しても、間宮悠河さえいればなんとかなる。あの男の戦いっぷりは凄まじいからなぁ」
「いやだから、その間宮さんに会えなくて困ってんですけど……っと」
一瞬状況を忘れて喋っていた彼らは、肌で感じ取った滲むような殺気に口を閉ざす。
捜索隊の隊長が、後方にも見えるようにハンドサインを送る。
【二時の方向、四体の災厄が接近中。戦闘体制をとれ】
瞬時に彼らの顔つきが変わる。命をもってして国を守る戦闘員の顔。
言われた通り二時の方向を警戒しながら、それぞれ小さな声で呟く。
「フォルス発動」
プロメテウスの隊員達は、特殊な武器を使って戦う。
その身に宿ったフォルスと呼ばれる特別なエネルギーを全身に巡らせることで身体能力を爆発的に高め、また“アルム”という自身だけの武器を生成するのだ。
武器の形はそれぞれで、剣だったり銃だったり、人によっては鉄球だったりもする。
青白い光を帯びた武器を手にした彼らは、遠くから響いてくる地鳴りを一層緊張感を高める。
その十秒後、虫を模した四体の異形が奇声を上げながら隊員達を襲った。
長い触覚を揺らし、鋭い爪を隊員の喉元目掛けて振りかぶる。
しかし彼らも人々を守るヒーローたち。冷静に周囲を見渡しながら、落ち着いて連携をとる。
醜い足を切り落とし、腹目掛けて刃を突き立てる。
災厄には、魂と呼ばれる心臓や核のようなものが存在する。それを破壊すれば、災厄は息絶えるのだ。
次々にやってくる化け物を的確に対処する隊員達。
しかしようやく最後の災厄に取り掛かったタイミングで、一人の隊員が悲鳴のような声を上げた。
「た、隊長! さらに災厄が来ています!」
「なにっ!?」
隊長が海を振り返ると、ドス黒いそこから確かにまた災厄が這い出てきている。
視認できるだけを数えた隊員は、ドッと冷や汗を吹いた。
「数は……っ」
「少なくとも―――三十は下りません!!」
あり得ない。
いくら防壁のない島とはいえ、一度にこんなに大勢の災厄が来るなんて。
しかし目の前で鋭利な歯を近づけてくる異形達の姿が、それが嘘ではないと否が応でも告げてくる。
それをギリギリで凌ぎながら、必死に思考を巡らせる。
三十は下らないということは、またさらに増えるかもしれないということ。
そうなるとこれはもはや、Aランク以上の中規模対処事案だ。
幸いにもAランクの隊員ばかりだったため、なんとか持ち堪えることができているが、このまま増え続けるのであれば確実に押し負ける。
死。
首筋に死神の鎌を添えられているような冷たい悪寒を感じ取る。死の気配がすぐそこまで来ているのを認識する。
それでも彼らは足を止めず、懸命に戦いを続ける。
「う、おおぉぉぉ!! っりゃあ!!」
「くたばれやァァァ!!」
口々に叫びながら、敵を斬り捨てていく。
しかし数が多すぎる。人数的な不利が芽を出し、徐々に押され始めていた。
彼らの命を預かり、この場で最も責任を背負っている隊長は、なんとか隊員だけでも生き残れる道を探す。
(災厄達は、二時の方向からやってきている。俺たちが乗ってきたヘリは六時……いける!)
頭の中でシミュレーションし、意を決して十二時の方向へと走り出した隊長に、隊員は目を剥く。
それに構わず、隊長は渾身の叫びを響かせる。
「こっちだ、災厄ども!! 来やがれぇっ!!」
「隊長!? まさか、囮に……っ」
「無茶です、戻ってください!!」
悲鳴がかけられるが、隊長は足を止めない。止めてはならないのだ、と自らに言い聞かせる。
わかっている。これは無謀な賭けだ。こんなことをしたって、隊員達が生きて帰れるかはわからない。むしろ生き残れない可能性の方が高いだろう。
だがそれでも、やめるわけにはいかないのだ。
「お前らのこと、生きて返すって約束してんだよ、親御さん達に……!!」
約束は違えない。なんとしてでも彼らを生かして返す。
―――たとえこの身が滅んでも。
「さあ、来いやアアァァ!!」
巨大な盾を生成し、突進してくる災厄に突進で返す。しかしパワーの差は歴然で、吹っ飛ばされて大木に打ち付けられた。
カハッと、血混じりの唾液が吐き出される。
「ちく……しょう、がぁ……っ!」
もう動けなかった。視界がぼやけ、僅かに残った光の先では隊員達が血塗れになりながら悲鳴を上げていた。
目の前で、災厄がケタケタと薄気味悪く嗤いながらカマキリのような腕を振り上げる。
「隊長……っ」
捜索隊の中で最も隊長を敬愛している隊員が、左腕を鋭い爪で裂かれながら、涙混じりに叫んだ。
「誰か――――誰か、助けてくれ――――――!!」
ザンッ、と災厄の体が縦に真っ二つに裂けた。
突然のことに「え」と尻餅をついた隊員の前で、コアが破壊された災厄の体は塵のように崩れていく。
その場の誰も状況を理解できていなかった。
どこからかドッと風が巻き起こり、三十近くいたはずの災厄が、いつの間にか十ほどに数を減らしていた。
瞬きにも満たぬ一瞬の間に、一体何が起きたのか。
その答えは、上から降ってきた。
「YHA、これは驚いたー」
口頭に付けられた単語に、隊長はまさかと思いながら顔を上げる。
その口癖は、かの最強の男がよく口にしていたものだ。
だがおかしい。あの男の声はこんなに高くて軽やかではなく、もっと低くて落ち着いた声だった。
(一体誰が―――?)
――――見上げた大木の太い枝の上には、長い髪を靡かせながら器用に体を傾けている少女がいた。
手には、青白いオーラを纏った武器。鎖で繋がれた大きさの違う二つの鎌を握っている。
人の胴体ほどもある巨大な鎌を肩に担ぎ、肘から手首ほどの大きさの鎌を遊ぶようにぷらぷらと揺らしている。
口元に柔らかな笑みを湛えながら、オモチャを見つめる子供のような表情で隊長達を見下ろしていた。
増援か! と隊長は顔を明るくして礼を言う。
「ありがとうな、助かった! 増援を感謝する! それで、他に仲間は……?」
「YHA?」
隊長の言葉に、少女は無垢な表情で不思議そうに首を傾げた。
「ゾーエンとは、何かなー?」
「……えっ?」
「ナカマというのも、聞いたことがないなー」
(増援では、ない?)
冷静に考えてみれば、確かにおかしい。こんなにも早く、増援が来るなんてことがあるのだろうか。
それに少女の服装は、サイズが合わずダボダボの使い古したものだ。隊服ではない。
(では、彼女は……)
一体誰なのか。
そこまで思考が行きかけて、ハッと目の前の状況を思い出した。
「いや、誰だっていい! それよりも、この災厄達をなんとかしたい! 力を貸してくれ!」
「なんとか?」
「え、あ、えっと、倒したいんだ!」
首を傾げる少女に言い直してくれた隊長は、次に聞こえた言葉に耳を疑う。
「YHA、もう倒した」
改めて見渡すと、あたりには三十と少しの、崩れかけの災厄の死体。
体を真っ赤に染めているが、致命傷を負っている様子はない隊員達。
―――とっくに終わっている?
「は…………………………………」
あまりの出来事に呆然とする。
大木から飛び降りた少女が、トンっと軽やかな身のこなしで地面に着地した。
なんてことないようにアルムを消して、凝視してくる彼らに笑顔を向ける。
「YHA、君たちは、何かなー?」
これより、災厄に脅かされていた人類の日々は激動を迎える。
その嵐の目となり、いずれ世界中を引っ掻き回すことになる少女は、そうやって世界と出会った。




