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第8話:初めての共同作業(前半)

 その夜、俺がいつものようにエロマンガを描いている深夜に白河から返事が届いた。


『それなら早速やりたいんだけど明日はどう?』


 明日は土曜日で、当然のように俺には予定がある。

 けれど、問題をこれ以上は先送りにしたくない。

 フットサルの練習をする予定だったグループのチャットに、少し遅くなる旨を伝えた。


 続けて白河に了承の言葉を送ると、今度はすぐに返事が戻ってきた。

 届いたのは、場所だけが記された極めて事務的なメッセージ。

 俺としても深入りするつもりはないので、そのドライさはありがたい。

 翌日に備え、その日の作業はいつもより早く切り上げた。


 そうして迎えた土曜日、俺は白河から指定された住所へと向かった。

 そこは校区から少し外れた繁華街の、更に通りから外れた裏路地にあった。


 昼間だと言うのに薄暗く、独特の湿った空気が漂っている。

 居酒屋の室外機が唸りを上げ、どこからか油の混じった排気が流れてくるような場所。

 俺の人生とは本来無縁だったはずの綺羅びやかな世界の裏側。

 そんな場所に、今は自ら足を踏み入れていた。


「『レンタルルームLR』って、ここで合ってるよな……」


 やや年季の入った雑居ビルの三階に掲げられた店名を読み上げる。


 一時間三百円からと書かれた格安レンタルルーム。

 それも女子会をするパーティルームがあるようなところじゃなく、安価なラブホ代わりに使うようなところだ。

 そりゃまともなことをするわけじゃないとはいえ、せめてもう少しマシな場所があっただろうと心の中で呟く。


 念の為に周囲を軽く見回し、知ってる顔がないのを確認してからビルに入る。

 こんなところに入ってるところを見られでもしたら俺のブランドに傷がつくからな。


 入口側のボロいエレベーターの前で、白河に『着いたぞ』とメッセージを送る。

 すぐに、『先に入ってる』と部屋番号が書かれた返事が戻ってきた。

 四階に上がり、薄暗い廊下を歩いて一番奥の部屋へと向かう。


 他の利用者の姿は見えないが、扉の閉まっている部屋がいくつかある。

 もしかしたら中でナニかが行われていたりするのかもしれない。

 一つ一つの扉の向こう側に、俺の知らない誰かの秘密がある。

 そう考えると、扉の向こうからくぐもった話し声や意味ありげな物音が聞こえてくるような気がした。


 嫌な想像をしながら歩いていると、指定された部屋の前にたどり着く。

 407のプレートが書かれた扉の前で、一度大きく深呼吸をしてからそれを開いた。


「おはよう」


 中に入ると、先に入室していた白河がソファに座って待っていた。


「よう」


 彼女に軽く挨拶しながら室内の様子を見る。

 白河が座っている二人がけのソファの他に、狭い部屋の半分近くを占めているビニール張りのシングルサイズのベッド。

 部屋の端には簡易のシャワールームがあり、逆側には収納台の上に聞いたことのないメーカーの液晶テレビと加湿器がぶっきらぼうに置かれている。

 外観から想像していたよりは綺麗だけど、所詮ヤるだけの部屋の域は出ていない。


「今日は天気も良くて、絶好のエロマンガ日和ね」


 俺の挨拶に、白河がやや上機嫌そうに返してきた。


「どんな日和だよ。そもそも、天気が関係あるか? 窓もないのに」


 後ろ手に扉を閉めて、荷物をベッド脇に置く。


「随分な大荷物だけど……まさか、道具でも持ってきたの? 見かけによらず、随分とハードめの趣味なんだ」

「そんなわけないだろ。終わったらフットサルに行く約束だから着替えとか持ってきただけだよ」

「なんだ、そういうこと……」


 何故かガッカリしている白河。

 俺は今からこいつをモデルにエロマンガを描かないといけないらしい。

 一体、なんの地獄なんだこれは……。

 後悔と、ほんの少しの背徳的な好奇心が腹の底で渦を巻く。


「よし、じゃあ始める前にまずはルールを決めるぞ」


 テーブルにタブレットを設置しながら白河に向かって言う。


「ルール? ショタは逆転しないし、仲間も呼ばないみたいな?」

「違う。そんな性癖不文律の話はしてない」

「言っとくけど私は、そうやってジャンルを型に嵌めるようなことはしたくないから。逆張りもニッチも、愛があればジャンルの一つ!」

「だから、そんな話はしてないって……この場の、俺とお前の間のルールだ」

「なんだ、だったら先にそう言えばいいのに……」

「普通はそう解釈するんだよ……で、まず一つ目は互いに余計な詮索は無しだ」


 ボケなのか分からない言動を軽く流して、指を一つ立てて言う。


「なんでこんなことをしてるのか。互いに色々あるだろうけど、探られたくない腹もあるだろ? だから、互いに詮索はしない。それでいいな?」

「もちろん。私もトマト先生には興味あるけど真岡くんには興味ないし、元々詮索なんてする気もないから構わないけど」


 トマト先生と真岡くんの違いは何なんだよとツッコむのもめんどくさいから続けていく。


「二つ、当然他言は無用だ。こんなことバレたらお互いに破滅だからな」

「破滅……ね。私としては真岡くんが社会的に破滅して、悲しきエロマンガマシーンになってもらうのもやぶさかじゃないんだけど……まあ、飲んであげる。ちゃんと私の要望に応えてくれるならという条件付きでだけど」


 淡々と、冗談なのか本気なのか分からないことを言う白河。

 主導権は自分が握っているのを忘れるな、と暗に言っているように聞こえた。


「で、最後に三つ目だけど……これは浮気じゃない」


 指を三本立てて、自分に言い聞かせるように言うと白河が鼻で笑う。


「俺は脅されて仕方なく描くだけで、お前には何の感情もない。いいか?」

「何度も言うけど、私も真岡くんには全く興味ないから。ただ、自分が満足するものを描いてもらえるのならそれで十分」


 実際に、他意は感じさせない淡々とした口ぶりで言われる。


「分かったなら今から描いていくからそこに――」


 とりあえずキャラデザを起こすために、ソファでじっとしてもらおうとするが――


「ちょ、おまっ! 何してんだ!?」

「何って……服を脱いでるんだけど?」


 俺の制止に、服の裾を胸の手前まで持ち上げたところで白河が止まる。


「だから、なんでいきなり脱ぐんだよ!」

「なんで? 逆に聞きたいんだけど、なんでエロマンガのモデルにしてもらうのに脱ぐ必要がないと思う? それとも着衣フェチ?」

「違う! いいから着ろ! まずはキャラデザを起こすだけだから!」


 名前の通りに真っ白な素肌の腹部だけじゃなくて、形の良いヘソまで見えてしまっているのから目を背けながら必死に言う。


「それならそう言えばいいのに」


 そう言って、白河はまた残念そうに服を下ろす。


 まさか、いきなりこんなアクセル全開で来られるとは思ってなかった。

 適当に白河をモチーフにしたキャラを作って、それで適当なマンガを描くだけ。

 そのくらいを想定していたのは、見積もりが甘すぎた。

 この女は、俺が想像しているよりも遥かに常軌を逸してると考えるべきだ。


「言わなくても脱ごうとするか……普通……」

「そもそも普通じゃないことをしてるのに、普通の尺度で測られても困るんだけど」

「普通じゃないって自覚はあるんだな……」


 突っ込みながらも気を取り直して、ペンを握る。

 ソファに座ったまま、いつもの表情で微動だにしない白河を見る。


 いつもはキャラデザをする時、誰かや何かをモチーフにしたことはない。

 自分の脳内にあるボンヤリとしたイメージを形にするだけの作業だった。


 だが、今は違う。

 目の前に生身のモデルがいる。


 その視線、呼吸、纏う空気。

 全てが五感を刺激し、タブレットを持つ手に妙な汗を滲ませる。

 眼の前の女を観察し、白紙のキャンバスに線を引いていく。


 服は量販店で売ってそうな安物で纏めたシンプルな装い。

 ダサいという程ではないけれど、あまりファッションに頓着していないのが分かる。

 化粧もこの年代の女子にしてはかなり薄く、最低限といった感じだ。


 それでも十分以上に見られるだけの素材の良さはあるが、聖奈が見れば『もったいない』と声を大にして言うだろう。

 もしかしたら、白河のことを気にしてたのはそんな思いもあるのかもしれない。

 そんなことを考えながらアタリを取ってラフを描き、続けて下描き作業に入っていく。


「ちなみに、どんなシチュエーションで描くのかは決まってる?」


 下描きを少し進めたところで、白河が話しかけてきた。


「さあな。いつもはキャラデザを先に起こしてから考えてるから」

「そう。でも、トマト先生は黒髪ロングのキャラをよく描いてるからお手の物でしょ? ところで、あれってスターシステム?」

「別に、そういうわけじゃ……それにお前とは全然似てないだろ」


 適当に答えながら下描きを終えて、線画の清書へと進む。

 一本一本と線を正しく引き、キャラクターを完成させていく。

 作業に集中する俺を、白河はソファに座ったまま、じっと見ている。

 時々、確認しないと本当にそこにいるのか分からないくらいに静かだ。


 そうして、意外にも集中できる環境下で作業を続けて――


「よし、できた」


 昼前には白河をモデルにしたキャラクターのデザインが完成した。


「見せて」

「言われなくても見せるっての」


 タブレットを半回転させて、白河の方へと向ける。


「ほら、これでどうだ? 結構いい感じじゃないか?」


 指先でペンを回しながら感想を尋ねる。

 多少の複雑さはあるが、明確なモデルがいるからか普段よりも筆が乗った。

 声に自信の程が出てしまうくらいには、よく出来た自負がある。

 この愛想のない女が一体どんな喜び方をするのか見てやろうと、タブレットに表示される絵をジッと見ている白河を眺める。

 しかし、彼女は数秒の後に視線を上げて俺の方を見ると、ただ一言……


「全然ダメ」


 ……と言い放った。

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