第7話:今日は両親がいないから
「どうしたの? 今日、何か暗くない?」
テーブルを挟んだ対面から聖奈が心配そうに顔を覗き込んでくる。
「ん? そうか? いつも通りだと思うけど」
「でも、あんまり喋んないし……まだ半分も飲んでないじゃん」
そう言って、聖奈は俺の前に置かれたアイスコーヒーの入ったグラスを指差す。
水滴の滴るグラスには、氷の入った黒い液体がまだ半分以上残っている。
「あー……やっぱコーヒーの気分じゃなかったかなって……」
「じゃあ、私のと交換する? ミックスジュース」
「いや、大丈夫。甘いの飲むと太るし」
「またそんなこと言う……それだと私が何も気にしてないみたいじゃん……」
不満そうにストローを咥える聖奈を笑いつつ、俺もすっかり薄くなったコーヒーを飲む。
今日は凛や竜二、他の友人たちもいない。
前々から行きたいと話していたSNSで人気のオシャレなカフェで、二人きりの楽しい楽しい放課後制服デートだ……ったはずなんだけど――
『私を、君の作品のモデルにしてほしいの』
昼休みの出来事が脳裏に張り付いて、一瞬足りとも離れてくれない。
店内に流れるオシャレな音楽も、香ばしいコーヒーの香りも、聖奈の笑顔さえも、まうで分厚いガラスを一枚隔てた向こう側の出来事のように感じてしまう。
全てはあの、俺の世界に混入してきた異物――白河真白のせいで……。
女子高生なのにエロマンガ好き?
しかも、制服の下にあんなドスケベボディを隠してた?
あまつさえ、俺のエロマンガのモデルになりたいだって?
イカれてる。イカれてるとしかいいようがない。
あんなやつに俺の秘密を知られている、と考えただけで背筋が寒くなる。
苦いはずのコーヒーの味が全く分からなくなるくらいの苦々しい出来事だった。
「も~……またぼーっとしてるぅ……」
「ああ、ごめん……ちょっと考え事してた」
「考え事って?」
「それは……その……」
俺が今抱えている問題を、聖奈に知られるわけにはいかないが――
「白河……さんのことなんだけど……」
念のために、別の方向からも探りを入れておくことにした。
あの情報を元に俺を脅すつもりなら、周囲の人間にも何か言っているかもしれない。
「白河さんのこと?」
「そう。この前、聖奈も言ってただろ? クラスで浮いてるって」
「うん、実は今日もお昼一緒に食べよって誘ってみたけど断られちゃった」
「その時、何か言ってなかったか?」
「何かって?」
「何でもいいから普段とは変わったことを」
「ん~……特にないかな『一人で食べるから』って言われただけで」
「そっか……」
流石に考えすぎだったか……と前のめりになりかけていた上体を戻す。
「で、なんで大和がいきなり白河さんのことを気にしてるの?」
グラスを手に取った俺に、聖奈が訝しげな視線を向けてくる。
「聖奈と同じだよ。せっかく一緒のクラスになったんだから多少は馴染んでもらいたいだろ? 高校二年の一年間ってのは、受験の前に高校生活を楽しめる最後の期間なんだから」
今思いついたような適当な理由を並べて誤魔化す。
実は俺がエロマンガを描いていて、それが白河にバレて脅されてるから探りを入れてる……なんて死んでも言えるわけない。
「ふ~ん……ほんとにそれだけ……?」
「それだけだって。むしろ、他に何がある?」
逆に聞き返すと、聖奈はグラスの氷をストローでカラカラとかき混ぜながら――
「だって、白河さんって……クールでミステリアスで……美人だし……」
こっちの様子を伺うような上目遣いで、そう言ってきた。
「それ……もしかして、嫉妬してる?」
「そりゃするよ……大和、誰にでも優しいからモテるし……」
「ははは、マジ寄りの嫉妬じゃん」
「むー……笑うところじゃなくない?」
深刻になりすぎないように笑い飛ばすと、聖奈は頬をプクッと膨らませた。
「こんな嫉妬深くて可愛い彼女がいるのに、他に目移りなんかするわけないだろ?」
「またすぐにそういうこと言うし……いつもいつも、それでご機嫌取りできると思ったら大間違いなんだから……」
……と言いつつも、頬が緩んでいるのが隠しきれていない。
なんてかわいい生き物なんだろう。
「それより、この後はどうする? どっか行きたいとこは?」
「ん~……大和は? どこか行きたいところある?」
「聖奈の部屋かな」
「ほんっとにバカじゃないの……」
俺の冗談に聖奈が目を細めてジトッと睨みつけてくる。
聖奈に言われる『バカ』程に心地の良い『バカ』はこの世に存在しない。
「冗談冗談。俺はどこでも付き合うよ。カラオケでもダーツでもショッピングで――」
「別に、いいけど……」
「え?」
「今日、お父さんもお母さんも帰ってくるの遅いからいいよって言ったの……」
顔を真っ赤にした聖奈が、グラスに残った氷をかき混ぜながら言った。
***
「おー、デブ猫! 久しぶりだなー!」
部屋に入ると、ベッドの上で寝ていた茶色い塊がモゾっと動いた。
「も~……そんな言い方しないでよ~……ほら、エル! こっちおいで!」
聖奈がクッションに腰を下ろすと、飼い主の声に反応したデカ猫がのそっと動き出す。
「相変わらずデカいなぁ……Lサイズのエルだったっけ?」
「違う~……! 尻尾がLの字だからエルって何回も教えてるじゃん」
「あれ? そうだったっけ?」
「も~……いい加減覚えてよ~……って、ちょっと……エル、スカートの中に入っちゃダメだって……」
ベッドから降りたエルはそのまま聖奈のもとへと向かったが、身体が重くて膝に乗るのがめんどうだったのかスカートの中に頭を突っ込みだした。
「三年前は野良だったのに、随分と羨ましい立場になったもんだな」
「へ、変なこと言ってないで……助けて、んっ……欲しいんだけどぉ……」
「仕方ないな……ほら、こっちだデブ猫」
聖奈の未踏の地へと向かおうとしている図体を掴んで持ち上げる。
前に会った時よりも更に太ったのか、両腕にずっしりとした重みを感じる。
そのまま座って膝の上に乗せると、大人しく横になった。
どうやら拾った人間の顔はちゃんと覚えていたらしい。
「かわいいでしょ?」
「かわいいというよりもふてぶてしいな。めっちゃ重たいし」
「そこがかわいいのに」
隣から背中を撫でながら聖奈が言う。
飼い主に撫でられてご満悦なのか、ゴロゴロと喉を鳴らしている。
この都心の一等地にある豪邸に似つかわしくない雑種の猫は、俺と聖奈が三年前に公園で見つけた猫だ。
二人でベンチに座って、当時話題だったタピオカジュースを飲んでいる時に近くの植え込みの中からミーミーと鳴く声が聞こえたところにこいつはいた。
「三年でここまでデカくなるもんなんだな」
あぐらをかいた膝の上を、これでもかと占有している巨体を見ながら言う。
当時は文字通りの手のひらサイズだったのに、今やこの有り様。
「もうそんなに経つんだね~」
「あの時は本当に大変だったよな。聖奈がどうしようどうしようってパニクって」
「だって、すっごくガリガリで毛もボサボサでかわいそうだったんだもん」
「そんで両親を説得するからって俺まで連れて行かれて……でも、あそこまで親に反抗してる聖奈を見たのは、後にも先にもあれが最後だったなぁ……。『絶対飼うから! 捨てるなんて無理だもん!』って」
「思い出すと恥ずかしいからあんまり言わないでよぉ……」
照れくさそうに笑いながらも、エルの毛並みを優しく撫で続けている聖奈。
こいつが三年で様変わりしたように、俺たちにも色々と変化があった。
当時から目を引く美少女だった聖奈は成長して、更に美人になった。
こうして間近で見ると、その整った目鼻立ちがとてもよく分かる。
そして、あの時はただの幼馴染だったのが今は恋人同士になった。
ふと、二人で猫の背を撫でていた手と手が重なり合う。
それが合図となったように、俺の顔を見た聖奈がゆっくりと目を閉じる。
顔を近づけて、唇を重ねた。
「んっ……」
舌を絡めたりはしない、一秒にも満たない軽い接触。
にも拘らず、顔を離した聖奈は恥ずかしそうに視線を逸らす。
もう何度もしてるのに、未だに恥ずかしさを拭いきれないらしい。
顔を真っ赤にして自分の膝を見つめている。
「自分から求めてきたのに照れるのが聖奈って感じだな」
「も、求めてなんかないもん! 大和が勝手にしただけじゃん!」
俺が軽く茶化すと、更に顔を赤くして反論してくる。
なんてかわいい生き物なんだろう。
「じゃあ、もうしなくていいか?」
「大和のいじわる……ばか、ノンデリ、きらい……」
「えー、俺はこんなに好きなんだけどなー」
かわいい罵倒語を口にした聖奈の肩を抱き寄せる。
「またすぐにそんなこと言うし……」
言葉とは裏腹に、向こうも自分から肩を寄せてくっついてくる。
同時に腹が減ったのか、あるいは気を使ってくれたのか、膝から降りたエルがキャットドアから部屋の外へと出ていった。
「ご両親はまだ帰って来ないんだっけ?」
「お父さんは仕事で……お母さんは今日、お爺ちゃんのところに行くから遅くなるって……だから、後二時間くらいは帰って来ないと思う……」
「そっか……でも、お手伝いさんはいるんだよな? ここまで車で送ってくれた」
「うん。でも、速水さんも二階には呼ばないと来ないけど……」
今、俺たちの邪魔をする者は誰もいないのだと暗に言われる。
可愛らしい女子の部屋に、そういう空気が徐々に満ちていくのが分かる。
最初のキスは、付き合ってからちょうど三ヶ月の日にした。
幼馴染だった期間が長すぎたせいで、人よりも少し時間がかかったように思う。
そして、今はあれから更に三ヶ月が経った。
普通の高校生カップルならそろそろ次の段階に進んだっていい頃合いだ。
そういう空気になったことは、これまでにも何度かあった。
でも、その度に俺は適当に濁してきた。
何故なら俺のモノは、その為の機能を完全に失ってしまっているからだ。
「大和……?」
聖奈が少し潤んだ瞳で俺を見つめてくる。
でも、今日は違う。
今日は俺もその覚悟を決めて、この部屋へとやってきた。
なんせ今日、俺のモノは遂に大復活を果たしたのだから!!
昼に感じた、あの股間が痛いくらいの高揚感。
付随する問題こそまだ解決していないが、あれは夢ではなく現実の感覚だった。
大丈夫、大丈夫……絶対にいける……。
心の中で唱えながら聖奈の顔を真っ直ぐに見据える。
聖奈がまたゆっくりと目を閉じる。
その両肩に手を置いて、優しく引き寄せて唇を重ねた。
今度はさっきよりも深く、じっくりと唇を押し当てる。
向こうも緊張しているのか、体温に混ざって少し震えが伝わってくる。
聖奈の甘い匂いがする。
大丈夫だ。俺は彼女を愛してる。
向こうだって俺を愛してくれているはずだ。
問題なんて何もない。
全てが正常。
俺の身体は互いの想いに応えてくれるはずだ。
緊張を解すように唇を押し当てながら、制服の裾から手を差し入れる。
指先が肌に触れ、聖奈の身体がビクッと少し震える。
キスしている唇を動かして、その緊張を軽く解してやる。
指先が一体化したかと思うくらいに柔らかくきめ細やかな肌の上を撫でるように進み、更に大事な部分を守る布に触れた瞬間――
『私を、君の作品のモデルにしてほしいの』
あの言葉と表情が脳裏を過ぎり、心臓がドクンと大きく跳ねた。
「どうしたの……?」
急に動きを止めた俺を不審に思ったのか、聖奈が心配そうに訪ねてくる。
「いや、なんでも……ただ、聖奈の唇は本当に柔らかいなーって浸ってた」
覚悟を決めていたはずなのに、また変に誤魔化してしまう。
いや、この時点で俺は薄々と察してしまっていた。
俺のモノは、依然として不能なままなのだと。
この状況下で唇を重ねても、あの時のような衝動は全く湧いてこなかった。
「またそんな恥ずかしいこと言うし……」
「褒めてるんだからいいじゃん」
「どうせ褒めるなら、もっと違うところ褒めて欲しいんだけどぉ……」
向こうも今日はその日じゃないと察したのか、雑談ムードへと移行していく。
結局、その後は何も起こらないまま、俺は聖奈の家を後にした。
***
聖奈の家からの帰り道、俺は今日一の沈んだ気分の中で電車に揺られていた。
恐れていたことが遂に起こってしまった。
俺が誤魔化した時に、聖奈が僅かに見せた悲しげな表情。
絶対に見たくないと思っていた顔をさせてしまった。
絶対にあんな顔をさせたくないと、今日までずっと解決に奔走していたのに。
今日こそは大丈夫だと思っていたはずなのに、どうして俺は……。
自分の心と身体の不一致に、暗澹とした想いが更に大きくなっていく。
何の光明もない暗闇を彷徨っているような気持ちで、ポケットからスマホを取り出す。
そこに表示されているのは、白河真白のアカウントへのDM送信画面。
これは間違いなく希望なんて呼べるものじゃない。
ともすれば、さらなる深淵の底へと俺を誘うものかもしれない。
『例の件、受けるよ』
それでも、ほんの少しでも可能性があるなら俺は進むしかなかった。
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