第25話:邪魔された
「真岡……くん……?」
白河が虚ろな口調で、俺の名前を呼ぶ。
その向こう側では、白河の手を引く男が不満げな表情で俺を見ている。
せっかく良い女を捕まえたのに、邪魔が入りやがった。
そう思っているのが、言葉はなくともはっきりと伝わってくる。
とはいえ、俺もこいつらと大して変わらない。
あれだけ拒絶されたにも拘らず、こうして来てしまった。
いるかどうかも分からない女のために、色々なものを投げ売って。
俺の人生で、こんなバカみたいなことをしたのは初めてだ。
「ツレ、だって?」
「はい。だから、連れていくのは……ちょっと、勘弁してもらえませんか……?」
それでも来てしまった以上は、やるべきことをやらなければいけない。
俺の言葉に、男たちは目線を合わせて、『おい、どうする?』と言外に会話している。
場所は繁華街の路地裏で、人通りは少なく、更に二対一。
せっかく女を捕まえて、これから楽しもうってところで水を差された。
シチュエーション的には殴られてもおかしくないだろう。
向こうは如何にもなガラの悪い二人組で、喧嘩慣れもしてそうだ。
俺みたいな優男を殴り倒すなんて、数Aよりも簡単に違いない。
二、三発は殴られる覚悟をしておこう。
痛いのは嫌いだけど、こうして出張ってしまった以上は仕方がない。
歯を食いしばって、来たるべき衝撃に備えていると――
「この人のことは気にしないで、連れてって」
白河が男たちへと向かって、そう言った。
「……は? ちょ、何言ってんだよ……」
「嫌いな人に助けてもらうほど、落ちぶれてない。だから早く、連れていくなら連れてって」
思わず、白河の腕を握っていた手が緩んでしまう程の困惑。
こいつは一体、何を言ってるんだ?
せっかく助けに来たんだから、そこは大人しく助けられとけよ。
戸惑いの極地に立ち尽くす俺を他所に、白河は更に続けていく。
「ははっ! 助けに来たつもりが、フラれてんじゃん。だっさ」
「んじゃ、お言葉に甘えて行こ――」
「ただ、一応言っておくと……成人だと思って声をかけたつもりなんだろうけど、私はまだ高二だから」
「え? こ、こうに……?」
未成年……それも高校生だと聞いた二人組が少したじろぐ。
「だから後々、私がやっぱりあれは合意の上じゃなかったって警察に駆け込んだりしちゃうと不同意性交と未成年略取の合せ技になっちゃうのかな。そうなると今年の夏も湘南の海で上下ともに緩そうな水着の女子大生をナンパして楽しくお話する予定だったのが、裁判所で黒い法服の人たち相手との厳粛な話し合いに変わるかもしれないけど。それでも良かったら……どうぞ、好きにして」
腕を掴まれたまま、抵抗する素振りも見せずに白河が続けて男たちに言う。
さっきまでは雨に溶けて側溝に流れていきそうなくらい消沈していたのが嘘のように、いつも通りの白河真白がそこにいた。
「お、おい……こいつなんかやべぇよ……もう行こうぜ……」
「お、おう……そうだな……」
目の前にいる女が怪物だと理解した二人組が、すごすごと去っていく。
これじゃ助けたのか助けられたのかも分からない。
急場は凌げたけど、俺の覚悟は一体何だったんだと馬鹿らしくなってきた。
「邪魔された」
くるっと俺の方に振り返った白河が明瞭な口調で言う。
「は? じゃ、邪魔?」
「そう、邪魔された」
前髪から雨を滴らせながら、ひどく不満げにもう一度繰り返される。
「いや、助けに来てやったんだろ。じゃなかったらお前、あいつらにどっか連れ込まれて――」
「私は助けてなんて頼んでない。せっかく、偏差値が体温よりも低そうな男に犯されるエロマンガみたいな体験ができそうだったのに」
「そんな口が利けるみたいならもう大丈夫みたいだな……」
「そもそも、私は最初から大丈夫だったって言ってるんだけど」
「さいですか……」
もう言い返す気力もなかった。
雨は冷たいし、こいつも相変わらずだし。
「ていうか、なんで真岡くんがここにいるの? 西園寺さんから今日はフットサルの試合だって聞いてたけど。もしかして、補欠入りもできなかったとか?」
「まさか、そんなわけあるかよ。エースストライカーに決まってるだろ」
「じゃあ、なんでいるの? 早く戻った方がいいんじゃない?」
ここはお前のいる場所じゃない、とばかりに突き放した物言いをされる。
「いいよ、別に。半年後にもらえるチョコレートの数が前年比で三つ減るくらいだろ」
本当なら戻った方がいいに決まっている。
スマホの電源は切っているが、裏では通知がひっきりなしに届いているだろう。
さっさと戻って謝罪すれば、試合の途中からでも参戦できるかもしれない。
俺ならそれでも活躍できるし、まだまだ名誉挽回は十分に可能だ。
こんな助けられたことに礼の1つもない可愛げのない女に執着する必要なんてない。
でも、心でそう思えば思う程に現実の俺はそれに反した行動を取ろうとする。
「そこに、私からもらうお詫びの義理チョコは含めてないよね?」
「……じゃあ、前年比で4つ減だ」
「ふふっ……くしゅん!」
俺の訂正で微かに笑ったかと思えば、今度は大きなくしゃみをした白河。
どれだけ雨に打たれていたのか、ただでさえ白い肌が今は不健康な白さをしている。
「言わんこっちゃない。どんだけここにいたんだよ……傘もささずに……」
「ちょうど二十秒くらいかな」
「絶対嘘だろ。ほら、風邪引く前に一旦中に入るぞ」
「ちょっと……さっきの人たちより強引なんだけど……」
「いいから……! 俺まで風邪引くだろ」
もう一度、腕を掴んで半ば無理やり建物の中へと白河を引っ張っていく。
手のひらに感じる体温が、真夏とは思えないくらいに冷たい。
その冷たさは彼女が抱える孤独を何よりも表しているように思えた。
***
「……ほら、とりあえずこれで身体拭けよ」
部屋に入り、カバンから取り出したタオルを投げて渡す。
白河はそれを一応手掴んだものの、使う素振りは見せない。
ただジッと、少し不機嫌そうに俺の顔を見つめている。
まるで、俺の全ての行動を値踏みをするかのように。
「どうした? お前のバイトの日給くらいする良いタオルだぞ。ありがたく使えよ」
「前にも、同情は要らない……って言ったはずだけど?」
再三の拒絶が突きつけられる。
あの状況の後でもそれを言える胆力は大したもんだ。
そして、実際にそれだけの強い覚悟があるんだろう。
自分は誰にも頼らないし、誰にも弱みを見せないと。
ただ、何度それを突きつけられても俺はこうして来てしまったのも事実だ。
「俺は同情なんてしてない」
「真岡大和くんが、大切な用事をすっぽかしてまで来て。それが同情じゃなかったら何?」
「そうだな……単なる作画モデルへの取材だろ」
ジッと俺を睨みつけながら佇んでいる白河に、また大きな嘘を吐く。
俺の人生は既に嘘塗れで、今更1つ増えたくらいでどうってことはない。
「取材?」
「そう。より良い作品を描くために必要なことだからやってるだけだ。まさか世界で一番可哀想な私に同情してくれてると思ったのか? だったら思い上がりも甚だしいな」
「……そう」
俺の大嘘に、白河は数秒程なにかを考えたかと思えば――
「ちょ、おまっ……! なんで急に脱ぎだすんだよ……!」
びしょ濡れになった服を、その場で脱ぎ始めた。
「なんでって、このままだと風邪を引きそうだからシャワーを浴びようかと思っただけだけど?」
「なら、言ってから脱げよ! びっくりするだろ!?」
「あれ? 取材なんじゃなかったの? だったら絶好の機会だと思うけど?」
「うるさい! いいから入るならさっさと入れよ!」
下着まで平然と脱ぎ始めた白河に、慌てて背を向ける。
後ろからは水分を大量に吸った衣類が床に落ちる音に続いて、ペタペタと濡れた裸足で床を歩いていく音が鳴る。
更に部屋の隅に設置された簡易シャワー室のカーテンが開く音が鳴り、キュッキュと建付けの悪い蛇口を捻る音が続けて響いてくる。
一連の生々しい音情報は、嫌でも俺のその中での情景を想像させてきた。
人生で初めて、こういうシチュエーションを共にするのが恋人ではないという罪悪感。
でも、心のどこかではそれを受け入れ、納得してしまっている自分もいた。
そうして俺の人生で一番長い時間がゆっくりと過ぎ、後ろで水が流れていた音が止まる。
さっきの逆再生のようにカーテンが開く音が鳴り、素足で床を踏む音が聞こえる。
心臓が気持ち悪いくらい早鐘を打っている中――
「ねぇ、真岡くん」
「……なんだ? 着替えなら俺のカバンの中にシャツが入ってるからそれを――」
「こっち、見て」
動揺を隠すための早口に被せられた言葉に、心臓がドクンと跳ねる。
「見て……って、お前まだ服着てないだろ。着替えがないなら俺のカバンにシャツが入ってるから」
後ろから着替えの音はまだ一切聞こえていない。
白河が妙な早着替えの特技でも持っていない限りは、まだ裸のままだ。
「いいから、見て」
その有無を言わさない命令口調には、抗い難い魔性のようなものがあった。
唾を呑み込み、ゆっくりと振り返る。
そこには一糸まとわぬ姿の白川が立っていた。
真っ白な素肌を水滴が完璧な身体の曲線をツーっとなぞり落ちていく。
今までは下着で隠されていた部分が全て露わになっている。
その姿は俺がこれまで描いてきたどんな女体よりも美しく、扇情的だった。
「ねぇ、真岡くん……? 私の身体……いやらしいと思う?」
俺の心を読んだように、白河がいつかの時と同じ言葉を口にする。
「ああ、思うよ。嫌ってくらいにな」
素直な感想を口にする。
俺がどうして、今日ここまで来てしまったのか。
あるいは、あの時に白河の提案を受け入れてしまったのか。
その答えは至極単純だった。
俺が描き出そうとした理想と、この女が限りなく一致しているからだと。
それはもうどうしようもなく事実で、認めざるを得なかった。
「そっか……いやらしいって思うんだ……」
「分かったならさっさと服を着ろよ。濡れた身体でいると本当に風邪をひ――」
それでも異様なまでの興奮が、逆に心を落ち着かせてくれた。
少しだけ残った冷静さで、理性的な判断を下そうとするが――
「お母さんもね……同じことを言うの」
白河が除湿機の音にかき消されそうな程の小さな声で、そう呟いた。




