第24話:やめとけって
「真白なら来てないと思うけど……。うん、昨日も誘った時も忙しいから無理って言ってたし……」
澪ちゃんと会話を続ける聖奈を横目に、ドアノブを握ったまま立ち尽くす。
なんで、どうしてここで、その名前が出てくるんだよ。
おかしいだろ。人知を超えた何かが俺を弄んでいるような気分だ。
「うん……うん、分かった。じゃあ、私からも澪ちゃん先生から連絡あったって伝えてとくね」
「……白河さん、どうかしたって?」
通話を終えた聖奈に尋ねてしまった。
理性はずっと『やめとけ』と繰り返しているのに、その真逆の行動を取ってしまう。
「えっ? あ、えっとね……澪ちゃん先生が進路のことで真白に話があったみたいなんだけど――」
まだ俺がいたことに若干驚きつつも、先の会話の内容を教えてくれる。
「最初は本人に連絡したけど繋がらなくて、それでお家の方にも連絡したみたいなんだけど……なんか、お母さんも今は出かけてるって言うだけではっきりしないっていうか……それで私にも一応確認してきたみたい。最近、仲良さそうだからって」
「へぇ……なるほど……」
関心が無さそうに答えながらも頭の中では、いくつかの点が浮かんでいた。
背中の痣、昨日の変わった様子、はっきりとした態度を示さない母親。
点と点が線で結ばれ、1つの絵図が描かれていく。
……やめとけって。
真岡大和は打算的で、利口な人間のはずだ。
これ以上は何も考えずに、さっさと部屋に入った方がいい。
そう思いつつも、全身がまるで石膏で固められたように動かない。
「どこかに出かけてるなら、ついでにこっちにも来てくれないかなー」
「さあ、どうだろうな」
聖奈が何かメッセージを送信してる横で、俺も見えないように『岡魔トマト』のSNSアカウントを開く。
DM欄を確認するが、当然白河からのメッセージはない。
何かあったとしても、あいつが誰か頼るような女じゃないのは俺が一番よく知っている。
そもそもこんな想像は、ただの考えすぎに決まっている。
下手に短絡的なことをすれば、今度会った時に死ぬほどイジり倒されるだけだ。
「ん~……既読付かないな~……。出ていく時に置いてっちゃったのかな……」
聖奈も心配するなって。
あいつはそんなすぐにメッセージを確認するようなやつじゃないだけだから。
雨足が強くなってきたのか、雨粒が窓ガラスを叩く音が廊下に響く。
やめとけって……。
同情は要らない。
そう言って、俺を跳ね除けたのはあいつの方だ。
こんなところで時間を食っている間に、試合開始までもう一時間を切っている。
今日の俺には勝利を決める大活躍をして、黄色い声援を独り占めする役目がある。
そしたら聖奈はきっと、向こう五百年分くらいは惚れ直すに決まってる。
試合後はこっそり二人きりになれる瞬間を見計らって、キスをねだってくるに違いない。
それも結局みんなにバレて、聖徳ナンバーワンバカップルの称号を卒業まで維持することになるだろう。
そんな未来予想図は、もっと先の先まで決まっている。
大学は父親と同じ大学で、インカレ旅行サークルにでも入ろうかな。
聖奈は別の女子大だろうから、それなら一緒に居られる時間も確保できる。
でも、俺が同じ大学の女子と仲良くしているのを見て、ヤキモチを妬かれそうだ。
変な虫が寄り付かないように、ほとんど同棲みたいに俺の部屋に入り浸るだろう。
そんな大学生活を満喫したら次はさらなる将来設計に向けて、経営学修士でも取ろうか。
国内でもいいけど、箔付けのために海外の有名大学に留学した方がいいかもしれない。
帰国後は外資系の大手コンサルティングファームに入社して、数年後に独立。
長年かけて築き上げてきた人脈を最大限に活用して、若き実業家としてメディアにも大きく取り上げられ、誰もが羨むような地位と名誉を手に入れる。
そうして満を持して、聖奈と結婚。
ありきたりだけどハワイで結婚式を挙げて、万人に祝福される。
子供はそうだな……互いの仕事が落ち着いてきたタイミングで作ろうか。
上に女の子が一人で、下に男の子が二人の三人姉弟がいいな。
俺と聖奈のどっちに似ても、きっと天使のように可愛い子になるだろう。
そんなふうに俺の人生計画は先の先の先まで完成している。
後はただ用意された道筋を辿るだけだ。
障害なんて何も無い。ただ悠然と歩いていくだけ。
栄光のゴールは見えている。
白河真白は、その完璧な人生の青写真に紛れ込んだ単なる異物だ。
イレギュラーもイレギュラーな存在。
放置すればいずれ向こうから勝手に消えてくれる。
俺の人生における、取るに足らない不備の1つ。
だから、やめとけって……。
***
大きな雨粒が絶え間なく全身を濡らす。
雑居ビルの軒先で傘もささずにいる私を、時折通り過ぎる人が訝しげに見ていく。
でも、そんな視線はどうでもいい。
みんな、もう十歩も進めば私のことなんて忘れてしまうから。
身体の痛みや心の痛みも同じ。
今さえしのげば、全てはすぐに消えてなくなる。
だから、同情も私には必要がない。
憐れみは己の惨めさを再確認させて、痛みを常態化させるだけ。
……だったはずなのに――
『レンタルルームLR』
視界の端に映る看板の文字を見て、自分の不可解な行動に改めて戸惑う。
彼と何度も密会し、二人で傑作を作ろうと試みた場所。
どうして、私はここに来てしまったんだろう。
これじゃまるで、自分を見つけてくれるのを期待しているみたい。
自分の中に、まだそんな“弱さ”が残っていることに虫酸が走る。
「君、どうしたの? 傘もささないで大丈夫?」
「昼間っから飲みすぎちゃった?」
ふと聞こえてきた声に反応して顔を上げると、二人の男が立っていた。
共に髪の毛を明るい色で染め上げた、如何にもなナンパ男。
「うわっ、めっちゃ美人! 尚更こんなとこに一人でいたら危ないって!」
「それ、この辺はやばいやつもいっぱいいるからさ。女の子を狙ってるようなやつも」
その安っぽい心配の言葉と軽薄そうな笑顔の裏からは、『弱ってる女は簡単にヤレる』とでも思ってそうな下心が溢れ出している。
同情は要らない。
彼を拒絶したのと同じ言葉で追い払う気力も今は湧いてこない。
再び、視線を落として側溝を流れる雨水を眺める。
「ほら、雨宿りできるところ行こ。別に、怪しいところじゃないからさ」
男の一人が、そう言って私の腕を掴んだ。
力では敵うわけもなく、無理やり立ち上がらせられる。
「そうそう、俺らもよく行ってるところだから。そこで一旦落ち着こ」
もう一人が背中に手を置いて、押し出すように歩き出す。
まるでエロマンガの導入みたいなシチュエーション。
純愛物なら助けが入るし、鬼畜物ならそのまま連れて行かれる。
どちらにせよ、ヒロインはその身体を貪り尽くされ、次第に快楽に溺れていく。
そこに一切の抑圧はなく、あらゆる欲望が解放されている。
そう、私はそんな世界の一部になりたかった。
だったら別に、ここで抵抗する意味なんて……。
そのまま腕を引かれるがままに、どこかへ連れて行かれようとした時――
「すいません! そいつ、俺のツレなんで!」
ここにいるはずのない人の声が聞こえ、誰かが私の腕を掴んだ。
その声に、私の中にあってはならないはずの感情が湧き上がってしまった。




