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第21話:傷跡(前編)

 俺と白河の共同作業は、それからも続いた。

 気に食わないところがあれば、すぐに陰湿且つ的確に文句をつけられ、決して順調とはいえなかったが、三歩進んで二歩下がるような足取りで着々と。


「真白、今度の日曜日水着買いに行かない?」

「行かない。使わない物を買う必要ないし」

「え~……この前、夏休みに入ったら一緒にプール行こうって話したじゃん」

「その時に行かないって言ったんだけど」


 一過性のものかと思った聖奈と白河の交流もまだ続いている。

 その全く噛み合っていない凸凹コンビっぷりに、最初は冷笑的だった周囲の人間もいつしか馴染みだしてきていた。

 しかし、当然その結びつきが強くなればなるほどに俺の中にある秘密が露呈してしまう恐怖と罪悪感は日に日に増していく。


 前に一度、白河にも『罪悪感はないのか?』と尋ねたことがある。

 その時にあいつは俺の顔を見て、考える素振りもせずに『ないわけがない』と答えた。

 嘘や誤魔化しで言っているようには感じなかった。

 つまり、あいつには罪悪感を押し殺してでも遂げなければならないことらしい。


 じゃあ、俺にとってはどうだろう。

 脅されてるから、不能を治して順風満帆な人生を取り戻す。

 理由を付けようと思えばいくらでも付けられる。

 でも、今はそうじゃない何かが自分の中にあるのを感じていた。


 しかし、その感情に名前が付くことはないまま、俺と白河の関係は淡々と続いた。

 白河はモデルとして自分を差し出して、俺はそのあられもない姿を絵に描き出す。

 期末試験の期間中だろうと関係なく、俺たちはひたすらその作業に没頭した。

 そうして原稿がいよいよ佳境を迎えた頃に……事件は起こった。


 それは期末試験の最終日、前日の雨のせいで少し蒸し暑い曇天の金曜日だった。

 夏休み前の難所を乗り越えて、普段より二割増しで賑やかな放課後の教室に突如として大きな音が響いた。


 バンッ!と、まるで爆発したかのような衝撃音。

 解放感に満ちていた教室の空気が一瞬で凍りつき、全ての会話と動きが止まる。

 皆の視線が一斉に向けられた先には制服を雑に着た男子が立っていた。

 当然、同級生なら俺は名前を知っている。


 安元(やすもと)拓哉(たくや)――見た目通りにあまり素行が良くない生徒で、もっと端的に言えば内部進学したのは良いものの高等部の勉強にはついて来られなかったドロップアウト組の一人だ。

 そんな見るからにガラの悪い男が乱暴的なまでの勢いで扉を開けて入ってきたもんだから、みんな怯えてしまっている。


 水を打ったように静まり返った教室で、安元が何かを探すように辺りを見回す。

 その目は血走り、獲物を探す飢えた獣のようだった。

 周囲ではヒソヒソと『誰あれ?』『確かF組の安元だろ。深海魚の』みたいな会話がされている。

 ちなみに深海魚ってのは進学校における落ちこぼれを指す俗語だ。


 しかし、当の本人の耳はそんな誹謗を全く意に介していない。

 怒りを露わにした歩調で、目的の何かへと向かってひた進んでいく。


「おい、お前だろ」


 そして、立ち止まるや否や帰り支度をしている白河を見下ろしながら言った。

 その声には、今にも殴りかかりそうなまでの怒りが滲んでいる。

 相手が相手ということもあり、これまでにない緊張感が教室を包む。


「何が?」


 一方、そんな敵意を向けられたには拘らず、白河はいつもの調子を崩さない。

 帰り支度の手を止めることもなく、物怖じせずに安岡を見上げて言う。


「チクったのはお前かって言ってんだよ」

「だから何を? いちいち聞き返す必要のない言葉で説明して欲しいんだけど」

「ちっ……タバコのことだよ!」

「タバコ? 何のこと?」

「すっとぼけてんじゃねーよ。てめぇがいつもあの教室にいることは知ってんだよ」


 なるほど、話の内容は概ね掴んだ。

 どうやら安岡は校内でタバコを吸っていたのがバレて何らかの処分を食らったらしい。

 で、それを告げ口したのがいつも社会科準備室にいる白河だと確認しているようだ。


 しかし、白河は自分が何故糾弾されているのか腑に落ちていない顔をしている。

 安岡が言っている『告げ口』とやらには全く心当たりがないんだろう。

 俺としても、白河がわざわざ教師に告げ口をするとは思えない。

 良くも悪くも、こいつはそこまで他人に興味を持っていないからだ。


「おかげで一週間の自宅謹慎だとよ」

「そう。私は知らないけど、そもそも身から出た錆なんだからそのくらいで済んだと思った方がいいんじゃない?」


 グゥの音も出ない、聞いているだけで胸がすくようなド正論。

 けれど、今この状況でのコミュニケーションとしては最悪の部類に入る。

 相手は逆恨みの怒りで周りが見えなくなっている不良男だ。

 下手すれば女子とはいえ、ぶん殴られてもおかしくはない。


「てめぇ……まじでふざけて――」

「待て待て待て! 待てって、安元!」


 案の定、安元が拳を振り上げたところで二人の間に割って入る。

 面倒事に巻き込まれるのは遠慮したいが、これも真岡大和(おれ)の役割だから仕方ない。


「なんだよ! 真岡! お前には関係ねーだろ!!」

「とりあえず落ち着けって……! これ以上問題を起こしたらまずいだろ?」


 大勢の前でここまで怒りを露わにしてしまうと逆に収めるのが難しい。

 だからここは相手の非を責めるのではなく、逃げ場を残した上で誘導してやればいい。


「うるせぇ! いちいち指図すんなって言ってんだろ!」

「指図なんてしてないって。一旦、冷静になろうぜって提案してるだけだよ」

「あ~……うぜぇうぜぇ……お前のそういうところが前々から嫌いだったんだよ。自分は世渡り上手ですって感じでよ。あっちこっちで良いツラしやがって……ムカつくんだよ」


 怒りの矛先が、あっさりと白河から仲裁に入った俺へと向けられる。

 どうやら本当に何も考えてなかった直情的な怒りだったらしい。

 正直こんな嫉妬には慣れてるし、いちいち傷ついたり、怒ったりもしない。

 それでこの場が丸く収まるならいくらでも言えばいい。


「どうせ今も、女の前で良い格好してやろうと思って出てきたんだろ?」

「お前がいきなりやってきて周りをビビらすから出てきただけだよ」


 そう言って、周囲の様子を示してみせる。

 良い子ちゃん揃いの成績優秀クラスにこんな暴力的な男がいきなり入ってきたせいで、みんな怯えきっている。

 先生を呼びに行った方がいいんじゃないか……なんて言ってるのもいるが、そこまでの面倒事になるとこいつよりも白河の方が嫌がるだろう。


「それに、白河……さんが本当にチクったかどうかも定かじゃないんだろ? まじで一旦落ち着いて冷静になれって、な?」

「あぁ? どうでもいいだろ。こんな陰気で気味の悪い女なんか」

「おい。流石にそんな言い方はないだろ。逆恨みがすぎるぞ」

「何キレてんだ? ははっ、もしかしてこいつに気があんのか? 西園寺はどうした? 二股か?」


 衆人環視で俺を怒らせようとしているのか、挑発的な言動を繰り返す安元。

 絶対に乗ってやるかよと一度大きく呼吸して、心を落ち着かせる。


「それともなんだ? もしかして……」


 次はなんだ?

 家が金持ちでムカつくか? 頭が良くてムカつくか?

 それともコミュ強の爽やかイケメンすぎてムカつくか?

 なんでも好きに吐き捨てて、さっさと気を晴らしてくれればいいさ。

 そう思って、冷静に次の言葉を待っていたはずが――


「学校中で孤立してるこいつと、自分の自慢の姉を重ねてんのか?」


 それを聞いた瞬間、頭にあったこれまでの全ての思考が消し飛んだ。


「知ってんだぜ。俺らの上の世代だと有名な話だからな」

「お前……ッ!!」

「なんだ? 殴んのか?」


 気がつくと、俺は片手で安元の胸ぐらを掴み、もう片方の手を強く握っていた。

 全身の血が沸騰し、視界が赤く染まる。

 冷静さを保つための仮面が砕け散り、剥き出しの感情が俺を突き動かしていた。


「ほら、殴れよ。一緒に謹慎しようぜ」


 自分が優位な状況に立ったと思っているのか、更に挑発が繰り返される。

 殴ればこいつの思う壺だと思いながらも、気持ちはどんどんそっちに傾いていく。


「殴れないなら、もう一回言ってやろうか? お前の馬鹿な姉――」

「おい。そのくらいにしとけよ」


 安元の言葉を遮って、後ろからドスの効いた声が響いてきた。


「竜二……」

「高原……」


 振り返ると、竜二が安元の二の腕を掴んで立っていた。

 顔には安元を睨みつけるような威圧感を滲ませている。


「ダセェことして謹慎食らったやつが、もっとダセェことしてんじゃねーぞ」

「んだと……? 真岡に取り入って、女の世話でもしてもらおうってか?」

「なんだ? 謹慎じゃなくて一緒に停学喰らいたいってんなら俺は上等だぞ」


 二人が、至近距離で睨み合う。


「……ちっ、クソがっ! 今日はこんくらいで勘弁しといてやるよ!」


 竜二の凄みに気圧された安元が、そう吐き捨てて教室から立ち去っていった。


「根っこがビビりのくせに……大人しく謹慎してろっての……」

「……悪い、竜二。助かった」

「妙に騒がしいから見に来たら……何やってんだよ。仲裁に入るならまだしも、喧嘩を買うような真似して。らしくねぇな」

「返す言葉もない……」


 らしくない。そう、らしくなかった。

 あんな安い挑発に乗って、我を失うなんて俺らしくない。

 言い返す言葉が全く見当たらないくらいに、その通りだ。


 最初は安元に怯えてたクラスの連中も、今は俺を見てヒソヒソと何か言っている。

 何を話してるのかなんて考えたくもない。

 きっと、今日は俺の参加していない数少ないグルチャが盛り上がるんだろう。


「ねぇ」


 そんな中、ずっと無言でいた白河が久しぶりに口を開く。


「そこ、退いてくれないと帰れないんだけど」


 こいつだけはいつも通りでいてくれたのは、唯一の救いだった。

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