第18話:聖域の侵略者
あの日の一件以来、俺と白河の間には妙な空気が流れていた。
廊下ですれ違っても、教室で視線が交錯しても、互いに何の反応も示さない。
元からそうだったと言えばそうだったのかもしれないが、以前のそれとは微妙に違う。
元が自然な無視だとすれば、今はわざと無視されているというか……とにかく、俺の悪戯のせいで妙な距離感が生まれてしまった。
そして、異変はそれだけに収まらない。
俺の方でも不意にあの日の出来事が頭の中に蘇り、思考を占拠することが増えた。
「大和ー、今日帰りにカラオケ行かない?」
そんな中で、昼休みの終わりに聖奈が発した言葉から今日の出来事は幕を開けた。
「おっ、行く行く! 二人で? それとも誰か誘う感じ?」
「とりあえず、凛も誘ってるけど……あっ、来るって」
俺と同時に誘っていたのか、通知音の鳴ったスマホを確認して言う。
聖奈は昔から仲良く行動していた三人の中で自分と俺が恋人になってしまったことに引け目を感じているのか、放課後遊びに行く時は絶対に凛を誘う。
当の凛も『二人でイチャつけばいいのに』と言ってるけど、誘いを断らないということは本心では除け者にされたくないと思っているはずだ。
しかし、凛が来るとなると女子二人と男子一人で微妙にバランスが悪くなる。
「だったら俺は竜二でも誘っておくか」
そこで俺が誰か男子を一人、主に竜二を誘うまでがいつもの流れ。
こういう若干回りくどい流れで、あの“聖域”のメンバーの四人が揃う。
竜二と凛が付き合ってくれれば、気兼ねなくダブルデートって形にできるんだけどな。
当初は聖奈がお節介を焼いてたけど、どうやら二人にその気はないらしい。
「おっ、早速返事が返ってきた……げっ、今日は用事があるから無理だって」
「えー、そうなのー……じゃあ、どうしよっか」
「仕方ないし、誰か別の奴に声かけてみるか……」
先に言わせてもらうが、この時点で俺は何となく嫌な予感がしていた。
「あっ……!」
適当な男子グループで、先着一名の募集をかけようとした寸前に聖奈が声を上げる。
時刻は昼休み終了のちょうど五分前。
ここで予感は確信へと変わった。
「白河さん! 今日の放課後、一緒にカラオケいかない?」
以前、瞬殺された時と同じように聖奈が白河へと声をかけた。
「カラオケ?」
「そう! 私と大和と凛で行くんだけど、どう? この前誘った時はまた今度気が向いたらって言ってたよね?」
前回袖にされたのを覚えていながら満面の笑みを浮かべて白河を誘う聖奈。
普通の人間ならあれは、『自分に関わるな』と受け取る。
しかし、聖奈は歯に衣着せず言わせてもらうと“空気が読めない”。
温室育ちのせいか、他人の悪意や言葉の裏にある真意を汲むのが下手だ。
俺からすればそんなところも可愛いと思うけど、人によっては苦手に思うだろう。
特に白河からすれば、水と油と言ってもいい。
「おい、聖奈。また白河さんを困らせてるのか……」
あまり馴染みのないクラスメイトの立場を装いながら二人の間に入る。
いずれにせよ断られるだろうが、できれば変な諍いは起こさずに軟着陸させたい。
俺の日常という聖域に、これ以上は異変の種を混入させたくなかった。
「ええっ!? 私、困らせちゃってる!? そんなつもりはなかったんだけど……」
「前にも言ったけど、白河さんは忙し――」
「いいけど」
「はぁ!?」
白河の口から出たありえない言葉に、この世の誰よりも驚いてしまう。
それはまさに天地がひっくり返ったくらいの衝撃だった。
「えっ? い、いいって……カラオケが……?」
「そう言ったんだけど、聞こえなかった?」
「あ~……もし聖奈に気を使ってくれてるんなら無理しなくっても……」
「私が行って不都合があるなら行かないけど」
「無い無い無い!! 不都合なんて全然無いから行こ!?」
俺の身体越しに横から顔を覗かせた聖奈が興奮気味に言う。
いや、不都合しかない。
全てにおいて、不都合しかないだろ。
その涼し気な顔の裏で何を企んでる?
俺の日常を今度は内側から破壊するつもりか?
俺たちが平時に交流するのに不都合しかないのは分かっているはず。
なのに、まるであの秘密が存在しないかのように振る舞う白河に困惑する。
「……って西園寺さんは言ってるけど?」
「あ、ああ……それなら全然、俺も……問題ないけど……」
何とか拒否する言葉を探したが、そう都合よく持ち合わせているわけもなかった。
「そう。じゃあ、放課後に」
そう言って、スタスタっと綺麗な姿勢で自分の席へと歩いていく白河。
聖奈はこれまで袖にされてきた同級生をようやく遊びに誘えて上機嫌だが、俺は何かが起こらないように祈るしかなかった。
そうして午後の授業が終わり、予告された地獄の放課後が訪れた。
***
「それじゃあ僭越ながら一曲目! 行かせてもらいまーす!」
聖奈がマイクを片手に、普段よりもテンション高めに声を張り上げた。
続けて、誰もが知ってる最新ヒットチャートのイントロが鳴り始める。
少し身体をリズムに乗せながら歌詞の一つ一つが丁寧に歌い上げられていく。
歌の上手さどうこうの前に、その一挙手一投足に圧倒的な華がある。
同世代の人間なら間違いなく、男女問わずに目を奪われるはずだ。
……隣に、おかしな女がいなければ。
熱唱する聖奈の隣で、白河が備え付けのタンバリンを振っている。
当然リズム良く、ノリ良くとかそんな風にじゃない。
ただ無感情に、あったから振ってるだけと言わんばかりにシャンシャン鳴らしている。
その世界にバグでも発生したのかと思うような光景に、聖奈の歌声が全く入ってこない。
「ねぇ……まじでなんで白河が来てんの……?」
「俺に聞くなって……聖奈が誘ったんだから……」
隣に座っている凛も同じ感覚なのか、堪えきれなくなったような声で囁いてくる。
当然、これがごく当たり前の反応だ。
そもそも俺たちのグループには誰もが、おいそれと入って来られるわけじゃない。
にも拘らず、こいつはズカズカと……あるいはシャンシャンと踏み込んできやがった。
「ご清聴ありがとうございました~!」
歌い終えた聖奈が皆に向かって一礼する。
全く聞けていなかったが、とりあえずテンションを上げて拍手だけはしておく。
白河も一応拍手のつもりなのか、タンバリンを気持ち早めにシャンシャンしている。
「次、誰も歌わないの? 予約入ってないけど」
「あ、ああ……じゃあ、次は俺が歌おうかな……」
あまりノリきれていない俺を怪訝そうに見ている聖奈からデンモクを受け取る。
白河の目的も気になるが、それで俺の方が妙な空気を生んでしまったら本末転倒だ。
場を盛り上げられそうな得意曲を入れる。
当然、俺は歌も人並み以上に歌える。
それも同年代ウケする今の流行歌だけじゃない。
将来、年配の上司の前で歌うことも想定して過去の流行歌にも対応している。
俺が歌えば老若男女問わずに皆、歓声を上げる。
そんな気取った顔でタンバリンをシャンシャンと鳴らしてられるのも今のうちだ。
マイクを力強く握りしめて、十八番の曲を熱唱してみせるが……。
俺の時はタンバリンを鳴らしもしねぇのかよ!!
飽きたのか、それとも単に乗り気にもならなかったのか。
俺が歌っている最中、白河はタンバリンを置いてアイスコーヒーを飲んでいた。
わざとやってるのか素でやっているのかは分からないが、あの時に限らずこいつを前にするといつもの調子が全く出せない。
おかげで得意なはずの曲で何度も音程を外してしまった。
「どうしたの今日、全然調子出てないじゃん」
歌い終えてマイクを置くと、隣から凛が声をかけてきた。
「いや、なんか喉の調子が悪くて……夏風邪でも引いたかな……」
「ふ~ん……のど飴舐める? 持ってないけど」
「なんだそりゃ」
適当な嘘で流すと、向こうも深くは追求してこなかった。
テーブルの反対側では、聖奈が次はどの曲にしようかとデンモクを見ている。
その隣では、再び白河がタンバリンを構えていた。
どうやらカラオケには来たが、自分で歌う気は毛頭ないらしい。
しかし、そうなると逆に珍しく悪い考えがふつふつと頭に浮かんでくる。
「次、白河さんは歌わないの? せっかく来たんだし、一曲くらい」
斜め向かいの白河の顔を見据えて、他人行儀な口調で尋ねる。
「あっ、私も白河さんの歌聞いてみた~い! 歌って歌って!」
俺の言葉に、聖奈も悪意なく乗ってくる。
「別にいいけど……これ、どうやって使うの?」
「えっ、もしかして白河ってカラオケ来るの初めてなの? めずらしー」
置かれたデンモクを前に固まる白河に、凛が初めて言葉をかける。
「来るのは初めてだけど、知識としては知ってる。個室にはカメラが付いてるとか」
絶対にエロマンガ由来の知識だろと心の中でツッコんだ。
「えっ、そうなの!? じゃあ、さっき私が踊りながら歌ってたのも店員さんに見られてたってこと!?」
「かもね。下手したら脅されるかも。この動画をバラまかれたくなかったら……って」
絶対にエロマンガ由来の知識だな……と、確信した。
まさかこいつ、エロマンガみたいに机の下の見えないところでなんかやってきたりしないよな……と、下への警戒を少し強める。
「え~……なんか嫌なんだけど……」
「いやいや、そんなことねーから。てか、この個室はカメラ付いてないし。店に依るから」
「そうなんだ……よかったぁ……」
ホッと息を吐きだしてる聖奈に、どういう感情を浮かべればいいのか困る。
「白河さん、聖奈はそういうのすぐに信じる性質だからあんまりからかわないであげてよ」
「まさか本気にするとは思わなかったし」
「む~……白河さんがそんなイジり方してくる人とは思わなかったぁ……ひど~い……」
言葉とは裏腹に、顔には嬉しそうな笑みを浮かべている。
「うんうん、聖奈の身も心も弄んでいいのはこの大好きな彼くんだけだもんね~」
「ちょ、ちょっと凛ってば……白河さんがいるんだからいつもの調子で変なこと言わないでよ……!」
「え~……でも、この前だって――」
「わー!! 何を言おうとしてるのか分かんないけど、わーーっ!!」
「それより、早くこれの使い方を教えて欲しいんだけど」
「あっ! ごめん! えっと……ここから曲を選ぶんだけど……」
聖奈が身体を寄せて、デンモクの使い方をレクチャーしている。
白河のことだ。カラオケに来るのが初めてどころか、人前で歌うのも初めてに違いない。
恥を晒せばいいとまでは思わないが、人並みの緊張くらいは味わってもらおうじゃないか。
「この曲でいいの? なんか難しそうなだけど……」
「大丈夫。歌詞は覚えてるから」
曲を選び終え、座ったままでマイクを構える白河。
モニターには全く知らない、キリル文字を含んだロシア語の曲名が表示された。
後味の悪い映画のエンドロールで使われてそうな辛気臭いイントロが流れ始める。
どうせ、この曲調と同じように淡々と味気なく歌うんだろう。
そんな見た目の印象から出た浅い考えは、最初のワンフレーズで吹き飛んだ。
上手い……なんて言葉すら置き去りにするような圧倒的な歌唱力。
その魂を鷲掴みにしてくる歌声に、呼吸の仕方も忘れたように聞き入ってしまった。




