第14話:平穏な日常
「やーまと! お昼食べよっ!」
昼休みが始まるとほとんど同時に、俺のところへと駆け寄ってきた聖奈が言った。
「え?」
そんな天使みたいな笑顔を浮かべた彼女に、俺は最小の言葉で返事をした。
もちろん、聖奈と一緒に昼飯を食べるのを断る理由なんて世界のどこにもない。
ただ、俺たちは二人揃って学内では右に出るやつのいない人気者だ。
付き合うにあたって、互いが互いを独占しないように昼食くらいは他の友人たちと食べるという暗黙の了解があった。
「いいけど……珍しいな。ほら、昼はいつも他の――」
途中まで述べたところで、聖奈がジッと目を細めて俺を見ているのに気がついた。
怒りが五割、呆れが三割、悲しみが二割ほど混合された表情だ。
狼狽えず、落ち着いて原因を探る。
『月曜日のお昼。お弁当作っていこうと思ってるんだけど、大和も食べたい?』
「あっ……」
すぐに一昨日の記憶へと思い至り、自分の大ポカに気がついてしまった。
「あっ……って、忘れてたでしょ!?」
「ごめん! でも、今思い出したからセーフだろ!?」
「も~……ほんとに忘れてたんだぁ……」
「だから、ごめんって! この通り!」
顔の前で両手を合わせて誠心誠意謝罪する。
「そこまでされたら私が悪いみたいじゃん……」
「いや、一から十まで俺が全部悪い! よもや愛しの聖奈が弁当を作って来てくれるのを忘れるなんてどれだけ誤っても赦されない大罪だ! 万死に値する! だからせめて死ぬ前に一口だけ食べさせてくれ!」
「ちょ、ちょっと……あんまり大きい声で言われると恥ずかしいんだけど……」
俺の大声に反応して、『またあの二人が何かやってる』と周囲の注目が集まっていた。
彼氏のために弁当を作ってきたのを知られるのが恥ずかしいのか、先の怒りもすっかりと忘れて弁当箱を隠すように抱きかかえる聖奈。
「ていうか、大和が約束忘れるとか珍しいよね。初めてじゃない?」
「どうだっけ? そんなことも覚えてないくらいだから案外忘れてそうだけど」
そう、自分で言うのもなんだが俺は誰かとの約束を忘れたことはない。
予定は全てアプリを使って、数ヶ月先まで一時間単位で管理してる。
聖奈と付き合った日も当然覚えてるし、一ヶ月記念も二ヶ月記念もちゃんと祝った。
目前に迫っている半年記念も、完璧に企画済みだ。
人によっては過剰だと思われる程だが、真岡大和はそういう人間にできている。
……はずだったのに、たった二日前の約束を完全に失念してしまっていた。
それもこれも、全部あいつのせいだ。
聖奈の肩越しに入口を見ると、白河が素知らぬ顔で教室を出ていくところだった。
あいつの趣味に付き合わされるようになってから俺はどんどんおかしくなってる。
昨日も夜遅くまでネーム作業に追われてほとんど眠れなかった。
おかげで昼の授業には全く集中できなかったし、聖奈との約束も忘れる始末。
まるで真岡大和と岡魔トマトという存在が入れ替わりつつあるようだ……。
「ふ~ん……まっ、そこまで言うなら仕方ないから食べさせてあげるけど」
「俺は優しい彼女に恵まれた幸せ者だなぁ」
茶番を終えた俺たちはそのまま教室で机を並べて昼食を食べた。
聖奈の弁当は端から端まで正真正銘の手作り弁当で、掛け値なく美味しかった。
見た目も性格も頭も良くて、おまけの料理も上手なんて嫁にもらう男は幸せ者だな。
そんなことを冗談めかして言ったら顔を真赤にして、『バカじゃないの』と言われた。
食後は昼休みが終わるまで二人で雑談の時間。
お題は目前に迫っている夏休みをどう過ごすか。
旅行に行きたいと言うと、今年は特に暑いからどこか涼しいところがいいとなる。
それなら祖父母が軽井沢に別荘を持ってるからそこに行きたいと話が広げっていく。
そこで俺が率直に『何にしても聖奈の水着は絶対に見たいな』と言うと、聖奈は『え~……』と言いながらも満更じゃなさそうだった。
そんな風に二人で夏の計画を練っていると、一口乗りたい面々が続々と集まってくる。
二人で練っていた計画は、次第にクラスを巻き込んだ大計画へと発展していく。
聖奈は内心で若干不満そうにしているが、俺はそれで自尊心を回復していた。
いつもの光景、いつもの日常。
多少調子が狂ったとしても何も失われてはいない。
真岡大和は、こうして学校で常にみんなの中心にいるべき存在。
決して、あんな古ぼけた安いレンタルルームで同級生をモデルにエロマンガを描くために生まれてきた人間じゃない。
そうして話している内に昼休みも残り僅かに五分に。
解散していく人集りの中心で自分の役割を噛み締めていると、ふとポケットでスマホが振動した。
誰かがもう旅行のグループチャットでも作ったのかと思ってみると……。
『放課後。話があるから社会科準備室に来て』
その要件だけが端的に告げられた文字列に、整ったはずの心が再び乱された。
***
――放課後。
呼び出された社会科準備室の扉を開けると、中には既に白河の姿があった。
西日の差し込む部屋は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っている。
空気中を舞う埃がキラキラと光り、まるでここだけが世界から切り離されたような密やかな雰囲気を醸し出していた。
「今日は来ないと思った」
白河は俺の顔を見るや否や、『遅い』の婉曲表現を言葉を口にする。
「放課後になると、すぐに荷物をまとめて帰れるお前とは違うんだよ」
「そう。真岡大和くんは大変だね」
全てを見透かしたような口調で言われる。
一体、何が言いたいんだよ。
喧嘩腰に、そう聞き返してやろうかと一瞬思ったのを堪える。
まず口論を仕掛けるなんて俺の柄じゃない。
それに、万が一にでも芯を突いた答えが返ってくるのが少し怖かった。
「……で、話ってのは?」
「ネーム、読ませてもらった」
「あ、ああ……そう……。で、感想は?」
「ストーリーとシチュエーションは悪くない。ううん、すごくいいと思う」
今まさにそれを表示しているのか、手元のスマホの画面を見ながら言われる。
学校でそんなもん見るなよ……と言いたかったが、これもまた呑み込んだ。
「有名私立高校に赴任してきた若い国語教師の虚山大輝と、そんな彼の下へと現れた優等生の黒崎黒羽。当初は教師と生徒として親しくなっていった二人だったけど、虚山に婚約者がいると判明してから物語は一変。黒羽はその淫らな本性を露わにして、虚山へと性的なアプローチを仕掛け始める。最初は何とか理性を保って拒絶していた虚山だけど、彼女が持つ魔性には逆らえず、次第にその肉体に溺れていく。その先に待つのは破滅だと分かっていながらも……。そんな理性と肉欲の間で揺れ動く彼の心情を情感たっぷりに、そして黒羽が持つ圧倒的な雌の魅力を生々しく描きながらも敢えて彼女の真意は描かずに――」
「じゃあ、これで進めていいってことか?」
長々と論じ始めた白河を制して言う。
描かされているものとはいえ、眼の前でこう言われると恥ずかしくて仕方ない。
「うん、ネームとしては問題ない。ストーリーもキャラの関係性もいいし」
「……ということは、それ以外で何か問題があるんだな」
こいつが濁した物言いをした次に何を言うかが大体分かってきた。
話が長くなりそうだと判断して、白河の向かいの席へと向かう。
「問題って程じゃないけど、いくつか確認事項があるって感じ」
「なんだよ」
「黒羽のモデルって……本当に私?」
椅子に座ったのと同時に、半ば睨むような鋭い眼光と共に聞かれる。
「それ以外ないだろ」
やや呆れつつ答えても、白河は俺の目をジッと覗き続けている。
白河真白にほとんど脅されるような形で書き始めて、白河真白の細かい注文をいちいち取り入れて、白河真白が気に入らなければ何度もリテイクさせられて、白河真白のことを考えながら、白河真白の身体を見て描いたキャラクターだ。
見た目もここまで似せて大丈夫かと思うくらいにそっくりだし、間違っても他の誰かの要素なんて1mm足りとも入っているわけがない。
「本当に?」
「他に誰がいるっていうんだよ。見た目も中身も何もかもそっくりだろ」
「ふぅん……じゃあ、真岡くんの目には私ってこんな悪い女に見えてるんだ」
「なんだよそれ……」
白河がクスッと悪戯な笑みを浮かべたのを見て、またしてやられたのだと理解する。
だからこいつと話をするのは嫌なんだ。
「あと、もう一つ……教師と生徒ってことは舞台は当然学校が多くなるよね?」
「まあ、そうなるだろうな」
「例えば、放課後の誰もいなくなった夕暮れの教室で……それとも普段から使う人の少ない旧校舎の空き教室で二人はまぐわうのよね?」
「いちいち口に出すよな。誰かが入ってきたらどうするんだよ……」
もし今この瞬間、誰かが入口のドアを開けて入ってきたら。
そう思うだけでゾッとするのに、こいつは全く意に介していない。
むしろ、そうなって破滅するのを望んでいるようにさえ思えてくる。
「どうすると思う?」
「そりゃ適当な言い訳をするしかないだろ。学年で一番頭の良い白河さんに勉強を教わってたらちょっと際どい描写のある古典文学の話になって~……とかって」
「違う。私たちのことじゃない」
「はあ? 何を言って――」
「虚山先生と黒羽は、そうなった時に……どうすると思う?」
その言葉に心臓が大きく跳ねる。
続けて白河が何を言うのか、俺にはもう分かってしまっていたから。
「ねえ……真岡くん……」
自分の服に手をかけながら白河が妖艶に笑う。
「今からここで試してみない……? 実際に、どうなるのか……」




