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5.勇者と魔王

 金属のぶつかり合う音、人の雄叫び、穢れた断末魔、流れ星のように走る魔弾。闇の荒野は今、魔物の死体に埋め尽くされつつあった。人の勝利がついに訪れようとしていた。

 ある二人の男はそれぞれ高いところから一望していた。片方は光り輝く王冠を被り、黄金の玉座で髭をなぞっていた。もう一方は白いほどに若い。無冠である。廃れつつある天守閣で凝視していた。何かを訴えるような形相でない、風のような面持ちである。

 そこに勇者がやってきた。


 「君は。捕まっていたのか。魔王が近くにいる。逃げたまえ」


 ある男は婦人のような綺麗な姿をしていた。顔の輪郭から手足の長さと胴体とのバランスにしても美の象徴だった。勇者はやや戦場の暇に耽りそうになった。第六感は闇の中だった。

 男はこの前の青年。勇敢な一人。ここにおいても逃げるなどせず、勇者と向かいあった。青年は東の光の影になって美は潜めた。


 「勇者。お前はなぜ魔物を殺す。邪悪と言うがこの戦場を見ればどうだ、人も変わらないのは明らかであろう」

 「いきなりどうしたというのだ。君は町でも魔物から人を助けようとしていた。魔物が人を襲った。守る為に君は戦ったんだろう。自分も同じ気持ちだ。人を魔物から解放する。それが正義だ」

 「正義か。ならば人に襲われている魔物を助けるのも正義ではないか」

 「何を言っている。君、おかしいぞ」

 「おかしいのはお前のほうだ。我は人ではない。我こそが――魔王なるぞ」


 影は次第に闇へ化けていった。青年はすでに気化した。その奥から赤眼と紫肌が現れた。白銀の長い髪、槍のように尖った耳、漆黒の鎧、生命の死を靡かせる禍々しい風のマント。空間が捻じれ、あらゆるものを拒むような重さが漂った。闇に天守閣は染まった。その覇気、まさしく魔王であった。

 勇者は気を引き締めた。油断一つすればたやすく殺されると察した。赤眼は瞬き一つ無し、格好の獲物を捕捉して逃がさない獣の憤怒。およそ姿は人に似ても中身はたしかに魔物の王。勇者の第六感は激しくそう訴えた。

 鈍重な畏怖の煙が勇者を覆っていた。それでいて勇者は揺るぎなき信念を持っていた。ゆえに今、自分を誑かそうとした魔王の策謀に怒った。正義の光は怒りを伴って嘘の煙を弾き飛ばした。すると勇者は宣言した。


 「我こそは勇者。今、人の正しき道の為、貴様を倒しに来た」

 

 魔王は蛇ごとく瞳孔を細めた。呪うような声で告げた。


 「ならば来るがいい! この五百年に決着をつけてやろう!」


 勇者は光り輝く聖剣で魔王へ斬りかかった。魔王は霧のごとく姿を離散させた。するとその姿は勇者の後ろにあって啜り笑った。勇者は追って攻撃した。しかしまた消えた。魔王にはまるで実体がないようだった。

 魔王は闇の霧で辺りを満たした「我は貴様をずっと見ていた。今も変わらず闇の中にいる。それでいてこれを光と云ってきたろう」と勇者を挑発した。

 勇者はこれに乗らずにはいられなかった。彼の心核たる光の精神を汚染しようというのだ。すなわち正義。今までの旅路。勇者の勝利を待つ人々の願いの結晶なのだ。その自分が戯言に殺められるわけにはいかない。そして今まで人を苦しめてきた魔の根源をここで断つ。ゆえに決意はさらに固まった。勇者は一つ閃いた――勇者は光り輝く聖剣を回り、解き放った。光の刃が波のごとく勇者から放たれた。

 しかし魔王にあたらなかった。魔王は稚拙だと勇者を嘲笑った。だがしかし勇者はなお回っていた――そのとき闇の霧が晴れた。魔王は驚いた。聖剣が闇を吸っていたのだ。闇を吸うために光を吐き出したのだ。

 すると魔王の姿は露わになる。勇者は増して輝く刃を魔王へ叩きつけた。魔王は素手でその刀身を挟もうとした。しかし勇者の剣は思いのほか速かった。魔王は一刀両断された。

 魔王の断末魔が響く。


 「ぐああああああああああ……なんてな」


 赤紫の刃が勇者の右肩を貫いた。真っ二つになった魔王は霧になって消えた。偽物だった。本物は刃の辿るところ、勇者の背後にあった。

 魔王は陽気に笑って刃を捻じった。勇者は聖剣を逆手に持って背後を刺そうとした。それが遅い――といのは利き手の右腕は今の怪我のせいで鈍っていた――魔王はすらりと躱し、勇者を殴り飛ばした。

 魔王は闇の霧を操り像を二分した。そこに二人いた。魔王は分身できるのだ。

 勇者は急いで右肩を治癒しようとした。しかしなぜか光が弾かれた。魔王は歌うように云った。


 「我が魔剣は光を弾く。その傷も同様だ。もうお前は右手を使えない。お得意の治癒もだ」


 魔王はすでに勝機を確信したようだった。勇者の厳しい面持ちの鑑賞を楽しんだ。勇者はなお憤慨した。分身しているから二倍憤慨した。されど傷が開くだけだった。

 魔王は一転。冷めた。

 激しい剣舞が勇者を襲った。かっ開いた真っ赤な瞳が殺戮を追求していた。勇者は聖盾で身を守るばかりである。

 魔王はなお襲い掛かった。分身した片方を勇者の背後にして、裸の背後を切り刻んだ。勇者の悲鳴が荒野に響いた。


 「所詮は人間。光などという虚実に縋る弱き生命! 光失えば家畜の解体と変わらん! このまま無様に死ぬがいい! 貴様の血肉をここから荒野にぶちまけてやろう! 勇者の部位の雨を降らせようぞ!!」


 勇者は耐える。耐える。人ならざる醜態の極まりを。絶対勝利のために――聖盾。聖盾は確かに輝き始めていた。獣は獲物に無我夢中で気付かない。その輝きが勇者を包み込み始めてもなおも気づかない。ついに聖盾が太陽のごとく光を纏ってやっと気づいた。

 やはりそれでは遅い。聖盾は魔王の攻撃を倍にして返した。魔王は弾き飛ばされた。そして一転、周囲は昼のように明るくなった。単なる明かりではない。聖なる光。魔王の分身は滅却された。魔王の嘘を暴いたのだ。

 魔王は昼の中で鬼の顔になった。この昼を五百年前に浴びたことがあった。ようやく勇者がなんであるかを思い出したらしい。魔王は自分自身を憎んだのだ。

 光は親善であり闇は憎悪だ。体中の血管が浮き出て、爪が伸び、歯が牙となる魔王の様子から勇者はそう思い知らされた。怨恨の権化こそ魔王の真価。魔王はついに闇を解放した。


 勇者の昼と魔王の夜が鍔迫り合い、黎明になった。


 魔王は闇の力の全てを剣に込めた。魔剣は暗黒の、これ以上にない深淵を刃にしていた。

 勇者は光の力の全てを剣に込めた。聖剣は神光の、これから訪れる栄光を刃にしていた。


 すなわち決戦は一瞬。


 魔王は勇者を殺しにかかった。

 勇者は魔王に立ち向かった。


 ……

 ……

 ……。


――勇者が魔王を貫いた。ありとあらゆる悪が、黒紫の血が噴き出す。魔王の断末魔が地震となって大地を揺らした。



 ……!



 しかし魔王は死んでいなかった。聖剣を掴んで溶ける手だけでなく、魔剣を自分諸共勇者へ突き刺した。勇者の真っ赤な血が魔王の悪性を輝かせた。

 が、勇者は魔剣を掴んでへし折った。ここに勇者は極まっていたのだ。どこまでも悪で人を犯す獣をここで封じ込める。もとより勇者はその覚悟だった。たとえ自分が死んでも正義を全うする。それこそが勇気である。

 勇者は宝玉を掲げた。途端、閃光が木霊した。魔王は懇願した。命乞いした。今更勇者の正義は揺らがない。魔王は瞬く間に宝玉に飲み込まれた。

 

 勇者は――魔王を討ったのだ。

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