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第07話 命令としての再会

 その朝、エヴァレット領は、いつにも増してざわついていた。


 普段は静謐な空気が満ちている領主館にも、人の行き交う音が絶え間なく響いていた。

 厳格な警備と規律が保たれるはずの朝の館に、不穏な緊張がじわりと広がる。

 北門から、王都直属の使節団が到着している――重厚な甲冑に身を包んだ伝令騎士たちと共に、封蝋された羊皮紙を抱えた一団。

 中央に立つ騎士の胸には、国王直属の双頭鷲の紋章。それは最上位の王命であることを意味していた。

 執政たちが慌ただしく廊下を走り抜ける中、応接の間に現れた騎士が、深く頭を下げて封書を差し出す。


「国王陛下より、直筆命令にございます」


 カローラ・エヴァレットはゆっくりと手を伸ばし、恭しく受け取った。


「……王命、ですか」


 静かに封蝋を割ると、わずかに冷気が指先を撫でた。

 金の王印が刻まれた羊皮紙は、手袋越しにも確かな重みを伝えてくる。

 文字を追いながら、彼女の眉が、かすかに動いた。


『侯爵令嬢カローラ・エヴァレットは、勇者ノワール・ヴァレリアンとの接触および交渉を最優先とし、王命のもとにこれを迎え入れ、その意思に協力せよ』


 言葉は簡潔で、容赦がなかった。

 けれど、その一行一行が、彼女の胸を鋭く抉っていく。


 ――やっぱり、ノワール……。


 噂でしかなかったあの名前――『神殺し』、『黒衣の勇者』、神性存在を斬り捨てた男。

 信じたくなかった。信じられなかった――だが、いま目の前にあるのは、王がその名を命令として認めたという事実。

 彼の名が、正式な『勅命』の中に刻まれている。

 それは、彼がもはやただの噂ではなく、王国を動かす存在になったことの証だった。


(……今さら、よくそんな事が言えるわね)


 カローラは十年前、王国が彼を切り捨てた事を覚えている。

 それなのに今更この態度なのかと考えると、腹が立ってしまう――顔には出ていなかったが、持っていた手紙を思わず握りしめてしまおうと考えるほど。

 その時、背後から、静かに歩み寄る気配があった。


「……お嬢様」


 控えていた侍女、セリアがそっと声をかける。

 長く仕えてきた彼女にとって、カローラの微細な変化は見逃せなかった。


「手が、震えておられます」

「……そんなことは……」


 否定しようとした言葉が、喉の奥で詰まる。

 手元の羊皮紙に滲んだ汗が、彼女の動揺を雄弁に物語っていた。

 セリアは一歩近づき、そっとカローラの肩に手を置いた。


「……『あの方』のことですね」

「……」

「もう、見ないふりはできませんよ。きっと……お嬢様は、あの日から、ずっと……」

「……忘れてなんか、いないわ」


 絞り出すような声だった。


「だけど……今さら、どうすればいいの……?」


 カローラは手にした命令書を見つめたまま、わずかに顔を歪めた。

 貴族令嬢としての誇り、家の責任、あの時の決断――すべてが頭の中でせめぎ合い、喉元までせり上がってくる想いは、どれも言葉にできなかった。

 セリアは、静かに頷いた。


「お会いするしか、ありません。きっと、それが始まりです」

「……会って、何を言えばいいの……?」


 思わず零れた問いに、セリアは答えず、ただカローラの手を包み込んだ。

 その温もりが、かすかに震える指先を、静かに落ち着かせる。


「言葉は、あとから見つかります。まずは、目を逸らさないで……あの人を、ちゃんと見てあげてください」


 カローラは、ゆっくりと目を閉じた。

 まぶたの裏に、あの日の雨と、傘も差さず立ち尽くしていた彼の背中が浮かぶ。


(ノワール……)


 その名を、心の中でそっと呼んだ。

 それは、貴族でも令嬢でもなく、ただの「カローラ」というひとりの少女の想いだった。


    ▽


 使節団の一行には、王立騎士団の護衛が随行していた。

 陽光を浴びて鈍く輝く甲冑、その胸に刻まれた双頭鷲の紋章は、王都の威厳と忠誠を象徴するものだ。

 一歩ごとに響く靴音は整然とし、まるで王命そのものを具現化したかのような圧力を放っていた。

 その中に、一際目立つ若い騎士がいた。

 切れ長の目元に浮かぶ皮肉げな笑み。言葉の端々に滲む侮蔑。

 それは、かつて『平民の落ちこぼれ』とノワールを笑っていた頃のままだった。

 彼の名は、サイラス・クロード。

 良家の出身でありながら実力も伴った若き騎士で、しかしその才に比例するほどに傲慢さを隠せない男だった。


「ご安心を、お嬢様」


 サイラスは銀の籠手を胸に当て、芝居がかった一礼をしてみせた。


「勇者殿とやらが、もし失礼を働くようなことがあれば、我らが目を光らせておりますので」


 その声音には、明らかな侮蔑と嘲りがこびりついていた。

 『下の者』が、『上の世界』に紛れ込んだことへの不快感と、未だにその認識を改めぬ愚かさが、言葉の端々に滲み出ている。

 カローラは、その目を逸らさなかった。

 ゆっくりとまっすぐサイラスの視線を受け止め、そのままの静けさで言葉を返す。


「……彼は、勇者です。敬意のない言葉は、慎んでください」


 声は静かだが、凛と張り詰めていた。

 まるで冷たい刃を突きつけられたかのような鋭さに、サイラスは一瞬言葉を詰まらせる。

 だが次の瞬間、わざとらしく肩をすくめ、口元に笑みを浮かべた。


「はは、これは失礼。あの『元・無能』がどれほど変わったのか……拝見するのが楽しみですな。まあ、期待はしていませんが」


 カローラは言葉を返さなかった。ただ、瞼をひとつ伏せる。

 胸の奥に、冷たい何かが流れ込んでくるのを感じながら。


(……あなたはまだ、知らないのね。何を相手にしようとしているのかを)


 だが、それを知る時は――皮肉なことに、遠くなかった。


 日が傾き始めた頃だった。

 茜と黄金が入り混じる夕光が、城館の白い壁に長く影を落とし始める。

 空は徐々に朱を濃くし、地平の端で陽が静かに沈もうとしていた――その刹那。

 突如として、警備塔の鐘が高く、重く、館中に鳴り響いた。


 ――ゴォン……ゴォン……。


 滅多に使われることのない、緊急時の警鐘。

 その音は空気を裂き、あらゆる者の心に不穏な緊張を走らせる。


「西の丘に接近者あり!」

「ただ一人、徒歩にて接近中……魔族の反応はありませんが、何かがおかしい!」


 報告を受けた門兵たちは慌てて城門に駆け上がり、望遠鏡を覗き込む。


 ――そして、見た。


 夕暮れの薄霞の中。

 その中央を、ひとりの男が、静かに、ゆらり、ゆらりと歩いてくる。


 黒のローブが風に揺れ、光を吸い込むように沈んでいる。

 顔の下半分を覆う銀の仮面は、無表情な静けさを湛え、何者にも心を明かさぬ意志の象徴のようだった。

 背負った黒剣は、鞘すらなくむき出しのまま。

 それはまるで、彼の一部であるかのように自然で、そして圧倒的な違和感を纏っていた。

 その姿が視界に収まった瞬間――空気が、変わった。

 風が止み、音が消えた。

 木々の葉擦れ、鳥の声、虫の羽音、すべてが凍りついたように沈黙する。

 まるで、世界そのものがその男の歩みにあわせて呼吸を止めたかのようだった。

 門兵のひとりが、音もなく膝をついた。

 続くように、他の者たちも次々と膝を折る。

 誰に命じられるでもなく。

 恐怖や混乱ではなく、もっと深い、根源的な畏れが彼らを支配していた。


 それは『服従』ではなかった。

 抗うという発想すら許さない、存在の格差による沈黙。

 言葉では説明できない、直感による理解。

 その男は、ただ者ではない――それどころか、もはや人の範疇にない。


 サイラスが、石畳の影から男の姿を認めた。


 ノワールの仮面越しの視線が、ゆっくりと動いた。

 跪く兵士たち、地に伏した騎士たちをひとつひとつ通り越していく。

 その視線が止まったのは、門の奥――ただ一人、真っ直ぐ立つ少女。


 ――カローラ・エヴァレット。


 背筋を伸ばし、誰にも倣うことなく、ただ静かにそこに立っていた。

 目は逸らさず、唇は固く結ばれ、両手は揺らがない。

 ただ一点、彼の到来を受け止めるように、その視線を真正面から返していた。


 十年の歳月を越えて交差した、ふたつの瞳。


 幼き日に誓い合った約束は、すでに過去の霧の彼方へ消え去った。

 だが、この瞬間だけは――時が、確かに繋がった。

 ノワールの足が止まる。

 それだけで、世界がひとつ、呼吸を止めたかのように、静寂が深まる。


 誰も動けない。

 誰も、言葉を発せられない。

 彼の存在は、すでに「かつての少年」ではなかった。

 いま、そこに立っているのは――人の意志を越え、神をも斬り伏せた、『異端の勇者』なのだから。


(……ノワール?)


 カローラはそんな彼の姿を見て、静かに震えるのだった。


読んでいただきまして、本当にありがとうございます。

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