第01話 貴族令嬢と平民の少年
それは、木々の葉の隙間からまばゆい光が差し込む、初夏の昼下がりだった。
森の奥から小鳥のさえずりが聞こえ、足元には名も知らぬ花々が咲き誇る。
瑞々しい緑と穏やかな風に包まれた、麗らかな季節。
その日、侯爵家の令嬢カローラ・エヴァレット(七歳)は、ふとした気まぐれで、普段は近づかない屋敷裏の林に足を踏み入れていた。
木漏れ日が揺れる林の中。ひんやりとした空気が肌を撫で、足元には苔むした石が転がっている。
迷ったわけではない。
ただ、見慣れない細道を進んだその先──視界に、ひとりの少年が現れた。
年の頃はカローラと同じくらいか。
薪を背負い、粗末な麻の服をまとった黒髪の少年だった。
彼はカローラに気づくと、驚いたように目を見開き、その場で動かなくなった。
そして、しばらくじっとカローラを見つめたまま、こう言った。
「……貴族のお嬢様が、こんなところで何してる」
その第一声は冷たいようでいて、どこか優しさが滲んでいた。
警戒しつつも、心配するような響きがあった。
カローラは答えず、彼の肩に積まれた薪や、土と木の皮で汚れたごつごつとした手のひらを見つめていた。
「……誰?」
「ノワール。ノワール・ヴァレリアン。村の雑用係だよ」
「雑用……?」
「なんでもやるよ。薪割り、皿洗い、羊の世話……貴族様のお嬢様の護衛以外ならね」
少年は皮肉めいた笑みを浮かべて、すぐにそれを引っ込めた。
まるで、感情を見せることに慣れていないかのように。
──けれど、次の瞬間。
カローラが、ほんの少し微笑みながら、無邪気に言った。
「じゃあ、今日だけは……私の護衛になって?」
その言葉に、ノワールは目を見開いた。
そして──困惑と喜びが混じり合った、不器用な笑みを返した。
それが、彼が誰かの前で初めて見せた『笑顔』だったかもしれない。
硬く閉ざされていた心の扉が、わずかに開いた瞬間だった。
それからというもの、ふたりはひそかに会うようになった。
林の奥、屋敷の外れ、町へと続く小道。
人目を忍ぶように、それでもお互いを求めるように。
カローラは侯爵家の令嬢。
上質なドレスに身を包み、厳しい躾の中で育てられている。
一方、ノワールは平民の孤児。
粗末な服を着て、日々を生き抜くために働き続けていた。
本来なら言葉を交わすことすら許されぬ、天と地ほどの身分差。
けれどカローラは、どこか他人とは違う雰囲気をまとうノワールに、強く惹かれていった。
孤独な瞳の奥にある、揺るぎない芯のようなものに。
「ノワール。将来、騎士になる気はないの?」
ある日のこと。木陰で膝を抱えながらそう尋ねると、ノワールは肩をすくめた。
「俺みたいなのがなれるわけないだろ……騎士ってのは、血統と魔力が必要なんだ。俺には、守りたいものもないしな」
「でも……あなたの剣の構え、とっても綺麗だったわ。屋敷の訓練士より、ずっと様になってた」
「……見てたのか?」
「ええ、毎朝。屋敷の裏庭で、誰にも見せないように剣を振ってたでしょ?」
「……別に。見せたって、意味なんかないだろ」
拗ねたように目を逸らすノワールの言葉に、カローラの胸が少しだけ痛んだ。
けれど、そっと彼の袖を掴んで、まっすぐに見つめて言う。
「……いつか、あなたが騎士になったら。私のこと、守ってくれる?」
冗談のつもりだった。
子供じみた、叶わない夢のような願い。
──けれど、ノワールは目を細め、真剣な表情で頷いた。
「ああ。お嬢様のためなら……魔物でも、魔王でも、なんでも斬ってやる」
それは、たった一つの約束。
けれど、少年にとっては、それが『始まり』だったのだ。
この出会いが、彼の人生の針を大きく動かしていく。
▽
それから数年後。
「勇者候補に平民の少年だと? 何かの冗談か?」
「いえ、記録上は歴代でも上位です。剣術と身体能力に限っては、彼は推薦に値します」
「平民に『勇者』など……笑わせるな!身の程をわきまえろ!」
王都の選定会議で、貴族たちの嘲笑が飛び交う中──ノワール・ヴァレリアンの名が、正式に勇者候補として登録された。
その報せを聞き、カローラは静かに息を呑んだ。
(やっぱり……彼なら、やれる人だったんだ!あの時、あの瞳に宿った光は本物だった!)
誇らしさと、ほんの少しの不安を胸に抱えながら、彼女は王城で行われる“魔力適性検査”の見学席に座っていた。
「ノワール・ヴァレリアン。魔力測定石に、手を」
静まり返った広間の中。ノワールが、鍛え上げられた手をゆっくりと石にかざす。
──しかし、測定石は、何の反応も示さなかった。
「……は? ゼロ?」
「測定石が沈黙……いや、本当に魔力が……まったく、ない?」
「嘘だろ、ただの石じゃないか!」
「推薦枠も台無しだな……平民には分不相応だったのさ」
広間に、笑い声が満ちていく。
やがてそれは、呆れと失望のざわめきに変わった。
ノワールは、黙っていた。
顔色一つ変えず、ただ静かに、手を下ろす──まるで、最初から分かっていたかのように。
その姿を遠くから見つめていたカローラの胸が、ぎゅっと締め付けられる。
貴族たちは、皆、嗤っていた。
だが彼女だけは──笑わなかった。
ただ、目を見開いたまま、彼の背中をじっと見つめていた。
熱を帯びたその視線は、何かを訴えかけるようで──。
(……どうして、こんなことに)
胸に芽生えた想いが、信じたいという願いだったのか
それとも、失う予感だったのか?
その答えが出るのは、もっとずっと、先の話――二人の運命が再び交わる、遠い未来の日まで。
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