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とある騎士はなんとなく生きていたい

作者: 四条奏

 もし明日、戦地に行くことになったとするなら俺はどうするのだろうか。


 無様に泣き叫ぶ? それはない。


 遺書を書く? もう書いてある。提出済みだ。


 仲間と酒を酌み交わす? 俺は酒を飲めない。


 腹一杯に飯を食う? 食が細くて食べきれない。絶対吐く。


 要するに、俺──ユーク・シヴァンに死ぬ前にやるべきことなど何もないのだ。


 貧乏な子爵家の四男。貧乏なくせに四男三女、全員が健康優良児だったせいで、いちばん下の俺は常に割を食ってきた。


 「死んでくれ」なんて親に懇願された人間もそういないだろうが、俺はされた。しかも憧れの親が地に額を擦り付けて。


 だがそれでも親っていうのは面倒な生き物だ。ただ死ぬだけなら生きろと言ってくる。そうして、俺は国教会の騎士団に預けられたのだった。


 騎士団に来てから衣食住に困ったことはない。


 骸骨とまで罵られた俺が、今やいち騎士としての平均、普通なまでに体に肉がついた。


 ロングソードを振り回すのもなんら苦ではない。格闘術だけは人並み以上に。ただ、重装の鎧いっしきは重たいから純粋に嫌だった。


「なあユーク、お前って確か騎士爵以外に男爵位も持ってたよな?」


 同じ部屋の住人、ロイア・イレオフが二段ベッドの上から身を乗り出して話しかけてくる。


 俺の前に垂れている無駄にいい顔と赤髪。


 言い忘れていた。騎士団に来てから一つだけ困っていることがある。


 それは騎士の、貴族の高すぎる矜持だ。


「あるとして、お前に付き合いたくはない」


 視線を愛用のロングソードの鞘へと落とし、埃取りに戻る。


「つれないこと言うなよ〜。な? 俺とお前の仲だろ?」


 ロイアという男は、いつでも誰にでもそうだ。


「リッキーもユルドもその日風邪らしくて、次期侯爵である俺とつり合う、爵位持ちはお返しかいないんだって! 頼む!」


 追加で垂れてきた両手をパンっといい音を鳴らせて合わせる。


「爵位がなくても行けるのだろう? 第一、次期侯爵閣下と所詮田舎の男爵が釣り合うはずもない」


「でもな、ほかの奴らは男爵ですらないんだって! 俺に恥をかかせる気か???」


 この部屋には彼と俺以外にも4人がいるのに、だ。


 彼は自らが選ぶ権利を持っていると考えて辞さない。


「ならわかったって。金だろ? 銀貨5枚でどうだ? 爵位持ちならどんだけ大金かわかんだろ?」


 そしてこいつは、金にものを言わせてくる。


 俺とロイアの声だけが響く部屋はやけに静かで、結局、いたたまれなくなった俺が折れてしまった。



 初めて社交の場に来たのも確か、ロイア(こいつ)と一緒だった気がする。......ん、父がなんと俺が騎士となった祝いに男爵位を下さった時だったか? 忘れた。


 太陽のように会場をぎらぎらと輝かせるシャンデリア。


 男も女も全員が着飾っていて、ただグラスを傾けるという日常動作にすら気品を含ませている。


 首元から足まで宝石のあしらわれた衣装など、もはや重くて歩けなさそうなものだが。


 俺の隣にいるロイアも、深緑色のコートに中は純白のシャツ。騎士団の正装である紺色のコートとは素材から違う、いわゆる侯爵家の衣装だ。


「ユーク。お前も男爵なんだからもう少しマシな格好をだな・・・・・・」


「男爵位も騎士爵も変わらない。どちらでも場違いだからな」


 やれやれとでも言いたげにため息をつくロイアを尻目に、俺はさっさとグラスに水を注ぐ。


「このっ...ワインくらい飲めるようになれよ。お前、本当に子爵の出なんだよなぁ?」


「父が子爵以上でなければ息子に男爵位はあげられない。常識だ」


「うっせ! 知ってるわそんくらい」


 ただ一応、憎まれ口を叩き合えるのも騎士団内ではロイアくらいしかいない。


 だから俺は、折れてしまうのだ。


「あらロイア。今日は同僚さん? を連れてきたのね」


 キラキラと輝く赤紫色のワインを片手に、薄緑色のドレスを纏った貴婦人がやってきた。


「お母様、ご無沙汰しております。はい。今日は騎士団で戦友となったユーク・シヴァン男爵を誘いまして」


 耳を疑う。


 「あらそう」と口元を隠して微笑むロイアの母親。


「男爵様、うちの子をよろしくね」


 家族どうしなのにどこか他人行儀で、やはり貴族とは面倒臭いものだ。


 ロイアはそのままどこかに連れて行かれる。


 輝く人混みの中に混じれば、いくら見慣れた後ろ姿でも追うことはできなかった。


 ただひとり、透明なワイングラスを片手に立ち尽くす。


 前はどうしていたのだろう。............忘れた。


 立食会であるため座れる場所はない。無論すでに床で突っ伏している者も居るにはいるが、そのような真似をできるのは伯爵や子爵くらいなものだ。


 騎士がそんなことをすれば、間違いなく国教会宛に苦情が来る。というか来ていた。


「ねえ黒髪の騎士様、ひょっとしてお暇かしら?」


 後ろから声が聞こえて、肩のすぐ横からひょっこりと小さな顔が出てくる。


 貴族らしくない満面の笑みをこちらに向け、時間をかけて整えていたであろう金色の長い髪の毛は斜めに崩れてしまっていた。


「いかがなされましたか。お困りごとでしたらすぐに──」


「そうじゃなくて、ね? 一緒にワインでもいかがかですか?」


 挑発するような碧眼。すぐに全身を女性の方へと向けて膝をつく。


「申し訳ございません。私は国教会に命を捧げた者ですので、ご期待にはお応えしかねます」


 これもまた、面倒な常識だ。


「忠義を労いたいだけよ。さあ黒髪の騎士様、私の手をとって」


 ......食い下がってくるとは。


「承知致しました」


 俺より頭ひとつ小さい少女の柔らかな手を、そっと握る。


 そのまま立ち上がり、ふたりでワインを注ぎあった。


 国教会騎士は女性と親密な関係となることを原則として許していない。それは、教会の崇拝対象が女神様だからだと聞いている。


 それを破って不貞を働いた者は、必ず悲劇的な戦死を遂げるのだとか。


 しかし同時にこうも思う。


 女神様とは、ひと夜の過ちすらもお許しにならない器の小さな方なのか......と。


 雪のように真っ白なドレスは飾り気がなく、それでいてあいた首元で輝く空色の首飾りは彼女の魅力を全面に押し出している。


「律儀な騎士様、お名前を教えてくださる?」


「申し訳ございません。私はユーク・シヴァンと申します。シヴァン子爵家の四男で、現在は国教会騎士の──」


 突然、少女がお腹を抱えて吹き出した。


「あはははっ・・・・・・ユーク、あなたは本当に律儀ね。そこまで言えとは言ってないわ」


 まわりの視線も気にせず笑う少女を前に、顔を熱が帯びていくのを嫌でも感じる。


「あぁ〜。久々にこんなに笑ったわ。あ、私はね、エマ。ただのエマだから、あなたは気を遣わず、エマって呼びなさい? さあ、呼んでみて?」


 息を整える少女は、俺にそう言ってグラスのワインを飲み干した。


「では、エマ様」「エマ、ね」「エマs...」「エマね」


「......エマ」


「ふふふっなぁに? ユーク」


 いたずらに微笑むエマは、ワインの飲み過ぎで薄く肩まで紅潮している。


「ユークは今日は、どなたかの付き添いなの?」


「ええ。ロイア・イレオフ侯爵令息の護衛です」


「その割には、ご主人様は遠くで地面に伏していたようだけど?」


 ......何をしているのだロイア。


「それは主人が失礼を。では逆に、エマはどうしてここへ?」


 「ん〜」と言いながら顎に手を添えて、首を傾げ半眼で考えるエマ。


「現実逃避、かしらね」


 パッとその瞳が開いてでた色っぽい微笑みに、胸がざわめいた。


「そうですか。いえ、私もそうなのかもしれません」


 思わず出た言葉を首を振って掻き消す。そんなのは、ここにふさわしくない。


 しかしそんな俺に向けられたエマの視線はどことなく熱を帯びていて──


「おい騎士、そのお方となぜ話をしている」


 後ろから肩を掴まれ、振り返った途端に右拳が飛んできた。


 その拳を軽く避ける。エマを背中で庇う。


 次に飛んでくる左拳。それを右腕で軌道を逸らし、勢いそのままに相手の顔面へ左拳を突き立ててやった。


「素人を殴るのは趣味じゃない。理性的に話をしたいのだが」


「い、いいからその方から離れろ?! その方は......そのお方は、この国の第三王女であるのだぞ」


 よく見れば、殴りかかってきた男の襟には近衛騎士の徽章(きしょう)が付いている。


 背中を嫌な汗がダラダラ滴る。周囲の視線が、やけに気になる。


 今度はエマの方を振り返り、また膝をつく。


「ご説明を」


「だから言ったでしょ? 現実逃避だって」


 エマは俺の手を握りしめて走りだす。


 会場の喧騒も後ろからの怒鳴り声も、ぜんぶものすごく遠くに聞こえた。


 宮殿の大きな扉が少女の一声で開き、そこでエマが止まった。後ろからは聞きたくもない金属の擦れ合う音が大量に近づいてくる。


「どうしよっか。流石に馬車は使えない」


 俯いて立ち止まるエマ。


 俺には今、ふたつの選択肢がある。


 ひとつはこのまま近衛騎士にエマを返すこと。これが一番確実だ。俺の処分も必要最小限で済む......と願いたい。


 もうひとつは、このままエマを連れてここを逃げること。この道を選べば俺はもう、騎士でも男爵でもなくなる。そもそも、生きられるのかも危うい。


 昨日までの俺なら、どうしたのだろうか。


 エマと出会う前の俺だったら──


 エマの手が、俺から離れる。


 エマの視線が、また俺を捉える。


「ごめんねユーク。無理に付き合わせてしまって。さあ、帰りましょ──」


 月明かりにほのかに照らされた水面のような瞳。その瞳いっぱいに涙を溜めているエマを見捨てるなんて、今の俺にはできなかった。


 少女の華奢な身体をお姫様抱っこで抱える。


「エマの現実逃避。最後まで付き合わせてもらおうかっ」


 華やかな夜の王都をエマと俺を乗せた馬が駆ける。


 エマは俺の背中にしがみついていて、まだ肌寒い夜に温もりを与えてくれていた。


「どうして......ユーク。私といれば、面倒に巻き込まれているだけ。今ならあなたの罪を軽くもできる」


 背中に染み込んできた生ぬるい涙。


「そもそも、私は......俺は女神様との契約を破った大罪人です。罪が一個か二個増えようが、神は何も思いませんよ」


 罪の数なんて、とっくの昔に数えることをやめた。


「それにまだ、エマの現実逃避の理由を聞いていないですから」


 我ながらお人好しが良すぎてくすぐったい。


 俺の腰を抱くエマの腕に、グッと力が入った気がした。


「馬鹿にしたら承知しないからね......」


 そう言って重々しく語り出したエマの理由を聞いて、俺の笑い声が王都へ響き渡る。


「ようは、姉や兄ばかりが可愛がられているのに嫉妬した、と?」


「ば、馬鹿にしてるっ! そんなんじゃないもん! もう怒った! 降りる! 降りるからぁっ!」


 俺の背中にポコポコ頭突きをかますエマ。


 だが同時に、貧乏な子爵家だから割を食っていたのだと思っていたのが、たとえ王族でも第三王女まで育てるのが大変なのだと思い知らされた。


 それに、自分の人生を自分で決められない無念さは俺にもよくわかる。


「ダメだな。エマは俺と一緒に旅をしてもらう。お前の考えがいかに贅沢か──いや、エマと同じ思いの民がどれだけいるのか、ふたりで見に行こう」


 ユーク(おれ)とエマの旅路は、まだ始まったばかり。


 王都を抜け、一面に青々とした草原が広がる街道。


 真っ暗な空を青に染め上げる太陽が昇り出したその下で。


 俺とエマは、はじめてのキスをした。


〜fin〜

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