第27話 実験に満月はお約束
満月の晴れた夜、空には雲一つなく、星々が輝きを競うように瞬いている。
学校の校庭に巨大な魔法陣が白亜の粉で描かれ、その中心に炎城寺氷華……いや、フレア・サンクチュアリ・クリスタリンが立っていた。
彼女の赤い髪が月光に輝き、青白い瞳が魔法陣の光を映して妖しく光る。
彼女の横には俺、相模原勇が指輪をはめて立っている。
「……ふふ、ついにこの時が来たわ。相模原勇、準備はいいかしら?」
氷華の優雅な声が校庭に響き、俺はセーラー服姿で彼女の横に立つ。
指輪が冷たく俺の指を締め付ける。
……心臓がバクバクしているが俺は決めたんだ。
この実験を成功させて、女の勇の世界を救う。
そして俺たちの世界も守る。
「……ああ、準備はできてる。氷華さん、始めよう」
俺がそう言うと、氷華は微笑み地球語ではない詠唱を唱え始めた。
彼女の声は低く、まるで古代の呪文のように響き、魔法陣が淡い光を放ち始める。
「クショシリャク・シクシウヤク・サイクキウドン・クウアイケン・ショウジッタ・ハラミャン・ハンスギョウ・サツボザイジカン」
校庭の端には聖愛と武彦が立っていて、俺たちをじっと見つめている。
聖愛は少し不安げな顔で、武彦はいつもの仏頂面だが、その目には決意が宿っている。
「……勇、大丈夫かな。氷華さんの実験、成功するよね?」
聖愛が小声で呟くと武彦が腕を組んで答える。
「修道院、心配するな。勇が決めたことだ。俺たちは信じてやるしかねえ」
「……うん、そうだね。ところで戦場君、あの冷蔵庫、何でここにあるの?」
聖愛が指差す先には、校庭の隅に置かれた俺の男の肉体が入った冷蔵庫がある。
ガムテープで封鎖されたその姿はなんだか不気味だ。
「……俺が運んだぜ。もし成功して女の勇が無事に元の世界に帰ったら、男の勇が一人ぼっちで冷蔵庫の中で目覚めるだろ? それは可哀想だろ」
武彦がドヤ顔で言うと、聖愛が呆れた顔で返す。
「……いや、目覚めて冷蔵庫がカタカタ揺れて出てくるって、めっちゃ不気味だわ。ていうか戦場君、よく1人で運べたね」
「俺の力なら余裕だ。……けど、たしかにちょっと怖かったぜ」
武彦が少し顔を引きつらせながら言う。
……うわあ、武彦、意外と可愛いとこあるな。
『君、余計なことを考えている場合じゃないわよ。氷華の詠唱が佳境に入っているわ。気を引き締めなさい』
(……わかってる。けど、君も少しはリラックスしてくれよ。俺たちの最後の時間を楽しもうよ)
俺は脳内で女の勇と会話をしながら、彼女とのこれまでの日々を思い出す。
男の俺と女の俺が身体を共有した、あの混乱と笑いと戦いの日々。
『……ねえ、君。どうだった? 女の子の生活は?』
女の勇が少し照れくさそうに訊ねてくる。
俺は少し考えてから答える。
「……最初は大変だったけど、悪くはなかったかな? 君と一緒だったから困ることもすぐに解決したし。……まあ、スカートは慣れたけど、トイレとお風呂は慣れなかったかな。この綺麗な身体を大事にしなきゃ、って思ってたし」
『ふふ、男の私に言われてもドキドキしないわね』
「当たり前だろ! 俺だって自分にドキドキできなかったよ」
『……最初はちょっとしてたでしょ?』
「……ま、最初はね。……だって君の身体、美少女だし」
俺がそう言うと女の勇が脳内で笑い出す。
『ふふ、君、正直ね。……でも、君と一緒にいられて私も楽しかったわ。戦場君のことも近くで見れたし』
「君、武彦のことになるとすぐ暴走するよな。……けど、俺も聖愛や武彦と一緒にいられて、楽しかったよ。君と一緒に戦えて、よかった」
俺たちはそんな会話をしながら笑い合う。
……本当に短い時間だったけど、俺たち、いいコンビだったよな。
一緒の身体を共有だったけど、まるで双子だったかのような感覚を味わったよ。
そんな余韻に浸っていると、氷華の詠唱の声が一層大きくなり、魔法陣の光が眩しく輝き始めた。
校庭全体が震え、まるで空気が歪むように周囲の景色がぼやける。
「……来たわ。いよいよ時を戻す実験の発動よ」
氷華が呟き、俺は指輪をはめた手を掲げる。
『……君、成功しようが失敗しようが、お別れね。君、自分を犠牲にしようとしないで。犠牲なら私がなるわ』
「こういうのは男が背負うものなんだ。女の俺は黙って見ていてくれ」
『は? 私が君なんかの言うことを聞くとでも?』
「君、相変わらず頑固だな。……けど、俺が決めたんだ。君は俺の世界を救うために戦ってきた。なら、今度は俺が君の世界を救う番だ」
『……君、バカね。君の魂が消えたら、私だって……』
女の勇の声が少し震える。……俺も、君の気持ちはわかるよ。
「君、信じてくれ。俺は絶対に死なない。君の世界も、この世界も、俺が守る」
『君、絶対に約束を守りなさいよ。でないと私、君のこと、生涯賭けて恨むわ』
「……はいはい、わかったよ」
俺がそう呟いた瞬間、魔法陣が最大の輝きを放ち、まるで雷のような轟音が響き渡る。
そして街中が一瞬にして停電し、真っ暗な闇に包まれる。
「……今よ、相模原勇! 指輪の力を解放しなさい!」
氷華の叫び声と共に俺は指輪を握りしめ、心の中で念じる。
『偉大なる時空の神よ、時間を巻き戻し、我々に新たな未来を与えたまえ!』
指輪が眩しく光り、魔法陣から放たれるエネルギーが俺の身体を包み込む。
……熱い。身体が燃えるような感覚だ。そして頭の中を駆け巡る無数の思い出。
聖愛と初めて会った日、武彦と親友になった瞬間、父さんと母さんの笑顔……大切な記憶が燃料のように指輪に吸い込まれていくのがわかった。
視界の端が白く霞み、聖愛の顔がおぼろげになる。これが記憶を失うということか……!
「勇!」
「勇、頑張れ!」
聖愛と武彦の声が遠くで聞こえる。
俺は歯を食いしばり、指輪の力を最大限に引き出す。
その瞬間、空間が歪み、まるで世界が崩れ落ちるような衝撃が走る。
「……⁉ 何だ、この気配は⁉」
俺が叫ぶと氷華が目を細め、呟く。
「……やはり来たわね。クロノス……」
魔法陣の中心に巨大な影が現れた。
金属の関節がカチカチと音を立て、赤い目が俺たちを睨みつける。
……そいつは人間の姿ではなく、アンドロイドの形だった。
「……ふはははは! ついに見つけたぞ、指輪! そして、相模原勇、お前か!」
そいつの声は機械的で、まるで感情が欠落しているかのようだ。
だが、その目には狂気と憎悪が宿っている。
「クロノスだって⁉ 異世界の人間は、指輪がなければこっちの世界に来れないんじゃなかったのか⁉」
俺が叫ぶとクロノスが冷たく笑う。
「……俺は人間を辞めた。機械の身体を得て、時空を超える熱量に耐えられるようになったのだ。そして、今、この世界を俺のものにする!」
「そんなこと、させない!」
俺はマシンガンを構え、クロノスに向かって引き金を引く。
ドドドドド! 弾丸が命中するが、クロノスの金属の身体には傷一つ付かない。
「……ふははは! 無駄だ! 俺の身体は魔法と科学の究極の融合だ! お前たちの力など、俺には通用しない!」
クロノスが腕を振り上げ、俺に向かって突進してくる。
その瞬間、聖愛が魔法を放ち、俺の身体を癒す。
「勇、私がサポートするよ!」
武彦もバットを手に持ち、クロノスに向かって突進する。
「勇、俺に任せろ! こいつをぶっ飛ばしてやる!」
「必ずクロノスを倒す!」
満月の夜、俺たちの運命が決まる戦いが今、始まる。




