第25話 異世界の王は人間を辞める
静寂が支配する異世界の宮殿の広大なホールは、かつては魔法と科学の融合が生み出した輝かしい光で満たされていたが、今は薄暗く埃と絶望の匂いが漂っている。
巨大な玉座に座る男、クロノスは苛立たしげに指を叩きながら目の前に広がる光景を見つめていた。
「……フレアめ、いつまで待たせるつもりだ」
クロノスの声は低く、怒りに満ちていた。
赤いローブに身を包み、金色の装飾が施された王冠を被ったその姿は、かつての栄光を象徴しているが今はただの虚飾に過ぎない。
クロノスの青白い瞳はまるで氷のように冷たく、しかしその奥には燃え盛るような憎悪が宿っていた。
「……あの指輪さえあれば、我々は救われる」
クロノスは呟きながら玉座の肘掛けを強く叩いた。
バン! という音がホールに響き、控える黒服のアンドロイドたちが一斉に頭を下げた。
彼らの目は赤く光り、機械的な無感情さがクロノスの苛立ちをさらに増幅させる。
「……お前たちも役立たずだ。ポンコツどもめ」
クロノスは立ち上がり、ホールの中央に歩み寄った。
そこには巨大な魔法陣が描かれた床があった。
かつては空間転移の鍵として機能していたが、今はただの装飾品に過ぎない。
指輪がなければ、この魔法陣はただの石板と同じだ。
「……指輪さえあれば……いや、あの指輪さえあれば!」
クロノスは拳を握りしめ、歯を食いしばった。
彼の脳裏に遠い過去の記憶が蘇っていた。
ここ、地球ではない異世界は、かつて魔法と科学が融合した黄金時代を迎えていた。
魔法使いたちは自然の力を操り、科学者たちはその力を増幅する技術を開発した。
魔法と科学の融合は都市を浮かせ、星々を越える飛行船を生み出し、病を根絶する薬を生み出した。
クロノスはその時代の王として、この繁栄を統べていた。
「……あの時代は完璧だった」
クロノスは目を閉じ、記憶の中の輝かしい光景を思い浮かべた。
空を覆う魔法の結界、輝く都市、笑顔で溢れる民衆たち。
王として、ただ民の安寧と世界の恒久的な平和を願っていたあの頃の自分がそこにはいた。
だが、その理想はあまりに脆かった。
魔法と科学の融合は力をもたらしたが、同時に欲望も増幅した。
国々は資源と領土を巡って争い始め、魔法科学の兵器が次々と開発された。
魔法の炎で都市を焼き尽くし、アンドロイドの軍団が人間を虐殺する戦争が始まった。
「……無能どもめ。欲望のままに動いた馬鹿ばかりだ」
クロノスの声は憎悪に満ちていた。
一度燃え上がった戦火は、もはや誰にも止められなかった。
平和を説いても、理想を語っても、民は互いを殺し合った。
ならば、と俺は決めたのだ。絶対的な力で全てを支配し、恐怖によって全ての争いを終わらせる。
それこそが、この愚かな世界に残された唯一の平和への道だと。
戦争が激化する中、彼は新たな世界を侵略し、資源と土地を奪う計画を立てた。その鍵が指輪だった。
指輪は大神殿に安置されていた空間転移の鍵であり、魔法と科学の結晶だった。
クロノスは指輪を使って新たな世界に侵攻し、原住民を虐殺することで自らの世界の生存を確保しようとした。
しかし計画は失敗に終わった。
「……あの女、相模原勇が指輪を持ったせいで、全てが狂った」
クロノスの脳裏に憎悪の対象である女の顔が浮かんだ。
彼女が指輪の力を使い、別の世界に逃げ込んだことで、クロノスの計画は頓挫した。
そしてさらに苛立ちを増幅させたのは、テイアの存在だった。
テイアはクロノスの腹違いであり、異世界の魔法科学者だった。
テイアはクロノスとは異なり、魔法と科学の融合を平和のために使うべきだと主張していた。
クロノスはその考えを愚かと切り捨てていた。
「……あのバカめ。平和? そんなものがこの世界に存在するわけがない。この世は生きるか死ぬかだ」
クロノスは歯を食いしばりながら、テイアの最後の瞬間を思い出した。
テイアは指輪を盗み出し、相模原勇に託した。
そしてクロノスの目の前で部下の剣によって首をはねられた。
「……テイア、お前が指輪をあの女に渡さなければ、こんなことにはならなかった」
クロノスの声は震えていた。
テイアへの苛立ちと憎悪が彼の心を蝕んでいた。
憎い。お前の真っ直ぐな瞳が、俺が捨て去った理想を突きつけてくるようで何よりも憎かった。お前はかつての俺自身だったのだ。
テイアが死に際に残した言葉が、今もクロノスの耳に響いている。
「クロノス、君は間違っている。この指輪は破壊ではなく、希望のために使うべきだ」
「……希望? 笑わせるな! 希望なんてただの幻想だ! その幻想にしがみついた結果、この世界はどうなった! 理想だけでは誰も救えんことをなぜ認めんのだ、テイア!」
クロノスは叫びながら、魔法陣の上に拳を叩きつけた。
バン! という音が再びホールに響き、アンドロイドたちが一斉に頭を下げた。
クロノスの苛立ちは、フレア・サンクチュアリ・クリスタリンにも向けられていた。
彼女はクロノスの命令を受けて、別世界に派遣された魔女だったが指輪の奪取に一向に進展がない。
「……フレアめ、いつまで待たせるつもりだ! お前もまた、役立たずの一人か!」
クロノスはフレアの優雅な笑みを思い出し、憎悪に満ちた表情を浮かべた。
彼女がその世界を「実験場」とする目的を、クロノスは理解できなかった。
彼女の行動はクロノスの計画をさらに遅らせている。
「……フレア、お前が指輪を奪えないなら俺自らが動くしかない」
クロノスは呟きながら、控えるアンドロイドたちを見つめた。
彼らの赤い目が、まるでクロノスの苛立ちを映し出しているかのようだった。
「……そうだ。もう待つ必要はない。俺自らがあの指輪を奪いに行く」
クロノスは立ち上がり、魔法陣の中央に立った。
彼の青白い瞳が決意に満ちて輝いている。
「……だが、指輪がなければ、人間は時空を超える熱量で焼かれてしまう。……ならば、もはや守るべき価値も失せた人間を辞めればいい」
クロノスの言葉にアンドロイドたちが一瞬動きを止めた。
彼らの赤い目が、まるでクロノスの狂気を理解したかのように輝いている。
「……俺の身体をアンドロイドに改造するのだ。人間の肉体を捨て、機械の身体を得れば、時空を超える熱量にも耐えられる。王として民を導くはずだった俺が、その民と同じ肉体を捨てる。これ以上の皮肉があるか? だが、構わん。この肉体も、感情も、もはや俺の覇道には不要なのだ」
クロノスの声は狂気に満ちている。
彼はアンドロイドたちに命じた。
「……準備をしろ。俺の身体を改造する。機械の身体を得て、あの指輪を奪いに行くのだ」
アンドロイドたちが一斉に動き出し、魔法陣の周囲に集まった。
彼らの手には魔法と科学の融合技術が施された器具が握られている。
「……フレア、相模原勇、お前たちの世界に俺が行く。そして指輪を奪い、その世界を俺のものにする」
クロノスの青白い瞳が狂気と憎悪に満ちて輝いていた。
彼の身体が魔法陣の光に包まれ、アンドロイドたちの手によって改造が始まった。
「……人間を辞めることで、俺は全てを手に入れる」
静かなホールの中、クロノスの決意が闇の中に溶け込んでいった。




