第22話 主人公は犠牲者になるのがお約束
夕陽のオレンジ色が炎城寺氷華のマンションの302号室を暖かく染めていた。
部屋の中は静寂に包まれ、俺である相模原勇(男と女)、聖愛、武彦、そして氷華……いや、フレア・サンクチュアリ・クリスタリンが向き合っていた。
彼女の青白い瞳が、まるで俺たちを試すように輝いている。
氷華の存在が部屋の中を重く圧迫する。
聖愛も武彦も、絶句したまま彼女を見つめている。
俺は右ポケットの中で指輪を握りしめ、冷たい金属の感触を感じながら頭の中がぐるぐると回っていた。
(……どうすればいいんだ⁉ 指輪を渡せば俺たちは助かるかもしれない。けど、この世界が滅ぶなんて、そんな選択、できるわけないだろ!)
『君、落ち着きなさい。氷華の目的を冷静に探りなさい。指輪が私たちの手札! それを有効に使いなさい』
女の勇の声が脳内で響く。
彼女の冷静な口調が、俺の心を少しだけ落ち着かせてくれた。
……そうか、そうだよな。
その通りだよ、女の俺。
なら俺は、感情の赴くままにこう告げよう。
「……氷華さん、指輪は俺が使い続けます。俺の……俺だけの魂を使ってくれ! その代わり、実験についてもっと詳細に教えてください」
俺は決意を込めて、はっきりと口にした。
「……⁉」
部屋の中が一瞬にして静まり返った。
聖愛が目を丸くし、武彦が「は⁉」と声を漏らし、脳内ではもう1人の勇が唖然としているのが伝わってくる。
「勇⁉ 何を言ってるの⁉ そんなの絶対に駄目だよ!」
聖愛が立ち上がり、俺の肩を掴んで叫ぶ。
武彦もムッとした顔で俺を睨みつけた。
「勇、お前、魂が消えるってわかってて、そんな無茶を言うのか⁉ 俺たちが許すわけねえだろ!」
『君、ちょっと待ちなさい! そんなことを思うのなら、今すぐ指輪を彼女に渡して、君は元の身体に戻りなさい! 君の魂が消えるなんて私が許さないわ!』
女の勇の声が脳内で激しく響く。
彼女の怒りが俺の心臓を締め付ける。
……けど、俺はもう決めたんだ。
「……この女子高生の相模原勇の肉体の持ち主は俺じゃない。俺がこの身体に入った意味は別世界の女の俺の能力、この右手をマシンガンに変える力で戦うため。……そして指輪を使用し続けるのに、消費する魂を補完するためだったんじゃないかな?」
俺の言葉に部屋の中が再び静まり返った。
聖愛が目を潤ませ、武彦が拳を握りしめ、女の勇が脳内で息を呑むのが伝わってくる。
「……勇、そんなこと……」
聖愛が呟き、武彦も、いつもの仏頂面を崩して俺を見つめる。
「……勇、お前、そんな覚悟を……」
『君……そんなバカなことを……君がそんな覚悟をするなんて信じられないわ! 君の魂が消えたら、私だって……』
女の勇の声が少し震えている。
彼女の感情が俺の心に直接伝わってくる。
……けど、俺はもう決めたんだ。
「……俺1人で抱え込むつもりはない。聖愛、武彦、君たちもいる。女の俺もいる。……けど、この指輪を使うのは俺しかできない。俺の魂が消えるかもしれないけど、それでも、この世界を守るためなら、俺は……」
「駄目!」
聖愛が叫び、俺の胸に飛び込んできた。
彼女の涙が俺のセーラー服を濡らした。
「勇の魂が消えるなんて、そんなの絶対に嫌だ! 私だって、私の魂を使えばいい! 勇1人で背負うなんて、許さない!」
「……修道院の言う通りだ。勇、俺の魂も使え。親友として、お前1人にそんな負担を背負わせるなんて、俺が許さねえ!」
武彦が拳を握りしめ、力強く叫ぶ。
聖愛と武彦の言葉が俺の胸を熱くする。
……けど、それでも俺は首を振った。
「……ありがとう、聖愛、武彦。けど、これは俺の決断だ。君たちの魂を危険に晒すわけにはいかない。俺がこの身体に入った意味があるなら、それはこの指輪を使うためだ。……俺は君たちを守るために戦うよ」
『君……本当にバカね。君がそんな覚悟をするなんて……でも君がそう決めたなら、私も……私も君を支えるわ。……だから絶対に死なないでよ。死んだら生涯祟るわよ』
女の勇の声が、少しだけ柔らかくなる。
彼女の覚悟が俺の心に響く。……ありがとう、女の俺。
その時、氷華が静かに立ち上がった。
彼女は目の前の光景を、信じられないものを見るような目で見つめていた。
(何を言っているの、この男は……。自分の魂を犠牲に? 馬鹿げている。自己犠牲など、自己満足に浸る愚者の選択よ。私の世界を滅ぼしたのは、そういう綺麗事を振りかざす者たちの無力さだったはず……)
けれど勇の目は違った。彼の瞳の奥に宿る光は彼女の脳裏に遠い過去の記憶を焼き付けた。
燃え盛る森。崩れ落ちる神殿。彼女の愛した静かな場所が灰と化していく光景。
そして血に塗れながらも、自分に指輪を託したあの人の顔。
(……でも、あの目は……? そうよ、テイア。あの子も、最期に同じ目をしていた)
自分の命よりも、他者を、世界を優先する。この世界の人間を、ただの実験動物としか見ていなかった彼女の計算を覆す、ただ一つの変数。
(これが……テイアが口にした『希望』というものの正体? 私の実験は、この未知の感情を解き明かすためのものだったというの……?)
氷華は聖愛の家でメイドとして働き始めた理由も思い出す。
聖愛の両親が彼女の才能を見抜いて雇ったわけではない。
彼女自身が聖愛の友情や勇気に惹かれ、彼女の生活に近づくことで指輪を奪う策を練っていたからだ。
だが聖愛とその友人たちとの触れ合いの中で、彼女は新たな価値観を見つけ始めていた。
氷華が小さく笑い、瞳を開いた。
彼女の青白い瞳が勇たちを見つめる。
「……相模原勇の男の魂の覚悟、伝わったわ。ならば協力してくれるかしら? 私の実験に」
「……⁉」
聖愛と武彦が目を丸くし、女の勇が脳内で息を呑んだ。
俺は拳を握りしめ、力強く頷いた。
「……ああ、協力するよ。けど、俺たちの目的はこの世界を守ることだ。君の実験がその目的に反するなら、俺たちは君と戦う。……それでもいいか?」
氷華がふっと笑い、優雅に首を振った。
「……ふふ、いいでしょう。……君たちの覚悟、私が試させてもらうわ。……でも、覚えておきなさい。私の実験は君たちの想像を超えるものよ」
氷華の言葉が部屋の中を重く圧迫する。
俺は拳を握りしめ、指輪の冷たい感触を感じながら彼女の言葉の続きを待った。




